19

 ホームレスタウンの住人たちが今夜の酒盛りをし始めた頃、彼とジローは誰もいないベンチに腰をかけていた。

 少し距離はあるが、住人たちの様子を見てみると、ヤギひげのやせ細った老人を中心に、安酒の一升瓶を回し飲みしていた。


 もう日は沈んでしまい、彼とジローの座るベンチは外灯によりスポットライトのように照らされている。

 余所者の彼らではあるが、ケニーの客であるため、他の住人たちに干渉されることはなかった。

 ケニーはこのコミュニティー内では名の知られた厄介者のようで、他の住人たちは関わることを恐れているようだった。

 その為、彼らはいないものとして扱われた。


 この状況は内密の話をするには好都合だった。

 ケニーの言うプランがあまりにも危険なことだったから、彼はジローとどうするべきか話し合おうとここに来ていた。

 しかし、ジローがあまりにも平然としているのを見て、彼の中に落ち着かないものがあった。


「お前、本当はこういう話になるって分かってたんじゃないのか?」

 彼はジローの方を見ず、正面を見据えながら言った。


「まあね。あの人はいかれたジャンキーだからな。それぐらいは話を持っていった時点で予想はつく。あの人は間違いなくやるぜ。」

 ジローも正面を見ながら、無表情で冷静に言った。

 その態度に彼は、落ち着かなくなり横に座るジローの方を向いた。


「ちょっと待てよ。もしかして、お前、乗り気じゃないだろうな?」

「ああ、やるぜ。せっかくの金づるがいなくなっちまったんだ、当然だろ。おっと、こんなことを言うとまた怒られちまうか?」

 ジローはまた例のニヤケ面になっていた。


「もう、怒る気力もないよ。」

 彼は明らかに弱々しい声で言った。

 本当にどうでもいい気分になっていた。


「何だ?あの女と何かあったのかよ。ま、大体分かるけどな。」

「ああ、そうだよ、振られたよ、徹底的にな。笑いたきゃ笑え。」

 彼は自嘲気味に鼻で笑った。


「やっぱりな。元々無理な話だったんだ。あの女はどうやっても、こっち側に来る女じゃないからな。」

 と、ジローは意味深長に笑いを堪えながら言った。


「こっち側?どういう意味だよ。」

 彼は、お前のせいだろと言うのも忘れてその言葉に食いついた。


「予想通り自覚症状なしか。まあいいか、教えてやるよ。オレはアニキを一目見た時からずいぶんと似た奴がいると思ったぜ。見た目は全然違うけどな。性格も正反対だ。だが、正反対ということは、鏡に映したみたいに根本は一緒なんだよ。」

 ジローは不敵に言い切った。

 その言葉に彼の身体が熱くなってきた。


「そうは思わないぞ。お前のようにわざと人を傷つけても平気じゃいられない。お前、知ってるか?あの後、ナッツは自殺しようとしたんだぞ。」

「へえ?そんなことをしようとしたのか。しようとしたってことは、死んじゃいねえんだろ?だったらいいじゃねえか。」

 ジローはそんなこと取るに足らないというように言い捨てた。

 彼はその態度に怒鳴ろうと口を開こうとした。


「とにかくだ。」

 しかし、ジローに言葉をかぶせられ、怒りの吹き出し口を失った。

 彼の胸の中にもやもやとしたものが残ってしまった。


「同じということを認めようとしないってことは、アニキが自分の本質について分かってないだけだ。」

 ジローは言葉を区切り、彼が話を聞いていることを確認した。

 そして、話を続けた。


「確信を持った理由もちゃんとあるぜ。最初に会った時のアニキはいつも一人でいて誰も側に寄せ付けない雰囲気があった。その証拠にあの町にいた時は、ほとんどの奴と話すらしなかっただろ。」

「それは、あの町の雰囲気が好きになれなかっただけだ。だから、一人でいただけの話だ。それに、ただのバックパッカーなんだから、気に入らない連中と関わらないなんて普通の話だろ?」

 彼は言い返すことが出来た。

 しかし、次に何が出てくる分からず内心動揺していた。

 ジローはその隙を見逃さず、さらに攻めてきた。


「そいつは違うね。アニキが始めから関わろうとしていなかっただけだ。自分では誰も気付いていないと思っていただろうけど、あの目を見てすぐに分かったぜ。世の中を冷めた目で見て、他人を見下しているようなあの目を見てすぐにな。他人がどうなろうと知ったことじゃない、興味もない。だから誰とも深く関わらず、頭の中で皮肉を込めて他の奴を観察していただけだ。話しかけられれば、それなりに愛想良くしていたから他の奴は気付いていなかったけど、同類のオレから見れば一目瞭然さ。」


「同類?同類だと?一緒にするな!」

 彼はついに声を荒げた。


 自分自身を見透かされ、動揺を隠せなくなっていた。

 彼は、このベンチのある空間だけが酸素濃度が薄くなっているかように、呼吸がままならなかった。

 それに対してジローは、彼からエネルギーを吸収したかのようにゆったりと余裕を持っていた。

 そして、さらに冗舌になり始めていた。


「一緒だよ。オレたちは本当に兄弟みたいなんだ。普通の兄弟とは違うけどな。お互いに憎みあっているんだ。だが、今思うとこいつは避けられない宿命だったんだな。出会った時点で遅かれ早かれ、いずれ憎みあうようにできていたのさ。カインとアベルのように。」

「確かに、今の僕はお前を憎んでいるさ。それは否定する気もないし、お前はそれだけのことをしたからな。だけど、何でお前が僕を憎む?そもそも、何年も日本に帰ってこなかったような奴が、何で今更帰ってくる気になった?」

 彼は話を逸らそうとした。

 それしかもう、自分を見失わない方法がないほど、胸の内がかき乱されていた。


「アニキに会ったからだよ。」

 ジローは含み笑いをした。

「まさか、オレと似たような奴とあんなところで会うとは思わなかったからな。また、アニキに会いたくなったのさ。」


 ジローはさらにニヤケ面を増長させた。

 あの当時のことを思い出しているのか、それとも彼の悪あがきを楽しんでいるのだろうか。


「僕に会いたかっただと?憎んでいるのにか?」

 彼の心臓の鼓動はますます早くなり、身体が小刻みに震えだしていた。

 もはや何をどう言おうと、ジローの前では詰め将棋のように追い詰められていくようだった。

 ジローはもう完全に彼の様子を楽しんでにやついていた。


「あの時は憎んではいなかったさ。そんな奴にわざわざ高い飛行機代なんて払うわけないだろ?ただ好奇心が押さえられなかったんだよ。再会してすぐは奇妙なことをやっていたけど、あの目は相変わらずだったぜ。オレたちが組むことになれば面白いこともできると思ったりもした。だが、あの女が現れたことは誤算だった。それにしても、合コンの時は吹き出しそうだったぜ。よく言うよってな。何を考えてるのかわからない奴だったが、女を口説くのにあんなにくだらないことをだらだらと語るとは思わなかったぞ。それを気に入るあの女もおかしいがな。とにかく、だ。すぐにダメになると思って放っていた。だが、あの女に会い出すようになってから、だんだんやわな目になってきやがった。許せなかった。その内に憎むようになっていた。そんな奴じゃねえだろ、いい奴ぶるんじゃねえよって。」


 ジローの目は悪意に満ちていた。

 彼はその悪意に刺激され、身体の内側から得体の知れないものが目覚め始めている気配を感じた。


「だから、ナッツを巻き込んだのか。」

 彼はぽつりとつぶやいた。

 話の途中から分かってはいたが、どうにか避けようとしていたことだった。

 しかし、彼はついに因果関係を認めてしまった。

 ジローは満足気にうなずいた。


「そういうことだ。あいつも始めは性欲だけ処理する相手にしか考えていなかった。飽きたらそれまでのな。だけど、予定を変更することになった。不本意ながらってやつだ。あいつをあそこまで追い詰めることになったのは、オレをいらつかせちまった、アニキのせいだぜ?」

 ジローは不敵に笑った。

 もうジローの独壇場だった。


「それは、お前が勝手にやったことだろ。僕のせいじゃない……」

 彼の言葉の語尾は消え入りそうなほど弱々しかった。

 本当に自分のせいだと思っているかのように、自分を責めるように。


「そうとは限らないぜ。アニキに本当の自分に気付いてもらおうと思ってやったことだ。」

 ジローの口調は穏やかになり、彼はもう誘導されるままに引きずり込まれていた。


「本当の自分?」

「そうさ。こう感じることはないか?他の人間とは何かが違うって。」

「それは……」

 彼は口ごもり、目を伏せて自分の考えにふけった。

 そして、何事かつぶやいていた。


「他の人間とは、何かが違うと今までに何度思ったことだろう。仲良くなりかけたと思っても、結局みんなうんざりしたような顔をして、僕のところからは去ってしまった。僕はいつだって孤独だった。僕にはなぜなのか理解することは出来なかった。きっと、僕は特別な人間なんだ、だから他人には理解することなんてできないんだと思い込むようになった。でも、彼女に出会ってからそうではないと気付かされた。過去を引きずり、僕の方が心を閉ざして他人を拒絶していたのだと。そして、僕はようやく自分の重大な欠点に気が付いた。これで、僕もまともな人間として生きていける、彼女と一緒なら日の当たる道を歩いていけると思った。でも、僕には無理な話だった。僕はその彼女をひどく傷つけてしまった。そして、決定的に失ってしまった。もう二度と人とは交わることはできないだろう。これだけは確信を持って言える。これからは、目の前にいる狡猾なケモノたちと騙し合いながら生きていくしかない。」


 そして、彼は目を上げた。


「ほう?いい目になったじゃないか。」

 ジローは完全に満足しきったようににやりと笑った。


「ああ、やるよ。もう失うものはないしな。」

 彼は胸のもやもやとしたものが消え、すっきりと頭が冴え渡っていた。

 彼の中にいたケモノが完全に目覚めてしまったようだ。

 もう、そのケモノを押さえつけることも飼い馴らすこともせず、縛り付けられていた頑丈な鎖から解き放った。

 妙にすっきりと軽やかだった。


「それじゃあ、行くとするか。スコーピオンのやつはとっくに言いくるめられてるだろうよ。」

 ジローはケニーのテントへと引き返した。

 彼もまた後をついて、暗闇の中へと歩いていった。

 そして、最後につぶやいた。


「そうだ、日陰者として生きることが僕の本質なんだ。」

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