種無しバツイチ男による、子無しカップル量産計画。元男じゃ駄目ですか?

トファナ水

種無しバツイチ男による、子無しカップル量産計画。元男じゃ駄目ですか?

 大学入学を機に、故郷を出て十年。

 卒業後は上場企業に就職し、私生活では大学時代のサークル仲間と結ばれて家庭を築く事が出来た。順風な生活だったのだが、妻は子供が出来ない事で悩んでいた。

 もちろん〝レス〟ではない。むしろ、営みはほぼ毎日していたのだが、妻の胎内に命はなかなか宿らなかった。

 僕としては自然のなりゆきに任せればいいと思っていたのだが、妻にとって、子供を産み育てるというのは当然の人生設計だった。

 妻にせかされる形で、不妊治療のクリニックを二人で受診した結果、原因は僕の方にある事が判明した。僕は、いわゆる無精子症だったのだ。

 睾丸から精子の元になる細胞を採取して人工授精する手段もあるというので試みた。だが、僕の場合は全くの無駄だった。

 こうなると残る手段は、ドナーから精子の提供を受けての人工授精だ。妻はそれを望んだが、僕は踏み切る事が出来なかった。

 人工受精とはいえ、他人の精子で、妻が子を宿す事に耐えられなかったのだ。

 結局、妻とは別れる事になった。我が子を産み育てたいという彼女の願いを叶える事が出来ない以上、仕方が無かった。



 一人暮らしに戻り、僕は張りのない日々を送っていた。

 仕事はこなしていたが、どうにも意欲がわかない。去られた事で改めて、妻の存在の大きさが身に染みた。

 そんな折り、僕は部長から直に呼び出された。

 部長は米国支社から転任して来た白人ハーフの女性で、三十過ぎの金髪美人だ。容姿端麗だが、どうにも近寄りがたい雰囲気の人である。普段の業務指示は課長を介して行われるので、直接というのは珍しい。

 部長の用件とは、社員から自主企画を募集するので、応募してみないかという提案だった。その口調はいつになく柔らかい。


「自分がやってみたい事業があれば、企画書を提出して欲しいのです。営利事業として有望であるという一点さえ守れば、何でも結構です」

「何でもというと、会社の業務に関係ない事でもいいんですか?」

「ええ。我が社とは畑違いの内容でも、系列企業への出向や転籍という形で対応出来ます」


 確かに、うちの会社は総合企業グループの一員なので、全体では様々な事業を抱えている。出来ない事はないというのは大袈裟だが、そのジャンルは実に幅広い。


「それにしても何故、僕に?」

「最近のあなたの仕事ぶりは、全く精彩を欠いています。目立ったミスはありませんが、堅実さからという訳では無い。可も無く不可も無く、ただこなしているだけです」

「そうですか……」


 部長は、それまでの柔らかさから一転し、厳しい顔つきで僕の評価を言い放った。

 こちらとしては、うなだれるしか無い。実際、自覚はあったからだ。部下無しとは言っても僕は主任なのだから、仕事をこなしているだけでは駄目なのである。


「次期人事異動の絡みで、主任級の椅子を一つ空けなければなりません。そこであなたを、部から転出する対象として選びました」

「……地方へ行けと?」

「ただの転勤ではありませんよ? ベネズエラの孫会社へ片道切符の移籍。給与は現地水準になりますから大幅に下がりますし、居心地も悪いでしょうね」

「ベネズエラって、政権が不安定と報道されてますよ? インフレで貨幣価値も暴落してますし」

「ええ。ちなみに給与は現地通貨です」


 左遷にしても、通常ならありえない程の凄まじい冷遇だ。僕は部長をそんなに怒らせていたのだろうかと、背筋に冷たい物が走った。

 部長は、本社会長が米国の愛人に産ませた庶子だ。つまり傍流とは言っても創業家の血統なので、人事に自分の意向を反映させる事は簡単だろう。

 事実上、辞職勧告に等しい内容なのだが、ストレートに辞めろと言わない分、憤りの激しさが伝わってくる。


「これは内示ですが、仮にあなたの業績が急回復してもベネズエラ行きが変わる事はありません」

「では何故、企画へ応募しろと?」

「飛ばされるのが嫌なら、居心地のいい行き場所を自分で造れという事です。企画案が通ればそちらの担当になりますから、結果としてベネズエラ行きは撤回されます。せめてもの情けと思いなさい」


 ただ睨まれたにしては妙な提案と思い、僕は内心で首をひねった。しかし逆らえる筈も無く、僕は部長室を辞した。



 ベネズエラ送りが嫌なら辞めるか、企画に応募して通すしかない。僕は帰宅後、どういう企画ならいいのだろうかと考えた。

 他社の単なる後追いでは駄目だろう。しかし画期的な物なんて、簡単に思いつく筈も無い。

 ならば、自分や周囲が欲しいと思っているが、現状では供給されていないか不満足な商品やサービスを手がければいいのではないか。

 自分の今もっとも欲しい物と言えば…… 子供が要らない新たなパートナーだ。

 いわゆる婚活が話題になって以後、結婚紹介や出会いの場を手がける業者は林立している。

 だが、子供が作れない体というのは、婚活に際して重大なマイナスとなる。相手に連れ子があっても可ならそうでもなく、むしろプラスに働く事もあるが、僕はそれを望まない。

 別れた妻と、不妊治療を続けながら対話を重ねる内に自覚した。僕の本音は、子供がいない二人だけの生活に満足し、ずっとそのままでいたかったのだ。

 無精子症を天恵として、子供のいない人生を共に歩む伴侶を得たい。同じ様に考えている人も、きっと少なからずいるのではないか。

 そこで僕が考えたのは、もっぱら子供を望まない人のみを対象とした、結婚紹介業である。

 既存の業者でも、子供を望まない事を条件にする事は出来るが、登録に気後れする人は多いだろうし、成婚率も低いだろう。ならばいっそ、その様な人を専門に扱えば、セールスポイントになるのではないかと思ったのだ。



 アイデアさえ浮かべば、企画書はスムーズに書ける。自宅のパソコンで一気に書き上げ、午前零時には出来上がった。

 翌日、朝食をとりながら内容を見直した後、出勤前に自宅からメール添付の文書データで部長へ提出した。

 出社すると、朝一番に部長室へ呼ばれた。既に企画書を読み終えていた様だ。


「良いですね。以前の様に、前向きに仕事へ取り組もうという姿勢が戻っています。目の付け所も良好です。本社の取締役会には私の方から推薦しますから、大丈夫でしょう」


 部長は清々しい笑顔で、僕の肩をポンポンと叩きながら企画案を褒めてくれた。

 ベネズエラ送りというのは、僕を発憤させる為の脅しに過ぎなかったのかとその時は思ったのだが、後で人事部に確認すると、本当に準備が進んでいたというから恐ろしい。

 一週間後には企画案の採用が正式に決まり、僕は四半期の区切りで、結婚紹介事業を扱っている系列企業へ移籍する事になった。



 新たな職場は、フロアは違うが元の会社と同じビルで、移籍という気が全くしない。権限の関係上、僕は課長級へ昇進である。

 とりあえず給与は上がり、部下も三十名出来た。彼等はいずれも、僕の今回の案と似た提案を従来から社内でしていたが、定石に反するとして却下され続けていたらしい。やはり、結婚紹介業では「子供」は重要不可欠な要素という事の様だ。

 僕の課は社内から、〝業界常識を知らない素人が代表の独立愚連隊〟と思われているという。

 本社の取締役会の肝いり企画という事で予算は充分についていたから、社内の風評は気にならなかった。

 ベネズエラ送りにされかかった事を思えば、周囲の陰口ごときはどうでもいい。少なくとも当面の間は、本社の取締役会が僕の味方なのだ。〝虎の威を借る狐〟として好きにさせてもらうまでと開き直る事にした。

 まず手をつけたのは、従来事業の登録会員の内、僕の様な不妊症や、子供を望まない事を条件として明記している人のピックアップである。やはり、年収や居住地といった他の条件がマッチしても、かなり成婚率は厳しい様だ。

 もっとも、成立したカップルは会員から外れてしまうのだから、あきらめずに登録を継続していてくれるなら、むしろ〝上客〟とすら言える。

 しかし、成果が上がらないまま年月が経てば、そういう古参会員もいずれ諦めて退会する。成果を挙げられなかった我が社へ不満を抱く事になり、ひいては悪評の元だ。

 パートナーに求める条件が全体の傾向と異なる顧客に対しては、特化した対応をすべきと言うのが僕の考えである。

 同業他社の例だと、アニメ/ゲームの様に人によってはネガティヴな印象を持つ趣味や、一般的な婚活では対象になりにくい高年齢層にターゲットを絞った物がある。

 もちろん、あまりにレアな物では商売にならないのだが、子供が出来ない/希望しないパートナーを求めるという需要は、掘り起こしてみればまとまった人数がいると思うのだ。

 ともあれ、その様な層を狙った新ブランドを立ち上げるには、該当する既存会員の移籍を促す事が第一である。会員規模が大きい程、条件の合う相手は見つけやすい。新規会員を集めるにしても、最初からコアとなる人数が確保出来た方が良いのである。

 ピックアップした該当者には、これまで成婚しなかった事へのフォローとして、一定期間の会費を無料として新ブランドへ移行を促す様にした。

 次に行ったのは、グループ企業内の福利厚生の一環として、独身の社員が新ブランドの会員に、社員割引で登録出来る様にする事だった。これは利益をあげる事よりも、一般会員との成婚率上昇を狙っている。うちの企業グループは上場企業なので、年収や職業といった条件は申し分ない。

 不思議な事に、従来手がけていた結婚紹介事業では、グループ内企業の社員に対して積極的に目を向けていなかった。折角の多角経営なのに、これでは縦割りも極まれりだ。

 僕は本社の取締役会を通じ、グループ全社に対して、速やかに社員割引を導入してもらった。

 事前準備はこれに留まらない。いずれ同業他社も模倣してくる事を見据え、決して追いつけない様にサービスの強化を図る事にした。



 結婚して新たな生活をスタートさせるにあたり必要な、各種商品を取り揃えてサポートする体制を整えておけば、会員の安心感に繋がると僕は考えた。

 結婚式場、ハネムーン、そして新居や家具類。各種保険etc。

 これらの事業はグループ企業が元々、個々に手がけていた物だ。これを有機的に結合させれば、生涯を通じたサービスを用意する事が出来るのである。

 子供のいない夫妻にとって、最も不安になるであろう事は老後なので、その点は特に重視した。

 引退後を豊かに過ごすための個人年金。老化で身の回りの事が不自由になった後の介護サービス。そして、遺族がいなくても永劫の安らぎの場となる合同供養施設。

 我々はグループ企業体とは言っても、個々の事業は縦割り状態だった。だが今回の様に、本社の取締会の肝いりで行われているプロジェクトとなれば、協力を得やすい。まして、グループ各社自身の業務にもプラスとなるのだから、拒む要素も無い筈だ。

 結婚紹介の専業では、いかに大手や老舗であっても、ここまで徹底したサービスは真似出来ないだろう。



 こうやって準備を万端に整え、いよいよメインの新規開拓に取りかかった。

 最近はインターネットの使用歴から、個人のパーソナリティを割り出すのは容易である。こういったデータを活用し、対象となる層を的確に誘うターゲット広告は、今や普遍的な手段だ。

 よって、競合がないパイオニア状態での新規会員募集は、潜在需要の見込みが外れていない限り、さして難しい物では無い。


〝子供のいない人生を共に楽しむパートナーを見つけよう。結婚後も、生涯を通じて生活をサポートする各種サービスをご用意しています〟


 生殖機能障害を抱える人達をデータを使って見つけ出し、この様なフレーズでターゲット広告を送ったのだが、反応はとても良かった。

 僕の様に、不妊症が判明した事が原因で離婚したバツイチが多いのだが、独身の内に病気や事故で生殖機能障害を負った人や、中には幼少期に診断を受けて解っていた人もいた。

〝ずっと一人は寂しいけれども、子供の出来ない身では結婚は難しい〟と諦めていたところへ、積極的な提案をこちらから送れば、心に響く率は高いという物だ。

 会員申し込みは順調に伸びた。成立したカップルには、グループ企業から新生活に必要な物を次々と提案していく。会員は喜び、こちらも利益を上げ続けられる、まさに理想のサイクルだ。

 このまま成長していくかと思われたのだが、思わぬトラブルが発生した。



〝少子化が社会問題となっているのに、大手企業が子無しカップルを助長するサービスを提供するのは、重大な反社会的行為だ〟

 この様な主張が、ネット界隈で盛り上がったのである。

 僕はそれに対し、あくまで多様なライフスタイルの一つという一般論を主張すると共に、悪質な物には対決姿勢を取る事にした。

 誹謗中傷が著しいネット論客については、裁判所を通じて発信者情報開示を請求し、民事・刑事双方で責任を徹底追求。特に刑事では、執行猶予付きながらも懲役刑の判決が下るケースが複数出る結果となった。

 見せしめを示した事でネットでの誹謗中傷は激減し、会員に対しても顧客を守る姿勢を示せた。だが同時に、批判に不寛容で謙虚さがないというイメージも、企業グループ全体についた様だ。

 結果、顧客からの苦情を受けたとして、グループ内他社のあちこちから、僕へダイレクトにクレームが来る様になってしまった。例によって本社の取締役会が抑えてくれた物の、大きな失点である。

 筋は通しても、商売に支障が出てしまったのでは問題だった。



 どうした物かと考えあぐねていた処で、部下の一人から業務の相談があがって来た。性転換者の会員登録希望があったが、支障ないかというのである。

 問題の入会希望者は、元は男性で、現在は女性の性転換者だ。幼少期から自分の性に違和感を抱き、十代で性別適合手術、いわゆる性転換の処置を受けたという。

 法的にも、現在は女性となっているそうだ。

 性別適合手術では、新たな性としての営みの機能は持たせる事が出来るが、生殖機能は失われてしまう。残念ながら、現時点における医学の限界である。


「法的に新たな性として結婚が出来る以上、会員資格には問題ないね」

「しかし、紹介の際に性別適合手術歴を伏せたら、トラブルになりませんか?」

「身体情報は重要だから、伏せる事はありえない。先方さんにはその点をご納得頂いてよ」


 こういう情報を隠したまま紹介しても、むしろ問題となる。これは他の原因で不妊の人も同様で、例えば子宮ガンの既往歴といった情報も、健康上のリスクとして開示するのがうちの規定だ。

 それに、性転換者を伴侶として受け入れられる人でなければ、紹介しても成婚は難しいだろう。

 僕自身は、元男性であっても、今は女性なら相手として問題ないと思う。だが、こういう事は個々の心情に関わる問題なので難しい。

 部下には規定に沿った指示を出したものの、より積極的にこの様な人達を新たな顧客として迎え入れ、満足いく成果を出すにはどうしたら良いだろうか。

 社会に対する啓蒙が必要だと、僕は考えた。



 啓蒙というと、社会正義を旗印にした説教めいた物を想像するが、そんな事は営利企業の行いではないし、効果も見込めない。

 僕が考えたのは、交際相手が性転換者と知り、それを受容して最終的に結ばれるといったストーリーのフィクション作品を流行らせる事だ。

 グループ企業内には出版社もあり、そちらに話を持って行ったのだが、編集局の返事は芳しくなかった。

 局長いわく、〝TS物〟といって、魔法とか輪廻転生といったファンタジーな手段で男性から女性になる作品は多くあるが、現実の啓蒙には役立たないだろうとの事だ。

 つまり、そういった作品のファンが、現実の性転換者を普通に異性として受け入れる様になるかと言えば別問題だという。あくまで絵空事で、リアリティが無いからこそ人気があるのだそうだ。


「何か、そちらの結婚紹介事業の会員でそういった実例があれば、内容を盛った上で作品化ってのはいけそうだと思うんですけどね」


 やるなら、現実をモチーフにしたリアル志向の作品か。そうなると、何とかして実例を造り、かつ当事者に承諾を得なければならない。

 最初の一組か。申し込んで来た件の人を、成婚に持って行ければ……



 自分のオフィスに帰ってみると、転籍前の元の部長からメールが届いていた。彼女は現在、末席ではあるが本社の取締役である。会長の娘だから不思議ではない。

 メールの内容はと言えば、責任者が独身のままでは、結婚紹介業として問題ではないかと、本社の取締役会で話題が出たと言うのだ。

 そんな事をわざわざ連絡してきたのかと思ったが、確かに僕自身は、結婚紹介の会員として登録していない。

 グループ企業の社員に登録を推奨しておいて、自分はしていないというのも全くおかしな話だ。そもそも、この企画のきっかけは、僕自身が望んだサービスのビジネス化ではなかったか。

 他意は無く、仕事に夢中ですっかり忘れていたのだ。そこで早速、登録してみる事にした。

 社員が会員登録する場合、社員番号を入力すれば大半のプロフィールは自動で入力される。新たに必要な項目は、主に相手へ求める条件だ。

 高望みする気は無い。常識的な範囲で項目を埋めていく中、気になったのは人種/民族という項目だ。下手をすると差別になるのだが、内容は簡易に、自分と同民族を望むか拘らないかの二択になっている。ここは、拘らない方を選択した。

 最近は、南米系やアジア系の帰化者やその子弟も増えていて、我が社を含めたグループ企業の社員にも普通にいる。別に問題ない。

 入力を終え、早速、相手の候補者のリストアップをしてみると、筆頭に凄まじいプロフィールの持ち主が現れた。

 年収が五億円の会社役員で、年齢は三十四歳。最終学歴は米国の院卒で経営学修士。人種は日本人と白人のハーフで、出生地は米国だが、現在の国籍は日本とある。

 会社役員にしても高収入だが、大半は株式配当と資産運用による物との事だ。

 生殖機能は無しとあるから、うちの会員のメイン層である、子供を作れない体である事は確かだ。その点については、うちではマイナスにならない。

 だが、それ以外の内容がハイスペックすぎて、候補者リストに挙がっても大抵の会員は気後れしてしまうだろう。

 そもそも、何故、僕の筆頭候補としてピックアップされたのか。

 気になったので〝興味あり〟としてチェックした。これで先方にも僕のプロフィールが送られ、OKならより詳しい資料が相互に開示される。



 翌日。オフィスでパソコンを開き、結婚紹介のサイトにアクセスしてみると、先方もこちらに興味を持ち、プロフィールの詳細情報が開示された旨の通知があった。

 僕程度のスペックで大丈夫なのかと思いつつ、先方の詳細情報を見ると、開示された写真は見覚えのある顔だった。

 昨日メールをくれたばかりの元上司、今は本社取締役である。どうも、彼女も僕同様に生殖障害を抱えていた様だ。

 僕の提出した企画を高く評価してくれたのも、これで納得がいった。自分自身にも関わる事だからだ。

 この人、会長の庶子だった筈だがと思い家族構成を見ると、いつの間にか母親が会長の再婚相手になっていた。つまり本人も嫡出となった訳だ。異母兄が三名いるから、跡取りという訳ではないだろうが。

 さらに開示された細かいデータを読む内、健康情報に目を引く記述があった。〝十三歳時に性別適合手術歴有、女性ホルモン剤の定期投与継続中〟とあるのだ。

 先日に部下が報告してきた、入会希望の性転換者とは、彼女の事だったのか。

 それにしても、問題の人物は会長令嬢にして本社取締役というVIPだったのに、それを報告しないとはどういう事か。


「課長には言うなと口止めされていまして、その……」


 報告してきた部下を問い詰めると、彼は口を濁した。

 企画の長としては言いたい事があるのだが、一会員としてこの資料を見る限り、どうだろうかと考える。

 美形で高収入というのは素直に嬉しい。性転換者というのは、気にする人は少なからずいるだろうが、僕にとっては問題ない。生涯を共にしてくれるなら、それで良いのだ。

 最終的にNGを出されたら物笑いの種だなと思いつつ、パソコンから交際希望の返答を出したのだが、背後からのぞき込まれている気がしたので振り返った。

 そこにはいつの間にか、元上司がいた。


「良かった。断られたら、どうしてやろうかと思っていたのですけど」


 元上司は満面の笑みで、何気に物騒な事を言った。断ったら何をされたのだろうか。


「もしかして、部長…… いえ、取締役が僕の相手候補に選定されたのは仕込みですか?」

「はい。私が最適候補となる様にしてありました」

「……僕の、どこが気に入ったんです?」

「私、これまで何人かの殿方とお付き合いした事があるのですけど。性転換をカミングアウトすると、みんな去って行きました。あなたは無精子症が原因で離婚したと聞きましたので、もしかしてと思ったのです」


 子供が作れない同士という事で、拒否されない可能性があると思った様だ。短絡にも思えるが、振られ続けた事で心理的に辛かったのかも知れない。


「でも、父に認めて貰うには相応の実績が必要でしたし、あの頃のあなたは腑抜けていましたから。少々手荒な事をしました」

「それでベネズエラ行きをちらつかせて、企画提出を迫ったのですか」

「はい。企画の内容が都合良い物でしたし、父によるあなたの評価試験を兼ねて推薦したのです。直接の業績も及第点ですが、グループ企業間をリンクして総合的な顧客サービスの構築を試みた点も、父に高く評価されていますよ」


 創業家の婿ともなると、経営手腕を問われるのは当然だろうが、新企画を提案させて任せるというのは、実に壮大なテストである。


「仮に、僕が早々に、結婚紹介に会員登録して相手を見つけたらどうするつもりでした?」

「実は、私は登録を早期に済ませていたので、あなたが登録すればそれで話が進んだのですよ。ずっと待っていたのに、いつまで経っても登録しない物ですから、しびれを切らしてメールを入れたのです」

「ああ、なるほど…… ん? 僕は先日、そこの彼に性転換者の登録可否を聞かれたのですが、その前から既に登録はしてあったのですか?」


 辻妻が合わない事に気がついた僕は、この件を報告してきた部下に視線をやった。


「すみません、規定上は元々問題なかったのですが、お嬢様が一度聞いてみる様にと仰った物で……」

「お嬢様?」

「その子は元々、当家の私的な子飼いです。今回の企画が立ち上がる際に送り込みました」


 お目付役まで潜り込ませるとは、なかなかに周到である。


「それで、どうでしょう?」


 いつの間にか、彼女の目はギラギラと輝いていた。三十路の才媛ではなく、人身御供を前にした魔物の瞳である。


「……ここまでされて、駄目な訳ないじゃないですか」


 観念して、僕は求愛を受け入れた。

 その瞬間、クラッカーがオフィス中に鳴り響いた。


「おめでとうございます!」「お幸せに!」


 部下一同が一斉に唱和する。これも彼女の仕込みだろう。僕の知らない間に課全体が掌握されていた様だ。



 こうして、僕は元上司にして本社取締役の会長令嬢と、めでたく婚約する事になった。

 彼女は、僕がグループの出版社に持ちかけていた、啓蒙目的の作品企画についても乗り気だった。実例を元にするなら、自分達がいるではないかと言うのである。

 早速、僕達二人のなれそめをモデルにした漫画の企画が立ち上がる事になった。

 大企業グループ会長の令嬢が元男性で、離婚で意気消沈した部下を見初めて叱咤激励し、立ち上げさせた新企画が成功した末に結ばれる。

 荒唐無稽とも思える実話のストーリーは市中の興味をかき立て、作品は期待通りに話題となった。内容のインパクトもあり、宣伝効果は強力だ。

 新規会員層として多くの性転換者を取り込む事に成功し、その他の会員も、相手が元同性でも問題ないという人が随分と多くなった。

 社会が変わるきっかけとなったと自負しているが、偏見や抵抗感を払拭したというには程遠い。

 そして、いよいよ結婚式だが、これも次の一手である。

 招待客には政財界の重鎮が大勢いるが、保守系がメインだ。性的マイノリティや子供のない夫婦に否定的な意見を露わにしている人が特に目立つ。

 彼等は立場上、自分の心情を曲げてでも僕達への祝福を強いられる訳で、それは言質ともなる。取材に来ているマスコミを通じ、その事実は世間に広く知られるのだ。

 発案者は彼女だった。用意周到に相手を追い込んで強要するのが、好むスタイルの様だ。僕もそれで捕らわれた口である。


「皆さん、披露宴で何を仰るか愉しみですわね」


 伴侶たる人は僕のかたわらで、嗜虐的な笑みを浮かべている。やはり彼女は魔物だ。

 大変な人に捕まってしまったと今更に思うのだが、僕はもう、つき進むしか無い……


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