第6話 長宮春花

「陽菜ちゃん! 目覚めたのね!」


 目を覚ますと、私は広い部屋のベッドで横になっていた。左前には、知らない女の人が居て、「良かった」と私が目覚めたことに安堵している。左後ろでは、医療用の機械がピッピッと音を立てていた。


 体に痛みが残っていたが、私はゆっくりと起き上がった。


「大丈夫?」


 ゆっくりと起き上がる私を、女の人はしっかりと支えてくれた。彫りの深い顔で、美しく、知的な雰囲気の人だ。


「大丈夫です……。私は一体。ここはどこ? あなたはどちら様ですか?」


 女の人は優しく微笑んだ。


「私は陽菜ちゃんのお母さんの古くからの親友、長宮春花ながみやはるかといいます。ここは、新居浜市別子山よ」


 私は驚いた。長宮さんは、愛媛県で有名な占い師だ。お母さんと長宮さんが旧友だったことは知っている。だが今まで、一度も会ったことはなかった。それにしても何故、私は別子山にいるのだろうか?


「私はどうして別子山に……?」


 事故に遭ってから昏睡状態だった私は、その間に何が起きていたのか分からない。白い車が、私と藤崎君に突っ込んできてから記憶がなかった。


「ここは私の家よ。今までの経緯を話すわね。実は、陽菜ちゃんが事故に遭った前日にね、陽菜ちゃんのお母さんに久しぶりに会ったの。日光屋のカフェで待ち合わせをしたわ」


 私はあの日、お母さんが出かけると言っていたことを思い出した。


「知ってます。前日にお母さんは、長宮さんに久しぶりに会うと言っていました」


「知ってたのね。それでね、お母さんに会った時に、陽菜ちゃんが危機的状況に置かれている感覚が飛び込んできたの。私は霊感が強くて、現在のことは名前、顔、事情、そして状況の四つが分かると簡単に霊視できてしまうの。しばらく会ってない人は、聞かなくても無意識に映像が飛び込んでくることがあるわ」


「無意識にですか?」


「そうなの」


 長宮さんは、私が危機的な状況に置かれていることを明確に予測していた。


「それでその事をお母さんに伝えて、『しばらくの間、陽菜ちゃんは私が預かりましょうか?』と聞いたら、お母さんは頷いてくれた。でも翌日に陽菜ちゃんは、事故に遭ってしまった。それから入院していた陽菜ちゃんを、お母さんは自宅に連れ戻した。そして私が、陽菜ちゃんをここに連れてきたっていう流れよ」


「――そうだったのですね。私、長宮さんは霊感が強い占い師さんであることは知っていました。ですが正直、ここまで当たるとは思っていませんでした。あの日私が学校から帰ってきた時、母が言ったのです。近い内に私が大変な目に遭うと。『明日の学園祭も休みなさい』と言われていました。それなのに私は、『明日の学園祭だけは外せない』と言ってしまいました。早い内に手を打っていれば、こんな事にはならなかったのに……」


 長宮さんの言うことを聞いていれば、小林君、藤崎君、そして私もこのような目には遭わなかった。今更手遅れなのは分かっている。それなのに自分の目から、涙がボロボロと溢れてきた。


 そんな私を、長宮さんは優しく慰めてくれた。


「大丈夫。陽菜ちゃんは悪くない。ここにいたらもう大丈夫やけんね」


「長宮さん……」


 私は一気に安心感に包まれた。それと同時に、お母さんと藤崎君のことが心配になってきた。


「お母さんと藤崎君は? 事故に遭った時、私ともう一人男の子がいたでしょう? 二人は無事なのですか?」


 私は不安が込み上げてきた。二人が無事であってほしい。


「お母さんはお家にいるわ。本当はお母さんもここに来てほしいけど、仕事とか色々な都合があるもんね。とにかくお母さんは大丈夫よ。後で陽菜ちゃんの意識が戻ったことを連絡するわ。ただ藤崎君は、まだ病院に入院していて意識が戻ってないみたい」


「藤崎君……」


 藤崎君は事故の時、車に近い側にいた。私よりも被害が大きいのかもしれない。どうか目を覚ましてほしい。心配でならなかった。


「小林君は……?」


「――小林君って誰かしら?」


 そういえば長宮さんは、小林君を知らないのだった。私の好きな彼は、今どうなっているのかしら?


「私と藤崎君ともう一人、小林君という男の子と学園祭の準備をしていました。彼も無事でいてほしいです」


 私は、大きな窓から見える山と青空を見ながら言った。ここはとても美しい。事件や事故が本当に起きたのか、疑ってしまうほどだ。


「無事でいてほしいわね。私は陽菜ちゃんを守ることしかできない……」


 もどかしそうで、残念そうな顔をする長宮さん。長宮さんは、本当に私たちのことを心配してくれているのだと改めて感じた。


「春花様。失礼します」


「入っておいで」


 その時、もう一人別の部屋から女の人が入ってきた。


「陽菜ちゃん! 目覚めたのね!」


 長宮さんよりは、少し若い感じの人に見える。女の人は明るい声で私に話しかけてきた。


「紹介するわね。私の占いの助手であり、この家の家政婦でもある千代ちよよ」


「初めまして。春花様の助手であり、家政婦もしています。千代です。よろしくね!」


「池野陽菜です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 私は自分の名前を言った後、千代さんにお辞儀をした。千代さんは太陽のように元気で、明るい雰囲気の人だ。


「千代。あれを持ってきて。それからお粥とお水も」


「分かりました」


 あれとは一体何なのだろうか? 千代さんが頭を下げて部屋を出ていった。


「あ、別に私のことは、様を付けて呼ばんでも大丈夫やけんね。千代はどうしてもやめてくれんけど」


 長宮さんが苦笑した。でも何だか嬉しそうにも見える。


「春花さんでいいですか?」


「いいわよ」


 春花さんはにこっと笑った。するとちょうど、千代さんが部屋に戻ってきた。


「失礼します。これですよね?」


「ありがとう。それよ」


 私は、千代さんが持ってきたものを見て思わず口を押さえた。持ってきたものは、証拠のビデオカメラだった。


「事故に遭った時、陽菜ちゃんはずっとこれを手放さずに持っていたけど、これは何?」


 春花さんの言葉に、手足が小刻みに震え始める。何とも言えない不安と恐怖が悶々としてきた。


「それは……。それは……」


「大丈夫? 陽菜ちゃん? 千代、悪いけどこれ向こうへ持っていって。あ、それから美由紀みゆきさんにも連絡を入れといて」


「分かりました」


 春花さんは、私の様子を見てビデオカメラを下げてくれた。そして、私のお母さんに連絡を入れるよう、千代さんに頼んでくれた。


「大丈夫よ。話せる時でいいけん、またその時に詳しく聞かせてね」


「……大丈夫です。今話せます」


「本当に大丈夫?」


「はい」


 私は不安と恐怖を和らげるために、誰かにこのことを話したかったのかもしれない。気持ちを落ち着かせて、ゆっくりと話していこうと思った。


「実は、私たちが事故に遭う前に、別で事件が起きていたのです。学園祭の出し物で、私たちはスープを作っていたのですが、途中でスープに異物を入れた生徒がいました。その生徒は、恐らく毒物を入れていたのでしょう。あのビデオカメラには、その一部始終が映っています」


「なるほど。別でも事件が起きてたんやね」

 

「はい。そうなんです。それでその時、私はビデオカメラの充電器を失くしていて、充電をするのも忘れていました。証拠の撮影は全てできましたが、先生に見せる前に充電が切れました。すると藤崎君が、偶然私のビデオカメラと同じ充電器を持っていて……。急いで借りに行っているところ、事故に遭いました」


「なるほど。視えるわ。異物を入れよったのは男の子でしょう? 陽菜ちゃんが充電器を失くした時も、同じ男の子が視える」


 この時、充電器も信夫君が盗っていたことが判明した。


「この子はクラスメイト? 嫌がらせを受けよったの?」


「クラスメイトです。影山信夫という子で、PTA会長の息子なんです。充電器まで盗んでいたなんて……。変わった子で、私も少し警戒していました。クラスの子たちも距離を置いていましたね」


「こんなことをするなんて、とんでもない子ね。もしかしたら事故も、このスープの事件と関連しとんやない?」


「……分かりません。心当たりがないです」


 私は小さなため息をついた。


「失礼します」


 千代さんがお粥とお水を持って入ってきてくれた。


「ありがとうございます。千代さん。春花さん」


「食べれるだけでいいけんね」


 千代さんが笑顔で言った。春花さんがベッドの上に小さな机をセットし、千代さんがその上にお粥を置いてくれた。お粥の良い匂いが、周りに広がっていく。


「いただきます」


 口に入れると、卵の風味がふわっと口の中に広がった。


「美味しいです!」


「良かった嬉しい!」


「良かったね陽菜ちゃん」


 千代さんも春花さんも嬉しそうだ。その様子を見た私は、幸せな気分になった。


「春花様。美由紀さんの携帯に連絡を入れましたが、出られませんでした。留守番電話に切り替わったので、そちらにメッセージを残しております」


「ありがとう。美由紀さんは昼間仕事をしよるけん、夕方ごろに折り返し電話がかかると思うわ」


「分かりました。では失礼します」


 千代さんが部屋を出ていった。お母さんに連絡を入れてくれたようだ。ところで今は昼間なのだろうか? この部屋には時計がない。


「春花さん。今は何時なのですか?」


「今は三時頃よ」


 春花さんも曖昧な感じだ。部屋に時計を置かない理由があるのだろうか?


「時計を置かないのは何か理由があるのですか?」


「時計を置いていないのは、この部屋だけなんよ。今日はお休みやけど、普段は占いで結構なお客さんが来て、時間に追われてるの。だから休日は、こうやって大きな窓の景色を見ながら、時間を忘れてゆっくりしているのよ」


「お忙しいのに、ご迷惑をおかけしてすみません」


「大丈夫よ」


 春花さんが私を見て、穏やかに微笑んだ。


        *

 

 しばらくして、私はお粥を完食した。


「ごちそうさま。美味しかったです」


「お口に合ったみたいで良かったわ」


 春花さんがベッドの上の食器を下げてくれた。


 するとその時、廊下からドタドタと足音が聞こえてきた。その直後、勢いよく部屋の扉が開く。


「春花様! 大変です」


「どうしたの?」


 千代さんが血相を抱えている。何かあったのだろうか?


「美由紀さんが、行方不明になったそうです。今テレビのニュースで放送されています」


「何ですって!?」


 春花さんが目を見開いて立ち上がった。信じられない。私は千代さんの言葉に耳を疑った。


「お母さんが? そんな」


 春花さんがリモコンを出し、前にあるテレビをつけた。


 ニュースでは、お母さんの実名が出され、情報提供を呼びかけていた。スープの事件後に、警察がお母さんを訪ねていたのだろう。それで分かったのかもしれないと私は思った。


「春花さん。どうすればいいですか……?」


 見えないところで何かが起きている。私は不安でならなかった。


「――私が霊視で見てみる。もし誘拐だったら、その犯人に遠隔で呪いをかける。それから助けに行くわ。千代、護衛の男の人を五人手配して」


「分かりました」


 千代さんが部屋を出ていった。


「陽菜ちゃんはここで少し待っていてね」


「……はい。どうかお母さんを助けてください。お願いします」


「大丈夫よ。私に任せて。何も心配ないわ」


 春花さんも頷いて部屋を出ていった。私は不安が軽くなると同時に、春花さんが逞しく見えた。


        *


 五分後、春花さんと千代さんが部屋に戻ってきた。


「霊視で視えたわ。ここから三十分の場所に、陽菜ちゃんのお母さんは監禁されとる。中に男が三人いるわ。でも大丈夫。男には呪いをかけて動けないようにしている。それに、お母さんはまだ傷つけられたりはしていないわ」


「そんな……監禁ですか?」


「今から私と護衛の人で、お母さんを助けに行ってくるわ。陽菜ちゃんは千代と留守番していて」


「私も行きます。お母さんが心配でなりません。お願いです。連れていってください」


 私は居ても立っても居られなかった。


「でも危険よ。遠隔の呪いは、人によってかからない場合もあるの。もしものことがあったら大変だから」


「それでも私は行きたいです。春花さんのそばから離れません。お願いします」


 春花さんは困惑したような顔をしたが、隣の千代さんが催促してくれた。


「分かったわ。私のそばから離れないのよ」


「ありがとうございます。春花さん」


 それから私たちは、急いでお母さんを助けに向かった。玄関で靴を履き、そのまま外に出る。


 外に出ると、千代さんが玄関の鍵を閉めた。空は快晴にもかかわらず、やや強めの風がヒューヒューと吹いている。

        

 カーポートに軽自動車が止まっている。千代さんがその軽自動車の運転席に乗り、私と春花さんが後部座席に乗った。


「護衛の男の人たちとは、途中で合流するけんね。占いの館が混雑した時に、警備してもらっている人たちやけん大丈夫よ」


「分かりました千代さん」


 千代さんがエンジンをかけながら私に言った。


 それから春花さんがナビとなり、千代さんに道案内をし始めた。


        *      


 しばらく狭い山道を通っていると、マチュピチュが見えてきた。だんだんと道幅が狭くなる。そしてカーブも激しくなり始める。周りは木以外何もない。時々橋が架かっていて、小さな川に透き通った山の水が流れている。目的地に近づいているのだと思うと、不安が込み上げてきた。


「あの人たちね。護衛の人は」


 春花さんの指さす方に、突如一台のワゴン車が現れた。待避所のような場所で、ハザードランプを点滅させている。春花さんが後部座席の窓を開けた。


「お疲れ様です。護衛の方達ですね?」


 ワゴン車の運転席は、カーテンが閉まっている。誰が乗っているのか見えない状態だ。


「そうです。急いで向かいましょう」


「分かりました。お願いします」


 春花さんが窓を閉めて、車が出発した。後ろからワゴン車がついてきているのが見える。だがフロントガラスが反射して、誰が運転しているのか全く見えない。


「春花さん。運転手の顔が見えなかったですが、大丈夫なのですか?」


「大丈夫よ。あの人は、いつも私の占いの館を警備してくれている人の声やったけん、心配ないわ」


「……そうですか」


 本当に大丈夫なのか。私は何となく腑に落ちなかった。


「もうすぐで目的地よ」


 春花さんの緊張した表情を見て、私は心の準備をした。もうすぐで、お母さんが監禁されているところに到着する。


 草むらが生い茂り、整備されていない道路が続いていたが、急に広い砂利道に出た。


「ここですね。春花様」


「そう。ここよ」


 左横に、突如大きな洋館が現れた。かなりの年数が経っているのが分かる。敷地には草がたくさん生えており、建物の周りはつる植物で覆われていた。どうやらバブルの時に建てられたもののようだ。


「陽菜ちゃんは千代とここで待っといて。私と護衛の人で行ってくるけん」


「分かりました」


「春花様気をつけて」


 春花さんがドアを開けたその時、護衛の男二人が突如現れ、春花さんを引きずり降ろした。


「きゃー!」


「春花さん!」


「春花様!」


「女三人とも捕らえて建物にぶち込め」


「やめて! 誰か助けて!」


 千代さんが大声を出したが、山の中だ。誰も助けには来ない。


「……あなた。裏切ったのね」


 春花さんが、男の内の一人を睨みつけた。私と千代さんも車から引きずり降ろされる。そして、古びた洋館の中へと連れていかれた。


 玄関前の取れかけた表札が、風でゆらゆらと揺れている。薄く消えかけているが、そこには確かに「影」という文字が刻まれていた。

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