第15話 悪がのさばる世の中で

「ただいま」


「お帰りコウ君」


 報道部の活動があった日から一週間が経過した。本村撃退の日が、少しずつ近づいてきている。


 今日は職員会議があるため、弁当を食べてからの下校だった。玄関に入ると、時さんがキッチンから出てきた。


「今日は早かったわね。お昼は食べた?」


「うん。お弁当美味しかったよ! ありがとう」


 空っぽのお弁当箱を時さんに渡した。時さんがそれを嬉しそうに受け取る。今日の時さんのお弁当も最高に美味しかった。


「嬉しいわ。さあ入って。たまにはゆっくりしなさい」


「分かった」


 玄関で靴を脱いだ後、僕は真っ先にリビングへ向かった。体が鉛のように重たい。荷物は後で上に持って上がろうと思った。


 今日は真柴君と松山城に行く約束をしている。高校生で県外に遊びに行けないため、たまには市内観光をしてみようという話になったのだ。


 約束の時間は二時半。テレビの上の時計は、一時十五分を過ぎていた。


 ソファの横に荷物を置き、そのまま座り込む。目の前のリモコンを持ち上げて、テレビのスイッチを入れた。


 ちょうどお昼の報道番組をしている最中だった。パッと画面が切り替わる。僕は画面に映し出された女を見て、思わず身を乗り出した。


 頭上で大きく巻かれたお団子頭。派手な花柄の服。どれも見覚えがある。そしてその女は車椅子に乗っていた。影山京子だ。後ろでは信夫が、影山京子の車椅子のハンドルを握っている。


 マスコミから浴びせられるフラッシュに、信夫が眩しそうに目を細める。一方で影山京子は、それに屈することなく堂々たる風格を保っていた。


嫌疑けんぎ不十分で、不起訴になられた今のお気持ちはいかがですか?」


 僕は男性マスコミの言葉に衝撃を受けた。嫌疑不十分という言葉の意味は知らない。だが雰囲気で、影山京子が釈放されたのだと分かった。


「嫌疑不十分という疑いの残る形になってしまいましたが、私は天に誓って潔白です。私は今回の取り調べで、かなり精神的負担を強いられました。ウウッ……」


 猫をかぶった影山京子が泣き真似を始める。そんな母親の姿を、信夫は哀れな目で見つめていた。


「今後具体的に、どのようなことをしていきたいですか?」


 影山京子の泣き真似を気にすることなく、男性マスコミが続けて聞いた。


「これ以上、私のような悲劇を繰り返してはいけません。私は一人でも冤罪被害者が減るように、何か活動をしていきたいと思っています」


 そんなことは全く考えていないはずだ。自分さえ良ければいい人間なのだから。それにしても何故罪に問われなかったのか? 僕の中で疑問が残った。


「どうして車椅子に乗られているのでしょうか? どこか具合が悪いのですか?」


 女性マスコミが、やや大きめの声で影山京子に聞いた。確かにこれも疑問だ。逮捕されたことと何か関係があるはずだ。


「ではこの辺で失礼します」


 影山京子が女性マスコミを無視すると、信夫が車椅子を押した。画面から見て、左の方へ逃げるように去っていく。複数のマスコミが「影山さん」と後を追いかけるが、画面が切り替わりアナウンサーが映し出された。


 これ以上見たくない。僕はリモコンを持ち上げ、テレビを消した。


 それにしても恐ろしい。僕はゾッとした。長宮さんの言っていたことが、見事に当たったからだ。


 ソファから立ち上がり、リビングを出る。僕は小走りで、時さんがいるダイニングルームへ入っていった。


「時さん。大変だよ!」


「どうしたの?」


 食事をしていた時さんが、箸を置いて目を見開いた。


「時さん。影山京子が警察署から出てきた」


「何ですって? テレビに出ていたの?」


「うん。さっき中継されとった」


 時さんが、隣に置いていた自分のスマートフォンを持ち上げる。そして胸ポケットから眼鏡を取り出し、それをかけた。


「まあ本当。速報にも出ているわ」


 僕は時さんのスマートフォンの画面を覗き込んだ。影山京子が嫌疑不十分で不起訴になったことが、ネットニュースの見出しに出ている。


 時さんが目を細めて記事に見入った。そして「あら」と声を出した。


「かなり優秀な弁護士がついたみたいね。それに監禁事件が起きた別荘には、十分な指紋が検出されなかったみたい。手袋でもしていたのかしら?」


「そんな……。じゃあ将太のことも闇に葬られたってこと?」


 僕は愕然とした。将太と池野さんが巻き込まれた事故も、結局分からないままだ。すると時さんが、眼鏡を外し僕の方を見た。


「大丈夫よ。この人たちはまた同じことを繰り返すと思うわ。そして今度は、本当に刑務所に入ることになる。あの性格は簡単に直らないと思うわ」


「そうかな」


「そうよ。私も色々な人間を見てきたけど、人って簡単には変わらないものよ。それに長宮さんも言っていたじゃない。悪事を働いた人間は必ず罰を受けるって」


「——うん」


 時さんは僕よりもかなり年上で、経験も豊富だ。だが僕は、時さんの言葉に安心することはできなかった。


 時さんがスマートフォンを元の位置に置く。そして眼鏡を胸ポケットにしまった。


「影山の息子とは、同じクラスだからコウ君も不安よね。厄介な人間が近くにいる時は、なるべく関わらないようにすることがベストよ」


「分かった。どうしても必要な時以外は、関わらないようにするよ」


「それがいいわ」


 時さんの言葉に僕は躊躇しながら頷いた。先週から、信夫と同じ部活で活動することになったばかりだ。僕は時さんに心配をかけたくないため、そのことは言わないでおこうと思った。


「時さん。僕今から着替えて友達と遊んでくるよ」


「珍しいわね。どこに行くの?」


 時さんが味噌汁を飲みながら僕に聞いてきた。


「松山城だよ。市内観光をしようってことになったんよ」


「いいわね。夕方までには戻ってくるのよ」


「わかった。行ってくる」


 まだ待ち合わせまでには時間がある。そのため、大街道辺りで時間を潰そうと思った。


        *

 

 銀天街と大街道は、横断歩道を隔てて隣同士にある。僕はまず銀天街を歩いた。銀天街を歩いた先に大街道がある。大街道から先の横断歩道を渡ると、ロープウェイ街に辿り着くことができる。そこまで来れば、松山城の登り口まですぐだ。


 銀天街の端から松山城までは、近いようで遠い。歩いて二十分くらいはかかるだろうか? 久々の運動であるため、やや息が荒くなってしまう。


 入っている店を横目に歩く。銀天街は昔と変わらず、沢山お店が入っている。


「小林?」


「真柴君!」


 銀天街の途中にある丸屋書店から、真柴君が出てきた。店を横目に歩いていると、いつの間にかここまで来ていたようだ。


「もしかして小林も時間潰しよった感じか?」


「うん。そう」


 僕の答えに大笑いする真柴君。僕もそれにつられて笑みが込み上げてきた。今気づいたが、心の底から笑ったのはかなり久しぶりだ。


「じゃあ今から行くか」


「うん。行こう!」


 真柴君が陽気な声で言った。そして僕たちは、再び松山城に向かって歩き始めた。


「久しぶりだな銀天街」


「うん。僕も久しぶり」


 僕の左横で歩く真柴君が、明るい声で僕に言う。どうやら真柴君も、普段はあまりここを歩かないようだ。


「ねえ真柴君。ニュース見た?」


「何の?」


 僕は先程のニュースのことを真柴君に聞いてみようと思った。こんな楽しい時に、影山京子の話はしたくない。だが同時に、真柴君が知っているのか気になった。


「影山京子が、不起訴で釈放された」


「は?」


  真柴君はスマートフォンを持っている。そのためとっくに知っていると思ったが、どうやらまだ知らないようだ。


 真柴君が目を白黒させる。驚くのも無理はない。影山京子は、かなり不利な状態にもかかわらず釈放されたのだから。


「ついさっき釈放されたみたい。全国版のニュースで報道されよった。真柴君のスマホにも速報が出とるかも」


「まじかよ! それはやばいぞ」


 真柴君が慌てて、ポケットからスマートフォンを取り出す。そして画面を開いた。


「本当や。信夫も映っとるやん」


「そうこれ! これが生中継で取り上げられとった」


「うわぁー……」


 大見出しのすぐ下に、一枚の大きな写真が載っている。影山京子が泣き真似をしている写真だ。その後ろで、哀れな顔をする信夫もバッチリと映っていた。


「これは作戦変更だな」


「え?」


 真柴君の表情が強張った。


「本村単体での始末はマズいな」


「確かに。何かいい案ある?」


 僕も頭をフル回転させた。だが、こういう時に限って何も思いつかない。


「まあとにかく、今日は今日で楽しもうぜ。考える時間はまだ少しある」


 真柴君がスマートフォンをポケットにしまう。確かにまだ来週の部活までには時間がある。時間をかけて考えれば、何かいい案が思いつくかもしれない。


「まあ。そうやね。今日は今日で楽しもう」


「おう」


 銀天街と大街道の境目の横断歩道が見えてきた。ここまで来れば、松山城まではあと半分だ。僕たちは若干歩幅を早めて、目的地へ向かった。


        *


 ロープウェイを降りた後、僕たちはお土産売り場のある広場へ向かった。


「ここは本当に景色がええな」


「うん。僕もここは癒されるけん好き」


 目の前に松山の景色が一気に広がった。快晴の空の下に建つビルの群れ。僅かに聞こえてくる市内電車の音。そして遠くには、太陽に照らされた山々が鮮明に見える。


 ここは本当に景色が綺麗だ。僕はこの場所が大好きだった。例え嫌なことがあっても、ここに立つと全てが豆粒に感じるからだ。


「あそこのお土産売り場で、お菓子とジュース買おうぜ」


「あ、うん!」


 景色に見とれていると、真柴君が不意に話しかけてきた。


「買ったものは、行きに見つけたベンチで食べよう」


「うん。いいよ!」


 ロープウェイ降り場から登ってくる途中、三人ほどが座れるベンチがあった。しかも場所が丁度良かったのだ。あそこで景色を見ながら食べるお菓子は、最高に美味しいだろう。


 真柴君の後に続くように、お土産屋に入っていった。中は沢山の観光客でにぎわっている。外国人観光客もたくさんいた。


 お馴染みの松山銘菓や、みかんジュース、松山城のキーホルダーなどが販売されている。


六一ろくいちタルトがあるぞ」


「本当や。僕最近食べてない」


 真柴君が指さす方に、松山銘菓の一つである六一タルトが置かれている。最後に食べたのはいつだっただろうか? かなり前だったような気がする。


「俺も最近食べてなかったけん、お菓子はこれにするか」


「うん。じゃあこれにしよう」


 僕たちは六一タルトを一つずつ取った。そしてレジに向かう。


「あそこにみかんジュースの蛇口があるよ」


「おお。じゃあジュースはあれにするか?」


「いいね! あれにしよう。すみません。ジュース二杯分お願いします」


「分かりました」


 お金を払い、お店の人からコップを二つ受け取った。もう一つを真柴君に渡す。支払いを済ませた僕は、先にジュースの蛇口の所へ行った。


 蛇口をゆっくりと緩める。すると、オレンジ色のよく冷えたみかんジュースが出てきた。すぐに満タンになったため、僕は慌てて蛇口を閉めた。


「次俺な。見よけよ」


 続いて真柴君も蛇口をひねる。真柴君は僕と違って、勢いよくひねった。


「あ、こぼれ……」


「はいキュッと。どうや凄いやろ」


 真柴君が素早く蛇口を閉める。僕は一瞬ドキッとしたが、真柴君はジャストサイズでジュースを入れた。


「凄いね真柴君。ぴったりやん」


「ハハハどうだ。さあ早くベンチへ行こうぜ。誰かに取られてしまうぞ」


「あ、そうやね。行こう」


 大勢の観光客をかわし、僕たちは外に出た。そして、ジュースをこぼさないようにしながら、行きに通った坂を一つ降りる。果たして先程のベンチは空いているだろうか?


「お、ラッキー。空いてるじゃん」


「本当や。良かった!」


 真柴君が、先ほど目をつけていたベンチを指さす。幸運なことに、まだ誰も座っていなかった。


 小走りでベンチへ向かった。腰を下ろした僕たちは、ジュースを静かに置き、六一タルトを開ける。開けた瞬間、六一タルト独特の素朴な匂いがした。


「それにしても景色がええな」


「うん。そうやね。僕たちの百貨店も見えるかな?」


「花星はここのすぐ下やけんな。俺のとこは余裕で見える」


 僕は体を少しだけ前のめりにした。花星はここの下だからすぐに見える。一方で日光屋は、立ち上がってやっと見える位置にあった。


「あ、日光屋も見えた。それにしても上松堂は観覧車が目立つね」


「松山の天下は上松堂やな。あそこにはどうしても勝てんで」


 真柴君が、少し不満そうに六一タルトを口に入れた。そしてそれをジュースで一気に流し込む。


「花星は最近どんな感じなん?」


 花星は日光屋より断然いいはずだ。僕は再び椅子に座り真柴君に聞いた。


「まあまあかな。花星は本店の新宿と地方の差がやばいけんな。新宿本店なんか、もはや良い意味で異世界やぞ」


「確かに。新宿花星本店の売り上げは世界一やもんね。でもいいやん。僕んとこは本当にやばいけん」


 僕は真柴君の所が羨ましかった。一先ず明日に怯えることはないからだ。口に入れた六一タルトが、気のせいか少しだけ苦く感じる。


「俺たちまた手を組めたらいいな」


「うん。僕の父さんも進展があればいいなって言いよった」


「そうか」


 真柴君が、六一タルトの最後の一口を口にいれた。僕もオレンジジュースを飲む。みかんの甘酸っぱい味が、僕の舌を優しく刺激した。


「それにしても人間ってちっぽけやな」


「そうやね。ここから町を見下ろしたら、日常のいざこざなんか馬鹿らしくなるよね」


 真柴君が目を細めて景色に見入っている。真柴君の言う通りだ。人間のいざこざなど、ここから見下ろしたらちっぽけに感じる。


「それが分かっていても人間は悩む。何でか分かるか?」


 真柴君の眼鏡が太陽に反射する。僕は思わず目を細めた。


「さあ。何でやろう? やっぱり生きていく上で、人間同士の関わりって不可欠やけん?」


「まあ確かにそれもあるな。俺はこう考えるぜ。俺たちは今ここに居るが、結局また見下ろしている町へ帰らないといけない。俺たちが町にいる時、ここに居る人たちはどう思うか? 恐らく大半の人が、だと言うやろうな。つまり人間って、結局はちっぽけってことなんだぜ」


「なるほど。確かにそうやね。ここを去ったら、僕たちはまたあの町へ帰っていくもんね」


「そうだぜ。結局また帰っていくんや」


 今悩んでいることはとても小さい。だがあの町へ帰っていくと、全てが大きくなっていく。それは人間がちっぽけだからだ。真柴君の言葉に深い感銘を受けた。


「お、今ちょうど新たな本村の撃退法を思いついたぞ」


「え? どんなこと?」


 真柴君の咄嗟の言葉に、僕は思わず身を乗り出した。


「本村は影山親子を依怙贔屓しよるやろ? あれだけの贔屓は、少し異常やと思うんよな。本村と影山親子の接点を深く探ろうぜ。特に怪しいのは親である影山京子や。絶対本村に何かしとるはずや」


「なるほど。でもどうやって接点を探る?」


「俺たちは報道部や。カメラでも録音機でも何でも使って、できる限り本村と影山親子の弱みをあぶり出そうぜ」


「なるほど。それで三人とも……」


「せや」


 真柴君が真剣な顔で頷いた。確かに影山親子は、本村に絶対何かしているはずだ。四六時中見張るのは大変かもしれないが、真柴君に協力してもらい、少しでも早く三人の弱みをあぶり出していこうと思った。


        *


 一週間が経過した日の朝、僕は本村から呼び出しを受けた。本村が呼んでいることを、同じクラスの子が教えてくれたのだ。


 まだ朝のホームルームも始まっていない。それなのに何故僕を呼び出すのか? 僕は不安を感じながら、重たい足取りで職員室へ向かった。


 職員室の前まで来た。僕がガラス越しに中を覗いていると、本村が気付いて出てきた。


「小林君おはよう」


「おはようございます」


 不機嫌な様子には見えない。一体何なのだろうか?


「実はお願いしたいことがあってね」


「何ですか?」


 本村の言葉に、僕の心臓の鼓動がピークに達する。面倒事ではないことを、僕は心の底から祈った。


「今日は報道部の活動があるでしょ。だから放送室からカメラとマイクを取ってきてほしいの。放送室に入って奥の所に棚があるのよ。そこに緑色の籠が置いてあるはずよ。上に青い敷物が敷かれているのがそうだから、それを職員室前の机の上に置いておいてほしいの」


「分かりました。持ってきて置いておきます」


「分かりにくいかもしれないけど、頼んだわよ」


「はい」


 どうやら頼み事だったようだ。それが分かり安心した僕は、声のトーンが少しだけ高くなった。


 本村から鍵を受け取り、放送室へ向かう。放送室は二階にあるため、職員室側の階段から上に上がった。


 それにしても本村は、先週怒鳴ったことを忘れているかのようだった。どうやら一度大声を張り上げれば、全て忘れてしまうようだ。そんな本村の性格に、僕は心底嫌悪した。


 放送室の前まで来た。鍵を開けて中に入る。緑色の籠はすぐに見つかった。上にはちゃんと青色の敷物が敷かれている。


 僕はそれをゆっくりと持ち上げた。放送用の機材であるため、若干重たい。籠を手に持った後、放送室の鍵を締めた。


 施錠されたかをもう一度確認し、鍵をポケットに入れる。そして再び、先程上がってきた階段の方へ向かった。


「影山さん!」


 階段の方へ向かうと、下から本村の声がした。こだましているため、より大きく聞こえてくる。


「先生。お久しぶりです」


 僕はそっと階段を下りた。踊り場を過ぎて、もう半分の階段をゆっくりと降りていく。


「大丈夫でしたか?」


「はい。何とか。リハビリに励んでいるため、やっと車椅子は手放すことができました」


 階段の半分を降りたところで、僕は足を止めた。影山京子が杖をつきながら、ゆっくりと本村の方へ近づいていく。


——俺たちは報道部や。カメラでも録音機でも何でも使って、できる限り本村と影山親子の弱みをあぶり出そうぜ


 この前真柴君の言っていたことを思い出した。そして僕は、緑色の籠をそっと階段の段の上に置いた。


 何か弱みを掴むことができるだろうか? 僕は息を潜めて、本村と影山京子の方へカメラを向けた。


「今日はどうされましたか?」


 本村が笑顔で影山京子に聞く。


「先生。今日も少額ですが、どうかこれ受け取ってください」


 影山京子が本村に分厚い封筒を渡した。僕は思わず息を飲んだ。お金だ。あの分厚さだと五十万円はあるだろうか? 小声で話しているが、声も十分ここまで聞こえてくる。


 カメラをアップにした。僕の中で緊張感が走る。絶対に逃すまいと、カメラを握る手が僅かに震えた。


「そんな……。駄目ですよ影山さん」


「うちの息子は来年受験です。本村先生が担当する報道部に入ったとも聞きました。どうか今後ともよろしくお願いします」


「——ありがとうございます。でも今回までですよ影山さん」


「分かってます」


 影山京子が本村にペコペコ頭を下げる。本村は躊躇しながら、封筒をポケットへとしまい込んだ。


「影山さん。そろそろ他の教員も出勤してきますので、この辺で」


「はい。もちろんです。ありがとうございました本村先生」


「こちらこそありがとうございました」


 本村が左側の職員室へと入っていく。一方で影山京子は、ゆっくりと杖をつきながら反対側の出入り口へと向かい始めた。


 僕が長い間、放送室で機材を探していると高をくくっていたのだろう。本村は周りを見渡すことなく受け取っていた。


——これ以上お前らの好き勝手にはさせんぞ


 カメラのメモリーカードを引き抜く。そして僕は、それを静かに右ポケットに忍び込ませた。

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