第5話 腐れ縁
「そこで座って待っていなさい」
僕は本村に応接室へ呼び出された。服も靴もずぶ濡れである。
不安と恐怖に押しつぶされそうな気分で、ソファに腰を下ろした。将太と池野さんが無事でいてほしい。とにかく心配でならなかった。
毒入りスープを飲んだ三人の生徒は、救急車で病院に運ばれた。その影響で、学園祭の出し物は全学年中止となったのだ。皆が下校した校舎に、僕は一人残されている。
外の雨は、さらに激しさを増していく。地面を突き破るかのような勢いで。
「小林君ね?」
「はい……。そうです」
本村が、教頭の森田純子先生を連れてきた。教頭先生が入室した後、本村が応接室の扉を閉める。
「小林君、何があったのか説明してくれない?」
教頭先生が、優しい声で僕に言ってくれたから安心した。だがその隣に座っている本村は、僕を睨みつけてくる。僕は再び不安な気持ちに突き落とされた。
「今日の朝、僕と藤崎君と池野さんで準備をしていました」
「事故にあった藤崎君と池野さんね」
教頭先生は、僕の言うことに真剣に耳を傾けてくれている。
「それで準備が完了して、記録のためにビデオ撮影を始めました。その時、池野さんがビデオカメラを持ってきていたのですが、彼女は充電するのを忘れていました。そして充電器も持ってきたはずなのに、途中で失くしてしまったようで……。たまたま藤崎君が池野さんと同じ充電器を持っていて、充電がある限りで撮影しようという事になりました」
「それで撮影中に充電が切れたから、藤崎君と池野さんは充電器を取りに帰ろうとしていたということ? 学校の外へ許可なく出てはいけないはずよ。どうして二人を止めなかったの?」
「本村先生」
本村が僕にきつい口調で言った。そんな本村を教頭先生が黙らせてくれた。
僕はあの時、二人が充電器を取りに帰るのを止めれば良かった。そうすれば事故は起こらなかったのだ。激しい後悔が僕を襲う。
「撮影は最後までできました。ただ、撮影中にスープに毒物を入れた生徒が映ったので……」
本村と教頭先生が目を見開いた。これで信夫の名前を出せば、あいつは終わるだろうか? 今回もまだ証拠がない状態だ。
「誰なの? その生徒は」
教頭先生が身を乗り出してきた。
「影山君です」
信夫の名前を出すと、教頭先生も本村も驚いた顔をした。
「影山君って、PTA会長の息子さんじゃ……。今すぐ影山君をここに連れてきて」
教頭先生の言葉で、本村が応接室を出ていく。そして教頭先生は、僕の方に向き直った。
「それで小林君たちは、そのビデオカメラに映った証拠を本村先生に見せようとしたけど、充電が切れていたから、藤崎君と池野さんが充電器を取りに帰ったということね?」
「はい……。そうです……」
僕は目から涙がボロボロと出てきた。自分の心が悲鳴を上げ始めている。
「大丈夫。あなたのせいじゃない。あなたは何も悪くないけんね。とにかく一緒に、この事件を解決していきましょう」
教頭先生の優しさに更に涙が溢れてきた。するとその時、応接室のドアがノックされ、本村と信夫が入ってきた。
「失礼します」
信夫が深々と頭を下げる。先ほどとは違う態度に、僕は腹が立った。
「影山君。小林君の隣に座りなさい」
教頭先生が、先ほどとは打って変わって、厳しい口調で信夫に言った。信夫が僕の隣に座る。そして本村も、再び教頭先生の隣に腰を下ろした。
「先ほど起きたスープの事件で、影山君に聞きたい事があります。嘘偽りなく正直に答えて」
「はい」
教頭先生の言葉に、全く動揺せずに信夫は返事をした。前に僕が殴った時もそうだ。悪いことをしても平然としている。
「あなたがスープに毒物を入れたの?」
教頭先生は率直に信夫に聞いた。また嘘をつくのか? 僕は固唾を飲んだ。
「いいえ。僕はそんな事していません」
平然と嘘をつく信夫。教頭先生の顔が一気に曇った。
「そう? そしたら小林君が嘘をついていると言いたいの?」
教頭先生が大きな声で信夫に聞いた。
「はい。そうです。僕は小林君に嫌われています。だから小林君は、僕に濡れ衣を着せようとしているのだと思います」
「いい加減にしなさい!」
教頭先生が、今までに見たことのない剣幕で怒鳴った。隣で聞いている僕も、限界がきて信夫に言った。
「僕、お前がスープに毒物を入れよったの見たんやけど。それにビデオカメラに全部記録は残っとんやぞ」
「ちょっといいですか?」
黙って聞いていた本村が、急に話し始めた。
「その証拠は藤崎君と池野さんが持っているのでしょ? それじゃあ影山君がしたという証拠も、今はないということですよね?」
そう。どれだけ声を
「本当に……。僕はしていません……」
本村の助け舟をいいことに、信夫が泣くふりをし始めた。呆気に取られた僕は、そんな信夫をじっと見つめた。
「じゃあ警察を呼びましょう。本村先生、通報してきて」
「……分かりました」
本村が立ち上がって応接室を出ていく。学校のイメージが下がるため、極力警察は呼びたくないのだろう。最終手段に入ったようだ。
*
十五分が経過した頃、警察が学校に来た。
スープに入っていた毒物は、大量のトリカブトの成分だったことが分かった。スープはその後、押収された。
そして僕、信夫、教頭先生、本村は、事情聴取を受けることになった。教頭先生と本村の後に、僕の番がきた。先ほどの応接室の扉をノックする。
「失礼します。小林です。お願いします」
「私は刑事の
「お願いします」
中には男の人が二人いた。警察の人は怖いというイメージがあったが、大野さんも田中さんも話しやすい雰囲気の人だ。
僕は先程の入って右側のソファに腰を下ろした。
「教頭先生と本村先生から聞きました。あなたが学園祭の企画長をしていて、今日、副企画長の池野さんと友達の藤崎さんと準備をしていた。それで記録のためにビデオ撮影を始めると、毒を入れていた影山さんが映り込んだ。ここまでで間違っているところはありませんか?」
「ありません。その通りです」
大野さんは、いきなり本題に入った。隣の田中さんは、一生懸命メモを取っている。
「ビデオの撮影が終わった後に、カメラの充電が切れたのです。そのカメラは池野さんの物でした。彼女は充電器を持ってきていたのに、途中で失くしたと言ってました。藤崎君が、偶然池野さんと同じ充電器を持っていて、二人は取りに帰りました」
「それで二人のうちのどちらかが、カメラに映りこんだ影山さんのデータを持ったまま、事故に遭ったということですね?」
「はい。そうです」
隣でメモを取っていた田中さんが、顔を上げて言った。刑事の人は話の飲み込みが早い。
「分かりました。今日中に藤崎さんと池野さんのご家族にも会うことにします」
田中さんが真っ直ぐ僕を見て言うと、大野さんも頷いてくれた。
「ありがとうございます。お願いします」
「他に何かありますか?」
大野さんが僕に聞いてきた。
「実は……事故の犯人ですが、僕は影山信夫の母親である影山京子を疑ってます」
「何か疑わしいところがあるのですか?」
「はい。ビデオカメラに影山信夫が映り込んだ時、影山京子がそれを一部始終見ていたようで。もしかしたら証拠を消したくて、彼女が事故を起こしたのかもしれません。影山京子は、息子の事になると態度が豹変する一面を持っています」
大野さんが難しい顔をする。そして僕の方を見た。
「分かりました。事故の件も、今回のお話を参考にさせていただきます。ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
応接室を出た。一通り話をして安心していると、前から信夫がきた。そして信夫は、僕を見るなりキツい目で睨みつけてきた。
「お前は絶対僕を倒せんやろうな。証拠なんて僕と母さんがなんとしてでももみ消してやるけんな。目障りなお前はさっさと消えろ」
「そうはさせるか。罪を犯した奴はいずれ罰を受ける。天が怖くないんか? 絶対に許さんけんな。お前ら一家こそさっさと消えてくれ」
信夫の言葉に、横領事件の時のような殴りたい衝動に駆られた。だがここで殴ったところで、何も変わらない。むしろ僕が悪者になってしまう可能性がある。
――復讐を成し遂げるために、こいつを一刻も早く刑務所送りにしよう
僕と信夫は、互いに睨み合った。そして信夫は、応接室の中へ入っていった。
*
信夫の事情聴取が終わり、教頭先生、本村、信夫、そして僕は再び応接室へ戻った。大野さんと田中さんは、帰っていった。
「やはり小林君と影山君の言っていることに、矛盾が生じているみたい」
教頭先生がため息をついた。
隣の信夫は、また平然とした顔をしている。事情聴取で嘘を言ったのだろう。
その時、応接室の扉がノックされて、事務の先生が入ってきた。
「失礼します。小林君と影山君のお母様が来られました」
ついに母さんが来たようだ。それに影山京子も来ている。
「お通しして」
教頭先生が言うと、母さんと影山京子が入ってきた。近くでよく見ると、影山京子の化粧がとても分厚い。見るからにキツい人という感じだ。
「失礼します。私たち親子と影山さん親子の四人で、直接話がしたいです」
「分かりました。では私たちは失礼します」
母さんが強気で言うと、本村は教頭先生と一緒に出ていった。
そしていよいよ、直接対決が始まった。お互いの親子が向かい合って座る。
「話は先程本村先生から聞いております。信夫君が、出し物のスープに毒を入れたそうですね。どういう事なのかしっかり説明していただけますか?」
母さんがキツい口調で、影山親子に聞いた。
「うちの子が毒を? 何を言っているのですか? うちの子はそのような事をしません。証拠か何かあるのですか? でたらめな事を言わないでください」
その時、応接室の扉がノックされた。事務の先生が、温かいお茶を四つ入れてきてくれた。
お茶を順番にテーブルの上に置いていく。そして心配そうに僕たちを見ながら、お辞儀をして部屋を出ていった。
「うちの広樹が全て見ているのですよ」
事務の先生が出ていった後、母さんが話を続けた。
「あなた達ご家族は、老舗の百貨店を営まれているようですが、子育ての仕方は最悪なのですね。証拠の無い状態で騒ぎ立てるなと言ってるんですよ!」
影山京子が、途中声を荒らげた。信夫は隣で黙って、僕と母さんを睨みつけてくる。
「あの……。いいですか?」
僕は冷静に口を開いた。
「僕は学園祭で企画長をしていました。学園祭の前日に使った学校のお金を集計して、本村先生に提出したのですが、その際にお金が一部無くなっていました」
「ちょっと。そんなこともあったの? どうして母さんに言ってくれなかったの?」
母さんが心配そうに僕を見る。
「それで? それがどうしたというの?」
影山京子が僕を睨みつけてきた。信夫も狐のような目で、ずっと僕を睨んでくる。
「僕が本村先生に怒られているところを、信夫君が嘲笑ってくるので直接聞きました。すると信夫君は堂々と、『僕がお金を横領した』と白状しました」
「はあ? そんな事言ってねぇし」
信夫がまた嘘をついた。
「まあ親子揃って私たちを陥れようとしているのね。親が親なら子も子ね。このクソ親!」
「熱い」
「母さん!」
その時、影山京子が出されていたお茶を母さんにぶっかけた。僕の怒りは限界に達した。
「このクソババア! 証拠があろうとなかろうとやったのは信夫なんだよ。母さんによくもやってくれたな!」
「広樹やめて!」
母さんに止められたが、今度は僕が影山京子にお茶をぶっかけた。
「熱い。このクソガキ!」
「母さんによくも!」
信夫と影山京子が、反撃しようとしてきた。つぎに僕は、信夫の分のお茶を素早く奪い信夫に、最後に母さん分のお茶を再び影山京子にぶっかけた。二人は「熱い」と散々に騒ぎ立てている。
「どうしたのですか?」
騒ぎを聞きつけた先生たちが入ってきた。
「この子が私たちにお茶をかけてきたのよ!」
影山京子が叫んだ。
「最初にかけてきたのはあなたでしょう? 今日は帰ります。どいてください。広樹も帰るわよ」
母さんは先生たちを押しのけて出ていった。僕もその後に続いて退出する。結局その日は何も解決しなかった。
*
「広樹。母さんのためを思ってくれたのは有難いけど、仕返しなんてしちゃ駄目よ。あの人たちと同じになってしまうやん」
帰りに母さんが車を運転しながら言った。
「あいつら嘘ばっかり言うもん」
「心配せんでも時間の問題よ。警察にも相談したんやろ? 必ず天罰は下るよ。それに何かあったらすぐに母さんに言うんよ」
母さんの水色のスーツは、肩の方が緑茶の色で染まっている。首に付けている真珠のネックレスにも跡が付いていた。
「……わかった。母さん仕事は?」
「今日は早退した」
「そうやったんや……。ごめん」
「大丈夫よ」
僕は母さんに申し訳ない気持ちになった。同時に信夫と影山京子に怒りを感じた。
だが嘘をついても、あいつらは時間の問題だ。一刻も早く腐れ縁を断ち切りたい。
しかしあまりにも、二人が冷静だったことも気になる。また何かをするのか? 僕はとても不安だった。
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