17

 僕は何て事をしてしまったのだろう?

 自分の頭をかち割って、中身を確認したくなった。

 もしかしたら、スイカでできているのではないだろうか?

 そうでなければ、こんなバカなことをするはずがない。

 こんなにも取り返しのつかないことをしてしまうなんて。

 僕はいつまで経っても、ただの大馬鹿者だ。


 これで、本当に愛することのできる人を失ってしまった。

 まともな人間として生きていく最後のチャンスだったのに。

 自分で全て台無しにしてしまった。

 彼女は強い女性だ。

 だけど、本当の彼女は傷つきやすい女の子なんだ。


 僕は知っていた。

 分かっているはずだった。

 だけど、僕の無神経な一言で決定的に傷つけてしまった。

 神の言うとおり、僕は虫けらなんだ。

 それも、関わる人間すべてに害を与えるだけの害虫だ。

 もし、神が現れ、生まれ変わらせられるとしたら、文句も何も言わず、黙ってゴキブリにでもナメクジにでも変えて欲しかった。

 あいつらの方がはるかにまともだ。

 こんな人間なんて何の価値もない。

 もしかしたら、土に帰ることさえ出来ないかもしれない。


 ふと気が付くと、彼は大通りに沿って歩いていた。

 彼女のアパートから彼なりに自分を責めながら歩いてきたようだ。


 そこに道の反対側から猫のトラが歩いてきた。

 こいつはあの場には居合わせていなかった。

 それなのに、お前のしでかしたことは全て知っていると言いたげな目で、彼のことをにらみつけているような気がした。

 彼は罪悪感にかられ、立ち竦んでしまった。

 全身からは冷たい汗が吹き出している。

 トラはその彼の横を雄大に歩いていった。


 彼は身動き一つ出来ず固まっていた。

 その時にスマホが鳴り出した。

 スコーピオンからだった。

 彼はスマホをこのままガラケーのように折りたたんでしまおうか、というほどの力が指にこもった。

 どこにでもこういうタイミングの悪い大馬鹿者が存在するものだ。


 彼は着信を拒否して歩き出した。

 しかし、すぐにまた電話がかかってきた。

 彼の中で何かが切れる音がした。


「何だよ!お前は何なんだよ。」

 一瞬、誰がしゃべっているのか分からなかった。

 彼の声が自分の声ではないように聞こえた。

 まるで、身体の中に潜んでいるケモノが顔を出したようだった。


「な!?何って、オレはスコーピオンだよ。どうしたんだ、いきなり?」

 スコーピオンは完全に困惑しているような声だった。


「何か用かよ、こんな時に。」

 何て冷たい声なのだろうと自分でも思う。


「何も言わず、オレの家に来てくれ。」

「はあ?何言ってんだよ。行くわけないだろ。」

「なあ、頼むよ。マジでやばいことになってんだよ。」

 スコーピオンはあまりにも情けない声を出した。


「何が起こってるんだ?」

 この状態の彼にも同情してやるぐらいの感情はあるようだ。

 しかし、「電話じゃ無理だ。」と言ってもったいぶってきた。


「じゃあ、ダメだ。諦めろ。」

 彼はばっさりと切り捨てるように言った。

 そして、電話を切ろうと指を動かそうとした。


「ちょっと待ってくれよ!頼むって!お前ぐらいしか頼める奴がいなくて!だからさ……」


 スコーピオンはやけにしつこく、卑屈に頼み続けた。

 まだ何か言っているが、彼は頭に血が逆流して身体がぶるぶると震えていた。


「分かったよ!行くからもう黙れ!行ってやるからもう電話もかけてくるな!」

 彼はもはや悲鳴のように叫んでいた。


「本当か!じゃあ、すぐに来てくれ!絶対だぞ!」

 スコーピオンはようやく電話を切ってくれた。


 彼はこの瞬間、敗北感により肩をがっくりと落とした。

 スコーピオン如きの頼みも断れないなんて情けなさ過ぎる。

 それでも彼は約束を守るため、タクシーを捕まえようと通りを見ながら歩いた。

 

 また、電話が鳴った。

 スコーピオンからだった。

 そして、今度こそスマホを折りたたみ、近くのゴミ箱に投げ捨てた。

 

 思っていたよりも早くタクシーが捕まり、スコーピオンのアパートへと向かった。

 乗り込んだ時、ようやく靴を履いていないことに気が付いた。


 タクシーがスコーピオンのアパートの前へと到着した。

 タクシー代を払おうとしたら、財布の中には小銭しか入っていなかった。


 彼は運転手に待っていてくれるように頼んだ。

 スコーピオンの大馬鹿野郎に絶対に払わせてると、早足でアパートの入口に駆け込むと、そこには誰かがいた。

 ジローだった。

 彼は立ち止まり、お互いに顔を見合わせたが、二人とも何も言わずに中へと入った。


 スコーピオンの部屋の前にやってくると、ジローがチャイムを押した。

 しかし、誰も出てこなかった。

 ジローがおもむろに玄関ドアのノブを回すとドアが開いた。

 彼らは顔を見合わせ、怪訝な顔をした。


 部屋の中は明かりがついていなく、真っ暗だった。

 彼は明かりをつけて中へと入っていった。

 しかし、どこにもスコーピオンの姿が見えない。

 ジローが悪態をつくと、どこからか物音がした。


 彼らが後ろを振り向くと、そこにはクローゼットがあった。

 そして、彼は息をのんで開けてみた。

 開けた瞬間、彼はぎょっとしてドアから手を離し、後ろにのけぞった。


「何やってんだ、スコーピオン!」


 ゴリラみたいな大男が、クローゼットの中で毛布に包まりながら、がたがたと震えていた。

 彼の心臓は激しく鼓動し、身体が妙に鳥肌が立ってきた。

 スコーピオンは、彼とジローを交互に何度も見てからようやく口を開いた。


「お前ら二人だけか?つけられてないだろうな?」

 声も震えている。


「はあ?何言ってやがる。」

 ジローは全く理解できないというような口調で言った。


「さっさと確認して来いよ!行けって!」

 スコーピオンは偉そうに怒鳴り散らした。


 彼らは渋々玄関から渡り廊下を左右確認し、窓からも外をのぞいた。

 そこに、タクシーの運転手が車にもたれかかりながら、タバコをくわえていた。

 そういえば、彼はタクシー代を払っていなかった。

 そして、彼はスコーピオンから財布を奪い、タクシー代を払って帰ってもらった。

 ついでに、1万円札を1枚こっそりと抜き取ってポケットにしまった。


 他には何も怪しいことはなかった。

 スコーピオンはそのことが分かり安心したのか、ようやくクローゼットからのそのそと四つん這いで出てきた。

 窓にカーテンをかけるとマルボロの箱を手に取った。

 そして、シガレットを1本取り出すと口にくわえ、ジッポライターで火をつけ、煙を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 この動作をあまりにも緩慢にやるので、彼の胃のムカつきが増してきた。


「どうして、タバコは合法なんだろう?いくら持ってようと捕まることはないのに。依存性とか身体に悪いってのは間違いないんだろ?」

 スコーピオンはタバコの火を見つめながら、しみじみと言った。


「だから何だよ!そんなことをいちいち議論するために、オレたちを呼び出したのかよ!」

 ジローは苛立たしげに言い捨てた。

 もし、この時ジローが何も言わなかったら、彼が同じセリフを言っていただろう。


「ど、どうしたんだよ、お前ら?今日はやけに気が短いじゃないか。何かあったのか?」

 スコーピオンはいちいち詮索してきた。

 彼は殺意のこもった目でスコーピオンを見た。

 おそらく、ジローも同じ目をしているだろう。


「分かったよ、怒るなって。俺が悪かった。」

 スコーピオンはため息をついた。

「なあ、ジロー。お前、持ってんだろ?オレにもくれよ。素面じゃ考えたくもねえからよ。」


 スコーピオンはそう言うと、灰皿にタバコを押し付けた。

 そして、テレビの横の水パイプを手に取り、手際良く段取りをした。

 ジローは黙ってジーンズのポケットから、様々な名前をつけられている植物の細かくなった葉っぱを取り出した。

 中身をセットすると、二人は順番に勢い良く泡立つ音を鳴らして吸い込んだ。

 表情がほころぶとゆっくりと煙を吐き出した。

 そして、スコーピオンはようやく話を始めた。


「昨日のことだ。カジノへ行ってきた。もちろん、どういうところかはお前らなら分かるよ?とにかく、昨日は信じられないぐらいのバカづきだった。オレがやっていたのはルーレットだったけど、何をどうやっても勝ち続けた。笑いが止まらなかったぜ。流れがあるってのは本当だが、いつまでもいい流れが変わらないなんて普通じゃ考えられねえ。あんなのは初めてだ。

 で、精算してみると結局、五百万ぐらい勝ってた。信じられるか?一晩で五百万だぞ!もう興奮しすぎてて頭のネジがぶっ飛んでたんだろうなあ。その勢いでキャバクラ行って、派手に飲みまくったぜ。どんだけいたのかわかんねえけど、いつの間にか他所でコロンビア人みたいな奴らと飲んでた記憶があるんだ。

 気が付いたら、このベッドの上で寝てたんだな。起きた時はまだ酒が残ってて頭がふらふらしててよ、その感覚って分かるだろ?あの何とも言えない気分の悪さってないよな。その度にこんな飲み方は止めようと思うんだけど、あんな状態じゃ無理な話だろ。

 ま、とにかくだ。そんな時にベッド脇を見ると……よいしょっと、このアタッシュケースがあったわけだ。何でこんなものがあるんだと不思議に思ったけど、深く考えずに何気なく開けてみた。見た瞬間は良く分からなかった。実物を見るのは初めてだし、酔っ払ってて夢でも見てるのかと思ったよ。でも、夢じゃないと理解できた瞬間に、アルコールが一気に消滅しちまったぜ。」


 スコーピオンは話し終わると、同時にアタッシュケースを開けた。

 目に飛び込んできたのは、白い粉の詰まったレンガサイズのビニール袋だった。

 これにはジローも大きく目を見開き、唾を飲み込んでいた。


 彼はマリファナはやらないが、この時は一緒になって吹かしていた。

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