第26話 隠されていた真実
「おじさん。信夫が、獄中で自殺を図って亡くなりました」
「――そうみたいだな」
翌日。僕は久しぶりにおじさんの家を訪ねた。将太の仏壇がある部屋で、僕は昨日の信夫のことを話した。
部屋に沈黙が流れる。そして昨日のタクシーの車内のように、室内が重たい空気で包まれていった。
信夫は昨日死亡した。ニュースによると、昨日の朝、部屋の中で倒れている状態で発見されたのだそうだ。首に衣服を巻き付けており、既に呼吸をしていなかったことも書かれていた。
突然の出来事に、僕の前に座っているおじさんも、下を向いたまま動揺している。そんなおじさんに、僕は何て言葉を掛ければ良いのか分からなかった。
掛ける言葉を模索していると、おじさんはゆっくりと顔を上げた。そして後ろを振り返り、将太の仏壇の方を見る。
「もしかしたら、二年経った今になって、影山信夫はあのことを知ってしまったんかもしれん」
「え?」
おじさんの言葉に、僕は思わず聞き返した。あの事とは一体何なのだろうか?
おじさんが再び下を向く。そして深刻そうな表情を浮かべた。
「小林君。実はな、将太のことで、まだ誰にも話してないことがあるんや」
「将太のことですか?」
「あー。そうや」
おじさんが後ろを振り返り、仏壇から星のブローチを取り出した。そしてそれを、ゆっくりと僕の前に置く。
「今から話すことは、全て事実なんだ。落ち着いて聞いてくれないか?」
「――分かりました」
おじさんが若干声のトーンを下げた。このブローチと、信夫の死に何か関係があるのだろうか? 僕は戸惑いながらも返事をした。
「実はな、このブローチは……」
途中で言葉を詰まらせるおじさん。何だか妙な緊迫感が伝わってくる。僕は思わず固唾を飲んだ。
「影山京子のものなんや」
「――影山京子のものですか?」
「そうや」
僕は衝撃のあまり、おじさんに聞き返した。信じられない。この星のブローチが、影山京子のものだったとは。それにしても何故、影山京子のブローチが将太の所に置かれているのだろうか?
「何故、影山京子のブローチがここに……?」
「実はな……。将太は、俺の実の子じゃないんや」
おじさんの更なる衝撃発言に、僕は言葉を失った。おじさんが顔を下に向け、今にも泣きそうな顔をしている。
将太が実の子ではない。ということは、将太と影山京子が本当の親子なのだろうか? それでは一体信夫は? 僕の頭の中が激しく混乱してきた。
――私はあの子のことを、我が子のように思っているわ
いつの日か、影山京子が言っていた言葉を思い出した。だが将太と影山京子が、実の親子だなんてありえない。僕は断じて考えられなかった。
しかし、おじさんに聞いてみないと分からない。僕は下を向いているおじさんの方を見た。
「ということは、将太と影山京子が、実の親子ということですか?」
僕は僅かに震える声でおじさんに聞いた。違うと言ってほしい。だがおじさんは、僕の望みに反して静かに首を縦に振った。
僕は驚きの余り、おじさんから目を反らした。それと同時に、将太の遺影が目に飛び込んでくる。いつもと変わらない元気そうな表情を見て、僕は目から涙が溢れてきた。
「そんな……。それじゃあ信夫は、一体誰の子なんですか?」
おじさんが涙目の状態で、ゆっくりと顔を上げる。僕の体に緊張が走った。
「全くの赤の他人だ」
「赤の他人……」
おじさんの言葉が、脳内に響き渡る。信じられない。影山京子があれほど溺愛していたにもかかわらず、信夫は全く血の繋がりのない子だったようだ。
それにしても何故、このようなことが起きてしまったのだろうか? 僕は再び、おじさんの目をしっかりと見た。
「一体何故、こんなことに……」
「急に衝撃的なことを言ってすまん。順を追って説明していくな」
おじさんが深呼吸をする。そして目に溜めた涙を拭い、真っ直ぐに姿勢を正した。
「話は、俺が結婚した時まで遡る。今は出ていっていなくなったが、俺には昔妻がおった。結婚した当初は、毎日がとても幸せでな。こんな状態がずっと続くと思っとった。ところが俺は、子供ができん体やったんや。そこで妻と相談して、特別養子縁組という選択肢を取ることにした」
おじさんが咳払いをして一息つく。そして再び顔を上げ、僕の方を見た。
「家庭で育てられなくなった二歳までの赤ちゃんは、乳児院という場所に入るんや。そしてその乳児院で、俺たちの引き取った子が将太やった。施設の人の話によると、将太は、二歳以上の子が入る児童養護施設の前で遺棄されていたんだそうだ。雪降る真冬の空の下で、泣いていたと言っていた。そしてその時、ベビー服に付いとったのが、このブローチやったんや」
おじさんがブローチを持ち上げる。そして再び、ゆっくりと床の上に置いた。
「――なるほど。ではどうして、このブローチが影山京子のものであると分かったんですか?」
一体どのようにして分かったのだろうか? 僕はブローチに視線を向けるおじさんに問いかけた。
「実はな、二年前にあった新川高校の記念式典のとき、影山京子が似たようなブローチを付けとってな。俺はそのことが妙に引っかかったんや。そこで俺は、このブローチをネットで検索してみた。そしたら、あまり出回っていないものであることが分かったんや。まさかとは思ったが、俺は念のために影山京子のいる留置場を訪ねた」
「それで、ブローチを影山京子に見せたのですね」
「あー。そうや。影山京子はとても驚いとった。何故俺がこのブローチを持っとるんか、大声で何度も聞いてきた。そこで俺は言ったんや。『お前が産んで遺棄した子を、俺が育てよったんや』って。それを聞いた瞬間、影山京子の顔は一気に青ざめた。実の子を、事故で轢き殺してしまったもんな」
おじさんの言葉に、僕は思わず息を飲んだ。確かにそうだ。影山京子は、事故で実の子を轢き殺した。血の繋がりのない信夫を守るために、実の息子である将太を犠牲にしたのだ。そのことに気付いた僕は、恐ろしくなり体が小刻みに震えた。
「――因果応報とはいえ、将太が可哀想です。あんなのが実親だったなんて……。僕なら発狂しますよ。それだけじゃない。将太は実親に自分の命まで奪われた。本当に、将太が可哀想でなりません」
再び自分の目から涙が溢れる。おじさんも泣くのを必死にこらえ、悔しそうに顔を歪ませた。
本当に将太が可哀想だ。もし今も生きていたら、今年で十九歳になっている。だが遺影に映る将太は、永遠に十六歳のままだ。そのことを思うと、悔しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうになった。
それにしても影山京子は、全く赤の他人の信夫を、どのような気持ちで育てていたのだろうか? そしてどのような経緯で、信夫を引き取ったのか? 僕は溢れる涙を拭い、顔を上げた。
「――一体影山京子は、どんな気持ちで信夫を育てていたんでしょうか? そして信夫を引き取った経緯は、何だったのでしょうか?」
おじさんが顔を上げる。僕と同じように涙を拭い、視線をこちらに向けた。
「そのことも、影山京子は俺に話してきた。将太はな、男遊びを繰り返した末に生まれた子だったそうだ。そして将太を遺棄した数年後、影山京子は結婚した。それから子どもを作ろうとしたが、できなかったんだそうだ。そこで影山京子は、旦那と相談して、将太を遺棄した施設を訪ねた。もちろん過去に遺棄したことは、一切告げずにな」
「そんなドラマみたいな出来事が、実際にあったのですね……」
「そうみたいだ」
二年前、影山京子のいる留置場を訪ねた際にも、本人から過去の話は聞いた。だがあの話には、続きがあったようだ。聞けば聞くほど、衝撃的な事実が明らかになっていく。
おじさんが膝を崩す。そして再びブローチの方へ視線を向けた。
「やはりあの影山京子でも、後ろめたさはあったと言っていた。そして罪滅ぼしのつもりか、子どもを引き取ることに懸命になったんだそうだ。だが施設にいる子を引き取るのは、かなり大変なんだ。実親が中々親権を手放さないからな。それに引き取りたい人が沢山いるせいで、様々な条件が付いてくる。そんな中でも影山京子は、旦那とともに一人の子どもを引き取った。その子が信夫やったんや。それから特別養子縁組を組んで、信夫と影山京子は、法律上実の親子になった」
「法律上実の親子になって、現在に至るのですね」
「そういうことだ。だだ途中で、旦那は亡くなったそうだ。それから影山京子は、シングルマザーで信夫を育てた。やけん余計に過保護になり、こんな事態にまで発展したんやろうな。そして留置場で、影山京子は、このことを信夫には言わんといてほしいとも言いよった。だが最終的に、信夫がそのことを知ったかどうかまでは分からんが、こんなことになってしまった」
「そんな……」
将太の遺影が、再び僕の目に飛び込んできた。将太の実の母親は、影山京子だった。確かに顔をよく見ると、影山京子と似ていると感じる箇所がある。
運命というものは、何故ここまで歯がゆいのだろうか? 自力で変えることもできなければ、無かったことにもできない。どうしようもない現実を目の前に、僕は絶望感に襲われた。
「小林君。大丈夫か?」
「――大丈夫です」
僕が下を向いていると、おじさんが声を掛けてきた。今回の件で一番辛かったのは、他でもないおじさんだ。そう思うと、僕は胸が痛くなってきた。
ゆっくりと顔を上げる。するとおじさんは、将太の遺影の方に体を向けた。そして遺影に向かって、おじさんは手を合わせた。
「例え影山京子と血が繋がっていたとしても、将太は俺の子だ。将太は男らしくて、他人を思いやれる子だった。影山京子のように、卑劣で自分勝手な人間じゃない。そして今も変わらず、俺の自慢の息子だ」
声を上げて泣き始めるおじさん。そんなおじさんの姿を見て、僕も目から涙が溢れてきた。
「僕もそう思います。将太はおじさんの子です。そして今でも、僕の大切な親友です」
言い終えた後、嗚咽がこみ上げてきた。感情が入り乱れ、滅茶苦茶になっていく。僕はただただ、おじさんとともに涙を流した。
二年経った今になって、隠されていた真実が明らかになった。そしてそれは、僕と藤崎家、そして影山親子の双方に深い傷跡を残す結果となった。
それでも遺影の将太は、相変わらず元気そうな表情を、僕たちに向けてくれていた。もう何も心配しなくていい。悲しみに暮れる僕たちに、将太はそう訴えかけてくるように見えた。
*
落ち着いた後、僕とおじさんは玄関に出た。自分の靴を丁寧に揃え、それを静かに履く。
「では帰りに、将太のお墓に寄ってから帰ります。お邪魔しました」
「あー。ありがとう。将太もきっと喜ぶぞ」
僕の後に続くように、おじさんも草履を履いた。そしてお供えの花と線香を、僕に渡してくれた。黄色の菊の花だ。菊と線香の香りが、僕を優しく癒してきた。
僕がそれを受け取ると、おじさんは玄関の扉をゆっくりと開けてくれた。
「将太が喜んでくれたら嬉しいです。では行ってきます」
「あー。気をつけてな」
玄関を出ると、おじさんは僕に手を振ってくれた。僕も菊の花と線香を落とさないようにしながら、丁寧に頭を下げる。するとおじさんは、ゆっくりと玄関の扉を閉めた。
今日は快晴だ。太陽が眩しいくらいに僕を照らしてくる。そして遠くからは、かすかに鳥の鳴き声も聞こえてきた。
僕は清々しいほどの青空を見ながら、おじさんの家を右に出た。そしてそのまま、通りを真っ直ぐに歩いていく。
将太のお墓に行くのは、高校生の時以来だ。先程は泣いてばかりだったため、今度は元気な表情を見せてあげよう。僕は菊の花と線香を抱え込み、歩幅を早めてお墓へと急いだ。
*
十分ほど歩いただろうか? 住宅街を抜けて、小さな坂を上がっていった。ここの坂を上がった先に、将太のお墓がある。
上がっていったのと同時に、緩やかな風が吹いた。そして周りの草や木が、ざわざわと音を立てて揺れる。
先程まで一切風など吹いていなかったのに、とても不思議だ。将太が出迎えてくれているのだろうか? 僕は直感でそう感じ取ることができた。
汗を拭いながら坂を上がると、将太のお墓が見えてきた。ここに来るのは、本当に久しぶりだ。
「将太。僕だよ。久しぶりやね」
お墓の前に立ち、将太に声をかける。そしてお花を一旦静かに置き、線香の準備を始めた。
お墓の周りはとても綺麗だ。落ち葉があまり落ちていない。おじさんが頻繁に来て掃除しているのだろう。僕はおじさんの優しさに、尊敬の念を抱いた。
線香に火がついた。そして煙がゆっくりと周囲に舞っていく。僕はそっと、それを線香立てにあげた。
「将太、線香だよ。お花の準備も今からするけんね」
僕は次に、目の前に置いておいたお花を手に取った。そしてそれを、花立に供える。すると灰色がベースのお墓が、一気に鮮やかになった。
お花を供えた後、僕は手を合わせた。そしてゆっくりと目を
すると瞼の裏で、将太との思い出の走馬灯が流れ始めた。毎朝一緒に登校したこと。昼休みにお弁当を食べたこと。上松堂の地下でジュースを飲んだこと。そして何より、学園祭の準備を一緒にしたこと。
元気な姿を見せるつもりだったのに、目を開けると大粒の涙が溢れてきた。無理やり笑顔を作るが、どうしても顔が引きつってしまう。
「将太、ごめんな。笑顔で訪ねるつもりやったのに、涙が止まらんなった」
目の前のお墓が涙で歪む。それでも僕は、必死で将太に笑顔を向けた。きっと僕の表情は、びっくりするほどぐちゃぐちゃになっているはずだ。
目に溜まった涙を拭う。そして再びお墓の方を見た。歪んでいた視界が、先程よりも良好になった。
「将太。おじさんが、将太のこと『自慢の息子』って言いよったよ。そんな将太が親友で、僕はとても嬉しいよ。ありがとう」
感謝の気持ちを伝えると、再び僕の目から涙が溢れた。服の袖で慌てて拭うが、それでも間に合わないくらいに涙は溢れてくる。
真実が明らかになった。だがそれでも、将太はおじさんの息子だ。そして僕のかけがえのない親友だ。本当に大切なことは、何も変わっていないことに気づいた。
お墓の上の木を見上げる。するとちょうど、風で葉がざわざわと音を立てた。まるで将太が、喜んでいるかのようだ。
僕はそんな木に笑顔を向けた。するとそれに応えるかのように、沢山の葉がゆっくりと舞ってきた。
「じゃあね将太。今度は、将太の好きなシュークリームを持ってくるけんね」
木を見上げながら言った後、再びお墓の方を見た。そして手を合わせて目を瞑り、一礼する。それから余った線香を手に持ち、僕は静かにその場を後にした。
お墓を後にすると、正午の音楽が町に鳴り響いた。小高い所に立っていた僕は、そこから見える景色を見渡した。
嬉しかったこと。悲しかったこと。辛かったこと。起きた出来事は、全て過ぎ去った過去のことだ。音楽は何度目かの正午を知らせながら、そのことを僕に優しく、はっきりと教えてくれた。
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