第7話 悪女の罠
古びた玄関から、カビ臭い匂いがした。
「次声を荒げたら、お前らの命はないぞ」
脅された私たちは、無言で男たちに連行される。靴を脱がされ、一階の左奥の部屋へ連れていかれた。
少し開いた扉の向こうで、男三人が金縛りにあったように手足をバタバタさせている。これが春花さんの呪いなのだろう。本当に動けないのだと思った。
「この役立たずが」
部屋に入ると、裏切り者の男が、軽蔑の目でうずくまる男たちに言い放った。
部屋の中はとても広い。入って左奥に大きな窓があり、真ん中の天井にはヒビの入ったシャンデリアが付いている。そしてその真下には、古びているが高級そうな机と椅子が並んでいた。会食をする部屋のようだ。だが、部屋の中にお母さんの姿はない。どこに監禁されているのだろうか?
私たちは椅子に座らされ、手足を縄でグルグル巻きに縛られる。部屋の入り口と向かい合わせに私が真ん中、その隣に春花さん。春花さんの隣の、窓に近い方に千代さんが拘束された。
「間もなく京子さんが来る。それまで逃げないように女三人を監視してろ」
「「「はい」」」」
「それからお前、ちょっと来い」
裏切り者の男を含めて、二人の男が部屋を出ていった。残りの二人は、私たちを監視している。
裏切り者の男は「京子さんが来る」と言った。やはり信夫君のお母さんだろうか? さっきの表札にも「影」という文字が刻まれていた。私は、信夫君がスープに異物を入れていた証拠を持っている。だから狙われているのかとその時思った。
*
「お母さん!」
「美由紀ちゃん!」
「美由紀さん!」
しばらくして、男二人がお母さんを連れて部屋に入ってきた。かなりやつれている。私は涙が出てきた。
「……陽菜。良かった。目覚めたのね。みんな大丈夫? 怪我はない?」
お母さんは私たちにか細い声で言った。
「美由紀ちゃん」
春花さんも涙を流している。千代さんも涙ぐんでいる。私はお母さんにこんなことをした男たちが許せなくなってきた。
「私のお母さんに何てことをしてくれたの!? あなた達絶対に許さないから!」
「だから声を荒げたら命は無いと言っただろう? お前たちは黙ってろ」
「キャッ!」
「お母さん!」
「美由紀ちゃん!」
「美由紀さん!」
その時、男二人がお母さんを前へ押した。倒れ込んだお母さんを、春花さんの向かい側に座らせ、縄で縛りつける。
「大丈夫? 美由紀ちゃん」
「大丈夫よ」
春花さんが言うと、お母さんはゆっくりと顔を上げた。
「この男たちは用済みだ。部屋からつまみ出せ」
「「「はい」」」
「……仕方ないわね。でも自業自得よ」
春花さんが男たちに聞こえないように小声で言った。
「春花ちゃん」
お母さんが心配そうな顔で春花さんを見ている。
「私やないとあの呪いは絶対に解けん。今ここで解いても大変なことになるし……」
男たちは、硬直した男三人を無理やり抱えて部屋から出ようとしている。きっとこれから、あの男たちはずっと麻痺した体で人生を過ごすことになるのだろう。因果応報だ。
*
男たちが出ていってからすぐのこと、窓から車が入ってくるのが見えた。信夫君のお母さんだろうか? 車は窓を通り越して、玄関の前に止まったようだ。
「誰か来たわね」
春花さんが顔を強張らせる。
「何してるの? ちゃんと監視していてと言ったでしょ?」
「申し訳ありません。監視させていた男たちの体が、急に麻痺して動けなくなったようで」
「使えないわね。さっさと始末して」
「分かりました」
外から女の声が聞こえてくる。しかも監視していろと男たちに言った。私たちを監禁した主犯格に間違いない。
玄関の扉が閉まる音がして、部屋に女が入ってきた。サングラスをかけ、花柄のスカーフを纏い、ピンクのワンピースを着ている。私たちの向かい側で縛られているお母さんも後ろを見た。
「まあ。皆さんお揃いで」
「影山京子!」
私は思わず叫んだ。女は気味悪い笑みを浮かべ、サングラスをサッと外した。その顔は、紛れもなく信夫君のお母さんである影山京子だった。だがもはや、この人は悪女だ。私はそう思った。
「あなた……。こんなことをして許されると思っとるの?」
お母さんが悪女を睨みつける。すると悪女は、再び気味悪く笑い始めた。
「許される? ウフフ大丈夫大丈夫。貴方たちの命までは奪わないから。そんなに怖がらないの。ただ、私の言うことをしっかりと聞くのよ」
そして悪女は、春花さんと千代さんの方を見た。
「貴方たちは初めましてだね。私は影山京子。私の別荘へようこそ。私は貴方を知っているわよ。だってあなた有名だもの。占い師の長宮春花でしょ? その隣は助手? まあいいわ。それよりなぜあの男が裏切ったのか分かる? あの男は私の親戚なの。お金を積めばいくらでも動いてくれるわ。美由紀さんを監禁したのもあの男。私が指示を出したの」
「自分の息子が犯した罪を隠蔽するためでしょう?」
悪女は先ほどから、悪い猫のようにネチネチした気持ちの悪い声で喋ってくる。そんな悪女を春花さんは強く睨みつけた。その隣で千代さんは怯えている。
「その通り。よく分かったわね。陽菜ちゃんが話したのかしら? 私見たのよね。事故の時。陽菜ちゃんがビデオカメラを握りしめているのを。警察にバレると困るから、まず美由紀さんを監禁したの。すると丁度、美由紀さんを助けに来ようとしている人たちがいるとあの男から聞いてね。それは貴方達のことだった。おまけにビデオカメラを持っている陽菜ちゃんも一緒にいた。偶然ね。海老で鯛を釣るとは、
「事故を起こしたのも貴方だったのね! ひき逃げじゃない! そんな事をして許されると思っとるの!?」
「あーうるさいうるさい。そんなに大きな声を出さなくても十分聞こえているわよ」
私は怒りの余り大きな声が出た。悪女は両耳を手で押さえて目をつぶり、わざとらしく首を振っている。私たちを完全に馬鹿にしているようだ。
「今から私の言うことをしっかりと聞きなさい。陽菜ちゃん」
悪女は薄気味悪く微笑んだ後、目をキッとひきつらせた。
「ビデオカメラを私に引き渡して。あれを私に譲るまで、貴方たちは解放しないつもりよ――」
「陽菜ちゃんは病み上がりなのですよ。貴方の起こした事故のせいで、さっきまで意識がない状態だったのですよ」
千代さんが震え声で言うと、悪女はチッと面白くないような顔をした。当然簡単に引き渡すわけにはいかない。悪女は間違いなく証拠を隠滅するつもりなのだから。
「だから今すぐあれを引き渡したら、貴方たちを解放すると言っているじゃない」
「渡しません。絶対に。あなたにだけは渡すつもりはありません」
私がはっきり言うと、悪女は隣にあった花瓶を持ち上げ、ガシャンと床に叩きつけた。大きな音が部屋中に響き渡る。そしてまた奇妙に笑い始めた。
「いいわ。どこまで耐えれるかな。私に渡すと言うまで、貴方たちはずっとこのままよ。もちろん食事は一切なし。トイレはあの男たちに言って、縄を解いてもらいなさい。我慢対決スタートね」
「待ちなさいよ影山京子!」
春花さんが出ていこうとする悪女を引き止めた。悪女が面倒くさそうに振り返る。
「何よ。渡す気にでもなったの?」
「そこでじっとしてなさい」
「は?」
「春花様」
春花さんが目を瞑り、深呼吸をし始めた。悪女は怪訝そうに春花さんを見ている。隣の千代さんがおどおどし始めた。
そして春花さんは、念仏のようなものを唱え始めた。周りから、黒い煙が渦を巻いて広がっていく。そして目をキッと見開いた。視線は悪女の方に向いている。
「これが私から、あんたに下す罰よ」
「え? いや、いやーん」
悪女の顔が青ざめている。春花さんの呪いだ。悪女の体は、石のように硬直し始める。そしてバランスを失い、バターンとその場に倒れこんだ。殺虫剤をかけたゴキブリのように、手足をばたばたさせている。
動かしにくい顔を無理矢理動かして、悪女は春花さんを睨みつけた。
「――このクソ女。やってくれたわね。今回のことは、な、何倍にもして返してやるから」
「それは無理よ。この呪いは私やないと絶対に解けん。私の呪いの力を舐めるんじゃないわよ。あんたが罪を認めて自首するんなら、解いてあげてもいいわよ」
「自首? 絶対しないわ。あんたの呪いなんか……。あんた如きの呪いなんか、じ、自力で解いてやる」
悪女は、麻痺して動かせない体を無理に動かそうとして、真っ赤な顔をしている。春花さんはそれをジッと見続けていた。その光景は、罰を与えられた罪人と、罰を与えた美しき女神のようだった。
*
それからしばらくして、日の入りが近づいてきた。空がオレンジ色に染まっていく。
私たちは、キツく縛り上げられた縄を必死で解こうとしていた。悪女は動き回って疲れ果てたのか、ぐったりと横になって何も話しかけてこない。
「ほどけたわ」
春花さんの縄が解けたようだ。
「あなた達の縄も今解くわ」
春花さんは、次に千代さんの縄を解き始めた。一人が解けたなら、もうこちらのものだ。
十秒も経たないうちに、千代さんの縄が解けた。
「陽菜ちゃんの縄を解いてあげて。私は美由紀ちゃんの縄を解くけん」
「分かりました。春花様」
千代さんと春花さんが、私たちの縄を解き始める。これで全員の縄が解ける。後はここを逃げ出すだけだ。
するとその時、静かだった悪女がボソボソとしゃべり始めた。
「あんた達……。外に逃げれると思っているの?……外には男たちがいるのよ」
「心配無用。ちゃんと逃げ出すけん大丈夫よ!」
春花さんが見下ろしながら言うと、悪女は悔しそうに私たちを睨みつけた。そんな悪女の横を通り過ぎながら、私たちは部屋を出た。
玄関で靴を取り、向こう側にある裏口へ向かう。玄関に男たちの姿はなかった。
扉の前に立ち、お母さんが裏口の扉をゆっくりと開けた。古くなった扉がギーッと音を立てる。春花さん、私、千代さん、そしてお母さんの順に靴を履き、外に出た。
「私たちの車はまだあそこにあるわ」
春花さんが指さす方に、私たちの乗ってきた車が見えた。まだ同じ場所に止まっている。門の前の出入り口だ。洋館の陰に隠れて、見つからないように見た。
だがあそこには、男たちが二人立っている。男たちが乗っていたワゴン車も、私たちの車の後ろに止まったままだ。
「どうします? 男たちが二人いますよ?」
千代さんが小声で言った。するとその時、私は咄嗟に名案を思い付いた。
「私、防犯ブザーを持っています。私があの草むらに防犯ブザーを投げ入れます。あの男二人の気を逸らしているうちに、私たちは反対側の正面玄関前を通って、門の方に向かいましょう」
「いい案ね。じゃあブザーを鳴らして投げ入れて」
お母さんが感心していて、私は少し誇らしい気分になった。塀の向こう側は一面草むらになっている。私は防犯ブザーを手に持った。そしてブザーの紐を引っ張り、塀の向こうの草むらに投げ入れた。ビーッという音が大音量で周りに響き渡る。
「じゃあ。行くわよ」
春花さんの掛け声で、私たちは正面玄関前に向かった。二人の男たちが、先ほど投げ入れた防犯ブザーの方へ向かう足音が聞こえる。男二人と私たちは、建物を挟んで正反対の場所にいる。だからまだ、私たちが逃げていることは見つかっていない。
「おい! あいつら逃げているぞ!」
あと少しで門の所という時、男たちに見つかってしまった。車までもう少しだ。
車の所まで来た。私たちは急いで車に乗り込む。私たち親子が後部座席に、春花さんが助手席に、そして千代さんが運転席に乗った。
男たちが車の前まで来る。男の一人がドアノブに手をかけようとした時、ギリギリで千代さんが車をロックした。
「大丈夫ですか? 行きますよ!」
千代さんがエンジンをかけ、車を発進させる。男たちが諦めず、ワゴン車に乗り込んでいるのが後部座席から見えた。
「私は運転には自信があります。ですが山道な上に、後ろから追いかけられているので、美由紀さんと陽菜ちゃんもシートベルトをしてください」
「分かりました。千代さん」
私は後ろのシートベルトを手前に引っ張った。隣のお母さんも、シートベルトをしっかり締めている。
私たちの乗る車は、行きに来た道とは反対側の道を走り始めた。先ほどより道幅は広く、舗装されているが、カーブが多いため先が見えにくい。対向車が来て、スピードを出していたら大変なことになる。
だが後ろからは、ワゴン車がギリギリまで接近してきている。千代さんがローギアに切り替えた。
「大丈夫? 千代」
「大丈夫です。春花様」
春花さんが心配そうに千代さんを見た。道は段々とカーブが激しくなってくる。緊張感を持って、ハンドルを握っているのがバックミラーから見えた。
*
木だらけの坂道を下り続け、大きな通りに出た。幸い対向車には、一度も出会うことはなかった。だが後ろからは、まだワゴン車が迫ってきている。
千代さんが左のウインカーを点滅させた。先の道はまだ下り坂になっている。
「このまま町の方に出ます。信号に引っかかったら諦めて退散するかもしれません」
「でも降りてきたらどうするん?」
「大丈夫です美由紀さん。町の方では人が歩いています。人目を気にして、向こうも手荒な真似はしないでしょう」
道は先ほどより広くなり、真ん中には白い破線が引かれている。今度は対向車が来ても大丈夫そうだ。
千代さんが、先ほどより少しスピードを上げ始めた。隣のお母さんは、気にかかる様子で窓の景色を眺めている。
するとその時、急カーブが連続した道に差し掛かった。千代さんの顔が徐々に強張っていく。
「しっかり捕まってください」
「千代。気をつけて」
「分かりました。春花様」
春花さんがシートベルトに手を置く。一つ目のカーブが来た。右の急カーブだ。右の急カーブが終わり、左の急カーブに差し掛かったその時だった。
「キャーッ!」
春花さんが後ろを振り返り、叫び声を上げた。私とお母さんも後ろを振り返る。
私は思わず口を押えた。ワゴン車がカーブを曲がり切れず、下の崖へ落ちていく。そしてドーンという大きな音が山道に響き渡った。
「そんな……。車を一旦止めますね」
千代さんが車を脇に止め、ハザードランプを点滅させた。崖の下が見える。下は川になっていた。だが水はあまり流れていない。
「男たちはどうなったのかしら……?」
お母さんが震え声で言った。
「お母さん……崖の下は川になっているわ」
「怪我どころでは済まされないわね」
私はガードレールの向こうの崖を指さした。お母さんの言う通り、怪我どころでは済まされない高さだ。
春花さんが携帯電話を取り出す。向こうの方から、黒煙が立ち込めているのが見えた。
「駄目だわ。電波が繋がらず通報できない」
「家に戻ってから通報しますか?」
「そうね。反対側やけど遠くはないし。千代お願い」
「分かりました」
春花さんの携帯は圏外になっているようだ。千代さんがUターンして、車を発進させた。
今度は上り坂が続いた。そして黒煙が昇っている方に近づいていった。
「車が燃えている」
私は震える指先をワゴン車に向けた。車から火が出ている。だが中の男たちが、どうなっているのかは分からなかった。
「神様は恐ろしいお方ね」
春花さんも、落ち着いた様子で崖の方を見ている。硬直した男たちに続き、あの男たちにも天罰が下った。私も神様は恐ろしいお方だと、その時思い知らされた。
*
それから私たちの車は、崖から落ちたワゴン車を通り越し、先ほど出てきた坂の激しい道も通り越した。
「着きました」
千代さんの安堵した声が聞こえてきた。それと同時に、春花さんの大きな家が隣に見える。全員無事に、春花さんの家に帰ってくることができたようだ。
「春花ちゃんと千代ちゃん、ありがとう。危険な目に遭わせてしまってごめんね」
お母さんの目元から、一筋の涙がこぼれた。不安や恐怖から解放され、安堵したような涙だった。
「大丈夫よ。美由紀ちゃんが無事で良かった」
「そうですよ美由紀さん。無事で良かったです」
春花さんも千代さんも優しい笑みを浮かべている。
「ありがとうございます。春花さん、千代さん」
私も事故に遭ってから、看病してもらい、お母さんまで助けてもらった。私にとって春花さんと千代さんは、命の恩人だ。
「陽菜ちゃんも無事で良かった。みんな無事に帰ってこれて良かったわ」
春花さんがシートベルトを外しながら、こちらに振り返り頷いた。千代さんが車を止め終わり、ギアをパーキングに戻す。外は既に真っ暗になっていた。
千代さんがエンジンを切る。そして私たちは車から降りた。春花さんが門を開け、順番に玄関の方へ向かった。
「お母さん。無事で良かった」
「陽菜。ごめんね。怖い思いさせて」
「大丈夫よ」
私は玄関の前で、お母さんを抱きしめた。抱きしめた瞬間、安堵して目から涙がこぼれた。
「さあ。もう大丈夫ですよ。入りましょう」
千代さんが優しく、家の中に入るよう促してくれている。私たちはゆっくりと中へ入っていった。
家に入ると、すぐに春花さんが警察と消防に通報した。一方で私と千代さん、そしてお母さんは、リビングのソファに腰を下ろした。
山奥のあの洋館には、身動きが取れなくなった悪女がまだ居るはずだ。たとえ悪女が捕まったとしても、学校には信夫君がいる。私は小林君のことが心配で堪らなくなってきた。
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