第7話



 英雄王は別に争いごとが好きなわけではない。

 ただ単に、奴隷制度等の人権を無視した卑劣な行為が気に入らなかっただけだった。

 母に言われた通り世界を見て歩いているだけで争いの種はいくらでも目についた。

 時には村人と協力して盗賊団を殲滅したり。重税を課す領主の首を跳ね飛ばしたりし続けているだけなのだ。 

 それが例え一国が相手だろうと自らの信念を曲げることなく挑んでは打倒していく。

 その圧倒的な強さに惹かれる者もいれば恐れる者も当然いる。

 しかしそれら気にすることなく世界を渡り歩いていた。


 それこそ、自由奔放に――


 そして自由奔放という点においてはアテライエルも負けてはいない。 

 特にファルトになついていて漁に行くと言えば必ず付いていった。

 リュタリアから南に馬車で1時間くらいの距離にひょうたん型のグリール湖があり。

 手前の大きな湖と奥に在る一回り小さい湖。手前はいいが、奥は深緑の森にすっぽり囲まれているため魔物の領域としている。

 リュタリアの民はだれもそちらにいかないし、ファルトも、それにならい手前の湖の中ほどで網を投げ入れる。

 水は透明度が高くとても綺麗だった。深緑の森に面しているため、ここで漁をするのはリュタリアの民だけであり。

 獲る量も少ないため、簡単に多くの魚を獲る事が出来た。

 主に獲れるのは、茶色と虹色の鱒であり、今日も大漁だった。

 1メートルほどの木箱の中が魚で半分ほどうまったところで本日の漁は終わり。

 その中途半端な獲りかたに以前から疑問を抱いていたアテライエルは首を傾げる。


「むぴっ?」

「どうしてもっと獲らないかって? どうしてだと思う?」

「すぴ~」

「分からないなら、よく覚えておけよ! これは大事なことだからな!」

「むぴっ!」頷く。

「なんでも獲り過ぎたらダメなのさ」

「むぴ?」


 不思議そうに首を傾げるアテライエルに向かってファルトは気持ちを込めて言う。


「もしも今日ここで全ての魚を獲ってしまったとしよう」

「むっぴー!」


 いっぱいお魚が食べられると大喜びするアテライエル。

 耳をぴょんと立てて、しっぽが大回転!


「確かに一時は満足するだろうが、明日からはどうする?」

「すぴー……」


 しゅんとなって耳としっぽを下げる。


「そうなんだ、これからもこうして魚が獲れるように無闇に獲らない事が大切なのさ」

「むぴゃ!」

「そうか、分かってくれたか」


 満足げな顔を浮かべたファルトは岸に向かって舟を漕ぎ――簡素な船着場に船を縄で括り付けると網を干し帰り支度を済ませる。

 馬は代わらないが馬車は別。簡素な荷馬車になっていた。

 それは道の整備という側面もあったからだ。毎回少しずつではあるがくぼみに砂を入れては道を整備していた。

 その繰り返しがあったからこそ片道1時間ですむようになったのだ。






 ファルトが、どこかにいくと言えば喜んで付いて行くアテライエル。

 仕事は仕事と分っていて邪魔をしないために付いていかないが。

 帰ってこれば別。アルメイリアが娘の世話で手が離せない時は、当人に代ってお帰りなさいのキスから始まり。べったりとくっついている。

 食事の時も、お風呂の時も、寝る時も一緒だった。

 アルテリファにとって、弟に値するアテライエルは常に一緒に居たい相手であって同時に父親とも一緒に居たかった。それは、アテライエルにべたぼれしているアルメイリアも同様であり。

 結果的に、家の中ではいつでも皆一緒みたいな感じになっていた。

 そんな姿を、領主夫妻も微笑ましく見詰めていた。

 深緑の森に行くといえば、アテライエルも付いていき。

 特に問題が無ければ、家族一緒に行動する事も多々あったが大抵、二人での行動が多かった。

 歩いて10分程で、深緑の森。 

 甘い木の実や、信じられないほどに不味いキノコ等、色々なものが取り放題だった。

 たまに魔物に遭遇する事もあったが、不用意に手を出したり脅かさなければ相手も襲っては来ない。

 ファルトからすれば、小熊を連れて歩く母熊の方がよっぽど恐ろしい存在だと感じていた。

 それに、アテライエルの存在が圧倒的だった。

 やはり、同じ魔物の方がアテライエルに秘められた力を強く感じるらしくアテライエルが近付けば大半が逃げていった。

 ある意味同族に会えた嬉しさから駆け寄っただけなのに、その度にそでにされる、可哀想な存在。

 それでも、アテライエルは今日も元気に兎を追い回しファルトが、仕掛けた罠に誘い込んでいた。

 湖に行けば、不気味なくらい大量に魚が獲れる。

 今日の夕飯。焼き魚を期待しては、鼻息を荒くするアテライエル。

 とっても元気で、異常なほどの食いしん坊との生活。

 それは、この村に伝わる民話のようで、あったかだった。

 夫は村の発展に日々尽力し。妻は、それを支えながら娘を育てる。

 凶悪な力を秘めた魔物は毎日幸せを噛み締めていた。





 自分を産んだ母親の言いつけ通り、一年間。アテライエルなりに人間を見詰めてきた。

 その答えを伝えようと、家を出る。

 前日、いつもにも増して、まとわり付いて来るアテライエルに感じるもののあったファルトとアルメイリアは黙って出て行くのは許さない! とばかりに待ち構えていた。


「むぴっ?」


 一瞬、びっくっとなり耳と大き目の太い尻尾を跳ね上げるが、しゅんとうなだれる。


「別に、黙って出て行くことを咎めているわけではないんだよ」

「そうよ。 いってらっしゃいくらい言わせなさい」

「むぴゃっ?」


 アテライエルは不思議そうな顔をして首をかしげる。

 ファルトは、やれやれといった表情で。いつも通り、言って聞かせる。


「いいかアテライエル。俺達は、家族なんだ」

「むぴ!」頷く。


 ファルトにとって娘もアテライエルも同じだった。

 今は、まだ知らない事が多い存在。

 息子であれ、娘であれ。そのどちらでもなかったとしても構わない。

 ただ、かけがえの無い存在。


「そう、家族だ。家族というものは一緒に暮らすのがあたりまえなんだ。お前がどこに行こうとそれを止めるつもりじゃないんだ。俺達が言いたいのは用事が終わったらきちんと俺達の所に帰って来いってことなんだよ」

「むぴっ?」帰ってきていいの?

 

 アテライエルは、瞳を輝かせ耳と尻尾を跳ね上げる。


「んも~! なに言ってるの! 当たり前でしょ! あなたが居なくなったらお姉ちゃんきっと泣いて探し回るんだからね!」

「むぴっ?」そうなの?

「んも~! あたりまえでしょ! いいアテライエル! あなたは私達にとって大切な存在なの! だから、出て行くときはきちんと行ってきますと言いなさい! そして、帰ってきたらお帰りなさいを言わせる義務があるのよ!」

「むぴゃ!」 わかったよ!

「そうか。分ったならいい。早く用事を済ませてとっとと帰って来い!」

「むぴっ!」うん!


 アテライエルは、強く頷いて朝靄の中に消えて行った。





 深緑の森深くにアテライエルの故郷があった。

 岩山を無理やりお城っぽくくりぬいた家は自称ビショップの手作り。

 魔王と呼ばれても不思議でない存在が、雨をしのげれば良いだけという理由で簡素な洞窟で暮らしているのが納得できなかったからだ。

 彫刻家でもない者が作ったのだから見た目はいまいちだが。きちんと、てすりや階段にテーブル、椅子なんかもあり。全ては同じ岩山からくりぬいたもの。

 地下室もあり、そこには岩でできた椅子に腰を下ろした母親と次兄だけが居た。


「ああ、ようやく揃ったか」

「むぴ?」そうなの?


 アテライエルが、首を傾げる。


「ああ、残念ながら一番最初に作った者には一年と言う概念が理解できなかったらしい。正直なところいつ帰ってくるか。いや、帰って来る事があるかすらもわからんのだよ」

「すぴー」そうなんだ。


 全員揃う必要はないと言われてしまった。


「では、改めて紹介するとしよう。きさまには知識として兄が二人居るということしか植えつけていなかったからな」


 母親が、目配せをすると2メートルを越す大男がアテライエルを見詰める。


「我は、英雄王と呼ばれる存在だ。名は幾つも有るが、どれでも構わん。たんに英雄王と呼びたければそれでも構わん。好きに呼べ」


「むっぴー!」じゃあ、おにいちゃん!


 アテライエルは、ごくありきたりな呼び名を提案していた。

 村人にまみれて遊ぶ日々の中で出会った言葉の一つだった。

 つぶらな瞳をキラキラ輝かせて、耳と尻尾を跳ね上げる! 

 その、微塵も否定されることを考えていない態度に、「あははははは! それは、いい!」母親は、腹を抱えて笑う。


「うむ。お主がそれを望むのであれば、我も受け入れるとしよう」


 英雄王は、引き締まった顔を、少しばかり緩めていた。

 人間との係わりの中で、戦力として称えられた事は数知れずあるが、こんな感じで、愛着のある言葉で呼ばれたことはなかったからだ。

 その意味も、そう呼ばれるべくある存在の意味も。じゅうぶん理解しているがために、こそばゆかったのだ。

 人間達の間では神にも等しい存在として名を轟かせる自分に対して、全くおくする事なく『おにいちゃん』と呼べる器の大きさに惚れたからでもあった。


「くくく。では、予定通りお前たちの考えを言ってみたまえ」


 人間を滅ぼすために用意した駒達が何を言って楽しませてくれるか。

 それだけで、笑いが込み上げてくる。その楽しそうな笑いを止めてしまうのか。それともさらに促すのか。

 英雄王は、毅然とした態度ではっきりと声を響かせる。


「我は、人間の殲滅には反対であります! アレは、生きるべき存在として認めるべきです! ですが、生きる価値のない者が多いことも事実。そこで、我は提案します! 人間は我が従え管理統制した上で生かすべきだと!」


 母親は、腹を抱えて大笑いしていた。


「あっはははは! なるほど、それはいい! 貴様は英雄王ではなく英雄神になりたいと申すのだな!」

「はい! 母様のお許しが頂けるのなら、我はそうなるべく進むだけにございます!」


 大柄な男が華奢な女に跪く。


「くくくっ! なにを言っておる。お主は、自らが決めた事に従順に動くだけではないか。今ここで私が異論を唱えたところで切り捨てるだけであろうに」

「はい! その通りでございます」

「むぴ?」お母さん食べるの?


 笑みを交わす二人に予想外の言葉が斜め下から飛んできた。

 緑色の小さな魔物が、首を傾げて当然な疑問をぶつけているだけなのだと言っていた。


「ほ~。キサマは、この私を食べたいというのか?」

「むぴ…」ちがうよ。


 アテライエルは、首を振る。 


「ならば、なんだ言ってみろ」

「むぴ!」獲物は食べるために獲る物だからだよ!


 さも、当然だと言い放った短い鼻音は、母の大笑いを誘い。


「あははは! 実の母親をエサ扱いか! いいだろう、気が向いたら食べても構わんぞ!」

「こ、これは無垢と言うより、末恐ろしいという言葉が似合う」


 自らを英雄王と名乗る大男ですら、引きつっていた。

 この小さな魔物は、人間達と――いったいどんな係わりをもってきたのだろうか?

 二人の考えは、表情に強く浮かぶ。 

 ある意味、同化して共に生きるようになったビショップとの共作である。

 母親は興味津々といった感じで問い掛けてきた。


「では、次はお前に気こう。お前は人間を見てきて何を思った?」

「むぴっ!」人間は友達だよ!

「そうかそうか。人間は友達か!」


 母親は、満足げに頷き。


「なるほど」


 それで、先程『おにいちゃん』などと言う単語が出てきたのだなと英雄王は納得して頷く。


「むぴ! むぴーー!」それとね! ぼくは、キサマじゃなくってアテライエルって名前なんだよ!

「は……」        

「アテライエルか…うむ。意味は分らんが良い響きだ」


 母親は、予想外の言葉に目が点になり。

 英雄王は、固有の名を持つ者を羨ましそうに見詰めていた。


「ふっ…そうか。キサマは、アテライエルと呼ばれる方がいいのだな」

「むっぴー!」うん! そうだよ!


 大き目のしっぽがぐるんぐるん回っている。


「ならば、アテライエルよ! お前に聞こう」

「むぴ?」なに?

「お前は、人間を滅ぼすつもりはないのだな?」

「すぴ!」うん!


 強い意思を持ってアテライエルは頷いていた。


「ならば、その力は不要であろう?」

「むぴ?」なんで?

「ふっ。お前に与えた力は人間を滅ぼすために与えた力なのさ」

「むぴ?」そうなの?

「ああ。だから、人間を滅ぼさないなら不要であろう?」

「すぴ!」うん! いらないよ!

「あははは! そうかそうか!」


 女は心底笑っていた。その気に成れば世界全てを破滅へと導く力を与えてやったというのに。

 その価値に全く気付かず要らないと即答したからだ。

 そして――


『だからこそ面白いのだなビショップよ』


 女は、ニヤリと微笑を浮べる。


「お前には、いや。アテライエルだったな」


 相手を、きちんと名前で呼ぶ意味。それは、一人前の存在として認めたからだった。


「むぴ! むぴ!」うん! そうだよ!

「では、アテライエルよ。お前には、特別な呪いをかけてやろう」


 母親が座ったまま手をかざすと、アテライエルのまとっていた輝きが衰えていく。

 それは、相手を魅了し取入り易くしていた魔力の上辺だった。


「むぴ?」なにしたの?


 アテライエルの疑問に母親は笑って応える。


「ああ。アテライエルの魔力を封印したのさ」

「むぴ?」なんで?

「どうせ、使わないのならそれでも構わんだろ?」

「むぴ?」なくしちゃってもよかったのに?

「あははは! それでは、お前という存在が無くなってしまうからな! それに、力は閉じ込めただけであって、その気になればいつでもつかえるさ!」

「むぴ?」なんで?

「あははは! そりゃ、使いたい時が来るかもしれんからな。それに、お前の覚悟を見たいのさ」

「むぴ?」覚悟?

「ああ、覚悟だ。けっしてその力に頼らずに生きていくという覚悟さ」

「すぴっ!」分ったよ!


 アテライエルは強く頷く。


「あははは! 言っておくが、そんなに簡単ではないぞ! この家から一歩出れば魔物の巣窟だ! アテライエルよ! キサマの様な小さな存在が無事に出れると思ったら大間違いだぞ!」

「むぴっ?」そうなの?

「当然であろう! 今まで、何事もなく過ごしてこれたのは、全てあふれでる魔力のお陰でしかない。人間に懐かれたのも、強靭な魔物から身を守ってきたのも全て、この私が与えた力ゆえと知れ!」

「む、ぴ~~」そう、だったんだ……


 アテライエルは、うなだれた。耳も尻尾も埃っぽい床に張り付いていた。

 別に、魔物に避けられてきた事に対するものではない。自分を家族だと、仲間だと、友達だと言ってくれた人達が……本当は違ったのだと言われたからだ。


「あはははは! 残念だったなアテライエルよ! 仮に、この森から無事に出れたとしてもキサマに帰る場所など無いと知れ!」

「むぴ~~~、むぴぃ」うん……わかったよ。  


 アテライエルは、母親の強い言葉の前に小さな鼻音で応えた。


「あははは! だったら、望めばいい。人間を滅ぼす代りに力を返してくれと。そうだな、特別にキサマが気に入った人間は生かしておいてもいいぞ。どうだ、悪い条件ではないだろう?」

「すぴ! すぴっ~!」うん! 分った、やっぱりいらないよ!  

「あははは! そうかそうか。帰る場所も無ければ、無事に出れる保障も無しに言い切るとは面白い! では、無事にこの森から出て見せよ! そして好きに生きるがいい!」

「むぴっ!」うん!

「では、我が送るとしよう」

「は…? キサマは何を言っている?」

「おや、母様。我が送ってはいけないと申されなかったと思いますが? 我の聞き違いでしたかな?」

「ふっ。好きにしろ。ならばアテライエルよ!」

「むぴ?」なに?

「最後に教えてやろう。呪いの解き方だ!」

「すぴっ!」いらないよ!

「ふはははは! まぁ、そう言うな。せっかく有るんだから使い方を知っていて損はないだろう」

「うむ。それは我も同感だな」

「むぴ?」そうなの?

「ああ、使う使わないはアテライエルよ。お主が決めればいいだけのこと」

「あはは! 簡単な事さ、お前の好きな者の光を食らえばいい。それでお前は世界最狂の力を手に入れる!」

「むぴっ!」わかったよ!

「うむ。言った通りであっただろう」

「むぴ!」うん!

「使わないと決めているのならば、食らわなければいいだけの話。それに母様からの最後の言葉だ。聞かぬまま別れるのは無礼に値するのだぞ!」


 アルメイリアの言葉が思い浮かぶ。

 

 ――家族。


 産みの親である以上、母親も家族なのだ。だからアテライエルは、母親の足に擦り寄る。


 そして――


「むっぴー!」いってきます!


 さよならの言葉を告げた。 

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