幕間 語られる真実
幕間 幼馴染は俺のためなら容赦ない 前編
おばさんが来た形跡がある。果物を置いていったのか。リンゴとバナナがそれぞれ一つずつ、サイドテーブルの紙皿の上に置いてあった。俺は茉莉の好みが分からなかった。茉莉は俺のことを知り尽くしているのに。
罪滅ぼしというわけではないけど——口に合わないかもしれないけど、プリンを買ってきた。今日は食べたくなるかもしれないし。
記憶喪失になってしまった茉莉は、脳の精密な検査を行うために入院が伸びてしまった。致し方ないことだけど。記憶が戻る道が示されるといいな。
扉が開いた。入ってきたのは、フードを被ったマスク姿のサングラス男。そんなやつ一人しかいない。翼だ。
「なにしに来た?」
「おいおい。春彩。開口一番それはないだろ」
「俺はお前に負けた。確かに負けた。それと許す許さないは別だからな」
「……お前って根に持つタイプだったのな」
「茉莉の手にキスをしたこと許さないからな」
「…………そのことで謝りに来た。すまんな」
正直面食らった。見た目的に、そんなに素直なやつだと思ってもみなかったからだ。謝るって言ったって、手の甲にキスをしたことを俺に謝るのも、なんかおかしい気がする。俺は茉莉と付き合っているわけではないし。
「茉莉ちゃん寝てるんだろ。ちょっと付き合えよ」
「……ああ。分かった」
翼と来たのは、病院に併設されているスタービックス。有無を言わさずチャイティーラテのホットを二つ注文した翼を睨みつける。俺は香辛料が得意ではない。できれば、コーヒーが飲みたかった。だが、自分で買う気はない。チャイティーラテが勿体ないからだ。
「で? 謝るってどういうことだ?」
「………なにから話せば良いんだろうな。これは、茉莉ちゃんの代わりに僕が謝ることと、お前が茉莉ちゃんのしてきたことを勘違いしないようにするのが目的だ。それと、これは昨晩遅くまで電話で沙月ちゃんに教えてもらったことだ。僕から聞いたって茉莉ちゃんには話すなよ」
「………分かった。沙月に迷惑が掛かるなら、俺は口を閉じる。約束する」
バツが悪そうに周りの目を気にしながら、翼はチャイティーラテを啜る。そして、ボディバックからB6のノートを取り出して視線を落とした。
「まず、春彩は記憶がある程度回復した? 間違いないか?」
「ああ。まだ病院に行けてないから、なんとも言えないが、頭の中を覗く限り、だいぶ回復したことは間違いない」
「そうか。じゃあ、それはお前一人の力、もしくは偶然回復したと思ってるのか?」
「………いや。音楽のチカラが関係しているとは思っている」
翼は俺の記憶が回復したいきさつを知っているように話す。茉莉は把握していたってことだよな。確かに、偶然ではない事象がいくつかあった。俺の作った『愛する人に』という曲を充希先生が持ってきたこと。ダンスの振り付けをしてくれたこと。
「茉莉ちゃんは、お前の記憶が戻ることを最優先に考えたんだ。例え、お前から嫌われようとも、紅音がお前を嫌うように仕向けたとしても、すべて、お前の記憶が戻るように道筋を考えたんだ」
うん? 俺が茉莉を嫌う? 紅音ちゃんが俺を嫌う? 意味がわからないぞ。頭がクリアなはずなのに繋がらない。
「まず紅音だ。茉莉ちゃんの話を聞いたとき、僕は正直茉莉ちゃんを疑った。紅音に接近しないように、紅音にお前のエロいところや、良くない噂を流したんだ」
「は? 茉莉が? なんで? 性格悪くね?」
「お前、記憶が戻っても馬鹿なのな。お前が心夜の双子の弟なんだろう?」
————そうか。紅音ちゃんの初恋の人は心夜。そこに俺が兄さんだと勘違いされたら………。紅音ちゃんを抱き込めば良かったんじゃないのか。
——そもそも、心夜の双子の弟ということを伏せていたことは茉莉も知っている。つまり、俺の意思を尊重したのかな。それで、紅音ちゃんに俺の正体をバラすわけにもいかなかった、と。まあ、どの道、俺がなぜ記憶喪失になったのかを紅音ちゃんが知れば、必然と兄さんに辿り着いてしまうか。
よって、そう仕向けざるを得ないか。
「お前が紅音を好きになってしまった故に、茉莉ちゃんは手を打ったんだ。お前にとっても紅音にとっても、幸せになれるはずないだろ。心夜があんな風じゃ。僕も心夜が寝たきりになっている、なんて知らなかったんだ。失踪ってことになっていただろ」
「でも、紅音ちゃんは知る権利があったんじゃないのか? 兄さんが寝たきりだってことを」
「普通はそう思うよな。だが現実は違かった。お前の親父が反対したんだ」
「——はっ!? なんで? そんなの勝手すぎるだろ」
「知ってるだろ。紅音は親の莫大な借金を抱えてる」
「そ、それでもッ! 俺は納得いなかない」
「………それに知らぬが仏って言葉あるだろ。紅音だって傷を負うんだ」
確かにあれからずっと、兄さんの傍から離れようとしない。紅音ちゃんは人が変わったように無口になって、言葉を忘れてしまったみたいだし。さっき、兄さんのところに行ったら、紅音ちゃんはずっと泣いていたし。
「………俺、教えちゃったぞ。それに、金が愛情を断ち切る原因なんて悲しいだろ」
「お前はまだ子供なんだよ。金の切れ目が縁の切れ目かもしれないしな」
「………翼と俺は考えが平行線だな」
「それでいい」
「だが、俺は誰がなんと言おうと、紅音ちゃんには教えるべきだと思っている」
「……ああ。正直、僕がお前の立場でも同じことをしたと思うがな」
こいつ……いまいち考えが分からないやつだ。結局どっちだよ。親父のやつも酷い。紅音ちゃんは自分の借金じゃないのに、苦しんでいるんだろう。俺は許せない。紅音ちゃんはもっと幸せになるべきだ。
「茉莉ちゃんが金持ちの家なのは……知ってるよな?」
「……ああ。父親が芸能関係の事務所の……待て。待てよ。丹原満……あいつッ!」
「今度は察しが良いな。異性の茉莉ちゃんでは、お前の監視を学校で完璧にすることが難しいと踏んだんだ。そこで、母親が茉莉ちゃんの父親の秘書をしている丹原満を使って、お前を監視するとともに、エロを吹き込んだんだな」
「茉莉は、碧川紅音だけは近づいちゃダメってよく言っていた……それだけでは、弱いと思って、満を……」
「満だけじゃないぞ。茉莉ちゃんの話では、クラスメイト全員に、春彩をキモ男とか陰キャと呼ばせるように頼み込んだんだ。紅音一人のために」
「………イジメか? 俺イジメられっ子なのか? 泣くぞ」
「被害はなかっただろ。キモ男と呼んでも、みんなお前を避けたりしなかった。紅音以外全員、何かしらの事情があるって聞いていたんだ。それに、記憶喪失なのは明白な事実だからな。だが、茉莉ちゃんも春彩が心夜の双子の弟だと言うことは伏せた。そこで問題が起きる」
「問題? どんな?」
「丹原というヤツだ。心夜のことは無関係だと思っていたから、お前が心夜のことを知りたいと申し出たときに的確に調べてきてしまったんだ。お前、探っていただろ。心夜のことを」
紅音ちゃんが好きだって言っている男だから気になった。満は俺のために調べるって言ってくれた。それで………あ。弁当食べているときか。茉莉がブチ切れたんだ。
「相談をしてきた僕にまでブチ切れて話していたから、丹原は相当大目玉を食らったんじゃないか」
「……あいつはそれくらいが良いと思う」
しっかし、このチャイティーラテの舌がしびれる感じ。甘さ。うーん。もしかしたら、少しだけ美味いのかも。
「次に……お前の病状の話だ」
「記憶喪失か?」
「ああ。まず、主治医の今村って人の話だが。僕もよく理解できなかった。以上だ」
「は? てめえふざけんなよ。ぶち殺すぞ」
「冗談が通じないやつだな」
空気読めない奴だな。あ、いや、空気は吸うものだが。
「まず、お前は記憶を失う前に、心夜と大きなライブイベントとしてダンスバトルを開催した。ここまではいいな?」
「ああ。間違いない」
「そこで心夜とともにステージから落下するという事故が起きた。記憶を失った春彩は家族と茉莉を覚えていたという。だが、心夜がすっぽり抜けてしまった。これはなぜか分かるか?」
「………分からない。そういえばそうだよな」
「茉莉ちゃんだ。これは茉莉ちゃんの推測らしいが、茉莉ちゃんが心夜のことを好きだと、お前は思い込んでいたんだろ? 心のどこかで憎んでいたし、ダンスバトルであわよくば勝ちたいなんて思っていたんだろ」
——心夜。お願いがあるんだけど。
——なんだ? 茉莉ちゃんは下心ありそうだからなぁ。
——一緒に、その……付き合ってくれないかな。
——あ? まあ、いいけど。
——やった。こっそり…………付き合って。春彩にバレないように。
偶然聞こえてしまった会話だった。こっそり付き合う。茉莉に見つからないように、俺は扉の陰に隠れてしまった。俺がトイレに席を立っている間にそんな会話がされていた。
——茉莉ちゃん。あいつ結構、勘が鋭いぞ。
——声が大きいよ。バレちゃうじゃん。まったく心夜は。
——そっか? お前もだろ。
——そ、そんなことないもんっ!
ショックだった。信じられなかった。茉莉は兄さんより俺と仲が良かったからだ。兄さんはたまにしか帰ってこなかった。それなのに、茉莉は兄さんを……そう思っていたんだ。
兄さんには苦手意識があったんだ。茉莉を奪われたって思っていた。俺は、兄さんと紅音の関係を知らなかった。知っていたら違った結果になっていたかもしれない————得意分野でぶちのめしてやる、と息を巻いていたんだから、今考えると滑稽だな。
「つまり、お前はトラウマに近い感情を持っていたんだ。夜も眠れないくらいダンスを練習していたと聞くしな。鬼の形相で練習してたんだろ」
「………それで、兄さんの記憶はすっぽり抜けたと?」
「間違いない。そんなお前が茉莉ちゃんに言ったのが——」
「ああ。ダンスバトルで勝ったら、話したいことがある、って」
「そこで、その場で告白をしていれば、もしかしたら運命は変わっていたのかも、な」
「………そうかも…な。俺はいつも早とちりして……記憶があってもなくても」
「で。自分の誕生日にダンスバトルを仕掛けるとか。お前は構ってちゃんなのか?」
「………誕生日…ああ。一七の誕生日という節目に、砕けたら諦めようって思っていたんだ」
茉莉………。思い違いしていたんだと思うって言っていた。つまり、兄さんのことを茉莉が好きなんだって俺が思い違いをしていることを察していたんだ。
「茉莉は兄さんと何をしようとしていたんだ? 俺の思い違いじゃなければ」
「……それは本人に訊かなかったのか?」
「………訊く前にあの事故だ」
「お前はずっと音楽を作って、ダンスをして。茉莉と会っていたのか? 会ったとしても、多忙なお前は茉莉ちゃんの相手をしていたのか? それでも——茉莉ちゃんはお前のことを。お前は自分勝手すぎる」
「————っ!!」
「お前がラファエルだって知ったとき、鳥肌が立ったんだぞ。よく聞け。お前が茉莉ちゃんを相手にしなかったんだ。見向きもせずに、自分の殻に籠もったのはお前だろ」
————茉莉ちゃんは、お前の誕生日を祝いたかっただけなのに。
心夜に協力してもらって、お前に告白をするつもりだったんだ。
「だから、その誕生日イベントが控えていたから、茉莉ちゃんはダンスバトルを静観したんだ。勝っても負けても、お前に告白をするつもりだったって。沙月は言ってたぞ。茉莉が夜な夜なお前のためにケーキを作る練習をしてたって。お前の味の好みを研究し尽くしたのも。お前の好みをずっと探ってたって」
「………ありえない。そんなのって」
————つまり、俺は大切な人二人を。俺は………俺がもっと、ちゃんと茉莉の話を聞いていれば。
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