第6話
賢者の石を手にした女の元には世界最高と言われた全ての経験と知識が有った。
ある意味、世界を手中に治めたと言ってもいいのではないだろうか?
ゆえに彼は賢者の石と名付けたのだのだろう。
たかが都市一つの生命を凝縮しただけでコレなのだ。コレを使ってもう一度同じことをすれば簡単に世界は女の下に平伏すだろう。
しかし、それでは面白くない。
『今度、会ったらまたチェスをしましょう』
今なら彼の望みのまま、望むように相手が出来るだろう。
駒の動かし方から、ルールまで全て知り得るのだから。
『この駒はポーンと言いましてね……』
何度も何度も、それこそ何千回同じ事を説明したか分らないくらい彼は飽きもせず毎日同じ言葉を並べていた。それこそ楽しげな顔をして嬉しそうに。もし女が幸せという感覚を知っていたなら。彼は、正にその時の中に居たのだ。
それを、今更ながら知ってしまった。あの日々は幸せに相当するのだと。
彼は、別に自分とチェスが本気でしたかったわけではない。ただ、会話するきっかけになればなんでもよかったのだ。人より長い時を生きる時を得てしまった者として実に優秀な感覚だと思った。
焦らず、ゆっくりと、長い時を噛み締めながら生きる。仮に千年毎日同じ繰り返しだったとしても千年幸せを噛み締めて死を迎えたなら――その生涯は当人にとって最高のモノになりえる。
たったそれだけを伝えたくて彼は、ココまでしたのだと気付いた。
自分も生を楽しんで欲しいと。生きるというゲームを楽しんで欲しいと。
だから、女は宣言した。
「では、チェスとやらを始めましょう」
ルールなんて要らない。自分が楽しめればそれでいい。
対戦相手が存在するならじゅうぶん。まずは、彼が自分の名として使っていたビショップとやらを作ればいいだろう。使い方も知らない駒は彼の好きな駒だった。
きっとさぞ強いのだろうと思い。3年という年月をかけて丁寧に作ったはずの一つ目の駒は、巨大な魔物の因子を複数組み込み失敗した。
身体が大きく力が強いのは申し分なかったが、知性に乏しく会話がいまいち噛み合わない。
巨大なオオトカゲもどきだった。大きな顎。グルグル唸るような低い声と、臭い息。動きが鈍く鈍足。
対魔法防御に特化した大蛇の皮で身を包んでいるのがせめてもの幸いだった。
とりあえず1年経ったら戻って来いという期限を教え、後は「お前の好きにすればいい」と言って野に放つ。
まぁ、最初はこんなものだろうと思い考え方を改め――次作は知性を主軸に置いて構成した。
彼同様。知性と自分の信念を持つ存在として人型の駒を作ったのだ。
空色の髪と銀色の瞳。顔つきは、出来る限り彼になぞった。
2メートルを超える長身は筋骨隆々している。見惚れるほどに美しいと思ったのだが……
またしても、失敗だった。
「我は、むやみに人を殺めるような事は致しません」
既に、対専用の駒として致命的な欠陥を持ってしまっていた。
このままでは……せっかくあしらえた、漆黒の大太刀と鎧は、置物としての輝きを放つだけに成り下がってしまう。
「だったら人を殺すも殺さないも、お前自身の目で見て決めろ。そして1年経ったら報告に来い」
「はっ! 母様が、そうおっしゃるのであれば人と言うものがどの様な者か。この目と耳で知ってまいります! では、行ってまいります!」
深々と頭を下げて去っていく。堂々とした後姿は、雄雄しいがコレなら長兄の方がまだマシだったと反省する。
長男と次男の失敗をふまえて、三男は自分の因子をふんだんに盛り込むために産んだ。
強さとは大きさに比例しない。見た目はは小さくとも、残った賢者の石の力を全て注ぎ込んだ魔物は、本当の意味で自分と彼の合作と言えた。
艶やかで長い鶯色の体毛に覆われた姿は、小型の犬に良く似ていて可愛らしい。
人並みの思考回路と、独自の信念を持った魔物は遥かに自分を超える猟奇的な魔力を有している。
例えるならば、ちょっと扱いを誤っただけで世界を崩壊させる危険物。
つぶらな愛らしい瞳で「すぴすぴ」と鼻を鳴らす生き物は、女が知る限り最強の生物だった。
女は満足な顔で微笑んでいた。自分は今、生を楽しんでいると知ったから。
「お前も、人里に行って自分のしたいように生きろ」
「すぴ?」
小さな魔物は、首を傾げて黒い瞳に問い掛ける。人ってなに? 美味しいの? 食べてもいいの? どこに行けば食べれるの?
たった、一鳴きに色んな意味が含まれていた。次男と違い知識を殆ど与えなかったからだ。
「あははは。それはお前が見て判断すればいい」
「むぴ」
女は笑い。小さな魔物は頷く。長い耳がぴーんと跳ね上がり。長く太いしっぽが元気良くふりふり。
「では、そうだな……。お前は、南に行け」
「すぴ?」
再び首を右に傾げて、南ってどっち? と聞く。
「ああ、私の指差す方向へ行けば多分南だ。それと1年経ったら戻って来い」
「むぴー!」
煌びやかな体毛をなびかせながら、最狂の魔物は南に下っていった。
長兄は東に行った気がする。次男は北に向かった。
野に放った三人がどの様な結果を出すか分らない。
世界を崩壊させるのか。それとも、より混沌とさせるのか。あるいは、人と共に生きる道を選ぶのか。
勝敗のつけ方すら知らない女のチェスは始まった。
やがて、長兄は人の目に触れた途端、攻撃された。見た目の異質さと不気味さが人に警戒されたからだ。ただ、木の実を食べていただけの存在は化け物と呼ばれ痛めつけられた。
それは食事同様の行動理念。生きるための生存本能に従って自衛しただけだった。
痛みから逃れるには、排除しなければならない――
それは、日々繰り返され激化の一途を辿る。その圧倒的で、絶望的な強さと徹底した殺戮行為から長男は殺戮王と呼ばれ世に広がっていく。
次男も、形は違えど人を斬り殺し捲くっていた。世に人が居る限り戦乱は絶えない。
その中に置いて、弱きものを痛めつけるだけの卑劣な行為が我慢ならなかったのだ。
独自のはた迷惑な正義感は、それらに鉄槌を下し捲くっていた。
常に弱き者の味方をして人を殺し捲くる勇士は、英雄視され、英雄王と呼ばれるようになる。やっている事は同じ人殺しなのに、えらい違いである。
そして――
もう一人。薄い緑色の魔物は小さな女の子に近付いていた。
モノの怖さをしたない幼女は、「あーてー」と言って。魔物に黄色い花を差し出しす――
「むぴ?」
小さな魔物の首が右に傾く。ボク? と言っている。
この小さな女の子にとって、動物は全て、あーてーだった。
近所に『お手』と言うと前足を、ぽんっと手の平に乗せてくれる人懐っこい犬が居た。
それを見て以来、彼女の中で動物イコール、あーてーと認識されてしまっているのだ。
だから、犬も、猫も、馬も、全て。この、魔物も例外なく「あーてー」なのだ。
女の子が更に魔物の口近くに黄色い花を差し出し――小さな魔物の鼻に当たる。
魔物の口が大きく開き、パクリと食べた。
黄色い花の味。始めて食べた物の味は、酸味と苦味。そして、ほのかな甘さがあり。身体の芯に何かが蓄積されていく感覚が美味しいと感じさせていた。
「むぴー!」
嬉しさから、魔物は耳をぴーんと張り上げて! 太めの尻尾をぐるぐる回した。
「あーてー」
それに気を良くした女の子が再び黄色い花を摘んで差し出す。
ぱくり――魔物は食べ始めた。女の子が差し出す全てを。それは苦味が強くて青臭い葉っぱだったり。しぶみのある紫色の花だったり。全てを食べ続けていた。
それを遠めに見詰めていたアルメイリアが、洗濯物を干す手を止めて歩み寄る。
花畑に埋もれて見えないが何か居るのだろうか? そんな疑問は、背筋が凍りつくほどの衝撃と共に心を打ち抜いた!
見た目は小さな犬に酷似しているが――犬じゃない! どちらかと言えば狼に似た顎をしている。
――と、いうよりも。動物ではなく魔物だ! それも、上辺を探っただけで分る異常な魔力。
根底には一体どれだけの魔力量があるのか全く見等も付かない。
それほどの存在だというのに恐怖よりも別の感情が膨れ上がってくる。
完全に魅入ってしまっていたからだ。人も魔物も動物も関係ない。それら全てに対して自らを惚れさせる力が薄い緑色の魔物から溢れていたからだ。
「かわいい~♪」
アルメイリアは、おもいっきり抱きしめてしまっていた。あまりの愛らしい食べっぷりに恐怖は木っ端微塵に打ち砕かれていた。頬を摺り寄せれば、ふっかふっかで、もっふもっふの毛並。艶やかな薄い緑色の体毛はほんのりと温かく心地良い。深緑の森から迷い出てきてしまったのだろうか。長年堆積した落ち葉の匂いがした。
「むぴゃ~!」
いきなり抱き上げらた事が楽しくって、耳をぴーんと張り上げてぴくぴく! しっぽはぐるぐる大回転!
「あーてー! あーてー!」
手近に在った、青い花を摘んで薄い緑色の魔物に食べさせようと、アルテリファがぴょんぴょんと跳ねて手を伸ばす。
「はいはい」
アルメイリアが魔物を下ろすと、パクリ。花を食べては、「むっぴー!」もっと欲しいとねだっていた。
その、二人の愛らしい行為が、あまりにも微笑ましく家へ向かい入れてしまっていた。
ファルトは今日の作業も無事に終わり。工事の進捗状況の報告と、最愛の妻と子に会おうと家に戻ってきて、びっくりさせられた!
「むっぴー!」
いきなり、目の前が緑色に染まったからだ。
薄い緑色の魔物がドアを開いた瞬間に顔面に飛びついてきたからだ! 力強い肉球がファルトの顔をがっしりと掴んでいて。そのまま、顔をぺろぺろと舐め始める! まるでお帰りなさいのキスをしているみたいだった。
その行為。形は違えど、娘の相手をしていなければアルメイリアが毎日しているお帰りなさいのキスと同様の意味が込められていた。
何が起こったか全く分らないファルトに、アルメイリアが今日の経緯を伝えたのは魔物がお帰りなさいのキスを終えてからだった。
「つまり、この魔物が、今日から家族になるということなのだな?」
「ええ…その、いけないってのは分ってるつもりなのですが……」
アルメイリアの言葉は切れが悪い。村の人々に要らぬ心配をかける可能性があるからだ。
「でもね…その、かわいいし。アルテリファにもよく懐いているし。かわいいし」
「あーてー」
アルテリファが、床に座って一緒に食事をしている。その光景を見詰めるアルメイリアの表情もふにゃりとしていて、だらしなくとろけていた。
魔物が「むぴー!」ちょうだいと言えば、「あーてー」と言ってパンをちぎって与え続けている。
次にちぎっては、自分の口に運び交互に繰り返していた。
「確かにあれを、取り上げるのは、人としてどうなのだろう……」
魔物が危険なことくらいファルトだって知っている。だからと言って魔物の全てが危険というわけではない。むしろ、自分を殺すことしか考えていなかった弟と比べたら圧倒的に薄い緑色した魔物は安全である。それに本当の兄妹でも見てるみたいで微笑ましい。
「まぁ。しばらく様子を見るのと。その、どこまで誤魔化せるか分らないが遠方の国で見付かった新種の犬とでもしておこう」
「あ…はい。そうですね……」
嘘が苦手なアルメイリアは苦笑いを浮べる。大抵の事はアルメイリアから暴露されていくからだ。
宮廷に勤めていた時は相応に気を張っていたらしいのだが故郷に帰った拍子にそれらが吹飛び。余計な事まで回りに知られてしまっている。
ファルトが提案した、行商に来た商人から犬を買ったという案は予想通り長く続かなかった。
の、だが……
肉屋の奥さんが廃棄する骨を器に入れて差し出せば!
「むっぴゃ~!」
大喜びして全てを、あっというまにたいらげていた。
「あらあら。ほんと、今日もアテラちゃんは、いい食べっぷりだね~」
すっかり町の人気者と化している。村人全てを魅了していたからだ。
ごちそうさまの意を込めてアテライエルが足元に擦り寄ると、それに応えるように背の低い細目のおばさんは腰を下ろして頭を撫でる。
「はいはい。また、取っておいてあげるからいつでもいっしゃいな」
「むぴゃ~!」
耳をぴーんと張り上げて、しっぽをぐるぐる。
どうみても、身体の何倍もある量を食べているのに全く育たない身体。その時点で普通の犬でない事はバレバレだった。
それでも、アルメイリアが受け入れるというのなら。自分達の仲間として受け入れてよう。それが村の総意となったからでもある。
この村で昔から語り継がれる物語。三人の姉妹が仲良く暮すだけの物語。
長女、アルメイリア。次女、アルテリファ。三女、アテライエル。
その、三人目の名に相応しいほどに村に溶け込んだアテライエルは、今日も村の子供達と遊び――
何でも良く食べた。昆虫でも魚でも、花でも野菜でも好き嫌いなく何でも喜んで食べ続けていた。
ファルトとアルメイリアが中心となって造ってくれた用水路のお陰で今年は例年になく豊作で。
定期的にファルトが獲ってくる魚も好評だった。
きっと、これが自分の求めていた幸せな時の過ごし方なのだろうと噛み締めるファルトだった。
その一方で――
新生デルタイリア帝国では、もめにもめていた。
殺戮王は殺せばいいとしても。英雄王の存在がやっかいだったからだ。
普通に会話が出来て、嘘が通じない。例え敵であっても勇敢に戦った者を称える姿勢。
使い方次第では、大きな盾になり、武器にもなるが。圧倒的な強き力は、国家単位でものを考えれば脅威であり。迷惑な存在でしかない。
ある意味、動く要塞と言ってもいいだろう。実際に、新生デルタイリア帝国もその被害に遭っていた。末端とはいえ、遠方の国が1つ陥落させられたという知らせが入ってきたのだ。
早急に何らかの対策を取る必要があった。
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