#02 ハラグロちゃんとショウワルちゃん






 タカネちゃんと行き違いで茉莉が教室に戻ってきた。


 ブンカ祭実行委員の準備で遅くなるから、先に帰ってて、って茉莉は言っていたんだけど、すごく心配そうな顔をしてた。紅音ちゃんが無事に送り届けるからって言ってくれて、ますます心配そうな顔するんだよね。それと悔しそうな顔。



 それで、夕日がにじむ河川敷を紅音ちゃんと歩いているの。なんだか、紅音ちゃんと一緒に帰れるなんて夢みたいだよね。隣を見ると、紅音ちゃんが少し惚けた顔してて、すぐに前を向いた。可愛いなぁ。それでいて、夕日に照らされて綺麗。



「春彩さまは、夕飯も白詰さんと一緒に食べているんですか?」

「うん。茉莉と買い物をして帰って、一緒に食べてる」

「白詰さんのご家族は、心配しないの?」

「茉莉のお母さんって、俺の母さんとすごく仲が良かったらしいんだ。家に来ているってこと話してるみたい。だから、心配してないって茉莉言ってたよ」

「そう。それは知らなかった。無敵属性じゃない……」

「そういえば、紅音ちゃんは……お弁当も——」

「………私は」



 紅音ちゃんは、少し俯いて無言になった。すれ違う自転車と女子高生たちの会話、それに野球をしている人たちの賑やかな声が、やけに耳につく。紅音ちゃんの溜息が聞こえた。俺、もしかして、聞いちゃいけないこと聞いたのかな。馬鹿でごめんね。



「あ、俺、聞いちゃいけ——」

「私の両親は、とても大きな工場を経営していたの。大手の家電メーカーに部品を卸すくらい成功していて、従業員も1,000人くらいいたんじゃないかな」



 ケイエイ……ってなんだっけ。想像を膨らませると、紅音ちゃんの両親は工場をケイエイしていて、儲かっていたってことか。



「でも、不況の波に煽られて、経営が苦しくなっているとき……」

「フキョウの波にアオラれる……むぅ」

「詐欺師に騙されちゃって、工場を乗っ取られて、売られて……借金だけ残っちゃって………。わたしがいくら稼いでも足りなくて」

「よ、よく分からないけど……紅音ちゃんが悲しんでいることは分かった」

「うん……春彩さまはやさしいんだね」



 手を繋いだ。だって、紅音ちゃんの手が震えていたから。寒いのかなって思う。紅音ちゃん寒くて震えているから、立ち止まって両手で紅音ちゃんの手を温めてあげる。すると、紅音ちゃんぼろぼろ涙を流して、また俯いちゃった。



「紅音ちゃんは幼馴染じゃないけど——」

「————えっ!?」



 優しく紅音ちゃんを抱きしめてあげる。茉莉が泣いているときは、こうしてあげると泣き止むし、笑ってくれるから。



「ううううぅぅぅっ!! 春彩さま酷いっ! 酷いよっ!!」

「え、ああ、えっ!?」



 泣いたまま俺の胸をぽかぽか殴ってくる。痛くないけど、心は痛い。紅音ちゃんは泣くほど嫌だったのかな。セクハラで死刑になっちゃうのかな。ああ、どうしよう。



「ばかっ! 優しくされたら辛くなっちゃう。優しくされたらもっと——きになっちゃう」



 優しくしちゃダメなのか。紅音ちゃんが泣くほど俺のこと嫌いになっちゃった。どうしよう。嫌われたくない。



「ご、ごめん。もうしないから。ごめん」



 後ずさりしながら、ゆっくりと紅音ちゃんから離れたんだけど、紅音ちゃんが一歩踏み込んで俺を抱きしめてくるの。すごい力強く。



「えええぇぇぇ。ど、どういう状況」

「……もう後戻りできない。わたし………春彩さまのこと」



 夕日を閉じ込めた瞳がキラキラしていて、すごくキレイ。紅音ちゃんの瞳を見ていると吸い込まれちゃう。俺、紅音ちゃんのこと好き……あれ。でも茉莉の顔が浮かんでくる。なんで……?



「ん……春彩にいに? こんなところでなにしてんのよ?」



 え……な、なんでこんなところに、沙月さつきがいるの。



「沙月こそ、なにしてんの?」

「ねえねが買い物行けないっていうから、代わりにいくとこ。それより、浮気?」

「春彩さま……なぜ彼女が」

「あ、沙月。茉莉の妹で……」

白詰沙月しろつめさつきです。ねえねがいつもお世話になってい———なんだ、紅音ちゃんか」



 あれ、紅音ちゃんと沙月って知り合いだっけ。あ、そうか。紅音ちゃんは有名人だから、沙月が知らないはずないんだ。それにしても、紅音ちゃんは目を細めて沙月を見てるし。溜息を吐いて、頭を横に振るし。



「にいには、あたしのものなのに、なんで抱きついてるの? 許せないッ」

「……またですか? 春秋さま」

「え……よく分からないけど、沙月も……幼馴染?」

「にいに、ぜーんぶ忘れちゃったみたいだから、言っておくけど、子供の頃約束したの思い出して。あたしと将来結婚するって誓い会ったじゃない。ひどいっ」



 そんなこと言われてもなぁ。思い出せないし、約束したんだったら、確かに酷いことをしているのかもしれないけど。茉莉にあとで訊いてみようかな。



「ごめん。沙月。そんな約束してたんだ……」

「うん。嘘。今つくった」

「は?」

「……食わせ者ですね」



 へへんって言ってにっこり笑うんだけど、その顔が茉莉にも劣らないくらい可愛い。確か、満が言ってたっけ。沙月は妹系で、勝手にお兄ちゃんになっているヤツが多いって。



「ねえねに偵察頼まれていたから。この河川敷あたり見回りしてって」

「白詰茉莉さんに頼まれたのですか?」

「うん。バイトってやつ?」

「……あの女」

「じゃあ、ていうことで。報告は易しめにしとくからっ。紅音ちゃんもねっ!」



 ばいばいーって手を振って行っちゃった。沙月はラインの画面を開いたまま、俺たちの歩いてきた方に走っていく。茉莉に報告するつもりだ。やばい。完全に浮気現場を見られた。死刑で済めばいいけど。




 紅音ちゃんが「おじゃまします」ってキョウシュクしながら上がってくるの。興味津々に俺の家を見回して、すごく感動してるみたい。なんで……?



「春彩さまのおうちに来られるなんて、夢を見ているみたい」

「え。なんで。家に来たいならいつでも来ていいけど」

「ほ、本当ですかっ!?」

「うん。むしろ、嬉しい。紅音ちゃんが同じ空間にいるなんて、それこそ夢みたいだし」



 買ってきた食材をキッチンに置いて、紅音ちゃんはまな板の上のニンジンを器用に切るんだけどすごく上手。茉莉みたい。あれ、紅音ちゃんって料理できるんだ? 次々に野菜を切っていくんだけど、手際の良さは茉莉以上かも。



 そうして、出来上がった豚汁と焼き魚がダイニングテーブルに並んでいくんだけど、あれ、な、なんで。俺の分しかないの?



「ちょっと。紅音ちゃんの分は?」

「いえ。わたしは一切お金を出していませんので」

「えええぇぇぇ。そんなこと言わないで一緒に食べてよ。俺だけ食べるなんて、できないよ。紅音ちゃんも一緒に食べようよ」

「……そういうわけには」



 意外と頑固なんだよね。さっきからお腹鳴ってるのに、ごくりと唾を飲むだけで、一切なにも食べようとしないの。



「ただいま〜〜〜っ」

「あ、茉莉おかえり〜〜〜」

「おかえりなさい」

「このショウワル。なに春彩と抱き合っているのよ。あとでたっぷりと聞かせて貰うから」



 ま、茉莉の怒りの矛先が、俺じゃなくて紅音ちゃんに向かってる? 助かったけど、紅音ちゃん可哀そう。


 ぐぬぬ、と睨み合っているんだけど、茉莉もお腹空いているみたい。ダイニングテーブルに並べられた夕食を見て、驚いている。



「ハラグロちゃんの分も作っておいたから」

「茉莉もなんとか言ってやってよ。紅音ちゃん、お金出していないから食べないって言うんだ。お腹空いているのに、食べないなんて。それも、自分で作ったのに」

「碧川さん、春彩がそう言っているんだから食べなさいよ。へんな意地張っていないで。お金は心配しなくても大丈夫。アホだけどお金はあるから」



 動こうとしない紅音ちゃんの代わりに、茉莉が豚汁をよそって魚を焼いた。紅音ちゃんは黙って料理を見つめているの。きっと、久しぶりの食事なんだろうって思う。だって、「ほ、ほんとうに、いいの」ってずっと俺に小さい声を震わせてるんだもん。



「「いただきま〜〜す」」



 茉莉と俺が声をハモらせたのを見て、紅音ちゃんは小さい声で「いただきます…」って言うんだけど、豚汁を口にして涙ぐむ。



「ショウワル。タッパーに詰めておいたから、帰ってご家族にあげなさいよ」

「……白詰さん……今日はどうしたの?」

「は? 今日は? この見た目で、悪い女認定する人なんて一人もいないけど?」

「……そうね。ハラグロだったの忘れていたわ」



 その後、紅音ちゃんは洗い物をして、俺に何度もお礼を言ったんだけど、むしろお礼を言わなくちゃいけないのは俺の方だと思う。遅くなっちゃったから送っていくって言っても、茉莉と二人で帰るから大丈夫って。それが心配なんだけど……。



 いがみ合いながらも肩を並べて帰る姿は、ドラマで見る親友みたい。本当は仲が良かったりして。





 ————ハラグロは、帰ったら何するの?


 ————そういうショウワルはさみしく枕抱いて寝るんでしょ。あの歌詞みたいに。


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