第25話 生まれ変わった日光屋
二〇一七年八月二日。二年の時日を経て、日光屋は大きく生まれ変わった。
あの日影山親子の放火により失われた松山本店は、早急な立て直しが必要となった。だが自力での再建は、不可能な状態になっていたのだ。
そんな日光屋に救済の声を挙げたのは、最大手の大円花星ホールディングスと、業界二位の
大円花星は、百貨店像を追求するため、原点回帰を図っている。その一方で丸世三木屋は、全体に占める百貨店の売り上げを圧縮し、不動産賃貸業に転換していた。このように、正反対な両社の救済提案は、日光屋を大きく揺さぶった。
それから紆余曲折を経て、最終的に日光屋は、大円花星ホールディングスの傘下に入ることになった。大円花星から役員が送られ、日光屋の会長に
僕の父さんである
それから日光屋は、大円花星主導のもと、本格的な再建が開始された。松山本店、そして後を追いかけるように今治店も、建て替えが着手された。
放火により無惨な姿となっていた松山本店は、速やかに店舗の解体が進められた。跡地は売却され、長年続いた創業の地からは撤退することとなった。
そして本店の新店舗は、上松堂本館右隣の再開発が進められている箇所に建設された。大円色を全面に出し、売り場面積も二倍に増床された。同一店舗となった松山花星とのブランドの差別化も徹底されたのだ。
こうしてターミナルデパートに変貌した日光屋松山本店は、すぐ隣の上松堂の顧客を奪い取り、地域二番店にのし上がった。これで本店の問題は、無事に解決することができたのだ。
本店の問題が解決してから少し経った頃、今治店の建て替えも完了した。現在新しくなった今治店は、オープンまで一週間を切っている。今日はそんな今治店に、真柴君と見学にいく約束をしているのだ。
真柴君と会うのは久しぶりだ。僕は地元の大学に通い、真柴君は県外の大学に通っているからだ。
久しぶりに会う真柴君は、どんな感じになっているだろうか? 会うのがとても楽しみだ。
椅子から立ち上がり、リュックサックの中身を再確認する。するとちょうど、部屋に時さんが入ってきた。
「コウ君。真柴君が来たわよ」
「本当? 今行くよ」
「忘れ物がないか、確認してから下りておいで」
「分かった!」
部屋の電気を消す。そして僕は、荷物を持ち、急いで自分の部屋を出た。
*
「小林。久しぶり! 元気やったか?」
玄関を出ると、そこには真柴君が立っていた。完全に大学生っぽくなっている。髪の色は、眩しいほどの金色になっていた。
「久しぶり! 僕は元気よ。真柴君は?」
「俺も元気やで! 新しい生活にはもう完全に慣れた」
「そうなんや」
話をしていると、後ろから車の音がした。どうやら迎えのタクシーが来たようだ。
「コウ君。真柴君。迎えのタクシーが来たよ」
時さんが、停まっているタクシーの方を指さした。
「本当や! じゃあ行ってくる」
「時さん。お出迎えありがとうございます。では行ってきます」
「二人とも気をつけてね」
僕と真柴君は、時さんに手を振った。そしてそのまま、タクシーの方へ向かった。
*
タクシーに近づくと、左後ろのドアが自動で開いた。
「どうぞ」
「お願いします」
「お願いします」
僕が先に乗り込み、奥の席に座る。その後に続くようにして、真柴君も乗った。
「それでは、ご予約通り、日光屋今治店へ参ります」
扉が閉まり、車がゆっくりと発進する。運転手は右指示器を出して、大通りに出た。
「小林。本当に久しぶりやな。どうや学校生活は?」
車が発進すると、真柴君が話しかけてきた。
「新しい友達も沢山できて、本当に楽しいよ。影山親子がおらんなってから、毎日が嘘みたいに平和」
「よな。俺も新しい友達が沢山できた。それに毎日が平穏やわ。もう影山親子ほど、ヤバい奴らは現れんやろうな」
真柴君が笑顔で僕に言う。真柴君も毎日が充実しているみたいだ。
「そういえば知っとる? 影山京子、全身がんでかなり酷い状態になっとるみたい」
「あー。聞いた聞いた。遂に天罰が下ったみたいやな」
獄中の影山京子は、全身がんでかなり酷い状態になっている。ついこの前、ネットニュースに載っていた。どうやらそのことは、真柴君も知っていたようだ。
「信夫はどんな気持ちなんやろうね」
「まあショックやろうな。知ったこっちゃないけど」
少年院に入っている信夫の様子までは、報道されていなかった。だが真柴君の言う通り、もう知ったこっちゃない相手だ。そう思い話題を変えようとした時、真柴君が話しかけてきた。
「池野さんとは続いとんか?」
「もちろん。続いとるよ」
「じゃあ何で今日誘わんかったんぞ? 別に俺やなくて、池野さんでも良かったんやないか?」
「いや。だって……。今日は日光屋の見学やし……。それに僕も真柴君も、百貨店の息子やん」
僕は言い訳がましく真柴君に言った。真柴君が呆れたような顔をする。
「まったく。お前付き合ってまで奥手じゃいかんぞ」
「分かったよ。次からちゃんと誘うよ」
僕は未だに、陽菜ちゃんとまともに話すことができない。デートの提案も、殆ど陽菜ちゃんからの状態だった。そのため次こそは、僕からちゃんと誘うようにしようと密かに決意した。
*
タクシーに乗ってから、一時間くらい経過しただろうか? カーブの多い山道を超えて、段々と今治市の中心部に近づいてきた。
それにしても、今治市に来るのは久しぶりだ。街並みは、昔来た時と殆ど変わっていない。
「もうすぐで着くね」
「あー。だいぶ街中に入ってきたな」
真柴君が、外の景色を見たまま返事をした。タクシーは、直進の道路をゆっくりと走行している。道路の両サイドは、商店街となっており、様々な店が軒を連ねていた。
「お前、父さんに会うの久しぶりなんやないか?」
「そうやね。しばらく会ってなかったけん、久しぶりやね」
真柴君の言う通り、僕は父さんに会うのが久しぶりだった。母さんは松山本店の社長に就任しているため、家にいる。一方で父さんは、分社化された今治店の社長に就任していた。そのため、家からの通勤が遠くなり、単身赴任をしているのだ。
「あ、見えてきた。あれやない?」
「本当や。着いたみたいやな」
僕の目の前に、大きな日光屋の看板が見えてきた。遂に到着したようだ。
建物に近づくと、フロアが八階から四階に縮小されていることに気づいた。その代わり、鰻の寝床のように建物が縦長に伸びている。
運転手が右指示器を出し、日光屋の車寄せへと入っていく。玄関には、父さんと一人の社員さんの姿があった。
「それでは、日光屋今治店に到着しました。どうぞお足元にご注意の上、お降りください」
タクシーがゆっくりと停車する。僕は渡されていたカードで決済した。すると左側のドアが自動で開いた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
真柴君に続いて、僕も運転手さんにお礼を言った。荷物を持ち、ゆっくりと左側のドアから下車する。
「広樹」
「父さん」
タクシーを降りると、玄関前に立っていた父さんが声を掛けてきた。父さんに会うのは、本当に久しぶりだ。
「久しぶりだな。元気やったか?」
「うん。元気やった。大学生活も充実しとるよ」
「そうか。それは良かった。それで、こちらは真柴君かね?」
「はい。真柴です。いつもお世話になっております。今日はよろしくお願いします」
真柴君が丁寧に頭を下げる。父さんが嬉しそうに微笑んだ。
「おお。こちらこそだ。今日はゆっくり見学していってくれ」
「はい」
真柴君が笑顔で返事をする。すると父さんが、右後ろに立っている社員さんの方を見た。
「じゃあ赤松君。二人を案内してやってくれ」
「かしこまりました」
父さんはそう言い残して、建物の中へ入っていった。赤松さんが一歩前に出る。そして僕たちに名刺を渡してきた。
「初めまして。本日、日光屋今治店の新店舗をご案内します。
「小林です。お願いします」
「真柴です。よろしくお願いします」
僕が先に、赤松さんから名刺を受け取った。その後に続いて真柴君も受け取る。すると赤松さんは、手を広げて玄関の方を指し示した。
「それでは、早速店舗内をご案内いたします。ご一緒にお越しください」
僕と真柴君が軽く頭を下げると、赤松さんは玄関の方へ向かった。僕たちはその後ろをついていく。
新しくなった日光屋は、どんな感じになっているのだろうか? 僕はドキドキしながら、赤松さんの後ろをついていった。
*
「今回の建て替えにより、日光屋今治店は、百貨店棟と専門店棟が建設されました。現在お二方がいらっしゃるのは、百貨店棟の一階です。一階は建て替え前と同じ、化粧品、服飾雑貨、婦人靴、特選ブティックのフロアでございます」
一階の化粧品売り場は、和風の内装になっていた。所々に竹やヒノキが使われており、細やかな装飾がなされている。
「かなり和風な内装ですね」
真柴君が、建物全体を見渡しながら赤松さんに言った。
「一階は、大半のお客様が最初に見られるフロアでございます。そのため、往来よりも内装を重視しました」
「なるほど」
やはり一階は、かなりこだわって作られたようだ。そのことがひしひしと伝わってくる。
天井から床まで全体を見渡していると、赤松さんが奥にある階段を指し示した。
「続いて、あちらの階段をご覧いただきます」
赤松さんが先へ歩いていく。僕と真柴君は、その後ろをついていった。
「こちらは百貨店棟の非常階段でございます。ご覧ください。所々に、かつての建物の面影を残しました」
新しくなった階段を見たとき、僕はとても驚いた。新しい建物ながら、以前の面影がしっかりと残っている。
「これ、手すりや天井の照明は、以前のものが使われているのですか?」
僕は興味が湧き、赤松さんに質問した。
「よくお分かりになりましたね。これらは、以前の建物から再利用したものでございます。昔の建物に愛着を持たれているお客様も多いため、このような工夫を凝らしました」
「なるほど。すごい」
本当に以前の建物そのものだ。新築とは思えない出来映えに、僕は見とれてしまった。
「それでは続きまして、こちらの階段から二階へご案内いたします」
「小林」
「あ、うん」
真柴君に呼ばれて我に返った。建物にすっかり見とれてしまっていたのだ。
赤松さんが階段を上っている。僕は慌てて、赤松さんの後ろをついていった。
踊り場のところまで来た。踊り場は、以前よりも広い造りになっている。
「これ、階の表示も以前のものですよね?」
するとその時、僕の後ろにいる真柴君が、赤松さんに質問した。赤松さんが、段の途中で立ち止まり、僕たちの方へ振り返る。
「左様でございます。そちらも以前のものを再利用しております。しかし、あまりにも表示が昔のものであるため、新店舗でも採用するか一時期議論になっておりました。ところが最終的に、階段全体に昔の面影を残したため、こちらも導入した次第であります」
「そうだったんですね」
真柴君が納得すると、赤松さんはにっこりと笑った。
「新店舗には、まだまだ変化したところが沢山ございます。どうぞご期待ください」
「はい」
「では参りましょう」
真柴君が返事をすると、赤松さんは残りの段を上がっていった。僕たちも再び赤松さんの後ろをついていく。
階段を上っていくと、二階の売り場が見えてきた。果たして二階はどんな感じになっているのだろうか? 僕は好奇心でいっぱいになった。
売り場全体が見えてきた。だが二階は、一階ほど派手な内装ではなかった。普通の百貨店の売り場という感じだ。
「二階は婦人服のフロアでございます。旧店舗時代、比較的売り上げの高かったブランドを集約しました。そして今回、見ていただきたい場所はこちらでございます」
赤松さんが、左の方へ歩いていく。僕と真柴君は、後ろをついていった。
前を見ると、“リモートサロン”とアルファベットで書かれた場所があった。赤松さんが、その中へ入っていく。
「どうぞ。こちらのソファにおかけください」
中に入ると、ソファが縦向きに向かい合うようにして置かれていた。赤松さんが、僕たちから見て手前側のソファに座るよう促してくる。
僕が先に奥側に座る。その後真柴君が、僕の左隣に腰を下ろした。
「では、こちらで少々お待ちください」
赤松さんが一礼して奥へ入っていく。ここは一体何をする場所なのだろうか? 僕は左隣りに座っている真柴君に聞いてみようと思った。
「ここって、何する場所か知っとる?」
「確か、松山花星にもあったはずや。やけど何する場所か俺も知らん」
どうやら真柴君も知らないようだ。僕はソファにもたれ、室内全体を見渡した。
内装はとても豪華だ。壁は黒と肌色がベースになっている。そして天井には、シャンデリアがついており、高級感が引き立っていた。
「お待たせしました」
するとその時、赤松さんが奥から戻ってきた。パンフレットのようなものを手に持っている。そしてそのまま、僕たちの向かい側に腰を下ろした。
「それではこちら、リモートサロンをご案内いたします」
赤松さんが、持ってきたパンフレットの一つを開く。僕と真柴君は、そのパンフレットの中を見た。
「こちらは、大円花星の旗艦店の商品をお取り寄せする場所でございます。日光屋今治店にはないブランドを、多数取り扱っております」
対象店舗は、
「凄いですね。これを行うと、ブランドの幅が一気に広がりますね!」
これは凄い。僕はこの取り組みにすっかり感心してしまった。
「小林様のおっしゃる通り、往来よりもブランドの幅がかなり広がりました。そして店舗同士、横の繋がりを構築することも可能となりました」
「なるほど」
日光屋が進化している。これを見ただけで、そのことが感じられた。大円花星が救済してくれて、本当に良かったと思った。
赤松さんが、パンフレットの次のページを開いた。
「またこちらでは、旗艦店の従業員によるオンライン接客も行っていく予定でございます」
「いいですね。画面上で購入すると、思っていたのと違うことが結構ありますが、これなら安心ですね」
真柴君が、明るい声で赤松さんに言う。赤松さんが笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。オンライン接客を導入し、お客様がご購入される際のミスマッチ防止にも取り組んでまいります。またこちらは、百貨店本来の姿である一対一の関係を重視した上で、進めていく予定でございます」
「なるほど」
赤松さんが、パンフレットをゆっくりと閉じる。そして閉じたパンフレットを、隣に置いた。
「続きまして、現在計画中の小型店舗についてご紹介いたします」
赤松さんが、もう一つのパンフレットを手に取った。そして今度は、それを僕たちの方に向けて開いた。
「こちらは、今治市にある高級住宅街の空き家を活かした店舗でございます」
「空き家を改装して、店舗にするのですね」
真柴君が赤松さんに言った。
「左様でございます。本来小型店は、貸店舗やショッピングモールなどに入居していることが多うございます。しかし今回、空き家再生プロジェクトとして、このような取り組みを進める運びとなりました」
「なるほど」
真柴君が頷きながら返事をした。赤松さんが、パンフレットの次のページを開く。
「このように、売り場に加えて、本来住宅として機能していた部分を憩いの場として活用する予定でございます。また大きな庭園を活かして、お客様と従業員でバーベキューを行うなど、今までにない工夫を凝らしてまいります」
「どちらも、往来の小型店では行えなかった取り組みですね!」
「小林様のおっしゃる通り、往来の小型店では行うことのできなかった取り組みでございます。またこれまで、百貨店の社員と密な関係を築かれていたのは、大半が外商のお客様でした。しかし今回、このような計画を進めることにより、近隣のお客様同士、そして従業員とも親密な関係を築くことが期待できます」
「なるほど。新たな日光屋のファンも増えそうですね!」
「
赤松さんが、穏やかな笑みを浮かべる。そしてパンフレッドを静かに閉じた。
正直、ここまで大きく変わったとは思っていなかった。だが、一つだけ気になることがある。後で赤松さんに質問してみようと思った。
「それでは、少々早めで恐縮ですが、百貨店棟のご案内は以上でございます。ここまでで何かご質問はございますか?」
丁度良いタイミングだ。質問してみよう。僕は軽く手を挙げた。
「あの、一ついいでしょうか?」
「はい」
「以前日光屋は、八階建てだったと思います。それが今回、四階に縮小されていますよね? やはりそのままの大きさでは、厳しかったのでしょうか?」
「はい。ありがとうございます。お答えさせていただきます。先に結論を申しますと、小林様のおっしゃる通り、かなり厳しい状態でした。百貨店をそのまま建て替えるのみでは、先の不透明感を払拭することが不可能だったのでございます。そのため、百貨店を縮小し、代わりに下支えとなる専門店棟を建設しました」
「なるほど。これからの今治店は、専門店棟が百貨店棟の下支えになるのですね」
「左様でございます。この後ご案内いたしますが、専門店棟は地下一階以外全て定借で成り立っております。日光屋がオーナーとなり、場所を貸すことで、安定した賃料収入が入ってくるのでございます。専門店棟の安定した賃料収入が基盤となり、売り上げが毎年変動する百貨店を支える仕組みとなっております」
「なるほど。よく分かりました。ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ」
やはり百貨店は、そのままの大きさでは厳しかったようだ。そして定借化は、現在の日光屋今治店にとって、避けられない案件であったことも分かった。
「真柴様は何かございますか?」
「僕は感想になりますが、百貨店棟だけでここまで大きく変わったことに感動しました。これからも未来永劫、地元の人に愛される百貨店であってほしいです」
「真柴様。嬉しいお言葉をありがとうございます」
「いえいえ」
赤松さんが、嬉しそうな表情を浮かべて頭を下げる。その様子を見て、真柴君も笑顔になった。
「それでは続きまして、専門店棟をご案内いたします。どうぞご一緒にお越しください」
赤松さんがソファから立ち上がる。僕と真柴君も、赤松さんに続いて立ち上がった。
百貨店棟を支える存在である専門店棟。果たしてどのような造りになっているのだろうか? 僕は期待を胸に、真柴君とリモートサロンを出た。
*
「こちらが専門店棟でございます」
百貨店棟の二階から連絡通路を渡ると、すぐに専門店棟が見えてきた。沢山のテナントが、吹き抜けと通路を挟み、向かい合うようにして出店している。
「テナントが多数出店していますね」
僕の隣の真柴君が、赤松さんに言った。
「ここまで大規模な定借を導入したのは、大円花星グループでも初めてでございます」
「そうだったんですね。ところで専門店棟は、地下一階から二階まででしたよね?」
「左様でございます。またこちらの上には、屋上駐車場もございます」
「なるほど。地下のみ定借ではないようですが、何の売り場なのですか?」
「地階は、日光屋の生鮮食品のフロアでございます。そして今回、専門店棟で最も見ていただきたい箇所でもあります」
「そうだったんですね。見てみたいです!」
真柴君の興味深々な様子に、赤松さんが笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。では、早速ご案内いたします」
赤松さんが階段のある方へ向かう。僕は真柴君と、赤松さんの後ろをついていった。
階段の所まで来た。専門店棟の階段は、百貨店棟のものよりも大きい。建物の広さに見合うように、階段も大きく造られているのかと思った。
赤松さんの後ろに続いて、階段を降りる。僕たち三人の足音が、大きくこだました。
それにしても専門店棟は、ショッピングモールとよく似ている。対照的な百貨店の食料品売り場を、どのようにして地下に組み込んだのだろうか? 僕は階段を下りながら、ふと気になった。
一階まで来た。もう一度階段を降りると、地下一階に辿り着く。近づいていく度に、僕の好奇心は大きくなっていった。
踊り場の掲示コーナーに、食料品売り場の広告が貼られている。専門店棟の地下一階は、百貨店であることを強調しているみたいだ。
踊り場を過ぎた後の階段を降りていくと、食料品売り場が見えてきた。野菜や果物の売り場、そして集中レジも見える。
「こちらが、専門店棟の地下一階、生鮮食品のフロアでございます。百貨店棟の地階と合わせて、食料品売り場は二倍に増床されました」
「二倍に増床されたのですね。それにしても、上の階とは全然雰囲気が違います。百貨店らしい高級感がありますね」
「小林様ありがとうございます。一階と二階が専門店であることに対し、こちらは百貨店のフロアでございます。そのため、商品を照らす照明や、内装にもこだわっております」
「なるほど」
同じ専門店棟でも、ここだけ特別感がある。館内を漂う匂いも、どこか懐かしさを感じられた。
フロア全体を見渡していると、隣の真柴君が、売り場の両端を見ていることに気付いた。僕も真柴君が見ている方に目を向ける。そこには、和洋菓子の売り場がポツンとあった。
「和洋菓子の売り場は、左端と右端にある所だけですか?」
真柴君が質問した。
「いえ。和洋菓子は、お隣の百貨店棟にメインの売り場がございます。実はこの両端にございます和洋菓子の売り場、今回専門店棟でご覧いただきたい箇所の一つであります」
「そうなのですね」
「はい。実は、この専門店棟側の和洋菓子のブランドは、全て旧店舗時代に人気のあったものでございます」
「なるほど。何故こちらに、一部売り場を設けたのですか?」
「実はこちらの右奥には、地下駐車場がございます。そしてこちらの生鮮食品のフロアは、専門店棟でお買い物をされたお客様が、夕飯の食材を購入して帰られることを想定して配置しております。その際、こちらに人気の高い和洋菓子のブランドも配置することで、一緒に買って帰っていただくことが期待できます」
「なるほど。売り場の区画を超えた工夫ですね」
「真柴様のおっしゃる通りでございます。旧店舗時代は、部門ごとに売り場が区画されておりました。しかし今回の建て替えを機に、このような区画を超えた工夫も凝らしました」
「なるほど」
かなり細部まで考えて造られているようだ。そして売り場の区画を超えた取り組みは、時にプラスになることもあるのだと分かった。
「それでは最後に、こちら左奥にございます、連絡通路をご覧いただきます」
赤松さんが百貨店棟側へと歩いていく。僕と真柴君はその後ろをついていった。
連絡通路に近づくと、僕は既視感を覚えた。この光景、どこかで見たことがある。
「こちらが、地下一階の百貨店棟と専門店棟を繋ぐ連絡通路でございます。実はこちら、香川県高松市にございます、高松大円の本館と新館を繋ぐ通路をイメージして造られました」
僕は赤松さんの言葉で思い出すことができた。これは、香川県高松市の百貨店、高松大円の本館と新館を繋ぐ通路そのものだ。両サイドに階段があり、外の一階と繋がっている。
「僕もかなり前に、高松大円に行ったことがあります」
「左様でございますか!」
「はい。本当にそっくりですね! ところで、これはどのような目的で造られたのでしょうか?」
「実は日光屋の周辺には、住宅街がございます。近隣のお客様が、地下で夕飯の食材をお買い物になる際、こちらの階段から直接降りられるように造られております」
「なるほど」
本当に細かいところまで工夫がなされている。それに地下にもかかわらず、日が眩しいほど当たっていた。
地下は窓がなく、外から空気や日光を直接取り入れることが難しい。だがここだけ、地上と繋がっている。開放感があり、良い造りだと思った。
「それでは、専門店棟のご案内も以上でございます」
赤松さんが笑顔で言った。日光屋今治店は、僕の予想を遥かに超えて変貌した。これからもずっと、地域の人に愛される百貨店になるだろう。僕は強く確信を持つことができた。
*
百貨店棟にあるラウンジで、赤松さんと沢山お話をした後、僕たちは正面玄関に戻ってきた。
「今日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
僕は赤松さんにお礼を言った。その後に続いて、真柴君もお礼を言う。赤松さんが、僕たちに対して丁寧に頭を下げてくれた。
「こちらこそ、長時間お付き合いいただきありがとうございました。またいつでもお越しください」
「はい」
僕は明るく、大きな声で返事をした。するとその時、建物の方から扉の開く音がした。その方角に目を向ける。
「赤松君ご苦労だった」
中から父さんが出てきた。嬉しそうに笑みを浮かべながら、僕たちの方へ近づいてくる。
「広樹。新しくなった日光屋はどうだった?」
父さんが、少しだけ僕の返答に期待するような表情を浮かべた。
「父さん」
「何だ?」
父さんが不安そうな顔をする。僕は父さんの目を真っ直ぐに見た。
「日光屋は、やっぱりデパートやね!」
父さんが、少し困惑したような表情を浮かべる。だがすぐに、自信ありげな眼差しに変化した。
「あー。もちろんだ。日光屋は、デパートだ!」
父さんの声が、周りに大きく響き渡る。直後、僕たち四人の中で笑いが起きた。
するとその時、一台の車がこちらに入ってきた。タクシーだ。タクシーは僕たちの前で停車した。そして左後ろの扉が自動で開いた。
「じゃあね父さん。そして赤松さんも、ありがとうございました」
僕が言うと、父さんは笑顔になった。隣の赤松さんも、何度もお辞儀をしてくれている。
「あー。こちらこそだ。来てくれてありがとな。真柴君もありがとう。これからも広樹と仲良くしてやってくれ」
「はい。もちんです。今日はありがとうございました。では失礼します」
真柴君も、父さんと赤松さんにお礼を言った。そして僕たちは、ゆっくりとタクシーに乗り込んだ。
行きと同じように、僕が先に乗り込み、奥に座った。そして真柴君も、荷物を置いて僕の隣に座る。
「それでは、小林様のご自宅までお送りします」
扉が閉まり、車が発進する。僕と真柴君は、後ろを振り返り、父さんと赤松さんに手を振った。
「いや凄かったな。めっちゃ楽しかった」
手を振った後、真柴君が言った。
「僕も、あそこまで変化したとは思わんかった」
「よな」
真柴君は返事をした後、ポケットからスマートフォンを取り出した。画面のロックを解除し、通知を見ている。
「おい。嘘だろ。小林」
真柴君が、目を見開いて画面に見入った。
「何? どしたん?」
一体どうしたのだろうか? 僕も真柴君のスマートフォンの画面を見た。
表示されていたのは、昼下がりのニュースだった。だが内容を見た僕も、言葉を失い呆然とした。
タクシーに重たい空気が流れ始める。ニュースの内容は、獄中の信夫が自殺を図ったというものだった。
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