23
真っ白い世界いたはずが、あごに硬いものの当たる鋭い衝撃で、僕はこの世界に戻ってきた。
『何を笑っていやがる!』
マルコムに固いブーツを履いた足で、あごを蹴り上げられたようだった。
僕の視線の先には、緑色のコケが生えたトンネルの天井があった。
口の中に鉄さびのような味がする。
今の衝撃で口の中が切れたようだ。
鋭い衝撃から鈍い痛みへと変わってきた。
今度は一体何が起こったんだ?
僕は確かに死んだはずだ。
この感覚は一体どういうことだ?
突然のことで、僕の頭は間違いなく混乱している。
考えのまとまらない混乱した頭のまま、僕はマルコムに引き起こされた。
目の前に血まみれのスコーピオンが転がっている。
右隣りには、跪かされたジローの姿が目の端に映る。
事態はまだ終わってなどいなく、現在進行中だった。
僕はまだこの世界にいるようだった。
異界の住人たちは悔しそうに舌打ちをしていることだろう。
しかし、なぜ僕はまだ生きているのだろう?
銃声を聞いたはずだった。
『何やってやがんだ!まったくよ、お前はすぐに熱くなっちまっていけねえ。』
少佐がトンネルの入り口の前で、銃を擦りながら立っていた。
そして、トンネル内へと歩いてきて、マルコムの目の前にやってきた。
おそらく、あの銃声は少佐がマルコムを止めるために、どこかに向けて発砲した音なのだろう。
おかげで、僕はまだ生きているというわけだ。
『悪い。つい熱くなっちまった。でも、すぐに殺すんだからどうでもいいだろ?』
マルコムは自分に非はないというように言い訳をした。
確かに、なぜまだ殺さないのだろう?
『馬鹿野郎!お前は気が短くていけねえ。ケニーの時もそうだったじゃないか。あんなに目立つところで撃ちやがって。お前のせいで厄介なことになったってこと分かってんのか?』
少佐は顔を紅潮させて怒り狂った。
マルコムもまた反発して熱くなった。
『それはお前が悪いんだ!あんなことをしようとするから撃ったんだよ。』
二人とも熱くなって言い争いをしていた。
何をこんなに苛立つ必要があるのだろう?
なぜだ?
『分かったよ。オレが悪かった。ちょっと軽率すぎた。』
マルコムは形式的に先に謝った。
心からそうは思っていないことは、口ぶりから良く分かる。
『しょうがねえ。今更お前を責めてもどうしようもねえしな。』
少佐もまた口先だけだった。
二人はお互いに一旦離れて一息ついた。
間違いなく、二人とも納得はしていない。
二人の間には、何か見えないしこりがあるようだった。
僕は残っている力の全てを脳に集中した。
『お前はどうしてそんなに頭が固いんだよ。お前には遊び心が足りねえ。全然、スウィートじゃねえんだよ。殺す前に楽しまなきゃな。』
少佐はハードボイルド小説の悪役のようにニヤリと笑った。
そして、ジローを見つめた。
あ。
この目は、まさか……。
ジローにも、この意味が伝わったようだ。
ジローは逃げ出そうと立ち上がったが、ずっと跪かされていたせいで足がもつれて転んでしまった。
少佐はニヤつきながら、ゆったりとした足取りでジローに近づいていった。
ジローは言葉にならない悲鳴を上げた。
ジローの目には恐怖の色がありありと浮かんでいる。
暴れて抵抗していたが、腕力では圧倒的に分が悪く、少佐にあっさりと押さえ込まれた。
そして、車の中に引きずり込まれた。
僕はこれまでにジローに対して腹を立たされてきたが、こればかりは気の毒だった。
僕はちらりとマルコムを見た。
奴の目には相棒に対する軽蔑の色が浮かんでいる。
だが、それだけではないようだ。
そして、その目を見て熱くなっていた理由を悟った。
嘘だろ?
そんなバカな理由なのか?
その程度で、ケニーを殺したのか?
でも、そう考えていけば説明が付いてしまう。
僕は嫌悪感で気分が悪くなってきた。
これではそういう趣味の人たちに理解が足りないと思われるかもいれないが、僕はそういう男だ。
だってそうじゃないか。
生物学的に考えて、不自然なことだろう?
そういう趣味のない人間が拒絶反応を起こすのは、おそらく、種の保存の為の本能による自己防衛反応ではないだろうか?
だが、僕は冷静にマルコムに話しかけていた。
『お前は、本当はあいつのこの行動に一番腹を立ててるんじゃないのか?』
マルコムは、こいつは何を言ってるだという目で僕を見た。
それから、タバコを1本取り出すと口にくわえてライターで火をつけた。
『僕にはもうお前たちの関係が大体分かったよ。』
僕はマルコムをじっと観察するように見ていた。
マルコムは自分を落ち着かせるように煙を大きく吸い込んだ。
『だからどうした!お前には関係ねえ。』
『確かに関係ないよ。でも、どうせ殺されるのなら、言いたいことを好きなだけ言わせてもらうさ。』
僕はもう完全に開き直っていた。
なぜこんなにも肝が据わってしまったのか、自分でも分からなかった。
すでに1回死線をさまよったからなのだろうか?
『お前は浮気性の相棒に嫉妬しているだけだ。だから、そんなに苛立っているんだよ。』
マルコムは図星をつかれたからなのか、タバコを小さく何度も吸い込んでいる。
『偉そうに言うな!お前に何が分かる。』
そして、ただ芸もなく怒鳴りつけた。
『さあね?お前、本当はあいつに本音が言えないんじゃないのか?言うのが怖いんじゃないのか?』
僕はまるで自分に言っているような気がしてきた。
僕が彼女に本当の気持ちを言う勇気があったら、こんなことにはならなかっただろう。
僕が彼女に本当の気持ちを伝えて、悪い結果を恐れていただけだ。
その一歩を踏み出さない限り、先に進むことはないのに。
結果がどうなろうと、きっと僕の中に少しでも誇りを持つことができただろう。
でも、もう全てが手遅れだった。
僕はここで死んでしまう。
何も手に入れることなどできずに。
『黙れ!』
マルコムはタバコを地面に叩きつけるように投げ捨てた。
そして、ブーツを履いたつま先で僕のみぞおちを思いっきり蹴り上げた。
「うげええ!?」
僕はのどが焼けるほどの濃い胃液を吐き出した。
『このクソガキが!好き放題言いやがって!ぶっ殺してやる!』
マルコムは目を血走らせ、僕を掴み上げるとトンネルの壁に叩きつけるように押し付けた。
そして、僕のあごの下から持ち上げるように銃口を突きつけていた。
しかし、僕は恐怖を全く感じていなかった。
この相手を見透かしてしまったように思えた。
単細胞で幼稚な小心者。
僕自身の本当の姿を見ているようだった。
このままでは死んでも死にきれない。
ここで変わらないといけない。
僕は自分自身を打ち壊すように言い放った。
『言うべき相手に言いたいことも言えないお前は、ただの臆病者だ。お前よりも弱い立場の相手を脅して強がっているだけの卑怯者だ。あいつに本音を言えないままじゃ、結局相棒にも親友にも恋人にだって、なれやしない!』
マルコムはふっと力を緩め、銃を下ろした。
僕はまだ壁にもたれかかっていた。
不意に、マルコムは銃の柄で僕の口元を殴った。
僕はそのまま力尽きるように、壁からずり落ちながら地面に座り込んだ。
コンクリートの地面が冷たくて気持ちいい。
『このオレが臆病者だと?卑怯者だと?ナメるな!オレが何もできないかどうかそこで見てやがれ!』
マルコムはそう怒鳴ると、肩を怒らせながら車へと向かっていった。
僕はこの場でぼんやりと眺めていた。
ここから先は、パントマイムを眺めているように、何も聞こえなくなった。
マルコムは車までやってくると、後部座席のスライドドアを開けた。
両手を挙げたり開いたりしながら怒鳴っているようだった。
マルコムは業を煮やしたのか、上半身を車の中に潜り込ませた。
そして、少佐を引きずり出すように外へと連れ出した。
少佐はズボンを足元まで下ろして、下半身をむき出しにして立っていた。
少佐はズボンを上まで引き上げ、しっかりと履き直した。
そして、マルコムの胸元に人差し指を突きつけながら怒鳴っているようだった。
マルコムもまた、少佐の肩を押したりしながら反論していた。
二人は我を忘れるほど、頭に血が上って怒鳴りあっているようだった。
その内に取っ組み合いをし始めた。
二人とも手には銃を持っていた。
全く収まる気配などなかった。
そして、少佐が腰をくの字に曲げて大きく震えた。
マルコムが銃を正面に向けたまま立っていた。
少佐は信じられないものを見るように、自分の腹を呆然と見た。
マルコムもまた呆然としているようだった。
少佐はマルコムに銃を向けると引き金を引いた。
マルコムは後ろの車にもたれるように倒れ、滑りながら地面に崩れ落ちた。
少佐はただ立ちすくんでいた。
しかし、すぐに糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちた。
そして、再び音が戻ってきた。
ここから先は、叩きつける雨の音と暴風によって踊り狂う木の葉の音だけしか聞こえてこなかった。
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