第2話 その後
目が覚めると、白い天井がそこにあった。
うちの天井ではない。
視界の右端に僅かに窓と青空が写っている。
ここはどこだ。
周囲の状況を確認するべく、左を見ようとしたが、首が上手く動かない。
というより、全身が動かなくなっていた。
金縛りかとも思ったが、なんとなく感覚が違う。
混乱しつつ、なんとか体のどこかを動かそうと試みていると、不意に左側からポスンという何かが床に落ちたような音がした。
黒目を左に向けるが、仰向けになった状態では、天井しか見えない。
限界まで首に力を入れ、なんとか僅かに首を傾け、左側を見やった。
「兄貴......」
俺がいたのは部屋だった。その出入口の引き戸の手前。そこによく知っている顔がいた。
よく知ってはいるが、見るのは、とても久しぶりだった。いや、よく見ると所々変わっている。
顔からは幼さが抜け、大人っぽくなっているし、背も伸びている。
弟だ。
ユーリ=アイマンに弟はいない。そこにいるのは、前世であるはずの望月悠里の弟であった。
弟の足元には、無駄に高そうなブランド物のレザーバッグが落ちていた。
「......っ!」
弟の名前を呼ぼうとするが、言葉が出なかった。
何度話そうとしても。意味不明な音にしかならない。
「兄貴!」
床に落ちたバッグを拾おうともせず、弟が駆け寄ってきた。
弟は身を屈めて、俺の顔を覗き込んだ。
その目には涙が溜まっているように見えた。
それから、弟はすぐにはっとしたように立ち上がると、俺が寝ているベッドに備え付けられていた小型の機械のボタンを押し、どこかに電話をかけた。
それからすぐに薄いピンクがかったナース服を着た看護師がやってきた。
そこで俺はようやくここが病院だということに気付いた。
先程、弟が押したのはナースコールのボタンだろう。
電話の相手は、話の内容からして両親らしかった。
その後看護師が連れてきた医者に色々質問されたが、その最中に両親が病室に駆け込んできた。
2人とも覆いかぶさるように、俺の体を抱きしめると、「ごめん」「ごめんね」と、泣きながら何度も繰り返した。
突然のことに戸惑ったものの、かといって、動くこともできないので、俺はただされるがままでいた。
「ごめん」という両親の謝罪の言葉にどれだけの意味が込められているのか俺には分からなかった。
弟を庇って車に引かれた後、脳にショックを受けた俺は植物状態となり、5年間眠り続けていたらしい。
体が動かなかったのは、寝たきりの生活により、筋肉が衰えていたためだ。
幸いなことに脊椎などに損傷は無く、俺は今、元の生活に戻るためにリハビリを行っている。
歩けるようになるまでは、まだしばらく時間がかかりそうだ。
俺が眠っている間、両親や弟は、俺が起きた時のために交代で、関節や筋肉を動かしたりと、体のケアをしてくれていたらしい。
別に看護師に任せたって問題無いにもかかわらずだ。
それにしてもと思う。
あの世界、リフォティアでの出来事は眠ったままの俺が見ていた夢だったのだろうか。
俺が眠っていたのは5年間だが、俺はあの世界で5年以上の歳月を過ごしていた。
最も夢なんてものはでたらめなものだし、俺がそう思い込んでいるだけの可能性は十分ある。
実際、砂時計の砂が落ちていくように、一眠り、一夜を超えるごとに、リフォティアでの記憶は、薄れていった。
今では、レイシャの顔もおぼろげになっている。
きっとそう経たない内に、あの世界での記憶は完全に消え去ってしまうだろう。
何故だか自分でもわからないが、そういう確信があった。
「兄貴はこれからどうするんだ?」
ベッドの側の椅子に腰かけ、小ぶりの包丁でりんごの皮を向きながら弟が尋ねてくる。
そんなことまでできるとは、相変わらず器用な奴だと思う。
5年も寝たきりでいたため、休学も限界で、高校は退学になっていた。
最終学歴中卒で23歳。
前途多難。お先真っ暗である。
何か、新しい道を見つけようにもまだ、自分が何を望んでいるのかも分からない。
だが、それでも答えは決まっていた。
「生きるさ」
窓の外の景色に目をやる。
青空の中に、いくつもの高層ビルが立ち並んでいた。
例え、あの世界での記憶が全て無くなったとしても、この気持ちは決して忘れない。
この不自由で何一つ上手くいかない世界で、それでも生きていく。
魔王を倒した男のその後 赤佐田奈破魔矢 @Naoki0521
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