第8話 迷走する小林家、追いつめられる影山家
学園祭があったあの日から、八日が経過した。今日は祝日にもかかわらず、いつも通り授業がある。
朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。それと同時に、本村が不機嫌そうな顔で教室に入ってくる。
「皆さんおはようございます。今日はお知らせが沢山あるから、日直さんは出てこなくていいです」
本村がハーっとため息をつきながら、教科書をドンと机の上に置いた。
将太と池野さんの席は、今日も空席になっている。将太の隣の席には、信夫が平然とした顔で座っていた。
「皆さんにお知らせが四つあります」
本村が教卓の上に手を置いた。本村の細い目がさらに細くなる。
「まず一つ目です。この前の学園祭で、異物の入ったスープを飲んだ
僕はゾワッとした。重症化でもしていたらと思うと怖くてならない。
「三人は無事体調が回復したので、明日から登校してきます」
本村は最後、少しだけ頬を緩めた。本村の表情と明日からと聞いて、もう完全に回復したのだと安心した。だが僕は、彼らに恨まれないか心配にもなった。
「それから二つ目です」
本村が続けた。
「池野さんですが、他の学校に転校することになりました。池野さんのお母さんは、無事発見されたそうです」
池野さんのお母さんが見つかったことは安心した。だが池野さんが転校する。本村の言うことに一瞬耳を疑った。
転校ということは体調が戻ったのか? 心配でならない。それに池野さんが、証拠のビデオカメラを持っている。僕は池野さんがどこの病院に入院しているのか、分からないままだった。これでは信夫がしたということも証明できなくなってしまう。
信夫の方を見た。信夫は下を向いて薄笑いしていた。捕まることから逃れられたと思っているのだろう。
「それから三つ目」
本村が目を細めて、淡々と話を進めていく。
「藤崎君の事ですが、まだ目を覚ましていないようです。回復までにはもう少しかかりそうだと、親御さんから連絡を頂きました」
本村が言い終えた後、下を向いた。将太もこの前まで元気だったのに、状況が一変してしまった。信夫に仕返しをしたい。だが見事に証拠がない。魚の骨が、喉に刺さったままのような気分だ。
「四つ目」
本村が顔を上げ、最後の四つ目に入った。僕は固唾を飲んで、本村の方を見た。
「来年の学園祭から、当面の間は食品を扱う出し物を禁止にします」
本村があからさまに僕の方を見て言った。僕は思わず、本村から目を逸らした。
「お知らせは以上です。あ、それからもう一つあったわ」
教卓を離れようとしていた本村が、何かを思い出したような顔をした。
「連日、スープの事件は全国ニュースで放送されています。他クラスで、マスコミの人に取材をされそうになった生徒がいたと聞きました。もしそのような場面に遭遇しても、決して応じないようにしてください。以上です」
本村が言い終えると、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。皆がワイワイとおしゃべりをし始める。
本村が教科書を持って、教室を出ていこうとしている。僕はそんな本村の後ろを追いかけた。
「本村先生」
本村が後ろを振り返る。
「何? 小林君」
「池野さんは回復して、無事に退院したのでしょうか?」
僕の問いかけに、本村の顔が少しだけキツくなった。
「転校するのだから退院したということになるでしょう?」
「どこの学校に転校するのですか?」
退院したことを知った僕は、次にどこの学校に転校するのか気になった。
「それは言えないわ。池野さんの親御さんが言わないでと言っていたから。それに今回、このようなことが起きたのは、企画長である小林君にも責任があるのよ。そのことを忘れないで」
本村は僕にキツく言葉を吐き捨て、スタスタと向こうへ歩いていった。無事なのが分かり安堵したが、どこに転校したのかますます気になった。
*
授業が全て終わり、放課後になった。一つひとつの教材をかばんにしまっていく。クラスメイトは既に帰ったり、部活に行ったりしていた。残っているのは僕と信夫だけのようだ。
荷物をまとめ、後ろの扉から教室を出ようとした時、前の扉から信夫が入ってきた。いつも人相の悪い信夫の顔が青ざめている。何があったのかは知らないが、僕には関係のない事だと思い教室を出た。
だが教室を出て、靴箱へと向かい始めると、先程の信夫の様子が気になった。一体何があったのだろうか? また新たな悪事を働いたのか? それとも今までの悪事が今にもバレそうなほど、危機的な状態に追い込まれているのか? 様々な可能性が頭の中で悶々としてきた。
だが見た感じ、不利な状況に追い込まれているのは明白だった。どちらにしろ僕は、あの親子と縁が切れる状況になることだけを祈った。
*
寄り道をせず、真っ直ぐ家の前まで帰ってきた。すると門の前に、人だかりができているのが見えた。ほとんどの人が、カメラや録音機を手に持っている。僕は誰かすぐに分かった。マスコミだ。
マスコミは僕を見つけると、一斉にこちらに駆け寄ってきた。
「小林広樹さんですか? 学園祭の件でお話を聞かせてください」
一人が強引にカメラをこちらに向けてくる。僕はそれを振り払った。
「通してください。邪魔です」
押しのけて門のところへ行こうとするが、マスコミが立ちはだかって前に進めない。
「あなたが企画長をしていたようですが、事件について何か知っていることはありますか?」
マスコミの女性が録音機を顔に近づけてくる。無言でそれを振り払った。
「日光屋が大幅な減収となったようですが、今回の事件が原因だとお考えですか? また今後、どのような対策をとっていくのでしょうか?」
日光屋が今回の事件のせいで、大幅な減収になったのは事実だ。だがなぜそれを僕に聞いてくるのか、全く分からなかった。
「何の騒ぎですか?」
するとその時、玄関の扉が開いた。時さんだ。騒ぎを聞きつけて中から出てきたようだ。
「時さん」
「あなたたち。大の大人が高校生を相手にこんなことをするなんて。みっともない。どきなさい。道を空けなさい!」
時さんがきつく言ったが、マスコミは道を空けてくれない。そして今度は、時さんの方にカメラを向け始めた。
「ご家族の方ですか? お話を聞かせてください」
「いい加減にしなさい! 門から中に入ってきたら、警察に通報するわよ!」
時さんがスマートフォンを取り出し、片手に持った。もう片方の手は、緊急通報のボタンに向けている。
僕はマスコミを押しのけ、門の中に入った。そして素早く扉を閉め、施錠する。
「お話を聞かせてください」
マスコミのフラッシュが、更に激しくなり始める。本当にしつこい。僕は時さんと一緒に小走りで玄関へと向かった。
玄関の扉を開け、家の中に入る。マスコミたちは中にまでは入ってこなかったが、玄関の扉が閉まるまでフラッシュを光らせていた。
「大丈夫? コウ君」
「怖いよ。時さん」
「心配ないわ。家の中までは入ってこないから」
時さんと僕は靴を脱ぎ、リビングに入っていった。リビングの時計は、夕方の五時半を差している。
「夜ご飯、もうすぐでできるからね」
「ありがとう。時さん」
時さんはリビングの扉を閉めて、台所の方へ歩いていった。
僕はテーブルの上のリモコンを取り、テレビを点けた。丁度県内のニュースをしている最中だった。前のニュースが終わり、画面が切り替わる。女性アナウンサーの顔に緊張感が伝わってきた。
「次のニュースです。昨日午後五時半ごろ、新居浜市別子村でワゴン車が転落する事故があり、乗っていた男二人が死亡しました。この二人は、行方不明になっていた池野美由紀さんを誘拐、監禁した疑いがあり、警察は捜査を進めています」
ニュースの内容に、僕は釘付けになった。ワゴン車から火が出ている画面が映し出される。そして先程読み上げた内容を復唱するように、アナウンサーは同じようなことを言い始めた。だが僕は、次の言葉に更に驚きを隠せなくなった。
「男たちは、池野美由紀さんの他にも、娘の池野陽菜さん、別子村の占い師の長宮春花さん、長宮さんの助手の山田千代さんも監禁していた疑いがあり、警察は今日、この事件の主犯格である影山京子容疑者を逮捕しました。影山容疑者は、男たちに指示し、池野美由紀さんたちを影山容疑者の別荘に監禁した疑いがあり、警察は捜査を進めています。池野美由紀さんを含め、四人の女性は無事だったということです」
車椅子に乗った影山京子らしき女が、警察署に入っていく姿が映し出される。なぜ車椅子に乗っているのか分からなかったが、そんなことはどうでも良かった。
それより池野さん親子の名前が、被害者として公表されている。影山京子に監禁されていたことに、驚きが隠せなかった。
ビデオカメラの件で監禁されていたのだろうか? それに今、池野さん親子は別子山にいるのか? そこまではニュースで言われてなかったため、悶々とした気分になった。
とにかく影山京子は逮捕された。信夫が放課後に青ざめていたのは、恐らくこのことだったのだろう。これで信夫の事件も、芋づる式で明らかになる可能性がある。
次のニュースに入っていることに気がつき、僕はテレビを消した。一先ずこれで、平穏な日々を取り戻せる希望が見えてきた。
「ご飯できたわよ」
「はい」
晩御飯ができたようで、台所から時さんの声が聞こえてきた。僕は立ち上がり、急いでダイニングルームへと向かった。
*
今日の晩御飯は牛丼だった。大きいどんぶりの上で、具が上手く絡んでいる。いい匂いがダイニングルームに充満していた。
「いただきます!」
「いっぱい食べてね」
時さんも僕の向かい側に座る。僕はどんぶりを片手に持ち、牛丼を口に入れた。
「美味しい!」
「良かったわ」
時さんがにっこりと笑った。僅かな甘みが出ていて、牛肉と上手くマッチしている。
「時さん。ニュース見た?」
「スープの事件のこと?」
僕は先ほど流れていたニュースを、時さんに話し始めた。
「まあそれの関連やね。スープの事件を起こした子の母親が、逮捕されたみたい」
「まあ。お母さんのスーツにお茶をかけた、あのPTA会長の女?」
「そう」
時さんは最初、驚いたような顔をした。だがすぐに、安心したような笑みを浮かべた。
「いつか天罰が下ると思っていたわ」
時さんが言い終えてから、ゆっくりと牛丼を口に入れた。
「でも、まだスープの事件は解決してないけん安心できん」
「大丈夫。時間の問題よ。母親が逮捕されたのだから、息子が犯した罪もその内明らかになるわ」
「そうやといいけどね」
僕は牛丼を口に入れた。すると時さんが、低めの声で話し始めた。
「神様はいつでも見ているのよ。陰で悪いことをして、逃れられたと思っていても、来世で償わなくてはならないこともあるの。だから悪いことをしたら、結局全部自分に返ってくるのよ」
「そうなんや。それは怖いね。それを思ったら、悪いことなんかできんね」
「そうよ。だからいつか、その息子も思い知る時がくるわ」
「思い知る時か……」
僕は目の前にある冷たいお茶を飲んだ。氷がカチカチと音を立てている。
「マスコミはいつまで来るんやろ?」
芸能人の裏事情などを、張り込みで入手する人たちだ。僕は彼らが怖かった。私生活が完全に脅かされているからだ。
「大丈夫。母親が逮捕されたのだから、真実が自ずと明らかになってくるわ。そうなったら、マスコミたちもそっちの取材に集中するようになると思う」
「そうか。そうよね。僕たちは潔白やもんね」
「そうよ。堂々としていればいいのよ」
時さんは安心しきっているようだが、本当に大丈夫なのだろうか? 僕は表向きでは納得したものの、もやもやした感覚が拭えなかった。
*
自分の部屋に戻った。部屋はもう薄暗くなっている。
僕は明日の宿題を広げた。明日は本村の古典の授業がある。宿題をしていかないと、どうなるかは目に見えていた。
だが明日、学校に行くのが楽しみな自分もいた。信夫がどんな顔をして学校に来るのか、気になるからだ。僕はあれこれ膨らむ妄想を抱えたまま、古典の本文をノートに写していった。
*
翌日。僕はいつも通り登校した。教室には既に何人かの生徒が来ている。
その中には信夫もいた。信夫は僕が入ってきたことに気がつくと、自分の席を離れてこちらに向かってきた。
「小林。ちょっと来い。話がある」
信夫は低い声で言って教室を出た。信夫の細い目はクマで真っ黒になっている。きっと眠れていないのだろう。哀れな姿だ。僕は荷物を置いて後ろを付いていった。
信夫が真っ直ぐ前へ歩いていく。一体どこへ向かおうとしているのか? 僕は付いていくスピードを緩め、信夫に問いかけてみた。
「信夫。どこへ行くんや?」
「いいけん黙って付いてこい」
信夫は偉そうに言いながら、振り返りもせずスタスタと歩いていく。どうやら階段の方へ、向かおうとしているみたいだ。
「そこは立ち入り禁止やぞ」
信夫が屋上の階段を上ろうとしている。僕の言うことを無視し、立ち入り禁止の札をかわした。僕も仕方なく、その後に続いて階段を上る。
一つ目の階段を上り、踊り場を超えた。そして二つ目の階段も一段ずつ上がっていく。僕たちの歩く足音が、周囲へ大きく響き渡った。
上の方は真っ暗だった。周りが全く見えない。すると信夫が扉を開けた。生暖かい風が、フワッと僕の体を包み込んでくる。
信夫が扉の向こう側へと消えた。僕も続いて外に出る。
屋上に上がったのは初めてだった。広く無機質な床が続いているだけだ。エアコンの室外機すらも、置かれている様子はない。
「話って何?」
僕が問いかけると、信夫は僕を睨みつけた。
「僕の母さんが、昨日逮捕された」
信夫がキツい口調で僕に言った。
「僕も昨日テレビのニュースで見た。気の毒にな。やけどこれだけは言っとく。お前の母さんは天罰が下ったんや。お前も時間の問題やな」
「お前たち一家が不幸になればいいのに。何で僕たちばっかりが、こんな目に遭わなくちゃいかんのや」
信夫が悔しそうな顔をしている。最後の嘆きだ。僕はそう思い、信夫に諭すように言った。
「なあ信夫。そんな生き方しよって幸せか?」
「は? 僕は他人が落ちぶれる姿を見るのが幸せなんやけど」
「そうか……。それは残念やな」
もう何も話すことはない。どうせこいつらは捕まる。呆れた僕はそう思い、早足で階段の方へ向かった。
「待てよ。まだ話は終わってないぞ」
「何だよ?」
階段の一段目を降りかけたとき、信夫が後ろから追いかけてきた。信夫が屋上の扉を閉める。そのせいで、再び周りが真っ暗になった。
目がすぐに暗闇に慣れた。信夫の人相の悪い顔が、だんだんと鮮明に見えてくる。周りが暗いため、ますます怖さが引き立っていた。
「池野さんはどこに転校した? お前なら知っとるやろう?」
「池野さん? 知らんよ。あの日以来会ってないけん」
僕は後ろを振り返って、一段降りたところに立った。
「学園祭の時おったのが最後やったか」
信夫が下を向き、後悔したような表情を浮かべている。
「どしたんや?」
僕が聞くと、信夫はキッと顔を強張らせた。
「僕の最後のチャンスまで奪いやがって」
「……は? もしかしてお、お前池野さんのことが好きやったんか?」
「この邪魔者め。お前がずっと邪魔やったんよ!」
信夫がゆっくりとこちらに近づいてくる。信夫が池野さんのことを好きだったのは、予想外だった。驚いた僕は、慌てて信夫に言った。
「待て。僕たちは推薦で企画長と副企画長をしよったんや。それに好きやったんなら、こんなことをしても逆効果やぞ。そんな些細なことでこんなことをするお前が理解できん。仮に逆の立場やったら、僕は池野さんを信じて応援するやろうな。そして何かできることがあったら、どんどん協力もしていく。お前のやり方は初めから間違っとったんやぞ」
「信じる? そんなの綺麗事や! お前は僕の気持ちが分からんやろうな。邪魔だ。もう消えてくれ」
信夫が再びゆっくりと近づいてきた。僕もゆっくりと後ずさりながら、階段を一段ずつ降りていく。
「わっ!」
するとその時、僕は足を踏み外してしまった。直後頭に痛みが走り、そのまま下まで転げ落ちた。徐々に意識が朦朧とし、視野が狭くなっていく。
「僕じゃない。僕じゃないけんな」
信夫が慌てた様子で、その場から立ち去っていった。僕は頭がボーッとする中、信夫がここまで酷いことをしてきた理由を改めて認識した。
池野さんが僕に本を返してくれた時、企画長が僕に決まった時、信夫はいつも睨みつけてきた。多数決で負けた理由の他に、恋の嫉妬が原因だったのだ。
影山京子が逮捕されても、信夫が捕まらないと、僕たち小林家は決して安心した生活を送れない。他の人たちもそうだろう。何をしてくるか分からないからだ。
気が遠のき、周りの音が聞こえなくなってくる。そして目の前が真っ暗になり、僕は気を失った。
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