18

 彼ら3人は、東京へと向かう高速バスに乗っている。

 狭いシート席だが、がらがらなので二つ分シートを使えてゆったりと座れる。

 夏休みだからか、大学生らしき連中がちらほら見える。

 もう秋だというのに夏休みなんておかしな話だ。

 どうせ少ない金を持っての貧乏旅行だろうが、彼らには関係のない話だ。


 彼らはアタッシュケースでは目立つということで、デイパックにしまってくることにした。

 そのおかげで、図らずもカモフラージュできたようだ。

 そして、彼は虚ろな目で外の景色を眺めていた。


 皮肉にも天気だけは無駄に良く快晴だ。

 高速道路の変わり映えのしない景色は眠るのには最適だが、彼は疲れているはずなのに眠ることが出来ず、一人煩悶としていた。

 そして、僕もまた思念の海へと潜り込んだ。


 あの後、僕たちは眠ることが出来ず、朝一番に出発する高速バスに乗ることに決めた。

 あの夜はあまりにも長い夜だった。

 ひどいことばかりが起き、全てが悪い夢で気が付いたらベッドの上だったということにはならないだろうか?

 しかし、横に座る二人の姿が目に入ると、全てが現実に起こったことなのだと打ちのめされる。

 何か見えない巨大な力によって操られているように思えてくる。

 しかも、悪い方、悪い方へと流されていく悪意の込められている力だ。

 だが、僕にはどうすることも出来ない。

 いや、どうにかしようという気にさえなれない。

 もう全てが手遅れで、どうでもいいようなことだ。

 破滅というものは、自暴自棄になった瞬間にやってくるのではないだろうか?


 この時の僕は、すでにそうなっていた。

 今の僕には、ただ後悔することだけだった。

 なぜ、彼女にあんなことを言ってしまったのだろう?

 あれさえ言わなかったら、今とは決定的に違う状況になっていただろう。

 僕みたいにバカな男は失ってからでないと分からないんだ。

 いや、頭で分かっていても、いずれ同じことを繰り返してしまう。

 僕みたいな男は全てを失い、孤独にのたれ死ぬのがオチだ。


 でも、僕のやったことなんて、歴史的な虐殺行為に比べればはるかに人間的じゃないか。

 独裁者や侵略者たちみたいに狂気的になんかなっていない。

 僕なんてタカが知れた小心者の小悪党だ。

 これぐらいのことなんて許されてもいいことだろ?

 誰でも一度や二度やることぐらいあるじゃないか。

 なぜ、こんなに思い悩む必要がある?

 割り切ってしまえよ。

 関係ないって思えよ!


 いや、そんなことは無理だ。

 彼女の泣き顔が目に焼きついて離れない。

 今まではそんなもの大したことじゃないって気にも留めなかったのに。

 単純に怒りだけをぶつけてくれたら何とも思わなかっただろう。

 でも、愛する人を泣かせてしまうってこんなにも辛いことなのか?

 高く高く舞い上がっていただけに、落ちた時のダメージが大きいってことか。


 僕はあまりにも脆く、弱くなってしまっていた。

 こんなにもうじうじとした奴に成り下がるぐらいなら、始めから愛なんてものを知らないままでいればよかった。

 これでめでたく僕も、失恋の痛手に嘆き悲しむ女々しい男の仲間入りってわけだ。


 彼が、ちらりと視線を動かすと、ジローとスコーピオンの姿が目に入った。

 二人が何を考えているのか分からないが、ずっと黙ったままだった。

 僕はそれでもありがたいとさえ思った。

 バスは誰が何を考えていようと、無関係とばかりに前へ前へと走り続けていた。


 バスが東京へと到着すると、彼らは他の客と一緒に降りた。

 とりあえず、彼は固まった筋肉を目覚めさせるように伸びをした。

 ここからさらに川沿いのホームレス村へと向かった。

 まるで、1つの町のように大小さまざまなテントや小屋までが並べられていた。


「なあ、ジロー。本当にその人大丈夫なのか?もし、裏切ったらどうなるか……」

 スコーピオンはあまりにも長い沈黙を破った。

 彼はようやく顔を上げ、自分の世界から現実の世界へと戻ってきた。


「昨日も言っただろ?オレは、ハードドラッグはやらないから、そいつが本物かどうかも判断できないんだ。今日本にいる知り合いで、ハードドラッグに詳しい知り合いが他にいないって。まったく、でかい図体してびびりすぎなんだよ。」

 ジローはあきれて答えた。


 そういえば、そうだった。

 その為にわざわざこんなところまで来たんだった。

 何もかも他人事のようになっていた。


「当たり前だろ!こんなの持って捕まってみろよ。何年喰らうと思ってんだよ。お前らにとっては他人事だからいいけど、オレの身にもなってみろよ。確かに、意識が飛んでたとはいえ、こんなもの掴まされた俺が悪いけどよ。」

 スコーピオンは情けないぐらいうじうじとしていた。

 彼は自分のことを棚にあげて腹が立ってきた。


「そうすねるなよ。その人に見せればハッキリとするんだから。偽物だったらただの笑い話だろ。」

 彼はなぜか慰めていた。


「そうだな。うん、そうだ。そうしたら、オレのおごりで飲もうぜ。どっちにしろ、元々なかった金だ。それで、全て元通りだ!」

 スコーピオンは、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。


「着いたぜ。」


 ジローがそう言うと、彼は正面に立つジローに顔を向けた。

 他のテントハウスとは違い、ファミリー用の巨大なテントだった。

 入り口にはポータブル式の外灯を立て、キャンプ用のイスが1脚置いてある。

 片隅には、アルミの大きなゴミ箱が置いてある。

 木々の間にロープを張り、洗濯物がずらりと干してある。

 その近くには、少々古い黒い自転車が一台止まっていた。

 完全に1つの家だ。


 ジローはその家の主を外から呼んだ。

 中から返事が返ってきて、少しすると主が出てきた。

 その主の顔に、彼は寒気が走った。

 幽霊みたいに青白い顔をして、骸骨のようにやせ細っている。

 落ち窪んだ目はぎょろぎょろとして、爬虫類のようだ。


 その男はジローと彼らが来たことを確認すると、中へと入っていった。

 どうやら中に入れということらしい。

 彼らは中に入り、テントのシートを閉めた。


 靴を脱いで内部に入ると、床には発泡スチロールの断熱材の上に、体操用のマットが敷き詰められている。

 布団も敷いてあり、寝床を確保してある。

 驚いたことにテレビまで置いてある。

 コードをたどるとカーバッテリーへとつながっていた。

 最新のゲーム機、数多くのDVD(主に裸の女のパッケージだが)、中身の半分入ったレミーマルタンのビン等々、物であふれていた。

 これらの持ち主が足でどかし、彼らの座る場所を確保した。


「どうも、お久しぶりですね、ケニーさん。」

 ジローがまず口を開いた。


「おう、そうだな。」

 ケニーと呼ばれた男は挨拶を返し、布団の上に腰を下ろした。

 アルコールでのどが焼けたような声をしている。

 不健康の見本のような男だ。


「いい家じゃないですか。どうしたんですか、これ?」

 ジローが周りを見回しながら言った。


「まあな、いい家だろ?快適だぜ。信じられるか、全部タダだ。何でかはいちいち聞くなよ?」

 ケニーは意味あり気なことを悪どい顔で笑いながら言った。

 いちいち聞かなくても、スコーピオンみたいな阿呆以外は誰だって出所は分かる。


「それにしても、まさか、お前が日本に戻るとは思わなかったぜ。あんなに散々日本の悪口を言ってたくせによ。」

 ケニーがその当時を思い出しているのか、にやにやと不気味な笑い方をしていた。

 そして、レミーマルタンのビンを取り、一口含んでからジローに渡した。

 ジローも一口あおり、ケニーに返しながら、


「色々とあったんですよ。ケニーさんみたいに強制送還されたわけじゃないですよ。」

 とジローは軽くカウンターを返した。

 ケニーは彼にも回し、一口含んでからスコーピオンにも回した。


「ああ、あのバンコクの日本人宿の件か。どっかから垂れ込みがあったんだよな。オレはたまたま何も持ってなかったから助かったけど、何人か無期懲役喰らったなあ。懐かしいぜ。そういえば、お前あの時いなかったよな?詳しいこと教えてやるよ。」


 ケニーはスコーピオンから返ってきたビンを手に取り、また一口あおった。

 そして、ジローにその何人かの名前を言い連ねて、その状況をニヤニヤ笑いながらからかっていた。


「でも、ケニーさんも不法滞在がばれて強制送還じゃないですか。」

 ジローも例のニヤケ面を出していた。


「まあいいじゃねえか。どっちにしろ、帰る金がなかったんだ。タダ乗りだ。」

 ケニーは笑い転げて、ジローも一緒になって笑った。


「それで、オレに見せたいものって何だ?」

 ケニーは笑いが収まると本題に入った。


「これですよ。」


 ジローはデイバックから紙袋を取り出し中を見せた。

 ケニーはそれを見てよだれを垂らしそうなほど食入って見た。

 おもむろに一塊を手に取ると、中身の白い粉を指につけてなめた。

 そして、感嘆の声を漏らした。

 さらに、少し白い粉を手の甲の上に出すと鼻から勢いよく吸い込んだ。

 腐りかけていた脳細胞が、刺激を受けて蘇ったかのように、身体が小刻みに震えた。

 そして、全ての摂理から解き放たれた超人類だと言いたそうな顔になった。


「どうなってるんだ?一体何がどうなってるんだ?」

 スコーピオンは思わず震える声でつぶやいた。


「どうなってるって?見れば分かるだろ。こいつはすげえぞ!極上品のコカインだ!」

 ケニーは光悦感からにやにやしている。


「そんな、最悪だ。どうすればいいんだよ。」

 スコーピオンは今にも泣きそうな声で弱々しく言った。


「そんな泣きそうな顔すんなよ。いいプランがあるぜ。」

 ケニーは小ずるく口元を歪めた。

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