#09 文化祭 前日譚
文化祭前日。今日は準備日とかいう日らしい。
自分が音楽を作る人だったなんて未だに信じられない。このことは、紅音ちゃんにも言っちゃいけないって茉莉が言っていた。でも、音楽を聴いていると、少しずつ頭の中の
「ダンスは順調なの? ごめんね、一緒に居てあげられなくて」
「俺……音楽作る人だったのに、なんでダンスできるの?」
「……うん。春彩はダンスも得意だったんだよ。音楽は楽しむものってよく言ってたし。でも————」
朝の日差しが眩しくて、秋の薫る方を見れば、微かに感じる朝露。今まで色づくことのなかった四季折々の匂いがやけに鼻につく。空を見上げれば、
「春彩にね……いつか言わなきゃいけないことがあるの。それは、春彩のお父さんや秋奈ちゃんからも……わたしのタイミングで言ってって。でもね……わたし自身が覚悟ができていないの。ごめんね」
「……よく分からないけど……俺、茉莉を信じてる。でも、なんとなく……見える世界が変わってきたんだ」
不思議そうに小首をかしげる茉莉はきっと、こんなに雄大な世界を泥混じりの淡水の中から、透明度の高いモルディブのような海へと俺の視界が変わっていることに気づいていない。
記憶は完全に戻ったわけではない。だけど、意識は変わった。茉莉の嘘も気づいた。そこは思い出した。だけど茉莉を信じる。茉莉は考えがあったからこそ、俺に嘘をついた。それは間違いない。
学校に着いた俺と茉莉は校門で別れた。茉莉は生徒会の実行委員に属しているために、真っ直ぐメインステージに向かっていく。その背中に視線を這わせて、俺はゆっくりと昇降口に進んだ。
「は、春彩さまおはようございますっ!」
「おはよ。紅音ちゃん。あ、荷物持たせてごめん。俺も持つよ」
そ、そんな大きな袋をいくつも持って歩いてきたのっっ。大変だったろうな。言ってくれれば、家まで迎えに行ったのに。
袋を受け取る際に指と指が触れた。紅音ちゃんは、「あっ」と漏らして顔を赤らめる。そんなに恥じらわなくてもいいような気がするんだけど。
「す、すみません。前もって少しずつ持ってくれば良かったんですよね」
「俺の方こそ、ごめん。配慮が足りなかった。ほら、全部貸して」
紅音ちゃんの荷物をすべて持つと、意外に重い。10キロくらいありそう。よくこれをここまで運べたなぁ。ラインくれれば、すぐに駆けつけたのに。
あれ、紅音ちゃん、すごい疲れているみたい。いつも以上に疲れている。やつれているような気がするし、目の下に
「な、なんだか春彩さま、感じが違う気がするのですが?」
「あ。うん? そう? いつもどおりだけど」
普通に会話しているだけでバレそうになる。バレてまずいことはないのだが、音楽を作る人だということを漏らさないためには、いつもどおりの俺に徹しなければならない。
クラスでは、すでにオバケ喫茶の準備が始まっていて、暗幕を窓際に取り付けているところだった。また、机を並べて、その上に白いシーツを敷き血糊を塗る作業が行われていた。案の定、きゃあきゃあと
「おお、キタキタ。碧川ちゃんの小道具待ってたよ」
「キモ男も手伝え。暗幕つけるの首が痛てえんだよ」
「ああ。分かった」
確かに画鋲では付けにくく、インパクトドライバーあたりでビスを打ち込む必要があるかもしれない。ああ、待てよ。なんかこの感じ……どこかで?
『———さん、このボルト、緩いんです』
『ああ、うん。俺が締めるよ』
『助かるっす!!』
————キャァァァ!! 心夜さまぁぁぁ!!
————大丈夫かッ!?
『心肺停止!?』
『なんとかしろよッ!?』
————わたしのこと分かる? ねえ、見えてる?
『………春彩。大丈夫。わたしが………絶対に守るからッ!! あなたを守る。だから、今は———』
『春彩、これは、あいうえお。それで、これが、かきくけこ』
春……はる……はるや………。
「春彩さま? 大丈夫ですか?」
「あ、ごめん。少し
「え? 脚立の上から落ちたら大変です。少し休みましょう?」
大丈夫な気もするけど。紅音ちゃんがそういうなら、お言葉に甘えよう……と保健室へ行く最中に、外廊下を歩くとメインステージが見えた。茉莉、がんばってるかな、なんてチラ見すると、ちょうどステージに照明をつける作業中みたいだな。あそこになら、インパクトドライバーあるかもしれない。
「紅音ちゃん、メインステージに行って、茉莉からインパクトドライバー借りられないかな?」
「ええ。茉莉ならすんなり貸してくれるでしょうね」
ステージに近づくと、茉莉が看板の陰から顔を出した。随分と大きい看板だなぁ。5メートル近くあるよね。ダンスバトル。黒芽翼VS緋乃春彩って書いてある。あれ、なんか俺の名前に違和感が。なんだろう。しっくりこない。
「どうしたの? 紅音も」
「茉莉、教室の暗幕取り付けるのが難しくて。だから、インパクトで木のところに打ち込みたいんだけど」
「…………は? 春彩だよね?」
「そうなの。ずっとこの調子で、なんだか様子がおかしいの」
ステージに転がっていたインパクトドライバーを拝借して、「借りるなっ!」と茉莉に声をかけて
教室に戻って、四苦八苦している男子に暗幕を持ってもらって、インパクトドライバーでビスを打っていく。左右数カ所留めれば、暗幕は完全に固定された。よし。これで光を遮ることができる。
インパクトドライバーを教壇の上に置いて、次に照明の取り付けにかかる。電池式の小型LEDのライトに切ったペットボトルを被せて、オレンジのセロファンを貼り付けた。なかなか、ハロウィンっぽくなってきた。
「なんだか、あいつ、やけに器用になったんじゃね?」
「陰キャのくせに、生き生きしてやがる」
「手際良さが半端ねえ。しかも、プロってるよな」
ざわざわと
「春彩さま、このスピーカーはどこにおけば効果的だと思います?」
「ああ、音響はね、この部屋だと角がいいんだけど、あまりクリアだと雰囲気でないから、上にダンボール、いや発泡スチロールを被せよう。白いと微妙だから、墓石とかにしたらいいんじゃないかな。洋風のやつ。適当な英語並べて。あと、穴を数カ所空けて」
「えっと………え? 春彩さま?」
「うん? なにかおかしいこと言った?」
「い、いえ」
そうしているうちに、かなり完成度の高いオバケ喫茶が出来上がった。ウィル・オ・ウィスプもLEDとコンビニ袋で作ったし。これをピアノ線で天井に張り巡らせてっと。小道具としては完璧だ。
「春彩さまは、そろそろリハーサルのお時間ですよ」
「え? もうそんな時間?」
気づくと、午後の2時。ああ、やばい遅刻だ。急いでバッグを持って向かわなきゃ。メインステージは完成していて、茉莉や生徒会のメンバーがステージの縁に座って休憩しているみたい。
「ごめん。クラスの準備に精を出しちゃって」
「大丈夫だよっ! それより、ダンスの練習ほんとうに大丈夫?」
「絶対負けねえ。あいつ絶対一泡吹かせてやるからな」
「……ねえ。本当に春彩なんだよね? なんかいつもより……」
「え? おかしい?」
「ううん。なんでもない。でも、嬉しいかな」
そんなモジモジしなくても。俺の記憶が戻ったわけじゃないのに。ただ、少しモヤが晴れただけ。それが一体なんだっていうのさ。
「音楽掛けます〜〜〜音量とか、タイミングを教えて下さい」
生徒会の人がテントの中で音響をやってくれるみたい。うん、なんだか本格的で嬉しいな。
リハーサルが無事に終わり、ようやく本日の準備を終えた。残るは本番。だが、嫌な予感がずっとしていて、それと反比例するように、頭のモヤがさらに消えていく。
———————
更新多めになります。詳しくは近況ノートに書きました。
よろしくお願い致します。
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