#10 紅音の思惑




 目黒から学校の最寄駅までの電車移動は地獄だよな。周りの目を気にしつつ、茉莉に気配りしなきゃなんないんだから。満員の車両は茉莉にとって非常に恐ろしいものらしく、ずっと俺の胸に顔を埋めたまま、制服をきゅっと握ってる。



「ハルヤ〜〜〜怖いよ」

「大丈夫だ。もうすぐ着くからな」


 

 しかし、自分がラファエルだということを隠すのは難しい。制服を着ている以上、顔を隠すと逆に目立つ。伊達メガネ掛けてきたけど、全然効果ない。マスクもしてるけど……いつまで持つか。



 ようやく駅に着いて、一斉に降りる乗客の中に圧倒的に多いのはうちの高校の生徒。ああ、気まずい。髪を切ったのは失敗だったな。



「ラファエルじゃね。心夜の弟の」

「まじだ。うちの高校だったの!?」

「信じられない……あんな人いた?」



 聞かなかったことにしよう。茉莉の腕を引いて通学路を進む。駅からさほど離れていない学校までの距離が、いつもより長く感じるわ。マジで誰とも会いたくない。



「あ、アカネちゃ〜〜〜〜ん」

「茉莉と春彩さま。おはようございます」

「おはよう紅音ちゃん」



 相変わらず紅音ちゃんはボロボロのリュックを背負っているな。あ、そうだ。秋奈の約束。忘れないうちに言わないと。



「あの……すごく言いづらいんだけど……ライブのチケット売ってくれない?」

「え? 私のですか?」

「うん。妹が行きたいって煩いんだわ」

「構いませんよ。差し上げたいくらいですけど、お金が……」

「ああ、大丈夫。ちゃんと払うし、お礼もするから」

「わたしもいくっ!」



 俺と紅音の間に強引に入ってきた茉莉が、俺と紅音ちゃんを交互に見て頬を膨らませる。いや、絶対に分かってないでしょ。この子。



「紅音ちゃんの歌は、ハルヤが作ってるんでしょ!! わたし、ハルヤの曲もアカネちゃんの歌も聴きたいのっ!」

「待て。茉莉、わがまま言う子はダメだぞ」

「いえ。待って下さい。茉莉の言うことも一理あるかもです」

「え?」

「茉莉は春彩さまをライブに連れて行ったのですから。もしかしたら、そのときの記憶が戻るかもしれませんよ?」



 そうだった。リロードをしなければならないんだった。つまり、ライブに行ったこともここでリロードすれば、なにかしら茉莉の記憶も進展するかもしれない。



「じゃあ、三枚買うよ。まさか、翼のやつ出てくるんじゃ?」

「それについて、いい考えがあります。あとで、こっそりラインしますね」

「………うん。分かった」



 なんだろう。いったい紅音ちゃんは何を考えているんだろう。



「むぅ。アカネちゃんとハルヤがわたしにカクシゴトしてる。むぅ」



 記憶を失っても嫉妬とかするのな。ああ、俺もそうだったわ。ごめんごめんって言って頭をイイコイイコすると、すぐに機嫌が直る。



「ほら、帰りにアイス買ってあげるから」

「アイス!? ほんとっ! ラムネアイスやったぁ」



 この前偶然コンビニで見つけて買ってあげたラムネアイスが大好物みたいなんだけど、なかなか売っていなくて四苦八苦。こんなことなら買いだめしておけばよかったな。




 ★




 リュックで顔を隠しながら教室に入って茉莉を席に座らせる。なるべく顔を上げないようにして席に着くと………アレ、視線が痛い。え、待って。もしかして。




 ————キモ男イコールラファエルって、今日まで気づかれていなかった?


 あんなに報道されたのに。




「キ……キモ男がラファエル? まじ?」

「……え。だから茉莉って隠してたの?」

「そっかぁ。心夜さまのことを記憶喪失のラファエルさまに質問攻めにさせないために」

「なるほどなぁ。茉莉ちゃんあったまいいな」



 いや、お前らがアホすぎるだけだと思うんだけど。なんなら、前髪で顔隠して、眉毛太くしたくらいでバレないわけないと思うんだけど。




「茉莉って頭いいよな。キモ男の正体は記憶を失った心夜だってみんな悟ってたもんな。ちがかったんだろ。キモ男って呼ばせるあたりすげえよな」




 悟っていたんかいっ! そりゃあ、そうだわな。茉莉と紅音ちゃん以外のみんなで口裏合わせしていたってことだよな。マジか。



 ふと、教室の入り口を見ると、こちらを覗く女子に混じって男子生徒の姿が。その視線は茉莉に注がれている。躊躇わずに教室に入ってきて、茉莉に話しかけた。



「茉莉ちゃん、もしよかったら、今日放課後遊びに行かない?」

「え? 遊びにいくの?」

「うん。どこにでも連れて行ってあげるよ。文化祭の事故の怪我大丈夫? 無事で良かった」

「ブンカサイ? なんだっけ?」

「え…………?」



 まずいな。記憶喪失がバレる。まだ公にしていない。バレたらこういう輩が増える可能性がある。今まで茉莉は、こういう男子を軽くあしらっていた——というより近寄らせないオーラを出していたのか。まずいぞ。



「茉莉ちゃんってもしかして、事故のショックで忘れちゃった? 記憶喪失ってやつ?」

「うん。わたし、記憶喪失になっちゃったの」



 そう答えるよな。間違いない。素直な子になっちゃったし。だめだ。そろそろ止めないと。ラファエル顔バレなんて気にしている場合じゃない。茉莉が拉致されてしまう。行くかッ!!



「へ、へえ。なら、俺が色々と教えてあげ————ぶへ」



 紅音ちゃんが男子の後ろからヘッドロックをキメた。



「あんたのような男子に茉莉は近づけさせないッ! くそゴミ野郎が散れッ! カスがッ!」



 紅音ちゃんやっぱりそれが素だったんだーっ!! かっこいいけど、少し怖い。



「は、春彩さま。なぜ静観してるんですか? あと一歩で茉莉が」

「ご、ごめん。出ていこうとしたんだ」

「………くれぐれも茉莉の保護者として、しっかりしてくださいッ!」

「………はい。ごめんなさい」



 すると、立ち上がった茉莉が満面の笑みで、俺の頭を撫でてくる。イイコイイコ。



「ハルヤ〜〜〜! 落ち込まないのっ! アカネちゃんに怒られちゃったの? わたしはハルヤの味方だからねっ!」

「……はい。ごめんなさい」



 調子が狂う。いつもの茉莉なら、檄を飛ばすくらい活発だったんだけど。いや、そういえば記憶喪失前もいろいろな男が毎日、茉莉を訪ねてきてたわ。茉莉はあしらうのが上手くて近寄らせてなかったけど。やはり、記憶を戻してもらわないと、俺の身が持たなそうだ。



「ほら、席につけ〜〜〜」



 担任が来ちゃった。茉莉は大人しく席に座ったところを見ると、順応しているようだな。




 ★




 くたーって机に突っ伏す茉莉の腕を引いて、階段の踊り場まで来た。屋上に上がる扉は封鎖されていて、机が山積みになっている。茉莉とご飯を食べたいつもの場所。



「授業なに言ってるのか分からなかったぁ〜〜〜」

「大丈夫だ。記憶が戻った俺も何を言っているか分からないから」



 勉強は苦手だ。だけど、茉莉は学年で五本指には入るほど勉強ができたはず。記憶喪失になってしまって失われてしまったか。可哀そうに。



「ほら、お弁当食べるよ」

「お弁当っ!! やった!」



 お弁当って言っても、コンビニで買ってきたやつだけどね。今日は仕方ない、許してほしい。文句は記者に。あいつらが悪い!!



「お、春彩。お前、ラファエルだって隠してたのな。そういうことは早く言えよ」

「………満に言ったら、どうせエロいこと考えるんだろ?」

「記憶が戻って冴えてきたな。それにしても白詰が記憶喪失とは、お前ら随分とご都合主義だろ」

「ハルヤァ。この人絶対にヤバい人だよ。だめだよ話しかけられても答えちゃ」



 茉莉の野生の勘が働いたのかもしれない。満はヤバイやつ。それは間違いない。エロの申し子だし、茉莉に対してもエロいことを考えているに違いない。



「ところで、お前の言っていたやつ調べてやったぞ」

「どうだった?」

「心夜は失踪なんてしていない」



 ここで茉莉の表情を見る。だが、特に変わった様子はない。無論、これは俺が満に頼んで一芝居打って貰っている。茉莉がガチギレした満の一件のリロードだ。



「じゃあ、心夜は?」

「………知らん」

「だよな」



 しかし、ここで茉莉の反応が変わった。違和感を覚えたような表情。だが、それで終わり。リロードしても先が見えない。



「春彩が記憶を戻したから言うけど、白詰はお前のために」

「ああ、聞いた。だから、俺……茉莉を」

「ったく。ラブコメしてんじゃねえよ。だけどよ。白詰のこと頼む」

「……? なんでお前に頼まれなきゃいけねえんだよ」

「なんでもねえよ。とにかく、白詰のこと大事にしてやってくれよ」



 じゃあな、と言葉を残して、満は立ち去った。あいつ、なんだったんだ。茉莉は両手でコンビニおにぎりを持って、美味そうに食べてんの。マイペースっていうか。



「美味しいっ! ハルヤもはやく食べようよっ!」


「はぁ……俺、学校で茉莉みたいにできないな」



 俺に相当手を焼いたはずだし。だけど、俺、茉莉のためにがんばるよ。

 

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