第5話 伝えたいことは

 アルド、フィーネ、ギルドナは次元の狭間に到着した。怪しげな文字?もついてきている。アルドは周りを見渡した。

「うーん、誰もいないな」

そこにサイラスがやってきた。吟遊詩人が後に続いた。

「サイラス!……後ろの人は誰だ?」

「アルド!○□□☆○○□☆○×」

「うーん、サイラス、わからないぞ」

 アルドは首を横に振った。吟遊詩人にも声をかけてみることにした。

「あんたはだれだ?」

「僕は物語の伝え手さ。」

「あれ?何を言っているかわかるな……」

不思議ではあるがもう一つ尋ねる。

「あんたはなぜここに?」

「んー、このカエル君に負けてしまってね」

サイラスはカエルと呼ばれることがそれはそれは多い。

「負けた?あんた何したんだ?」

 文字?は吟遊詩人を見て叫んだ。

「あーお前負けたんだな!バベル様にいいつけてやる!」

「別に構わないけれど、君も負けたんでしょう?」

「う、ボクは負けていないよ!」

さすがにその言葉は受け入れがたい人たちがいた。ギルドナとフィーネである。

「いや、負けただろ」

「ちょっとそれには賛成できないかなあ」

アルドは吟遊詩人を見た。

「知り合いか?」

「まあねえ」

 吟遊詩人はやれやれという顔をした。すると、ちょうど待ち人たちの姿が現れた。

「エイミ!リィカ!ヘレナ!無事だったか!……ってエイミ、その怪我どうしたんだ!?大丈夫か?」

 アルドはエイミを見て驚いた。

「キャア大変!手当てしないと!」

「アルド!ﺁﺇﻳﺘﻴﻴﻮﻛﺎﺗﺎﻭﺍ」

「うーん、やっぱりわからないぞ」

 フィーネはエイミの手にした本に気づいた。

「エイミ、この本何?この本も何かあるの?」

「フィーネ、ﻳﻮﻛﻮﻭﺍﻛﺎﺭﺍﻧﺎﻛﻴﺪﻮﺁﺗﺎﻧﻮﻳﻮ」

「わからないよ……どうしよう」

フィーネは途方に暮れた。吟遊詩人がそれを見て言った。

「なぜか、知りたいかい?」

「知っているのか?」

「まあね、付いてくるなら教えようか」

「ああ、そうするよ」

 文字?はぼよんぼよんと跳ねながら、また叫んだ。

「お前バベル様のところへ連れて行く気か!?バベル様から次元の狭間に来れないよう止めろと言われたのに……できなかったけど」

「これはバベル様の試練のつもりなんだよ。こうやって次元の狭間に皆がそろったなら、まあ、仕方ないさ」

「よくない!」

 吟遊詩人はそれには答えず、アルドたちを振り返った。文字?は不満を言い続けているが。

「さあ、案内するよ、知りたいなら付いてくるといい」

「それはありがたいが、こいつの口をふさいでくれないか、うるさくて敵わん」

 ギルドナは文字?を睨み言った。彼にはまるで文字?がきゃんきゃん吠える子犬かのように思えた。

「そんなの可哀想なこというなよ、ギルドナ……」

 アルドはギルドナをとがめた。

「申し訳ないけれど、その子の口がどこにあるか僕は知らないんだ」

「フン、使えない奴だな」

「ギルドナ!悪いな、気にしないでくれ」

「そう、じゃあどうぞ。こっちだ」

 吟遊詩人は次元の狭間の奥へと進んでいく。フィーネはエイミ、リィカ、ヘレナ、サイラスを見た。

「みんなこの人の話分かったのかな」

「分かっているようだぞ」

 全員、吟遊詩人についていこうとしている。

「そうか、じゃあいこうか」



 ☆



 暗くて何もない空間をひたすら進んでどのくらい経ったであろうか。気が遠くなりそうになった時、急に視界が開けた。吟遊詩人と文字?が声を出した。

「バベル様、ただいま戻りました」

「戻りました!」

 そこには白いドレスを着た女性がいた。若く見えたが、その見た目の通りではないような、老成した雰囲気も感じられた。

「バベル様?……あんたが?」

 バベルと呼ばれた女性はアルドには答えず、吟遊詩人たちに言った。

「やはりここまで来てしまいましたか」

「ええ、なかなかの手練れです」

「手強かった!ごめんなさい、バベル様!」

 文字?はボールのように転がりながら言う。本は彼女のもとに飛んでいってしおらしく床に倒れた。

「あんたがこの状況にしたのか?」

「ええ、そうです」

 アルドは眉を寄せた。

「なんのために?話ができないのは困るんだが……そもそもあんたはなにものだ?」

「そうですねえ、ひとつお話をしましょうか」

 バベルは意味ありげに微笑んだ。


「あるところに国が一つありました。年月が経つにつれ国は大きく人々は豊かになっていきました。ある日、神様のいる天まで行きたいと、塔を建てることにしました。より高く、より高く。いつかきっと天に届くと信じて、人々は毎日塔を高くし始めました。その様子を見てみた神様は、人間はあまりに傲慢であると思いました。二度とそのような思いを抱かせないように、その一つの国をいくつもの国に分け、行き来するのが大変なほどあちらこちらへと持って行き、さらには話ができないようにその国ごとに言葉を作ったのです。もともとひとつであった言葉が分かれたがためにそれ以上は国が大きくなることはありませんでした」

「それは、大変だな……」

「これは人間の傲慢さを戒める話と言われています。……もう一つお話をしましょうか」

「うん?」

 バベルは息を大きく吸った。


「それはこの世界ではない、どこかにあるかもしれない世界のお話です。寒いところも暑いところも寒くなったり暑くなったり暖かい時もあるようなところもあります。いくつかの大陸はありますかその大陸はとても大きく、またそれを隔てる海も大きく、世界ができてすぐの頃は、移動することはとても大変なことでした。点在した、人々の居住地では意志疎通のためにそれぞれの言葉が生まれました。場所によって異なる言葉です。」

「なるほど?」

「年月を経るにつれて人間の生活が豊かになってくると、生きるためだけに使われていた時間に余裕ができました。その時間に人間たちのこれまでの歴史をまとめ愛する人も出てきました。先祖たちの名前を伝えるのです。これが物語の始まりです。この時は言葉だけでした。口伝で子から子へと、伝わっていきました。そのうち音楽にのせて伝わるようにもなりました。」

「僕ら吟遊詩人の始まりだね」

吟遊詩人はリュートでいくつか音を鳴らした。

「そうなのか……」

 アルドは相づちをしながら隣のフィーネにこそっとささやいた。

(な、長いな)

(お兄ちゃん、静かに集中して聞いて)

 フィーネはピシャリと言った。

(ああ、悪い)

 話はまだまだ続いている。

「人たちの歴史も最初は短かったので、覚えるのも苦労しませんでしたが、先祖たちが何人にもに登ってくると全てを覚えるのが困難になりました。ただ言葉や歌で伝えるだけでは足りなくなったのです。重大な歴史が失われることさえありました。そこでまずは絵で伝えられました。その絵を簡単にして文字が生まれたのです。画期的な発明でした。一つの言葉から物語までが遠い未来まで伝わるようになったのです」

「ボクは優秀なんだぞー!」

 それを誇示するかのように、文字?が何度もぼよんと跳びはねた。

「文字は当初、石や木などに刻まれました。それはかさばり、場所を多く必要とするので多くは保存できませんでした。それの改善として紙が作られるようになりました。大量の情報を記すことができるようになり、長期保存も可能になりました。そして紙はいくらかでまとめられ、本の原型になりました。この頃から長い物語が生まれ始め、やがて今の本へと変化していったのです」

 本が飛び上がり、アルドたちやバベルを一回りした。

「物語が今の風になるには色んなことがあったんだな……」

「世界の至るところで様々な種類の言葉で書かれた本が生まれました。後にそれは他の言葉に訳されて—分かるように解釈されたものが書かれて—世界中に広がりました。場所の違いだけでなく、古い本の言葉と今の話し言葉が違うということもありました。それも訳すことが必要でした。それらを訳すことが当たり前にできるようになるには、また計り知れないほどの人々の努力と時間があったわけですが……」

「なんにせよ本当に果てしない時間がかかることなんだな……で、それがあんたになんの関係があるんだ?」

 彼女、バベルは大きく息を吸い、吐き出すようにして言った。

「わたくしはこの世界の言葉を司る神なのです。そしてこの子たちはわたくしから生まれた子。お願いをしていろいろとしてもらいました」

「え!?」

 アルドは思わず大きな声を出した。

「わたくしはどこかにあるかもしれない世界のように言葉が通じないのは不便だと思ったのです。そのためこの世界で年月を経ても場所がどこであっても同じ言葉が通じるよう、今まで尽力して参りました」

「すごいな。ありがとう。ん?でも?今日はいったいなんだってこんなことに?」

 女神は鋭い声で言う。

「あなた方があまりに無神経だからです」

「えええ!!?」

 アルドは言われている意味があまりにもわからなかった。

「当たり前のように何度も何度も時をこえ、ありとあらゆる人と交流していますが、それはわたくしのおかげなのですよ。本来であれば時が経てば場所が変われば言葉は変わり、通じないのが当たり前なのです」

「あ、ああ。すまない?」

「相手の言いたいことを理解するために文化を理解し言葉を理解する、それはとても時間がかかることなのです。だからそれを必要としないことは本当に素晴らしいことなのです。それを理解していただくためでした」

「あ、ああ、そうなんだな、わかったよ」

 女神の語る調子はどんどんと熱くなっていった。アルドは女神の勢いにのまれてしまう。

「本当に分かっていらっしゃるのかしら」

「わかった、わかったよ!あんたのおかげだ、とても感謝しているよ」

 アルドはあわてて言い繕った。

「わかったならよいのです」

「だったらこの、言葉が通じないのを戻してくれないか?」

 女神はたっぷりと時間をとった。

「……いやです」

「え、いや、そこをなんとか」

「……条件があります」

「なんだ?」

「もう一度、今度はわたくしとこの子たち皆と戦い、勝ったら戻して差し上げましょう」

「わかった!」

「ふふ、勝った気かもしれませんが、言葉がわからなければひと筋縄ではいきませんよ」

「なめるな!俺たちはずっと一緒に戦ってきたんだ。お互いやり方はわかってるさ」

 アルドは女神を睨み付け剣を握った。フィーネやギルドナたちも武器を構える。

「ふふ、その言葉、後悔させて差し上げますよ!」





 ☆



「わたくしたちの負けですわ。よくやりましたね」

「ああ、でもあんたの言う通りだった。言葉がある方が戦いもやりやすかったことに気づいたよ」

 何度も何度も彼ら仲間たちと戦ってきた経験から、戦いに関しては言葉がなくても通じあえる、連携はいつもできるという自負があったが、言葉に頼っていることに気付いた。

たった一言の「右」、「左」、「今だ」などの言葉すら通じないのだから。とはいえ、いくらかすれば、やりにくさはあったものの攻撃のリズムがとれるようになっていった。

「最後は問題なく戦えてたようでしたけどねえ。もうこのままでも大丈夫じゃあないかしら?さ、みんなを送って差し上げなさい」

 バベルは吟遊詩人、文字、本に指示した。  アルドは戦いよりもどっと疲れた。

「いや、約束しただろ?戻してくれ」

「仕方ないですねえ……」

 バベルはしぶしぶといったふうに右手をひと振りした。

「これで戻ったのか?みんな、オレの言うことわかるか?」

 その言葉に、おのおのが答える。

「ええ、アルド、わかるわ!」

「おお、ようやくわかるようになったでござるよ!」

「機能ガ正常ニ戻りマシタ!」

「これはこれでつまらないわね」

「よかったー!みんな!嬉しいよ!」

 フィーネは心配していた分本当に嬉しそうである。

 それを見ていたバベルは声になるかならないかの大きさで呟いた。

「本当に人間というのは傲慢だわ……」

 言葉とは裏腹に彼女の瞳には慈愛の色があった。アルドたちは気づかなかったかもしれないが。

「あ、そういえば、オレとフィーネが未来じゃなく現代に飛ばされたのはなんか理由があるのか?」

「あなたちの言葉の能力が育ったところに合わせて送りました」

「うん?」

「言葉が話せるようになるには生まれではなく環境ですからね」

「なるほど?」

「さ、もう行きなさい」

 女神は促した。アルドたちは彼女に背を向け歩き始めたが、アルド立ち止まり振り返った。

「ああ。……あのさ、多分あんたは寂しかったんだよな?」

「寂しい?」

「違うのか?自分がいることを認めてほしい、知ってほしいってのはそうじゃないのか?」

「そうなのかしら」

「オレはさ、困ってる人がいたらつい助けてしまうんだけど、別に何か返してほしくて助けてるわけじゃあないけど、……最後にありがとうって言われたらやっぱり嬉しいしさ。だから、何度でも言うよ、ありがとう。また聞きたくなったら呼んでくれたらいつでも言うし」

「わざわざ呼ばないから、常日頃感謝しなさい」

「た、確かに」

「まあ、気が向いたら呼ぶから覚悟なさい」

「あ!今回みたいなのはやめてくれよ?」

「それはどうかしら?」

「えええ?」

 女神は微笑んだ。

「ではまたいらっしゃいな。さようなら」

「ああ、またな!」


 アルドたちが去り、バベルは一人になる。虚空をぼんやり見つめた。ぽつり、ぽつり、と想いがこぼれていく。

「そうね、わたくしはたださびしかったのかもしれないわね。すべきことをただこなすのは当たり前だけど、なんだか、ふとむなしくなって。わたくしのやってきたことは確かにそこにあるはずなのに、それを享受するだけ享受する者が何も言わないと、"わたくし"が無視されている、認めてもらえていない気持ちになったわ。だから認めてほしかったのよ。誰かに」

「バベル様」

 吟遊詩人、文字?、本が戻ってきていた。

「なあに?」

「僕たちはあなたに産み出してもらえて幸せですよ。ありがとうございます」

「バベル様大好きー!」

「ふふ。わたくしも。あなたたちが来てからとてもにぎやかになって、彩りが生まれたようで楽しいわ。ありがとう。大好きよ。これからもよろしくね」

「ええ、もちろんです」

「よろしくー!」

 本は浮きあがり、表紙と裏表紙をパタパタと羽のように動かした。

 彼らに親愛の情をもらった女神の心の真ん中に温かいものが灯ったようだった。これが幸せということだろう、そう思った。




 ☆



 アルドたちはようやく今日の目的地のニルヴァに到着した。

「それにしても一時はどうなるかと思ったけど、無事元に戻って良かったな」

「本当よもう……」

 エイミは疲れきった声音で同意した。

「そういえばエイミ、その傷どうしたんだ?」

「ああ、さっきの本にちょっとやられたのよ。大したことはないんだけど地味に痛いのよね」

「そうか、早く治るといいな」

「うん」

 そんな二人の様子を見ていたリィカが神妙に口にする。

「そうそうアルドサン、ワタシ聞きたいことガあるんデスガ」

「ん?なんだ?」

「アルドサンハエイミサンノこと好きデスカ?」

「ちょっと、リィカ!」

 エイミは焦ったが遅かった。アルドはあっさりと答えた。

「ああ、好きだぞ」

「え!?」

「オオ!そうなのデスネ!!」

 しかしこれで終わらないのがアルドである。

「もちろん、リィカも」

「ん?」

「フィーネも、ギルドナもサイラスもヘレナも、もちろん他の仲間たちも皆好きだぞ」

 エイミは脱力した。リィカのテンションが下がった。ヘレナはため息をついた。

「ああ……」

「それでこそアルドね……」

「アルドサンっテバ罪ナ男デスネ」

「え?オレ何かしたか!?」

「いえいえ、アルドはそれでいいのよ」

 ヘレナは微笑んだ。

「なんだかいい感じがしないぞ」

 フィーネが会話に入ってくる。

「ねえみんな、何の話?」

「フィーネ、あなたのお兄さんはね……」

「ちょっとヘレナ、何を言うつもり!?いい、フィーネ、ヘレナの言うことは間に受けちゃだめだからね!?」

「う、うん?」

 あれやこれやと話が止まらない女性たちを眺めてサイラスはしみじみとした。

「いやはや、おなごたちはにぎやかでござるな。こうでないとでござる」

「フン、無駄に騒がしい」

「ギルドナそういうけど、目が優しいぞ」

「そんなわけあるか」

「ギルドナは素直じゃないな」

「……思い込みも大概にしろ」

 アルドは笑った。やっぱりギルドナは素直じゃないな、なんて思いながら。魔獣王だったギルドナと合成人間を指導していたヘレナ、人間と敵対していた彼ら二人も含め、エイミ、リィカ、サイラス、フィーネ。仲間たちといる時間はとても楽しくかけがえのないものだ。

 時は夕暮れ、オレンジ色の空に明るい話声がいつまでも響いていた。

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