幼馴染と同棲とリロードする茉莉。紅音

#01 長いプロローグの終わりに 始まりの同棲





 病室に戻ると、茉莉は起き上がりベッドから窓の外を眺めていた。背中が少し寂しくて、声をかけるのを躊躇ためらうなぁ。だけど、俺が弱気でどうする。茉莉は俺の中身が空っぽになっても、決して弱気になることはなかっただろ。



「茉莉。おはよ。起きたんだね」

「ハルヤ………お、おはよ。ごめん。わたし……誰だっけ」


 

 まだ混乱してるな。昨日おばさんが教えたはずなのに。



「茉莉だよ。白詰茉莉。一七歳。俺と同じ貴音高校に通う女子高生」

「……そう」

「うん。茉莉。思い出してくれなんていうのは、ちょっと俺の口から言うのはなんとなく……言いづらいんだけど」

「どうして? わたし記憶を失くなっちゃったんでしょ。ハルヤが心配してたって先生が言っていたよ。ハルヤがわたしのこと……わたしの記憶が失くなっちゃったのは嫌なことでしょ?」



 俺と違う。アホになっていない。茉莉は……知能はそのままで記憶がないだけか? 瞬時に状況を理解しているっぽいし。



「ねえ。俺は……茉莉のためになんでもするつもりでいるんだ。だから、俺にできることは何でも言ってほしい。」



 まるで漫画の世界だな。俺にできることはなんでもするって、逆に俺にできることが限られていて、皮肉にしかならないだろうが。もっと気の利いたこと言えないのかよ。



「……昨日はごめんね。わたしがプリン食べたいって言ったから買ってきてくれたのに。何も思い出せなくなっちゃったのが急に怖くなっちゃって。吐き気がしたの」

「分かるよ」

「なんで、ハルヤに分かるの? わたしの何が分かるの?」

「俺……一昨日おとといまで記憶喪失だったから。でも茉莉のおかげで思い出せたんだ。だから——」

「——嘘ばっかり。そんなに都合よく記憶喪失になんてなるはずないよ」

「……そうだよな。嘘みたいだよな。分かるよ。俺だって、今、茉莉が記憶喪失なんて信じられないよ。でもな。俺、分かるんだ。不安で、どうしたらいいのか分からなくて。急に一人きりの世界に落とされたみたいだろ。誰も何も分からないんだから」



 記憶を失った初日、俺はまさしく孤独との戦いに負けそうだった。だが、茉莉はずっと俺に話しかけてくれて。俺がどんなに震えていても、やさしく頭を———そうだ。頭を撫でてくれて、俺は思わず抱きついたんだった。茉莉……今度は俺が。



「茉莉。大丈夫だ。怖くない。独りじゃない。俺がずっとついてる」



 茉莉の頭を撫でた。やさしく。の心を込めて。願う。記憶が戻らなくても、今は少しでも茉莉の心が安らぐように。



「ハルヤ……なんで分かったの?」

「え? なにが?」

「頭ナデナデしたくなったの? わたし、頭ナデナデしてほしかったの。なんでだろ。頭ナデナデがすごくね、すごくみるの」



 無意識だろうけど、茉莉が俺の肩に頭を預けてきた。この光景……なんとなく……ああ、音楽だ。俺がエレクトーンを弾いた時。あのとき、同じように茉莉は。




 ————音楽の力だ。




 スマホを取り出して、ピアノのアプリを開く。そう、俺はいつもからの頭の中に突然五線譜が泳ぐときに、いつもこのアプリで音を起こしていたんだ。




 愛する人に。愛する人に聴いてほしい曲。愛する人に奏でたい音楽。愛する人に愛を。愛する人に笑ってほしい………愛されたいし愛したい。茉莉を。茉莉のすべてを。




「キレイな音楽。ハルヤはピアノ弾けるの?」

「うん。小さい頃、兄さんと一緒にピアノ始めたんだけどね。兄さんは苦手でね、かわりにダンスを始めた。俺も兄さんにあこがれてダンス習ったんだけど……兄さんみたいにうまくなれなかった。だから、俺が音楽、兄さんがダンス。上手く出来てるよね。兄弟で」

「兄さん? ダンス?」

「ああ。ごめん。今は思い出さなくていいよ。ゆっくり思い出そう」



 茉莉が少しだけ笑った。微笑んだ。頬をほんの少し緩める程度。でも、俺はそれが嬉しくて、もっと弾いた。作った曲はほとんど覚えている。片っ端から弾いた。もっと笑ってほしくて。茉莉——笑って。



「すごい。いっぱい弾けるんだね。なんだか、わたし——ハルヤのピアノが好きなのかも。だって、胸の中がキュンってなるの」



 スマホをサイドテーブルに置いて茉莉を抱きしめた。茉莉がしてくれたように。もしかしたら、茉莉は拒絶するかもしれないよな。だけど、俺に下心なんてものは一切ないんだ。ただ、茉莉が同じようにしてくれたとき、俺は救われた。だから、俺も茉莉を救いたい。伝わるかな。下手をすればセクハラだからな。



 孤独になったから分かる。今、俺にできることは、茉莉の心を包んであげることだけだから。だけど、茉莉は俺を覚えいない——どうする?



「どうして……抱きしめるの?」

「体温。温かいでしょ」

「………うん」

「少しでも茉莉を温めてあげたいんだ。怖がらないで。世界中の人が茉莉のことを忘れても、俺は茉莉を忘れない」




 民主主義で負けても、たった一人になっても、茉莉を守る。絶対に。




 俺が記憶喪失になってはじめて思ったことは、意外にも自分のことを世界中の人が忘れてしまったのではないかという失望感だったんだ。自分が世界中のことを忘れているのに。自分の記憶がないのに、自分のことを世界が置き去りにしたような気持ちになったんだ。



「ハルヤ……わたし……多分、これ嬉しいんだと思う。だって、感情が……優しい気持ちが……温かい気持ちが……切なさが溢れてくる」

「茉莉……」



 扉が開いた。コンビニ袋片手に沙月が入ってきた。


 やべえ。あぶねえ。茉莉の記憶がないことをいいことに、セクハラしてるなんて思われたら、それこそ変態だろ。



「……にいに? ねえねに抱きついてた?」

「………ち、ちが。これは……ハグだ」

「あやしい。ねえね、大丈夫?」

「わたし……ハルヤから抱きしめられると……胸の中が…なんだかおかしいの」

「……胸。にいに。おっぱい触ったんでしょ」



 だめだ。沙月はアホだった俺のことが頭から離れていない。こいつ未だに俺が変態春彩だと思っているんじゃないのか。なんてことだ。



「おっぱい………ハルヤだめだよ? 人前でそういうこと言っちゃ?」

「え? 茉莉? どうした? なにか思い出したの?」

「ううん。勝手に言葉が。ううん。言わなきゃいけない気がしたの」



 ————そうか。脳がリロードしたんだ。



 俺のときの同じ。やっぱり今村先生の理屈と同じことが茉莉にも通用するかもしれない。つまり……茉莉の行動をなぞれば……記憶が戻るんじゃないか?



「茉莉……気が変わった。おっぱい見せてほしい」

「にいに……記憶が戻っても変態なんだね……ねえねが可哀そう」

「パンツでもいい。パンツ見せてくれたら、思い出すんじゃないか?」



 茉莉が頭を抱えた。やっぱりだ。反応している。俺のことをいつも気にかけてくれていたんだから、記憶喪失の俺の言葉で、俺の行動で茉莉に接すればいいんじゃないのか?



 だが、茉莉は頭を抱えたまま、ベッドに横になってしまった。ああ、俺と同じだ。ゆっくりと気長にやるしかないか。


 俺は音楽を作ることと、ダンスを兄さんよりもうまくなることに懸命に努力していたんだ。茉莉も同じように、なにかそういう風な打ち込んでいたものがあれば、記憶を戻すヒントになるんじゃないか。



「茉莉はなにか、がんばっていたことないか? 一生懸命取り組んだこととか」

「……にいにってアホだね。記憶戻ったのにアホなの?」

「ひどい言われようだよ。だって、分からないんだから仕方ないじゃん」

「本気で言ってる?」

「本気も本気。本気で分からないんだよ」

「にいにだよ」

「……ん?」

「にいにのことしか頭になかった。にいにのためなら、どんな自分にもなりきっていたし、どんなえげつないことでもしてたでしょ。にいにが生きがいだったの。それくらい分かれ。アホマヌケバカブタノケツ」



 年下相手に何も言えなくなってしまう俺って、やっぱりアホなのかな。だが、打ち込んでいたことが、趣味とかそういうものじゃなくて、俺という人。つまり、俺自身が茉莉の脳のリロードになる可能性があるってことか。



「茉莉……えっちしよう」



 ああ、妹のいる前で言ってしまった。これで変態決定だ。だが、これで茉莉はどういう反応をするんだろう。



「……ハルヤ。えっちとかそういう言葉言っちゃダメ」

「ねえね。こんな変態ほっとこ。あ、そうだ。ねえねの好きなラムネ買ってきたよ!」

「ら、ラムネっ!! ラムネラムネっ!」




 ……………は? ラムネ好きなの? 俺の卑猥発言よりもずっと効果的じゃねえか。



 まるで錠剤のようなラムネを口に入れると、両手でほっぺたを押さえて満面の笑みなのね。ああ、沙月に負けた。自信喪失した。なんだか、悲しい気持ちだ。



「もし、にいにがどうしてもっていうなら、ねえねの好きなものとか教えてあげてもいいんだけどなぁ〜」

「た、頼む。なんでもするから教えてくれ」

「じゃあ〜〜あたしのほっぺにキスして。そしたら教えてあげる」

「は? ここで? 沙月はバカなのか?」

「む。じゃあ、おしえな〜〜い」



 くっ! 致し方ない。本当にいいんだな、なんて訊いても頷くだけ。



「なら、いくぞ」



 ゆっくりと唇を沙月の頬に近づけると………。



「ハルヤッ!! ダメ!!」



 茉莉が俺を強引に沙月から引き剥がした。あれ、なんで。



「やっぱり。ねえねは、にいにに対する感情は覚えてるよ。野生の勘みたいなやつじゃない?」

「野生の勘って。沙月……茉莉をなんだと」

「ママ〜〜〜やっぱり春彩にいにに反応するよ〜〜〜」



 え。マ、ママって言った? おばさんいるの?



「春彩くんに反応するみたいですね。今村先生」

「ええ。白詰さん。やはり、春彩くんの負担になりますが、それしかありません」




 おばさんと今村先生が、俺と沙月を手招きした。廊下に出て立ち話。嫌な予感しかしない。



 っていうか、おばさんと今村先生がなんで一緒にいるの。もしかしてずっと扉の外で聞かれてた? え。おっぱいとかパンツとか、エッチとかってNGワード聞いてた? あれ、なんだろう。記憶が戻ったのに、頭の中が真っ白だ。



「春彩くん。お願いがあるのですが」

「おばさん……な、なんでしょう」

「娘を預かってくれないかしら」



 えっと、預かるっていうのは……茉莉が小動物みたいだからって、ペットのようにケージに入れて家で飼うってこと? 人身売買ならぬ人身飼育? うわ卑猥だわ。



「茉莉ちゃんはあなたの記憶を戻すことに尽力を注いだの。それこそ、朝から晩まで貴方あなたのお世話をしたでしょう。だから、茉莉ちゃんに同じように貴方の世話をするフリをさせてあげてもらえないかしら。でも、茉莉ちゃんの家から貴方の家まで通わせるのは……危険でしょ」




 い、今村先生……もしかして。家に茉莉を…………。




「え。もしかして、家に泊まり込み? マジですか? え。沙月と一緒に来ればいいじゃないですか?」

「にいに、あたし毎日は無理だよ。朝練だってあるし。第一、それじゃあ、お世話にならないんじゃないかな? なんで沙月が一緒なんだってねえねは思うでしょ」

「お、おばさん……?」

「ごめんなさい。春彩くんの家に住まわせて貰ったほうが……安心なの。家では監視もできないし。朝も私が送っていくことが時間的に難しくて」




 完全に茉莉を丸投げ………え、まじ。もしかして、親父と俺に対する当てつけとかじゃないの? 『お前を茉莉が必死にお世話したんだから、恩を返せ』的な。



 未成年の男女を同じ屋根の下に住まわせるのは、問題じゃないのか。それに、おっぱいとかパンツとかエッチなんてNGワードを爆撃したばかりなんだぞ。



「未成年の二人ですが、春彩くんと茉莉は幼馴染だし。もう兄妹のようなものでしょう。学校には私から説明しておきます。間違いは絶対に起こらないって、押し通しますから」



 いや、押し通されても。この親にしてこの子ありだな………。






 ————あっと言う間に一週間。退院日。




「ここがハルヤの家〜〜〜楽しみだねっ!」

「え? な、なにが楽しみなの茉莉?」




 ————決まってるじゃん。同棲っ!




 一週間経った今、茉莉の性格は記憶喪失前に戻っていた。でも、記憶はほとんどない。俺と家族の記憶以外消えた模様。




 幸い感情は戻っている。





 あれ、俺、問題起こさないように………できる自信ないや。





—————

茉莉との同棲が始まります。

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