#10 文化祭 前編
目が覚めた。まだ仄かな朝焼けが彩り始める空に、遠くのビルが朱色に染まっていた。夏を諦めきれない雲が、千切られた綿のように浮かんではまた形を変える。
「気持ちいいな。こんなに気持ちよく目覚めたのはいつぶりかな」
なんて独り言。布団から出ると寒いなぁ。本当に寒くなった。夏が恋しい。今年の夏フェスはどうだったんだろな。え。夏フェス? なんでそんなの気になるの。どうした俺。
キッチンでパンを焼いた。きっと茉莉ももうすぐ来るし、最近は朝食を食べるのが億劫なほど寝起きが悪いって言っていたな。文化祭の準備で疲れているみたいだし。そんな茉莉に朝食を作ってもらうのは気が引ける。
なぜ自分がこんなに料理を作れるのか理解できなかったけど、スマホに頼らずに豪華な朝食が完成しちゃった。マジか。するとピンポーンってインターフォンが鳴る。うん。茉莉だ。きっと茉莉。
「おはよ、茉莉」
「え。ええ!? どうしたの? ああッ!! また寝てないんでしょ。ダメだよ。今日、本番なのに寝ないなんて」
「ん? 寝たけど。8時間くらい。ぐっすり寝たよ」
「な、なんで起きてるわけ……信じられない」
俺が早起きすることは、猿が喋った、なんて言う奇跡と同じくらいに珍しいことなの? 確かに目覚めが良いほうではないけど。そんなに驚かなくても。
「朝飯食ってないよね?」
「う、うん。起きられなくて」
「そう思って作っておいたから。食べてよ」
ダイニングテーブルの上を見て、茉莉は絶句した。嬉しいとか、すごーいとかっていう感想がもらえるのかと思っていただけに、少しショックだった。茉莉の笑顔が見たかったなぁ。
「こ、怖い」
「な、なにその感想。せっかくがんばって作ったのに」
「怖いよ。春彩が別人になっちゃった。前のお弁当のときよりも、荒れてないし。洗い物しながら料理した痕跡があるし。ど、どうしちゃったの……」
そんなこと言われても。普通に料理をしただけなんだけど。
朝ごはんを食べて、洗い物を二人で済ませて誰も居ない家に「「いってきま〜す」」と声をかける。
学校に着くと、すでに仮装した男女がビラを配っていたり、せわしなく動く生徒がコンビニ袋いっぱいになにかを入れて走っていた。文化祭当日の朝らしい光景。
「少し遅くなっちゃったかな。じゃあ、わたし準備行ってくるから。あとでね」
「う、うん」
教室に入れずに、男子が廊下で暇そうに
「どうしたの?」
「ああ、女子が着替えているから入れないんだよな。何度か覗き見を試みるやつもいるんだが、ことごとくガムテープやら、セロファンテープが飛んできてな」
「まじか。確かに、こんな好機はないッ!」
そこにやってきたのは、我がエロ友の
「任せろッ! おとりを使うぞ」
「お、おとり! なるほど」
「春彩は、後ろ側をバンッ! って開けろ。いいか、おとりを使うから」
「ああ、分かった」
言われたとおりに、後ろ側の引き戸を思い切り開けた。すると、着替えが終わって教室から出ようとした紅音ちゃんと目が合った。紅音ちゃんはミニスカの魔女だった。三角帽子がすごい似合っている。
「あ……」
「…………えっと」
「着替え終わっちゃってるじゃんッ!! 話が違うよッ!!」
「…………そこでこっそり覗いている満以下数名、こっちに来なさいッ!!」
女子数人に襟元を摘まれた満以下数名が黒板前に正座させられて、これから処刑されるらしい。でも、残念だったなぁ。ヌギヌギ見たかったのに。
「男子の着替えも早くして。あと三〇分で始まっちゃうよ」
結局、男子のヌギヌギを見て気分不快になった。
「なあ、キモ男、俺、この衣装のサイズ合わねえから、そっちの囚人服と交換してくれないか?」
「ああ。うん。いいよ」
勝手に交換しちゃっていいんだっけ。でも、サイズが合わない衣装を着て接客は厳しいと思うし。いいよね。
パイレーツ? みたいな衣装。カリブの海賊だよね。髪の毛が邪魔だからあげて帽子を被る。これでいいのかな。
「………は?」
「どうしたの満」
「どうしたじゃねえよ。お前………顔出しオッケーじゃねえだろ」
「………あ、なに?」
「なんで隠してねえんだッ!?」
「邪魔だから」
「お前……アホなのか」
「どういうこと?」
「お前はモテるかもしれない。だが、それは鬼門だ。お前がモテると、みんなが嫉妬する。嫉妬するとお前を殺しにかかる連中がいる。すると、俺と一緒にエロができなくなる。だから隠せ。エロができなくなるぞ」
よく分からない理論だけど、満がそう言うなら……持つべきものはエロ友。親友とはこうでなければならない。
全員着替え終わって教室を開放すると、女子たちの視線が俺に集中しているような気がする。俺、なんにもしてないけど。な、なに?
「え。なに? は、春彩くんって」
「マジ?」
「や、やばい。好きかも……」
「茉莉……これ隠していたよね?」
どっと押し寄せてきて、スマホで写真を撮られまくり。な、なんなのーっ!?
「ちょ、ちょっと、どいて」
「あ、紅音ちゃんっ! これどういうこと?」
「ちょっと、そんなことしてる場合? はやくメイクしないとッ!!」
ピシャリと告げた紅音ちゃんの言葉で、ようやく解放された。ふぅ。次々にゾンビメイクが施されるんだけど、女子たちが練習してきたみたいで、傷跡とかすごいリアルなの。そして、俺の番。な、なんでみんな揉めてるのーっ!?
「あたしがやるって言ってるじゃん」
「なんで、私がやるよ」
「ここは、間を取って私」
結局、紅音ちゃんが睨みをきかせてメイクをしてくれた。しかも、他の人よりも傷多めで目の周りをパンダみたいにされた。すごい。まるで土の中から出てきた死人みたい。
そんなことしているうちに、廊下にお客さんの姿。校内放送で、「
早速お客さんがポツポツとオバケ喫茶に入ってくる。ビラ配りに行くって女子三人が言っていたから、効果があるといいな。打算的にスタイルがいい三人に行かせていくあたり、紅音ちゃん怖い。紅音ちゃんが自分で行けばいいじゃん、なんて女子は言っていたけど、そもそも紅音ちゃんが呼び込みしていたら大変な騒ぎになると思うの。
え。えええええ。
一斉にお客さんが押し寄せてくる。もう、全席満席。
「すげえ。なんだこのクオリティ」
「マジで。女の子ゾンビでもみんなかわい———碧川紅音ッ!? このクラスだったんだ」
「まじで、紅音ちゃんいるのー?」
あ、速攻でバレた。紅音ちゃんを守らねばッ! だけど、紅音ちゃんの本性を知らなかったみたい。紅茶を運ぶ紅音ちゃんの腕を掴もうとした他校の男子に、キッと睨む。
「悪いけど、わたしそういう目で見てくる人が一番だいっキライなの。虫唾が走る。話したことのない人に気安く触られるのも、そういう目で見られるのもキライ」
思い切り紙コップをテーブルに置いて「ごゆっくり」と背筋が凍りつくような声。場も凍りつくよね。
紅音ちゃんは大人気歌手で、普段からそういう目で見られていたんだろうなぁ。頭のモヤが取れた今なら理解できるよ。そうすると、俺がしていたことは紅音ちゃんが一番嫌うことだったんだ。ごめん、紅音ちゃん。今度ちゃんと謝るから。
しばらくすると、茉莉がやってきた。すごい疲れた顔してるけど、俺を見るなり、ぱーっと顔を明るくしてくれる。
「似合ってるじゃん。かっこいいぞぉ」
「う、うん。ありがとう」
「あれ、でも、囚人服着るんじゃなかった?」
「あ、彼がサイズ合わないから交換してくれって」
「…………まじか」
「え。なにかまずかった?」
「ううん。大した問題じゃないよ」
茉莉が着替えたのは、俺と同じパイレーツ。ミニスカで胸が大きく開いている。そんなに露出がある衣装だとは思わなかったのかな。すごい恥ずかしそう。
「紅音にやられた。こんなえ、え、えっちぃな衣装だとは思わなかったの」
「似合ってるよ。すごくかわいい」
「ほ、ほんと? いやらしくない?」
「う、うん。むしろ堂々としていたほうがいいよ。その、恥じらうと逆にエロいっていうか」
「……確かに。余っているのでいいよって言ったら、これだもん。もうッ」
でも、見回して、茉莉は溜息を吐いた。だって、茉莉だけがセクシー衣装じゃないもん。みんな似たりよったり。
「茉莉〜〜メイクやっちゃうから、座って」
「うん。紅音、ありがとうね」
「ひぇ。な、なに。気持ち悪い」
「………失礼ね。春彩のことありがとうって。大変だったでしょ」
メイクを見ていても仕方ないので、控室の理科準備室から教室に戻ると、不審なヤツ発見。フードを被ってサングラス姿。マスクをして、どう見てもコンビニ強盗の下っ端みたい。
「お、お前が心夜、じゃなかった春彩かっ! なかなかそのゾンビメイク似合ってるじゃねえか」
「は……だれお前」
接客していた囚人服男子に、声をかけて、突然ハグをした。不審人物。聞き覚えのある声だな。
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