20
夜はすでに更けていた。
日付けはとっくに変わっているはずなのに、東京の街は眠る気配などなかった。
彼ら4人は、例のウイルス騒ぎの影響のせいなのだろうか、建設途中で放置されたビルに来ている。
躯体だけは6階まででき、建材がところどころにほこりをかぶって放り出してある。
場所は良く分からない。
東京タワーが遠くの方に見える。
ビル内には電気が通っていないが、街灯に照らされて他のメンバーの様子が見える。
スコーピオンは、落ち着きのない熊のように、うろうろと室内を歩き回っている。
ケニーは百円ライターの火を見つめながらニヤニヤしている。
ジローは壁に背をもたらせながら、目を閉じてじっとしている。
彼はというと、床に腰を下ろし、他のメンバーをぼんやりと観察しているだけだった。
これから行なわれることに対して、不思議と落ち着いているようだった。
スコーピオンのコカインをこれから処分するのだ。
どうするのかは、ケニーのプランによるとこういうことだった。
ケニーの知り合いの元米兵のジャンキーコンビに連絡を取る。
そして、そいつらに全て売り渡す。
その金はみんなで仲良く山分けにする。
まとめ上げれば、単純明快で簡単な話だ。
とりあえずは、そのコンビとは連絡を取ることができた。
しかも、すでに金ができているので、その日のうちに取引をすることになった。
そして、このビルを指定してきたというわけだ。
なぜ、元米兵がいまだに日本に居残っているのか?
なぜ、こんなにも都合よく金が用意できているのか?
疑問となることは次々とわいてくるが、そんなこと知る必要はないし、知るべきではない。
汚い金であるということぐらいは、誰にでも想像がつくだろう。
約束の時間ちょうどになると、1分早くも遅くもなく奴らはやってきた。
白人と黒人のコンビだった。
元軍人とは思えないほど、二人ともやせ衰えていた。
だが、動作はまだきっちりとしている。
白人の方の髪型を見ると、一昔前に流行った格闘ゲームのキャラクターのようだった。
便宜上、奴のことは少佐としておこう。
実際の階級ははるかに下だったろうが。
黒人の方はメガネを掛けて、細長い顔をしている。
まるで、マルコムXの時のデンゼル・ワシントンのような気がする。
こいつは、マルコムとしておこう。
『よう、お前ら。久しぶりだな。調子はどうだ?』
ケニーは日本語訛りの強い英語で話しかけた。
『ああ、最高だ。それで、ブツは持ってきたのか?』
少佐は挨拶など必要ない、というようにいきなり本題に入った。
どうやら、日本語がまとも喋れないらしい。
いや、喋る気がないのだろうか。
『そう焦るなよ。とりあえず、中を見てみろよ。』
ケニーはデイパックから紙袋を出し、紙袋からは白い粉の詰まったビニール袋を取り出して並べた。
マルコムは口笛を軽く鳴らした。
少佐はその袋を1つおもむろに手に取り、中身の粉を少し指につけてなめてみた。
そして、ハードボイルド小説を読みすぎているかのような顔でにやりとした。
持ってきた手提げバッグから小型の秤を取り出し、一個一個丁寧に量った。
ケニーも一緒になって目盛りを見ていた。
そして、量り終わると少佐が口火を切った。
『いいだろう、2000だ。』
『おいおい、いくらなんでも安すぎだろ。3000だろ?』
ケニーは値段交渉を始めた。
彼には相場のことなど分からない。
欲張らずにさっさと売っちまえと言いたいのか、足がそわそわと落ち着かなかった。
スコーピオンは実際に口に出して、彼の後ろではらはらと口に出してつぶやいていた。
しかし、交渉はまだ続いていた。
『欲張りすぎない方が身の為だぜ?2000だ。』
少佐は頑固に同じ数字を提示した。
『分かったよ。2500だ。』
ケニーの方が先に折れたようだ。
『いいだろう。2200だ。おい。』
少佐はマルコムに呼びかけた。
マルコムは手提げバッグから札束を取り出し、少佐に手渡した。
少佐はそれをケニーに手渡した。
ケニーは受け取ると、確認してからデイパックに詰め込んだ。
そして、紙袋を少佐に手渡した。
二人は持っていた手提げバッグに紙袋を詰め込むとビルから立ち去った。
これで、取引成立だった。
彼らはその場にじっと立ち、黙り込んでいた。
彼は思わず吹き出してしまった。
それをきっかけにみんなで大爆笑だった。
笑いが止まらなかった。
こんなにもあっさりとうまくいくなんて誰も思っていなかったのだろう。
彼は腹筋がつっても笑い続けていた。
笑いが収まると、彼らはビルを出た。
冷え始めた夜風が火照った身体を慰めてくれた。
彼はこれで日陰者の世界を歩き始めてしまった。
もう後戻りはできなくなってしまった。
しかし、彼の足取りは軽くなっていた。
脳内ではアドレナリンが分泌していて、口元が緩みっぱなしになっている。
「ちょっと待てよ。帰る前に便所寄ってくわ。」
ケニーが突然口を開いた。
公園のトイレを親指で指し示している。
ちょうど汚らしい浮浪者が入ろうとしていた。
「じゃあ、デイパック置いていってくださいよ。」
ジローが手を差し出した。
何気なく言ったように装っていたが、目が猜疑心に満ちていた。
「お前ら、オレが便所に行っている隙に逃げようってんじゃないだろうな?そんなことはさせねえぞ。」
ケニーはどすの効いた声で威圧し、目が鋭くなった。
二人の間に険悪な空気が流れた。
少しの間、二人はじっとにらみ合った。
しかし、ジローが小さく息をついた。
「分かりましたよ。それなら早く行って来て下さい。ここで待ってますから。」
ジローが渋々折れたようだ。
「分かればいいんだ。じゃあ、ここでおとなしく待っていろよ。」
ケニーは小躍りしそうな足取りで、トイレへと歩いていった。
彼らは待った。
ジローがトイレをじっと見張っていた。
そこに、ちょっと前にトイレに入った小汚い浮浪者が、おぼつかない足取りでトイレから出てきた。
そして、そのままどこかへと消えていった。
彼は冷やかな目でその背中を見ていた。
その目から何を考えているのかありありと伝わってきた。
『あんな奴はただの負け犬だ。どうせ社会からはみ出すのなら、足掻けるだけ足掻いて反逆しろ。自分を追い出したこのどうしようもない世間ののど元に食いついていけよ。そんなこともできないほど去勢されちまったのか?絶対にあんなふうになってたまるか。』
きっと、そう思っているはずだ。
「なあ、ケニーの奴遅くないか?」
スコーピオンはふとつぶやいた。
確かに遅すぎる。
もう出てきてもいいぐらいの時間は経っている。
ジローははっと血相を変えて、トイレへとかけこんだ。
彼とスコーピオンもそれに従って追いかけた。
中に入ると、ジローがトイレのドアを壊れるぐらい叩き、ケニーを呼んでいた。
しかし、何の反応もなかった。
ジローは何をするのかと思ったら、ドアの上に身を乗り出して中をのぞいた。
そして、降りてくると悪態をつきながら壁を思いっきり蹴った。
彼はその突然の態度に戸惑っていた。
スコーピオンは、ジローにどうなっているのか聞いた。
ジローはドアを蹴り破れば分かるとだけ言った。
スコーピオンは言われたとおり、ドアを蹴り飛ばした。
ドアのカギが吹き飛び、中が見えた。
そこには、ケニーの服を着た汚らしいヤギひげのやせ細った老人がいた。
手には握り締められた1万円札を持ち、恐怖の入り混じった驚きの目で彼らを見ていた。
恐怖を感じていたのか、股間にはシミができている。
ジローは老人に掴みかかった。
そして、徹底的に絞り上げるように全てを聞き出した。
老人は従順な奴隷のようにあっさりと全てを吐いた。
尋問されたことをハイハイと答えていただけだったので断片的だったが、まとめ上げるとこういうことだった。
「公園の家で寝てたら、ケニさんが突然訊ねてきたんだ。そんで、1万円を握らせっと、今夜この便所にやって来いと命令された。何をさせられんのか分かんなかったけんど、ケニさんに逆らうと後々が怖いんで、仕方がなくやってきちまった。やってくっと、ケニさんが来て、服を交換しろっちゅうんだ。何を言うんだって思ったけっど、やっぱ怖くって換えちまった。そんだけでなくって、誰が来ても絶対に開けんな。1時間そのままでいろっちゅうんだ。そんな殺生なって言うたら、こいつ握らされてやらされちまった。そんで、少ししたらあんたらが来たんだ。ほんに怖くってやんなきゃよかった思た。な、勘弁してくんろ。ケニさんが全部悪いんじゃ。」
ということだった。
全てケニーのせいにしていたが、手にはちゃっかりと1万円札を握っている。
おそらく、その金で酒盛りをしていたのだろう。
端金に目がくらんだことは間違いない。
が、そんなことはどうでもいいことだった。
彼らは呆然と立ち尽くしていた。
その彼らの脇を老人はこそこそと逃げていった。
「……やられた、ということか。」
彼は呆然とぽつりと言った。
「ああ、そうだよ!完璧にやられた!くそ!オレとしたことが油断した。ジャンキーなんか信用できるわけないのによ!」
ジローは悔しそうに壊れたドアを蹴った。
「何がどうなってるんだ?」
スコーピオンはただおろおろとしていた。
ジローはバカを見る目で見た。
「教えてやるよ。ケニーの野郎は、オレがこの話を持っていった時点で、この計画を考えていたんだ。つまり、最初っから金を全て持ち逃げするつもりだったんだよ。何が仲良く山分けだ。くそ!ジャンキーなんかろくな奴らじゃねえって分かってたのに。あいつらはすぐに平気で裏切りやがるからな。」
ジローは今にも暴れ出しそうだった。
「オレたちは利用されただけってことか。」
スコーピオンにもようやく理解できたようだった。
「そういうことだ。とりあえず、あいつの家で張るぞ。まあ、まず戻ってくるわけないけどな。」
ジローは皮肉に言い捨てた。
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