#09 生殺しの夜




 秋奈が紅音ちゃんに似ている………? 言われてみれば、似ているような気もするけど。雰囲気だけじゃないかな。目元も少し。秋奈はメイクをばっちりキメているし、紅音ちゃんはすっぴんだし、比べようがないというか。似てるっていえば似てるかな、くらい。



「う、嬉しいッ! 紅音ちゃんの大ファンなの。お兄ちゃんって偶然にもクラスが一緒なんでしょ。茉莉ちゃんも小学校で一緒だったっていうし。いいなーいいなー」

「ごめんなさい。覚えていなくて」

「ああ、茉莉ちゃんごめん。気が利かない発言だったね。全部、お兄ちゃんが悪いんだから、しっかりと責任もって、茉莉ちゃんのこと頼むよっ!」

「……はい」

「それと、茉莉ちゃんに厭らしいことしたら、ぶっ殺すからね」

「……はい」



 俺が沈んでいたと思ったのか、茉莉はイイコイイコしてくれた。「ハルヤ大丈夫?」って言って。それを見ていた秋奈は、「大丈夫そうね。なんだかほっこりする」と呟く。こいつは、俺のことを何だと思ってるのか。



 リビングでペットボトルのホットラテを啜って、秋奈は時計を見るなり、「あ、帰らないと。門限とっくに過ぎているし」と慌ただしく玄関に向かう。



「秋奈、ありがとうな。助かった」

「約束忘れないでよ。紅音ちゃんのライブね」

「ああ。分かった」

「アキナちゃんまた会える?」



 茉莉は秋奈の袖を摘んで、寂しそうにそんなこと言うんだけど、秋奈のどこがいいのか。人懐っこい茉莉とは違って、秋奈はどこか人を寄せ付けないオーラみたいなものを出している気がするんだよな。



「会えるよ。茉莉ちゃんはあたしにとっての幼馴染でもあるんだよ?」

「幼馴染……アキナちゃんとわたしは幼馴染。ハルヤとわたしも幼馴染……」



 秋奈は「じゃあ」と一言を残して、外廊下を駆けていった。





 俺が先に風呂に入って、その後で茉莉に風呂に入ってもらって——よく考えればちゃんと身体を洗えているのか不安になる——ようやく眠れると思いきや、茉莉の髪の毛にはまだ泡が残っていた。洗えてないじゃん。なにかいい方法はないのか。



「茉莉、ちゃんと頭洗えてないだろ。身体も大丈夫か……?」

「洗ったもんっ! ほら、すべすべでしょ」

「い、いや、頭に泡残っているところを見ると……洗えてないんじゃないか」

「……あ、洗ってるもんっ!」



 そんな意固地いこじにならなくても。どう考えても洗えていないだろう。まさか一緒に風呂に入るわけにもいかないし。沙月にお願いするか。うーん。悩む。



「とにかく、シャワーを頭の上から被ってきて」



 出しっぱなしにしたシャワーを浴びるように茉莉を再び浴室に入れて、俺は溜息。



 上がった茉莉をソファに座らせて、ドライヤーで髪を乾かしてやる。ドライヤーが怖いのか、顔をキュっとして力を込めている感じ。しかし、このミディアムな髪の毛って乾くの遅いのね。乾いても、ボサボサだから、クシで梳かしてやるんだけど、コンディショナーしてないだろ。せっかくのキューティクルのツヤがなくなっているな。



 やっぱり、誰かを呼んで風呂に入れてもらおう。沙月か紅音ちゃんあたりかな。秋奈は金取られそうだし。いや、お礼はするけどさ。




 結局、今日も茉莉と同じ部屋で寝るハメに。俺がリビングのソファで寝るという選択肢もあったけど、茉莉は一人で眠ることができないらしい。猫のぬいぐるみと俺は、寝るときのワンセットになっているみたい。



「茉莉、そのぬいぐるみは大事なものなのか?」

「………分からないの。でも、なんだか大切なような。いつもこの猫ちゃんと寝ていたような気がするの」



 つまり、記憶が失くなる前も猫のぬいぐるみと一緒に寝ていたということか。それはそれで、あの茉莉がそんな可愛らしい一面を持っていたとしたら、胸キュン問題に発展するんだけど。ちょっと、いや、かなり信じられないな。



「茉莉、プラネタリムしてあげるから、もう寝よう?」

「え。お星さまと一緒に寝られるの? やったっ!」



 鼻歌なんて歌いながら猫のぬいぐるみをギュッとして、仰向けでゆっくりと回る星空に目を輝かせている。俺はそんな茉莉の様子を見て、なんだか変な気分になってきた。茉莉に対する気持ちが恋愛的愛情に加えて家族的な愛情みたいなものが備わった感じ。そんな気分で、茉莉の髪を撫でてやる。すると、茉莉は、「ハルヤ〜〜〜なんでイイコイイコしたの? お星さま観てるだけだよ?」と不思議そうに俺を見た。



「いいんだよ。俺にとって、茉莉はイイコなんだから」

「………ふーん。あ、アンドロメダ星雲だ。こっちはシリウス」

「詳しいな。どこで覚えたの?」

「ハルヤがお風呂に入っているときに、ネットで調べたの」

「へ、へぇ。スマホの使い方思い出したの?」

「ううん。お気に入りに入ってたよ。はじめから」



 記憶喪失前の茉莉が星が好きだとは知っていたが、ネットで調べるほど好きだっていうことか。そこまで星がすきだったなんて。もっとはやく、このプラネタリウムを見せておけばよかったな。



「ほら、そろそろ寝よう。このままにしておくから」

「う、うん。ハルヤ……」

「うん? どうした? 茉莉が眠るまで一緒にいるから安心し——」

「ぎゅってして。温かいハルヤが好きなの」

「………え」



 まさか、そんなことを言うとは思ってもみなかった。寝ぼけて抱きしめてきたことはあったけど、まさか起きているときに、そんなことを言うなんて。記憶喪失なんだから、きっと素なんだろうけど。



「茉莉………じゃ、じゃあ」



 腕枕をしてあげて、抱き寄せた。柔らかい肌の感触に生唾を飲んで瞳を閉じた。ああ、これはまずい。まずいまずいまずい。エッチさせて、なんて言ったらいいよって言うし。もう限界なんだけど……。



「ハルヤって温かいね。大好きっ!」



 今度は茉莉が俺をキツく締めるように抱きついてくる。胸が当たってるし、太ももは脚の間に押し込んでくるし。ああ、そうか。俺はぬいぐるみの感覚なんだ。猫と俺。どう考えてもそうだ。



「俺、ぬいぐるみじゃないぞ。本当にこれが必要なのか?」

「知ってるよ。でも、こうしたいって、心の中がザワザワするの」



 いや、だとしても生殺しすぎる。俺だって男子だ。男子高生がこんな残酷な仕打ちを受けて黙っていられるはずないだろう。



「茉莉……男にこういうことしたら、危ないんだからな」

「どうして? 危ないの? なんで?」

「俺以外の人に、こういうことしたら絶対にダメだからな。襲われて大変なことになっちゃうんだから」

「ハルヤ以外の人……するわけないじゃん。ハルヤはわたしの……」

「よし、約束な」

「わたしの幼馴染だもん。好きな人だもん。他の人にしちゃいけないことくらい記憶喪失だって知ってるもん」



 ほんとかよ。風呂で洗身すらできないのに、分かってるのか。でも、そこまで強い口調で言うなら信じるけど。



「分かった。でも、俺はもうキツイ。だから、早く寝てくれ」

「イヤ。もう少しこうしていたいから、寝ないのっ!」

「……もう頼むよ。問題は起こさないって約束で茉莉と一緒に生活してるんだから」

「問題起こしてもいいよ。黙っててあげるからっ!」

「そういう問題じゃねえよ」




 煩悶はんもんして唇を噛みながら耐え忍ぶこの状況が打破されたのは、茉莉がようやく寝息を立てた一時間後だった。俺はとてもじゃないけど眠れない。猫のぬいぐるみを茉莉に渡して、強制的に抱きしめさせた。



「ふぅ。困ったな。こんなの毎日続けられたら……いくら身があっても足りないぞ」



 独り言を言ってしまうくらい辛い。切ない。悲しい。生殺しとはうまい言葉を作ったものだ、なんて感心してしまうほど言い得て妙というか、絶妙な言葉というか。



 その悶々とした気持ちをエレクトーンにぶつけると、ものの30分で一曲出来上がった。我ながらすごい。性欲大爆発な新曲の完成。



「ハルヤ〜〜〜〜どこぉ!?」



 寝室から呼び声………マジか。




 結局生殺しは続いた。朝まで。

 

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