第4話 学園祭毒入りスープ事件

 火曜日。遂に学園祭の当日になった。僕と池野さんと将太は、早くに学校に集まった。他の子たちはまだ来ていない。


「食材と道具はこれでバッチリよね?」


 食材が入ったクーラーボックスと、道具が入っているトレーを交互に見ながら僕は言った。


「大丈夫。これで全部揃っとるよ。ただ天気が少し心配やね」


 池野さんが空を見ながら不安そうな顔をした。ドス黒い雲が、青い空を完全に塞いでいる。外が会場の企画は、雨が降ったら中止になってしまうのだ。


「それなら大丈夫やで! 俺晴れ男やけん」


 将太が僕たちを元気づけようとしたのか、自信満々の顔で言った。


「任せたよ! 晴れ男の将太君」


 池野さんが笑顔で将太に言った。


「ごめんな将太。こんな朝早くに来てもらって」


「大丈夫やて。友として当然のことをしたまでやけん」


 当日まで早く来てくれた将太に、僕は申し訳ない気持ちになった。僕は本当にいい友達を持ったと思った。


「ありがとう将太君。当日を無事に迎えられたのも、将太君が手伝ってくれたおかげよ」


「全然いいよ。それより学園祭終わったら飯いこうぜ!」


「僕めっちゃ楽しみやわ」


「私もすごい楽しみ」


 それから僕たちは、本番の下準備を開始した。僕は皿やお箸を机の上に置く。将太と池野さんは、食材の入った袋を開けていた。


 僕は先の楽しみを考えると、とてもモチベーションが湧いてきた。もう昨日の信夫の横領事件など、どうでも良い。


 スープに素と材料を入れて、火をつける。人参スープ、玉ねぎたっぷりコンソメスープ、かぼちゃスープ。それぞれの鍋を、僕はゆっくりと順番に混ぜていった。


        *


「じゃあ、活動の記録を残すためにビデオを撮っとこうか」


 コンロが大きいため、それぞれのスープの良い匂いがすぐに周りへ広がった。池野さんが、ビデオカメラをバックから取り出す。


 僕は一旦スープの火を止めて、鍋に蓋をした。活動の記録を残すために、ビデオカメラで会場の様子を撮影することが、この学校の決まりになっている。正直何の意味があるのか僕には分からない。


「しまったわ。充電が十パーセントしかない」


「充電器ある?」


 池野さんは、ビデオカメラを充電するのを忘れていたようだ。僕は池野さんに充電器があるかどうか聞いた。


「充電器入れてきたはずやのに入ってない……」


 池野さんは、バックの中を探りながら充電器を探している。だが無くしてしまったようだ。池野さんは困ったように目を固く閉ざした。


「そのカメラ俺も持ってるぜ」


「ほんと!?」


 どうやら将太が、池野さんと同じカメラを持っているようだ。


「ただ、機種が合わんかったら充電できんかもしれん。充電がある限りで撮影して、途中で切れたら充電器を取りに帰ろうぜ」


「分かったわ。ごめんね将太君。じゃあ撮影しようか」


 僕たちはスープ会場から少し離れた。そして池野さんが、ビデオカメラを会場に向けた。


「何なの。これ」


 池野さんが、ビデオカメラの画面を見ながら顔をしかめている。僕と将太が画面を見ると、そこには信夫の姿が映っていた。


 手袋をして何かを持っている。僕たち三人は、同時にカメラの向こうにいる信夫を見た。


「何かをスープの中に入れよる」


 将太が信夫の所に行こうとした。


「待って。証拠を残しとくためにも、一部始終をカメラに写してからにしましょう」


 池野さんがビデオカメラをアップにした。灰色の粉状のものを入れている。もしかしたら毒物かもしれない。


――お前一人なんか簡単に消せるんやけんな


 この前信夫が言っていたことを思い出した。とんでもなく恐ろしい奴だ。僕たちをさらに陥れるつもりなのだろう。僕は心の底から恐怖を感じた。


 このままじゃ警察沙汰の大事件になる。早急に本村に動画を見せて、この学校から信夫を追い出さなければならない。


「あいつとんでもない奴やな」


 将太が言うと、信夫はカメラの画面から消えた。灰色の異物を全部のスープに入れ終わったのだ。信夫は、僕たちがここにいることに終始気づいていなかった。


 池野さんが録画終了ボタンを押した。


「池野さん、本村にこの動画を見せよう」


 僕は焦りを隠せず早口で言った。


「そうね。じゃあ私と将太君でスープはどうにかするけん、小林君はカメラを早急に本村先生の所に持っていって」


「わかった」


 僕はカメラを持って職員室の方へ向かった。早くしないと充電が切れる。だがこれで信夫は終わりだ。僕は焦る気持ちを抑えて、ひたすら走り続けた。


        *

 

 職員室に入り、本村の机を見た。だが本村の姿がない。


「クソ」


 僕は再びスープ会場へと走った。一体全体、本村はどこへ行ってしまったのだろうか? 心の中の不安が拡大していく。


 裏口で靴を履き、急いで外へ出る。数段の階段を降りると、会場が見えてきた。


「どうやった?」


 池野さんが駆け寄ってくる。将太もスープ会場の奥から、こちらに向かって走ってきた。


「本村おらんかった」


 本村がいないと聞いた池野さんも、焦りを隠せない顔をした。


「どうしよう。困ったわね。充電はまだ残ってるかしら?」


 僕は慌ててビデオカメラの電源ボタンを長押しした。だが、画面が真っ暗なままで反応しない。


「充電切れたみたいやな」


 将太も不安そうな顔をした。


「充電器を取りにいくか」


「そうね。急ぎましょう」


 将太と池野さんは、充電器を取りに帰るようだ。確かにまだ、学園祭の始まりまでは時間がある。


 僕は将太にビデオカメラを渡した。


「スープはどこに置いたん?」


 机の上には、ガスコンロと食器が置かれているだけで、スープが影も形もなかった。僕は不安になり、将太にスープの場所を聞いた。


「裏に置いとるよ」


 テントの中に置いている荷物の後ろ側に、スープの鍋が三つ置かれている。こちらから見ても目立たない。誰かが口にする心配は、一先ずなさそうだ。


「分かった。ありがとう」


 その時、校内放送が流れた。学園祭の企画長の招集放送だった。


「じゃあ、私たちは充電器を取りにいってくるわね」


「後は任せたぞ。広樹」


「わかった。気をつけてね」


 池野さんと将太は、そう言い残して自転車置き場に向かった。今日は二人とも自転車で来ていて良かった。僕は二人を見届けて、招集の教室に向かおうとした。


 するとその時、右横に一人の女性が立っていることに気づいた。その人は、信夫の母親である影山京子だった。目が合うと、影山京子はにこっと笑った。僕は無視する訳にもいかないので、軽く頭を下げた。


――もしかして、母親が信夫に異物を入れるように指示したんか? それに今の会話、全部聞かれとったかな?


 様々な不安が心の中に浮かんだ。だが、「大丈夫や」と自分に言い聞かせて招集の教室へと急いだ。


        *

 

 会議を三十分ほど行い、各自の持ち場に戻ることになった。スープ会場に異変がないか、とても心配だ。教室の裏口で靴を履き、走って持ち場に向かう。


 会場に戻ったその時、僕はとんでもない光景を目にした。三人のクラスの生徒がうずくまって倒れている。苦しそうにお腹を押さえていた。


 それを囲むように何人かの生徒が立って騒いでいる。スープを口にしてしまったようだ。あれだけ目立たない所に隠しておいたのに、彼らは見つけてしまったようだ。僕は途轍もない恐怖に襲われ、その場で固まってしまった。


「ちょっと。ここでも一体何があったの?」


 本村は確かに「ここでも」と言った。一体他に何があったのだろうか?


「先生……。何があったのですか?」


 僕は震え声で本村に聞いた。


「自転車に乗っていた藤崎君と池野さんが、自動車とぶつかって救急車で病院に運ばれたわ」


 本村が言った言葉に、僕は気が遠くなりそうになった。さっきまでここで一緒に準備をしていたのに。信じたくなかった。嘘だと思いたかった。


「この子たちの救急車も呼ぶから、あなたはここで待っていなさい」


 気持ちの整理が全くつかない。影山京子があそこに立っていたことも、気になってしょうがなかった。彼女が意図的に事故を起こしたのか? 考えたくなかった。


 その時、急に空から大雨が降り始めた。制服に当たる雨水が、僕を容赦なく叩きつけてくる。だが僕は、その場から動けなかった。


 テントの中から視線を感じた。信夫だった。信夫は勝ち誇ったように笑っていた。ただただ気味悪く。冷酷に。

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