第4話 新しい自分

 病院からの帰路、私の頭の中には二つの声が響いていた。一つは物腰柔らかで、それでいていつも明るい仁実ひとみの声。もう一つは、

「誰が先だろうと関係ない。この体は俺の物だ。」

 強い語気と自信が特徴的な、の声。と言っても私がこの口調で話しているわけではなく、今日新たに生まれたと思われる私の人格に、まだ名前がついていないというのがオチである。

「この体は一樹いつきの物!君の物じゃないよ!!」

 仁実が強く返した。病院で診察を終えてからずっとこの調子で、私の体の持ち主を明らかにするために二人は争っていたのだった。そろそろ止めるべきかと思って二人に割って入る。

「二人とも、その辺にしておいてよ。誰の物だろうと今のところ体を動かしてるのは私なんだから。」

 如何な理由で体の操縦権(もとい、支配権)が仁実に移ったのかは不明だが、今はもっと優先することがあった。

「ところで、新しい私さん。あなたのことはどう呼べばいいかな。」

 新たに生まれた人格の名前が無いために、やりとりが非常に不便なのだ。新しい私は一瞬呆気にとられた声を出したように思われたが、咳払い(実際に咳は出ていないが)をして気を取り直し、答えた。

「俺が体の支配者なんだから、俺の名前は一樹だろ。」

 なるほどそういう考え方もあるのか、とつい感心してしまった。顔に出ていた気がしたので誤魔化すために、実際に咳払いをしてから返す。

「それだと次は私の名前を決めないといけない。それだと不便なのは変わらないし、かえって今より紛らわしくなるよ。」

「じゃあ間を取って僕が決めてあげるよ!新しい一樹の人格の名前はー…」

 仁実はしばし考えたあと、いつもの明るい声で元気に言った。

椿貴つばき!」

 椿貴と名付けられた私は驚いたような声を出してから、しかし私の予想とは反した反応を示した。

「椿貴、か。中々良い名前だ。良いネーミングセンスを持っているんだな、仁実。」

 私と、名付け親である仁実までもが驚いた様子を見せると、椿貴は不思議そうにしてから、納得がいったように言った。

「なるほど、俺がこういった反応をするのは意外だったか。だが体の支配権を仁実やお前に譲ってやるわけでは無いぞ。名前はともかく、体まで勝手にされてやるつもりは無い。」

 そう言われても困る、と声に出そうになるのを抑えて、私は椿貴を説得しようとした。だが、こちらは私の予想に反さない答えだった。

「体のことはどうしても譲ってくれないの?」

「譲るという言い方がそもそもおかしかった。俺の物だったものをお前たちが借りていただけだろ。」

 この体は元々私の物(だと私は思っている)なのだが、どうやら何を言っても椿貴は納得がいかないらしい。その様子を察して、私は話題を次に移した。椿貴とこれから過ごすに当たって、このことだけはどうしても聞いておきたかったのだ。

「体のことについては私も譲れない。でもそれとは別に一つ、確認したいことがあるの。」

「言ってみろ。」

「椿貴は分かれた順番はともかく、私と同一の人格なんだよね?」

「ああ、だがそれの何が問題なんだ。」

 私は経験から事実確認をするように、それでいて意識的に言葉を柔らかくして言った。

「椿貴はどうして生まれたばかりなのに、人格が私と違っているの?」

 そう、私が最も疑問に思っているのはそれだった。仁実は生れてから3か月余り経った今では、私と全く別の人格に変化しており、その感性も私とは異なっている。だが椿貴の場合はそうではなく、生まれたばかりだというのに特徴的な口調や人格を持っている。仮に椿貴が言うように私が椿貴から分かれたのだとしても、どちらかの人格に感性や口調が似ていなければ、矛盾が生じることになる。考えても仕方ないと思った私は、椿貴に直接聞くことで問題の解決を図ろうとしたのだった。しかし、

「お前が俺から生まれたんだ。だが確かに言われてみれば、お前が俺に似ていないのは疑問だな。」

 順番は逆であれ、どうやら椿貴も私と同じことに気が付いたらしい。すると、仁実が補足するように声を上げた。

「僕の場合は最初の方は一樹と殆ど一致してたよ。好きなものも、匂いも、話し方も、趣味すらだよ!」

 仁実の言うことに内心頷きながら、私は椿貴に再度問いかけた。

「私は産まれてから今までの記憶があるけれど、椿貴の記憶はどこからあるの?病院で生まれたところから?」

「俺もお前同様、産まれてからの記憶がある。仁実が生まれた時の記憶も例外ではない。」

 仁実の場合は、私が持っている知識については生まれた時点で知っていた。しかし私の記憶については全く知っておらず、幼い時に何があったか、友人と何をして笑ったかといったものについては全て知らないと言っていた。しかし椿貴にはその記憶があるというのだ。私は考え得る可能性の中で最悪の答えが返ってきたことに実感を抱けないまま、それを認めたくないためにある質問をした。

「椿貴、私が小学校4年生で描いた絵の題材は分かる?」

「”酒と鮭”だ、あれは酷かった。」

「6年生の時の学級のテーマは?」

「”慈愛 博愛 和気あいあい”だ。」

「中学校2年生の時に喧嘩した友達の名前は?」

「確かに喧嘩した覚えはあるが、名前は憶えていない。連絡もその年で途絶えたはずだ。」

 椿貴は私の質問に対し、私が想定した答えをそのまま返した。憶えていないことを敢えて質問しても結果は変わらなかった。どうやら本当に私の記憶そのものが椿貴の記憶らしい。私が一応椿貴にも私に質問するよう促すと、椿貴は仕方なしといった様子で私に問うた。

「去年の夏に海に行っただろ。その時一緒にいたのは誰だ?」

「鍵垣と、河川とその恋人の確か名前は、宝城たからぎさん?かな。」

「中学の卒業式での思い出は何だ?」

「卒業証書を渡すときに、校長先生が緊張から力んで私の証書が破れたこと。」

「小学1年の時の担任の名前は何だ?」

「…ごめん、憶えてないから分からない。」

 質問を終えると、椿貴からは先ほどの私と同じように驚愕の声が漏れた。どうやら椿貴の予想通りの回答をしたようだった。だが、だからこそ分からない。なぜ記憶が同じなのか、生まれたばかりで人格や感性が違うのか、私と椿貴の。この質問によって今までの疑問は更に不可解なものになってしまったのだ。

「結局どっちが先とかは分からないみたいだね、仕方ない!そーゆー時もあるよ!」

 仁実が慰めるように言ってくれるが、私と椿貴には大して効果がなかった。このあとも一日中考えて色々試したがどれも結果は芳しく無く、私と椿貴、そしてそれを間で聞いていた仁実までもが疲れ果てて、その日は倒れるように床に就いた。

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同棲with自分 320(みつお) @320320

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