第3話 最初の手口
学園祭本番まであと四日となった金曜日。僕と池野さんと将太は、放課後に僕の部屋で買い出しの計画を立てていた。この学校では、計画から片付けまでの大半を、企画長と副企画長がするのが暗黙のルールになっている。将太は、僕たちを手伝ってくれていた。
先週の土曜日の企画決めで、スープを作ることになったのだ。スープは三種類。人参スープ、玉ねぎたっぷりコンソメスープ、かぼちゃスープだ。クラスでの話し合いの結果、午前と午後で二回作って、なくなり次第終了と決まった。
「小林君家の日光屋は野菜も売っとるん?」
池野さんが僕に聞いてきた。
「ち、地下の食品館に売っとるけど、値段がスーパーより高いよ。予算高くなることない?」
池野さんと話すのは、未だに緊張する。心臓のポンプが速く波打ち始めた。隣の将太が、横から軽くひじ打ちをしてくる。
「大丈夫。スープって、素と具材だけやけん結構安い値段で作れるんよ。やけん少々高くても、予算内にはかなりの余裕で収まるわ。スープの素は、ネットの通販で購入したけん明日には私の家に届く。野菜なんかの具材は、日光屋で購入するのはどう?」
「そうか。じゃあそうしよう。わざわざうちのデパートを選んでくれてありがとう」
学園祭で学校から支給してもらっている額は、ひとクラス五万円だ。池野さんは余裕を見越して、日光屋を選んでくれたのだ。僕はますます彼女のことが好きになった。
「さすが池野さんは先のことも考えとってすごいな。企画長、お前もしっかりしろよ」
将太が冗談で僕をからかうと、池野さんがクスクス笑った。
「小林君もとてもしっかりしとるよ。私、小林君が企画長で本当に良かったと思っとるわ」
僕は好きな人から嬉しいことを言われて、顔が熱くなった。また将太が僕をつついてくる。
「あ、ありがとう池野さん。僕も副企画長が池野さんで良かったよ」
何だか新婚の夫婦が、お互いに貴方と結婚して良かったと言っているみたいで、余計に恥ずかしくなった。
「ちょっとトイレに……」
僕は逃げるように部屋を出ていった。心臓がバクバクして全身から汗が出てくる。暑くてたまらない。これが恋の病というやつなのだと改めて実感した。
「コウ君。誰か来ているの?」
下から時さんの声がした。そういえば時さんは、さっき奥で電話していた。池野さんと将太が来ていることを知らなかったのだ。
「友達が二人来とるよ」
「そうだったの。ジュースとお菓子を三人分持っていくわ」
「ありがとう」
僕はトイレに入らず部屋に戻った。
「大体の計画が固まったよ。紙カップと小さいスプーンは、百円ショップに買いに行く。包丁とまな板、ガスコンロとスープを入れる大きい器、おたまは誰かの家のを借りる。どや?」
将太と池野さんは、あの間に計画を固めてくれたようだ。将太は手伝ってくれて本当にありがたい。
「二人ともありがとう。本当に助かったよ」
「あー。後でたっぷりお礼してもらうぞ」
将太が冗談を言って笑いが起きた。
「賑やかね。あら将太君こんにちは」
時さんが、僕たちのためにりんごジュースとお菓子を出してくれた。
「こんにちは。時さんお久しぶりです」
将太が軽く会釈した。将太は、僕の家によく遊びに来るから時さんも知っている。
「こちらの可愛いお嬢ちゃんは、コウ君の彼女さんかしら?」
時さんの言葉に、僕は心臓が飛び出しそうになった。同時に間違えられて嬉しい気持ちもある。池野さんも少し動揺しているように見えた。
「こんにちは。私たち学園祭の計画を立てています。小林君が企画長で、私が副企画長の池野陽菜と言います。小林君とはクラスメイトです」
池野さんが笑顔で時さんに言った。将太が可笑しさを抑えられず笑っている。
「池野陽菜さんね。とてもしっかりしているし可愛いわね。コウ君をよろしくね」
「はい。こちらこそ」
時さんが「よろしく」と言ったのは、企画長としてのよろしくか、後々の彼女としてのよろしくなのか、よく分からなかった。それにしても池野さんは、僕のことをどう思っているのか? 女の子はとても分かりにくい。
「学園祭懐かしいわ」
時さんがりんごジュースとお菓子を置きながら、懐かしそうに言った。
「あなた達とても頼もしいわね。私も応援してるからみんな頑張ってね」
「ありがとう。時さん」
「「ありがとうございます。時さん」」
僕たち三人がお礼を言うと、時さんは笑顔を浮かべながら部屋を出ていった。
「時さんはいつも優しいな」
将太が少し羨ましそうに笑いながら僕に言う。将太の家はシングルファザーだから、お母さんがいないのだ。時さんのような存在に憧れるのだと思う。
「私もなんか元気が出てきた」
池野さんも笑顔だった。二人とも時さんから明るいパワーを貰ったようだ。その時僕は、ずっとこんな時間が流れれば良いのにと思った。
「それじゃあ、この勢いで買い出しに行くか」
将太が僕と池野さんに言った。
「そうね。行きましょう」
それに対し、池野さんが明るい声で返事をする。大半の計画を立て終えたため、学園祭本番の流れも見えてきた。僕たち三人は部屋を出て、買い出しのためにバス停へ向かった。
*
十分後、バスが日光屋前駅で停車した。順番にバスを降りる。そして僕たちは、正面出入口から中に入っていった。
一階の化粧品売り場から、化粧品の匂いがする。外とは違う世界に、優しく招待してくれるようなあの匂いだ。
「この香り好きやわ」
僕もこの香りが好きだが、将太も好きなようだ。
「私もこの香り落ち着く」
池野さんも言った。やはりこの香りはみんな好きみたいだ。
「エスカレーターで地下に行こ」
「うん」
「オケ」
僕が二人に声をかけて、下へ続くエスカレーターに乗った。
それにしても客が全然いない。月曜日とはいえ、余りにも酷い有様だった。それに内装を綺麗にしていても、建物の老朽化が目立つ。今乗っているエスカレーターでさえ、かなりの年数が経っているのが分かる。これは相当な赤字の垂れ流しだと思った。
「あそこが野菜売り場やね」
池野さんの指さす方に、“日光屋ベジタブルワールド”と書かれた看板が見えた。向こう側に野菜が沢山並んでいる。
僕はエスレーター横に積み上げられていたかごを一つ取った。先に売り場に向かっていた池野さんと将太を追いかける。
「人参が十五個と玉ねぎが十本やね。あ、小林君ありがとう」
池野さんが、かごに人参と玉ねぎを入れていく。そしてもう一度、僕が数を確認してから集中レジに向かった。
「いらっしゃいませ」
人が並んでいないため、すぐに会計をすることができた。レジのおばさんが金額を打ち込んでいく。
僕が身内であるため、優待カードを出した。レジのおばさんが値段を打ち直す。すると、先程よりもかなり安い値段が表示され、僕はとても驚いた。余裕で予算内になる。
池野さんがお金を支払う。レジのおばさんが金額を打ち込むと、すぐに領収書が発行された。
「領収書のお返しです。ありがとうございました」
僕と将太で、野菜の入ったかごを持ち、サッカー台へ運んだ。
「池野さんと将太、今日はありがとう。帰りに百円ショップよろしく!」
「まあ。ひとまず良かったな」
「そうね。小林君も将太君も本当にありがとう。助かったわ」
百円ショップには、池野さんと将太に行ってもらうことにしたのだ。僕は当日のまな板や包丁を準備することになったので、先に帰って道具を揃えなければならない。
野菜を大きな袋に詰めていく。全て入れ終えた後、僕と将太の二人で袋を持った。
池野さんが、空になったかごを戻す。忘れ物がないか確認し、僕たちは上りエスカレーターに乗った。
エスカレーターのステップが、ゆっくりと上昇する。食料品売り場が見えなくなり、代わりに化粧品売り場が見え始めた。
先頭の僕が、一番にエスカレーターを降りた。すぐ後から、池野さんと将太もついてくる。
そして僕たちは、化粧品売り場の様子を見ながら、真っ直ぐ正面玄関の方へ向かった。先程の良い香りが、再び僕の鼻を優しく刺激する。
「じゃあここで一旦解散ね」
正面玄関前に来ると、池野さんが明るい声で言った。
「うん。ありがとう。後はよろしく!」
「おう。じゃあな広樹」
「じゃあね。小林君」
この日はここで解散することにした。将太と池野さんに手を振る。二人は百円ショップへ向かうため、花星のある方角へ歩いていった。
僕は野菜の入った大きな袋を持ち、バスの停留所へ向かった。帰って管理ファイルに領収書を保管しなければならない。そのため僕は、歩きながらそれを丁寧に折って、自分の財布の中にしまった。
*
それから時は流れ、学園祭前日の月曜日になった。
「小林君と池野さん。ちょっと来て」
本村の様子がおかしい。もの凄い怒り顔で、僕と池野さんを廊下に呼び出した。
「あなた達何を考えているの。学園祭と全く関係のない物を買って」
本村が大声で僕たちに言った。本村の細い目が、さらに細くなっている。
材料費は昼休みに集計して、余ったお金も揃えて先ほど提出したのだ。
「私たちはきっちりと集計して返しました」
池野さんが、困惑した様子で本村に言った。すると本村が、手に持っていた管理ファイルを広げた。
「じゃあ。これは何よ!」
僕たちが確認すると、管理ファイルのレシートが一枚多くなっていた。集計表は消しゴムで消され、水増しされている。どういう事なのかさっぱり分からない。
「この集計表と、封筒に入っているお金が合ってないじゃないの!」
準備費が五万円、余った金額は三万五千四百円だった。だが今見ると、余った金額が二万四千円と書かれている。一万一千四百円が、不自然に消えて無くなっていた。
それに、集計表と封筒に入っているお金も合っていない。不自然に消えた一万一千四百円にプラスして、お金が抜き取られている。
「ゲーム機を買ったみたいね。何これ横領じゃない!」
本村がまた叫んだ。クラスの皆が見てくる。隣のクラスの人までが、顔を出してこちらを見てきた。
「こんなレシートは確認した時ありませんでした。僕たちではありま――」
「うるさい!」
僕の言う言葉を本村が遮った。全くこちらの言うことを聞こうとしてくれない。誰がこんなことをしたのか? だんだんと怒りが湧いてきた。
「あなたが私にお金を渡した時、私が確認したかどうか聞いたらしたと答えたじゃない!」
管理ファイルを本村に提出したのは僕だ。そういえば、昼休みに集計してかばんの中に入れていたのだ。自分で持っておけば良かった。五六限目は外で準備していたため、その間に誰かがしたのだろう。その誰かは予想がつく。信夫だ。企画長になれなかった腹いせだ。
「本村先生」
教室から将太が出てきた。
「僕も一緒に計画を立て、買い出しにも行きました。買い出しの時、三人一緒でした。日光屋と百円ショップ以外は行っていません。それに広樹も池野さんも、一生懸命計画を立てていたのですよ」
将太の言葉に涙が出そうになった。
すると本村が、日光屋のレシートと百円ショップのレシートの時刻を見た。
「日光屋が二時三十一分、百円ショップが三時十六分」
そして、ゲーム機のレシートを見た。
「四時十五分」
ゲーム機のレシートも日付が同じになっている。本村が僕たち三人を睨みつけてきた。
「あなた達グルね!」
本村がまた怒鳴った。クラスの子が僕たちをじっと見てくる。
「違います。絶対に違います。その他の店には、買い出しで行っていません」
「じゃあそれを証明しなさいよ」
僕が言っても、本村は全く信用してくれない。僕たちがゲーム屋に行っていないことは、店の防犯カメラを見せないと証明できない。
すると将太が、一歩前に出てきて、強い口調で本村に言った。
「分かりました。じゃあ証明して見せますよ。何としてでも、僕たちが潔白であることを」
本村が呆れたような顔をして、「教室に戻れ」と言った。信夫が僕たちを嘲笑うように見てくる。やはりあいつが犯人なのだろう。僕は信夫に対して、激しい怒りが湧いた。
*
それから終礼が終わり、僕は残ることにした。靴箱まで向かい、将太を出迎える。
「信夫なんかな」
「そうかもな」
僕は将太にボソッと言った。将太も僕と同じく信夫を疑っていた。
「大丈夫。本村が何て言おうと、俺たちは何にもしてないし。それより明日の学園祭、成功させような」
「うん。ありがとう将太」
靴を履きながら将太が言ってくれた。
「学園祭終わって、さっきの事件解決したら、池野さんも誘って飯いこうぜ。池野さんにも言っとるけん」
「いいね。なんか楽しみやわ」
僕は少しだけ気分が明るくなった。さっきのことでかなり落ち込んでしまっていた。
「池野さんも嬉しそうやったよ。いっそ俺抜いて二人で行くのもいいんやない?」
「そ、それは」
僕にとってそれはハードルが高すぎる。女の子と二人で食事なんて、行ったことがない。
「冗談冗談。じゃあな」
「うん。じゃあね」
僕は将太を見送った。そして姿が見えなくなったのを見届け、早足で教室へ向かう。信夫はまだ残っているはずだ。
*
教室には案の定信夫の姿があった。
「信夫。来い」
僕は信夫を空き教室に連れていった。平然とした顔で後ろからついてきている。悪びれている様子は、一切なかった。
空き教室に入ってきた信夫を、僕は殴りつけた。信夫はその場に倒れこんだ後、気味悪く笑い始めた。
「お前また本村先生に怒られたいんか?」
「僕が殴ったという証拠は? カメラででも写しよんか?」
信夫が軽く舌打ちをする。
「お前がやったんやろう? 管理ファイルにレシートを忍び込ませたんやろう!?」
「ああ。僕がやった。お前が企画長になったのが気にいらんけんな。あの日買い出しに行くんも知っとった。藤崎と話しよったやろう? 全員対ゼロで負けたのもすごい気にいらん。やけど証拠がないけんな。完全にこっちの勝ちや」
信夫が堂々と白状した。皮肉なことに、今は録音機を持っていない。
「学校のお金を勝手に使ったんやぞ。完全な横領罪や。事件として警察に相談する。店の防犯カメラも開示してもらう」
「そんな事をしたら母さんが黙ってないぞ」
マザコンの信夫は、また母親の影山京子を出してきた。
「もし解決したとしても、次はもっと酷い事件を起こすぞ。何しろお前一人なんか簡単に消せるんやけんな」
信夫が恐ろしいことを口にした。こいつら一家は、想像以上にヤバい奴らかもしれない。こんなことが社会で簡単に通用するのだろうか? 僕は怖くなってきた。
「とにかく僕たちにはもう関わるな。今度邪魔してきたら許さんけんな」
僕は空き教室を出て、自分の教室へと向かった。明日の準備は万全にできている。
早足で教室に入り、自分の荷物を持つ。そして余計なことは何も考えずに、僕は真っ直ぐ下校した。
*
家に帰ると誰もいなかった。今日は時さんはお休みの日だ。夜ご飯は自分で作らないといけない。
部屋に入り、ベッドに倒れこむ。信夫の事件は絶対に解決してやると思った。だが今は、明日の学園祭を成功させるのが先だと自分に言い聞かせた。
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