幕間 幼馴染は俺のためなら容赦ない 後編




 チャイティーラテの味がしなくなった。いや、甘いけど、脳が麻痺して何も感じようとしない。ひどい。いや、酷いのは俺だ。勝手に兄さんを恨んで。逆恨みもいいところじゃないか。



「で。記憶喪失になったわけだな。茉莉ちゃんが嘘をついたっていう話。確かに嘘だが、もしそのまま二人とも無事だったら、真になる嘘だよな」

「……ああ」

「意気消沈気味みたいだが、続けるぞ。今から僕がお前に話すことは、茉莉ちゃんのためだ。だが、お前を責めているわけじゃない」



 正直、責めて欲しかった。俺、かっこ悪いよな。



「今村先生は茉莉に協力を願い出た。春彩が熱心に取り組んでいたことを刷り込んでみたいと。んで、一つは音楽。これは入院初日に試したが、お前の脳が安定してなくて失敗に終わったらしい。この時点では、茉莉ちゃんどころか家族の誰一人分からない状態だったみたいだな。次に茉莉ちゃんを思い出したところで、家で音楽を流した。するとお前が混乱したから止めた。しばらくして、受診をして、安定してきていると先生が判断したところに、今度はダンスをやらせた———が、お前は倒れた。だが、同席した今村先生は、なにか見えたんだろうな」



 あのときは、頭がグルグルして一斉に情報を流し込まれるような感覚だった。だが、二回目三回目と通ううちに、なんだか楽しくなって………。



「そこで、今村先生は一計を案じることにした。お前の作った曲、それも一番大切にしている曲でダンスを踊らせたらどうかと。それをダンスバトルという記憶を失うことになった原因のイベントを脳にリロードさせたら、なにか変化があるかもしれないと考えたんだ」



 それで、ダンスバトルか。俺が心夜に似ているということもあって、一般のイベントは難しかったんだろうな。それで、擬似的に文化祭ですることにしたということか。



「……記憶喪失のお前がダンスバトルなんていうものに挑戦せざるを得ない心持ちにするためには、どうしたらいいと思う?」

「………紅音ちゃんか」

「ああ。だが、紅音で釣った際に、記憶が戻ったお前が紅音を好きになったままでは困るだろう? 紅音のためにお前がダンスでバトってくれているっていう状況は、非常にまずいわけだ。紅音とお前がくっついたら心夜にも茉莉ちゃんにとっても、最悪の結末になる。ま、それ以前に、茉莉ちゃんがやすやすと春彩を渡すはずもないんだけどな」

「つまり? 茉莉は自分をダシに?」

「そう。紅音からお前を引き剥がすのは賭けだったんだ。茉莉は相当悩んでいたらしい。お前が記憶喪失になってから、茉莉ちゃんになんの感情も抱いていなければ、成功しないからな」



 そうか。なんとなく分かってきたぞ。茉莉はそれで………。もし、記憶喪失になった俺の茉莉に対する感情が消えてしまっていたら………。



「紅音のライブ。あのとき、僕が癖でハグをしたことを茉莉ちゃんは相当怒っていた。それで、お前らの学校まで行くハメになったんだ」



 あの茉莉の翼カッコいい発言はそのためだろうな。俺に嫉妬してほしかったんだ。いや、もしかしたら、俺の気持ちを確かめようという目論見もあったのかもしれない。で、ダメ押しで翼に手にキスをさせて、俺は茉莉に傾きはじめた。単純だな。



「その前に茉莉ちゃんの嘘だ。自分が告白をしたと言って、茉莉ちゃんが春彩に好意を持っていたことを告げるとともに、僕使って揺さぶりをかけたわけだな。おまえの性格を知り尽くしていた茉莉ちゃんならではの作戦だよな」

「………確かに。兄さんにダンスバトルを挑むくらいだからな。悪かったな。突っかかりまくりで」

「ああ。だが、ダンスバトルに乗り気だったお前の名分が紅音のためなのか、茉莉ちゃんのためなのか、茉莉ちゃんは判断がつかなかったらしい。だから、俺を再び使って剥がしに掛かった」




 俺の気持ちを紅音ちゃんから引き剥がすために……。俺に目撃させたってことか。




 つまり、要約してみると、俺が紅音ちゃんとくっついてしまうのは、心夜の存在を知らない紅音ちゃんのためにも俺のためにもならないってことだった。

 


 次に、俺の脳をリロードさせるために、今村先生は、俺の一番思い入れのある曲でダンスバトルをして欲しかった。そこで茉莉に協力を願い出た。おそらく茉莉が芸能事務所の社長の子だって知っていたから提案したんだろうな。



 ダンスバトルをすると言っても、俺が乗り気になる状況を作らなければならない。素の状態では、ダンスバトルなんてするはずがないからな。


 あのときの再現ならば、俺に多少の憎しみも持って欲しかった——と思う。だから、翼に協力を願い出た茉莉は、紅音ちゃんから俺を引き剥がした上で、翼と親密であるかのように見せて、嫉妬させる作戦に出たということか。


 第一弾がカッコいい発言。しかし、アホな翼にハグされた紅音ちゃんに気をそらされた。


 第二弾が茉莉の手にキスをさせたこと。茉莉にしこたま怒られた翼は見事演じきった。これで俺の気持ちが傾く。


 第三弾は、少し時間が戻るが、ライブの帰りに茉莉が『わたしが告白をしたの』発言。


 第四弾が翼と茉莉がカフェで親密にしているところを目撃させる。そして、俺の頭の中は茉莉でいっぱいになった。



 結果、茉莉に傾きつつ翼に憎しみを持った。そして、あの時に似たダンスバトルに挑むことになった。



 だが、それでもうまく行き過ぎている。翼と一緒にいた茉莉を俺が偶然目撃できるはずはない。確率で言っても、ごくわずかだ。



「それで、お前と一緒にいる茉莉を目撃した俺は、天秤が一気に傾くように茉莉に気持ちを持っていかれて、完全にお前を敵視したと。だが、偶然すぎないか?」

「——紅音を使ったんだ。詳細は言わずに、文化祭のクラス実行委員に春彩がなるように仕向けるから、紅音にもなってほしい、と。紅音の金銭支援する条件として、それも付け加えたんだ」



 ん。なんか引っかかるぞ。



「待て。少しおかしくないか。茉莉は紅音ちゃんの借金を知らなかったような反応をしたぞ。なのに、紅音ちゃんに兄さんのことを教えないのは不自然じゃないか?」

「おそらく知らなかったさ。知ったのはごく最近じゃないのか? お前の親父が紅音の借金で反対していたと聞いたのは、秋菜ちゃんからだ。沙月も当初は知らなかった。茉莉ちゃんが母親に頼み込んでいるところを見て、沙月は初めて知ったらしい。さすがに茉莉ちゃんに言いふらすようなことは、親父さんでもしなかったさ」

「じゃあ、なんで茉莉は紅音に兄さんを教えなかったんだ? 時系列がおかしいだろ。というよりも、どうやって理屈をこねたんだ?」

「紅音を傷つけたくない、頼むって親父さん、心夜の世話を申し出た白詰家の家族に頭を下げたらしい。まったく」

「くそ親父だな。絶対今度殴る」

「ま、借金あるから近づけるなとも言えないし、白詰家に碧川家の金銭事情を言いふらすことは避けたかったんだろうな。それに、もし、茉莉ちゃんが紅音の借金を知っていたら黙っていたと思うか? 紅音をないがしろにしたと思うか? 茉莉は紅音が金持ちなんの不自由もないお嬢様だと思っていたんだ」

「そうか」

 

 普通はそう思う。大人気の歌手だし。金が無い方がおかしいと思うのは普通だ。


 だが、逆だな。親父が正直に話していれば、紅音ちゃんは救われたかもしれない。茉莉も知りたかったはずだろ。



 俺は親父が嫌いだ。だが、俺たちを守ろうとしてくれているのは分かる。借金か。あとどれくらい残っているのか。


 あ。っていうかなんで親父、そんなこと知っていたんだ? 兄さんが紅音ちゃんの借金のことを言うなんて想像つかないけど。



「話を戻すが。それで、お前はまんまと実行委員をやらされたわけだな」

「で。俺が嵌められたということか。うん? 紅音ちゃんは………やる気まんまんだったぞ?」

「お前、毎週テレビに出てて、ライブもこなす碧川紅音が暇だと思ってるのか? 音楽番組掛けて映らない日がないほど、紅音はテレビやニューチューブに出てるぞ?」



 —————っ!? 



「確かに………言われてみれば。学級委員長がキョドってたもんな」

「どんな企画であれ、買い出しはあの場所でって伝えてあったんだ。茉莉ちゃんから紅音に。で、僕たちはお前たちを尾行した。俺から紅音にラインを送った。BLACK WINGS 黒と翼を英語にしたIDだな。内容は、カフェの中を二人で見ろってな」

「黒芽の芽はどうした?」

「芽の英語が分からなかった。それに黒い翼のほうがかっこいいだろ」

「あっそ……」



 つまり、紅音ちゃんは実行委員になれと言われて、買い出しの場所を指定されて……挙げ句、翼にラインで呼び出しさせられて……あれ、なんか引っかかる、回りくどい。



「……紅音からしてみれば、してやられたって思っただろうな。自分に向いていた気持ちが一気に霧散されちまったんだから。まさかお前が茉莉のためにダンスバトルをするよう仕向ける作戦だなんて思ってもみないだろ」

「それで、容赦ないって言ったのか……紅音ちゃん」

「茉莉ちゃんが作戦を言ったら言ったでバレるかもしれないからな。仕方ないだろ」

「だが、わざわざ文化祭の実行委員じゃなくてもよかったんじゃないのか?」

「それでは茉莉が、場所を指定することができない。そうだろ。紅音に、お前とどこどこでデートしてこいなんて命令したら、おかしい話になるだろ。つまり、確実に遂行できるのが、文化祭実行委員での買い物イベントだ」

「俺は耐えきれず、逃げ出した……それも計算のうちか?」

「それが想定外だったらしい。だが、茉莉ちゃんは確信した。自分の狙い通りに事が進んでいると。自分と翼を見て、茉莉ちゃんに何の感情も持っていなければ、お前は茉莉ちゃんに挨拶して、僕に突っかかって終わりだからな」



 茉莉を傷つけてしまったと思っていた。ここで、茉莉の告白の嘘が生きたんだ。そう、茉莉の告白の嘘がなければ、あのとき、俺は泣いて終わっていたと思う。俺に対する茉莉の好意が少しでもあるって思っていなければ、茉莉を傷つけた、なんて感情は起こらないはずだから。



 つまり、俺が撃沈してしまえば、それは茉莉にとって作戦の失敗を意味する。どこまで綿密な計算をすれば、こんなことが思いつくんだ……マジで茉莉は容赦がないぞ。



 俺の性格を茉莉は知り尽くしていた。敵対心むき出しで、絶対に翼に食って掛かるって思っていたんだ。兄さんという一流のダンサーに勝負を挑んだくらいなんだからな。



「で。茉莉ちゃんは肝心な仕事が残っていた」

「ダンスバトルをどうやって学校に通すか、だろ」

「ああ。まずは自分が生徒会の準備委員に立候補するところから始まった」

「毎日、忙しく動いていたからな。それなのに、毎朝俺に……」

「ああ。とりあえず、目下の仕事をこなすところから始めたらしいからな」



 茉莉は俺を構うことができずに心苦しいと言っていた。お礼を言うほど、紅音ちゃんに頼っていた。すでに俺のことを心夜だと信じ切っていた紅音ちゃんを騙したまま。いや、騙したんじゃない。否定できなかったんだ。俺が心夜じゃなければ誰なんだという話になり、行き着くところは兄さんの居場所がバレる。だが、俺が心夜だと紅音ちゃんが認識していたからこそ、紅音ちゃんに俺を託した……。


 おそらく、茉莉のことだから、俺の記憶が戻るまで手を出すな、とか条件を付けたんだろうな。紅音ちゃんは『記憶が戻るまで待ちます』って言っていたし。



「それで。どうやったかは知らないが、茉莉ちゃんはダンスバトルの開催を押し切った」

「それで…………あの事故か」

「ああ。茉莉ちゃんは、お前の記憶を戻すことを最優先に考えた。これで戻らなかったらどうするって訊いたんだ」

「…………ああ」

「そしたら、次の作戦に移行するってさ。お前との両思いも、お前の記憶も諦める気なんてさらさらないわけだ。だから」




 ————そんな茉莉ちゃんを頼む。




「最後に訊いていいか?」

「なんだ。春彩」

「お前……茉莉に恋してるんじゃなかったのな? 俺はてっきり」

「バカ言え。お前にそこまでする茉莉ちゃんに当たって砕けるほど、俺のメンタルは強くねえよ」

「………だよな。やっぱり紅音ちゃんだよな?」

「………辛えよな」




 ————叶わないって分かってる恋ほど辛えもんはねえ。




「当たって砕けろよ」

『お前バカだろ。寝たきりの親友から女をかっさらうほど俺はイカれていねえよ。それにはじめから』




 ————敵わない親友ほど辛えもんもねえんだよ。




 翼の印象が変わった。こいつもつらい思いしてんだな。幼馴染って薬にも毒にもなるのかもな。俺は薬だったけど、こいつの場合は………。




「翼。ライン交換しようぜ」

「お前なかなかキモいやつだな」

「ちげえよ。茉莉の記憶を戻すときに、協力してほしいだけだ」

「……お前に茉莉ちゃんと同じ芸当ができるとは思えないんだが」





 だが、すんなりラインを交換した。





 さて。茉莉の病室に戻るか。今度は俺の番だ。




 茉莉。茉莉のしてくれたことが、俺の希望になった。




 俺は茉莉を諦めない。茉莉の記憶が戻るまで、俺はなんだってやってやるからな。







 ———————

 もしかしたら矛盾があるかもしれませんが、おおめに見て下さい。

 ※医学的根拠や病状、科学的根拠、治療方法は度外視しております。あくまでも架空の病気です。ご了承下さい。

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