第17話 立山幸一校長
職員室右横にある校長室の前まで来た。ガラス張りの所から光が漏れている。恐らく校長の
僕の前にいる真柴君が扉をノックした。
「どうぞ」
中から校長先生の声が聞こえてきた。真柴君がゆっくりと扉を開ける。
「失礼します。二年一組の真柴です」
「し、失礼します。同じく一組の小林です」
真柴君に続き、僕も中に入った。校長室に入るのは初めてであるため、とても緊張する。
中は応接室を広くしたような部屋だった。奥の校長席に座っていた校長先生が、老眼鏡を外す。
「二年一組といったら、本村先生が担当のクラスかね?]
「はい。そうです。今日は本村先生についてお話があり、こちらに伺いました」
真柴君がハキハキとした口調で答える。すると校長先生が、怪訝そうな顔をして立ち上がった。
「ほう。そうかい。一先ずそこに座りなさい」
「はい。失礼します」
「失礼します」
校長先生が、校長席の前にあるソファに座るよう促してくれた。真柴君に続き、僕も座る。校長先生も、僕たちから見て左側の席に腰を下ろした。
「それで、今日はどうしたの?」
校長先生が、落ち着いた声で僕たちに聞いてくる。僕はポケットからカメラを取り出し、机の上に置いた。
「これは何だね?」
「僕たちは、本村先生が顧問の報道部についこの前入部しました。ですが今日、活動中に色々あって、本村先生が真柴君に手を上げたのです。ここにその証拠が残っています」
僕は緊張を鎮めるため、平常心を保ちながら言った。校長先生の顔が若干強張っている。
「君たちが報道部に入ったのは知っているよ。それにしても真柴君、君がされたのかい?」
「はい。そうです」
真柴君の冷静な返事に、校長先生は目を見開いた。
真柴君が机の上のカメラを手に取る。そしてそのまま電源を入れた。
「どうぞ。こちらをご覧ください」
校長先生はどんな反応をするだろうか? 緊張の瞬間だ。真柴君が机の上にそっとカメラを置いた。
「だから! 影山君がしたという証拠はないのでしょ!」
「証拠が無いからって、どうして影山君の肩ばかり持つのですか?」
「は!?」
校長室も、先程の家庭科室と同じくらい静かだ。そのため、音声が部屋中に響き渡った。校長先生は、目を細めて画面に見入っている。
「本村先生は、影山君の肩ばかり持っているように見えます。もしかしてご自身でも気づかれていないのですか?」
「具体的にどういうところが贔屓しているのよ。言ってみなさいよ!」
画面に見入っていた校長先生が、真柴君の方を見た。
「影山君って、影山信夫君のことかい?」
「はい。そうです」
真柴君が先程のように冷静に返事をする。校長先生が目を細め、再び画面に見入った。すると今度は、カメラを自らの手に取って続きを見始めた。
「はは。呆れますね。あなた教師なのに、ましてや国語を教えている立場なのに、ご自身で自覚がないのですね。あなたのような人が担任で、僕は本当に不運です」
「大人しく聞いてりゃべらべらべらべらと。少しは口を慎みなさいよ!」
その時、本村の平手打ちが生々しいほどリアルに響き渡った。たいそう驚いたのだろう。校長先生は、口を開けたまま茫然と画面に見入っている。
「……フフ。ハハハハハ。ハハハハハ。やりましたね本村先生。小林入ってこい」
動画はここで終了した。音声が止まり、部屋に静寂が流れる。校長先生がカメラを机の上に置き、こちらを向いた。
「これは一体どういうことなんだい? 詳しく説明してくれんか?」
「分かりました。説明していきます」
眉を顰める校長先生に、真柴君がハキハキと返事をした。
「まず僕たちは、報道部に入る前、本村先生から入部届を受け取りました。その際本村先生から、自分たちで事前に用意しておく道具を言われたんです。その道具を早めに揃えて、活動場所のロッカーに入れておくよう指示されました。ですから僕たちは、早めに準備してロッカーに入れておいたのです」
「なるほど。本村先生から事前に用意する物を言われて、それを活動場所のロッカーに入れておいたんだね。報道部の活動場所は、確か空き教室だったね?」
「はい。そうです」
校長先生が、右上の天井を見上げて納得したように頷いた。
「ところが活動の初日、僕たちの準備していた道具は、跡形もなく消えてました。僕たちはそのことで、本村先生から激しく叱責されました。僕たちが叱責されている間、影山君はずっとこちらを見て笑っていたのです。このことから犯人は、恐らく影山君だろうと思ってます」
「なるほど。君たちが事前に用意していた物は、影山君が盗った可能性があるのか。そしてそのことについて口論していたのが、この動画なのか」
「はい。そうです」
躊躇することなくハキハキと答える真柴君。僕はそんな真柴君が頼もしく見えた。きっと一人だったら、ここまで上手くいっていなかっただろう。
「このカメラを取っていたのは、小林君かね?」
「あ、はい。そうです」
その時、校長先生が僕に質問してきた。僕は反射的に姿勢を正した。
校長先生には、もう一つ見てもらわないといけない動画がある。影山京子と本村の賄賂動画だ。この動画を見せないと、とどめを刺すことができない。
「先生。実はもう一つ、見ていただきたい動画があります」
「まだ何かあるのか?」
「はい。次は本村先生と影山PTA会長についての動画です」
「本村先生と影山PTA会長かね?」
「はい」
どちらかというと、僕はこの賄賂の動画を校長先生に見せたかった。影山京子はかなり外面が良い。この動画を見て、校長先生はどのような反応をするだろうか? 僕は好奇心が止まらなかった。
机の上のカメラを手に取った。そして前に戻るボタンを押す。本村と影山京子が向かい合っている映像を確認した僕は、そのまま再生ボタンを押した。画面が動き出したのを確認し、それを校長先生に渡す。
「今日はどうされましたか?」
「先生。今日も少額ですが、どうかこれを受け取ってください」
「んー……。何だこれは?」
校長先生がうなり声を上げた。睨みつけるようにして画面に見入っている。
「そんな……。駄目ですよ影山さん」
「うちの息子は来年受験です。本村先生が担当する報道部に入ったとも聞きました。どうか今後ともよろしくお願いします」
「——ありがとうございます。でも今回までですよ影山さん」
「分かってます」
「うわっ……。教師と保護者の間で賄賂が横行していたとは……」
校長先生が手で目元を抑える。かなり驚いているのだろう。そんな校長先生を、僕は何も言わずに見つめることしかできなかった。
「影山さん。そろそろ他の教員も出勤してきますので、この辺で」
「はい。もちろんです。ありがとうございました本村先生」
「こちらこそありがとうございました」
動画が終了したと同時に、校長先生が立ち上がった。僕と真柴君は、思わず目を合わせる。
校長先生は、校長席に置かれている内線電話の受話器を耳に当てた。そして番号を入力し始める。
「森田教頭、お願いがあります。今すぐ影山信夫君と本村先生を、校長室に連れてきてください。はい。二人ともです。お願いします」
校長先生が受話器を置く。そして再び、険しい顔でソファに腰を下ろした。
「これはいつ撮影したのかね?」
「今朝です」
「今朝だと?」
「はい」
僕が答えると、校長先生は驚いたように目を見開いた。ヒステリックに賄賂、どちらも大騒ぎになる出来事だ。とんでもない事態を二つも見せつけられ、大層困惑しているのだろう。
「影山君の贔屓は、いつから始まっていたのかね?」
校長先生が目を白黒させながら聞いてきた。
「恐らく新学期が始まってすぐですね」
「——そうかい」
真柴君が校長先生に淡々と言う。校長先生は、髪を両手で引っ張った後、ゆっくりと顔を上げた。
「先ほど教頭先生に連絡を入れた。影山君と本村先生を連れてくるよう頼んだんだ。もうすぐでここに来るだろう。私が二人に直接話を聞くつもりだ。その間君たちも、ここに居てくれないか?」
「分かりました」
「分かりました」
真柴君に続いて僕も返事をした。二人はどんな顔をして校長室に入ってくるのだろうか? 気になってしょうがない僕は、二人が来るのを今か今かと待ちわびた。
*
五分が経過した頃、廊下から足音が聞こえてきた。教頭先生に連れられた信夫と本村のはずだ。
扉のガラス張りの所に、天然パーマのシルエットが映し出された。教頭先生だ。その後ろから、信夫と本村らしき影も現れた。
「失礼します」
教頭先生が扉を開けると、信夫と本村が入ってきた。本村は通夜に参列してきたような顔をしている。一方で信夫は、悪びれる様子もなく平静を装っていた。僕はそんな信夫の態度を見て、若干嫌気が差してきた。
「森田教頭ご苦労だった」
「はい。失礼します」
教頭先生は、軽くお辞儀をして校長室を出ていった。扉が閉まり、沈黙が流れる。校長先生の指図を待っているかのように、信夫と本村は扉の前で立ち尽くした。この緊迫した雰囲気に、僕は思わず固唾を飲んだ。
「二人とも真柴君と小林君の前へ座りなさい」
「はい」
校長先生が低い声で言うと、本村が消え入るような声で返事をした。一方で信夫は、若干下を向いたまま無言でソファに座ろうとしている。
校長先生に近い側に信夫が座る。その隣、つまり僕の目の前に、本村も腰を下ろした。
「二人とも、何故ここに呼ばれたか分かっているだろうね?」
「分かりません。全く理解ができません」
「は!?」
信夫が動じることなく返事をした。それに対して声を張り上げた校長先生。それでも信夫は、全く動揺していなかった。
「君は何故呼ばれたのか、分かっていないのか? 呆れたものだ。心底呆れたものだ。いいだろう。じゃあ本村先生から聞いていこう。この動画は何だね。あんたは影山PTA会長から、何を受け取っていたのかね!?」
本村が下を向いて涙を流し始めた。大声を張り上げた校長先生が、肩で息をしている。
「……申し訳ございません。全て私が至らないせいです。私は……私は金銭の誘惑に負けて、影山PTA会長からお金を受け取っていました」
「いつからだ。いつから受け取っていたんだ!?」
「し、四月です。四月から受け取ってました」
大声で質問する校長先生。本村は完全に怯えている。下を向いたまま、真っ赤な顔をして答えていた。
「影山君を贔屓していたことも認めるか?」
「はい。認めます。お金を受け取った以上、責任を持って影山君に接さないといけないと思っておりました」
「はあ……」
校長先生が深くため息をついた。それにしても本村は、嘘をつくことなく全てを認めた。校長先生を前にして、観念したのだろう。
「本村先生。君には厳罰が下されるだろう。学校の教員は続けられないことを覚悟しておきなさい。分かったかね!?」
「——はい。申し訳ありません」
校長先生が、最後また声を張り上げた。本村は下を向いたまま泣いている。僕と真柴君は、そんな本村の姿をジッと見続けた。本当に哀れな姿だ。僕は心の底からそう思った。だがそれと同時に、今回で本村との縁が切れるかもしれないという期待感も高まってきた。
「次は影山君だ。話は既に聞いている。報道部で小林君と真柴君が揃えていた道具を盗ったのは君かね? 正直に答えなさい」
「僕じゃないです。知りません」
校長先生の質問に対して、信夫は堂々と嘘をついた。校長先生の顔が強張る。かなり怒っている様子だ。だが今度は深呼吸をし始めた。怒鳴りたい衝動を封じ込めているのだろう。
「いいだろう。影山君。君には心底呆れた。来年は大学入試だ。君も受けるだろう? 君がもし推薦入試を受けるとしよう。私はもう君を推薦しない。推薦入試は、最終的に校長の印鑑が必要になってくるんだ。君はそれを分かって言ってるんだね?」
校長先生が冷静に信夫に問いかけた。信夫の顔が青ざめていく。するとソファに座っていた信夫が、床で正座をし始めた。驚いた僕は、思わず真柴君と目を合わせた。
「校長先生。ごめんなさい。すみません。僕がやりました。魔が差してついついやってしまいました。どうか今回だけは、今回だけは許してください」
信夫が正座をしたまま、仏様を拝むように手をすり合わせている。顔もかなり焦っている様子だ。そんな信夫の姿を、校長先生は呆れた目で見た。
「君には心底呆れた。もういい。顔も見たくない。今すぐ出ていけ!」
校長先生が、顔を真っ赤にして怒声を上げた。それにもかかわらず、信夫はしぶとく手をすり合わせている。校長先生はそれを無視して、僕と真柴君を交互に見た。
「小林君と真柴君ご苦労だった。後は私に任せておきなさい。今回の二つの件は厳正に対処していく。外はもう薄暗くなっている。気を付けて下校するんだよ」
「はい。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
真柴君に続き、僕も頭を下げた。そしてそのまま扉の方へ向かう。
「失礼しました」
「失礼しました」
僕は深く頭を下げた後、扉をゆっくりと開けた。真柴君も僕に続いて頭を下げる。
真柴君が出た後、僕はゆっくりと扉を閉めた。その間に信夫と本村の様子を交互に見た。信夫は床に正座をしたまま茫然としている。同じように本村も、下を向いたまま僅かに肩を震わせていた。
扉を完全に閉めると、廊下が一気に薄暗くなった。湿気を含んだ気持ちの悪い風が吹いている。
「良かったな小林。校長先生は厳密に対処してくれそうや」
「そうやね。ありがとう真柴君。真柴君がおらんかったら、ここまで上手くいってなかったよ」
真柴君には、感謝の気持ちでいっぱいだ。この騒動が収まったら何かお礼をしよう。僕は心の底からそう思った。
「いやいや。俺もすっきりしたし良かったよ。じゃあ急いで帰るか」
「うん。帰ろう」
薄暗くなった廊下を小走りで通る。僕たちは、荷物を置いている空き教室へと急いだ。
*
「え? 遂に影山親子の首根っこを掴んだって!?」
家に帰り晩御飯を食べている時、母さんが目を見開いて僕に言った。
「そう! 今回の件は、校長先生が厳正に対処してくれそう」
解放された気分の僕は、陽気な声で母さんに言った。白ご飯を口に入れた母さんが、怪訝そうな顔をする。
「一体何があったん?」
「主に二つの出来事があってね。一つ目は、影山京子と本村先生の間で賄賂が横行しとったこと。これ今朝たまたま僕が見かけてね。その時僕はちょうど、報道部用のカメラを手に持っとったんよ。それでその様子を撮影した。その証拠はさっき校長先生に渡したよ」
「まあ。本村先生がそんなことをしよったん? 信じられないわ。それで二つ目はどんなこと?」
母さんが若干身を乗り出す。僕はお茶を飲んでから、ゆっくり続きを話し始めた。
「この前報道部の最初の活動があってね。その時僕たちが準備しとった物を、信夫が盗ったんよ。それでさっき、校長先生が信夫を呼び出して直接聞いた。そしたら信夫は、僕たちの前で自分がしたことを認めたよ」
「まあ。また影山の息子ね。それで盗られた物は返してもらったん?」
「まだやけど大丈夫。近い内に必ず返してもらう」
母さんが驚いたように目を見開き、横を向く。だが再び僕の方を見て笑顔になった。
「まあ良かったわ。影山京子も警察署から出てきて、母さんひやひやしよったんよ。それにしても広樹、よくやったわね!」
母さんが、嬉しいような安心したような感じで微笑む。僕もホッとしたせいか、笑みがこぼれた。
「一件落着よ。真柴君がおらんかったら、多分ここまで上手くいってなかった」
「まあ。真柴君ね。頼もしいわ。あの子には感謝してもしきれないわね」
「そうなんよ。今回の件が落ち着いたら、真柴君にお礼をしようと思っとる」
「いいと思うわ。母さんからも何かお礼しようかしら」
母さんの声が弾んでいる。その姿を見て、僕も久々に明るい気持ちになった。
*
晩御飯を食べ終わり、自分の部屋に戻った。部屋の窓から月明かりが差している。僕は部屋の明かりをつけずに、窓の方へ向かった。
今日の空は、雲一つない快晴だ。月の周りでは、小さな星がキラキラと輝いている。まるでダイヤモンドの粒をまいているかのようだ。
星の光は、何万年も前のものが届いている。小学校の理科の授業で習ったことを、不意に思い出した。
今輝いている光も、僕が生まれるよりずっと前のものだ。地球で何が起きていても、健気に光り続ける。そう思うと、何故か目から一筋の涙がこぼれた。
——将太の
闇で輝く星を見て、僕は固く誓った。
明日か明後日くらいに、本村と影山親子の処分が決まるだろう。もう少しの辛抱だ。僕はそう思い、僅かに震える手で涙を拭った。
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