【禍憑姫/零】2004年12月15日2時25分


微かに豚骨の匂いが香る車内。

慣れてしまった様子だ。

不機嫌な表情をする事も無く。

稲築津貴子は茶を啜る。


「………ずず、っふ」

「……厭穢の報告」

「来ませんね」


アルミ色の水筒。

中には、持参した烏龍茶が注がれている。

少し時間が経っている為に。

程良い温度に保っている。


「そうか」

「じゃあ……」

「寝て良いか?」


後部座席に背中を預けて。

頭の後ろに腕を組んだ。

目を瞑れば、今にでも眠れる態勢だ。


「なんでそうなるんですか」

「緊張感を持って下さい」


彼女の言うことは最も。

しかし、五十市も黙ってはいない。


「でもよ、厭穢が出ない以上」

「こうして起きるだけでも気力削られるし」

「いっそ寝て英気を養った方が良くね?」


一応の利点を口にする。


「ダメです」


一蹴された。


「貴方は一度寝たら中々起きないでしょう」

「ほら、そんな戯言を口にするのなら」

「資料でも見た方が良いですよ」


鞄の中から茶封筒が取り出された。

クリアファイル程の大きさ。

中から、書類が出てくる。


「資料、資料ね」

「一応は目に通してるけどさ」

「あ、車の灯り付けて良いすか」


運転手に聞く。

運転手は、温度調整のスイッチの隣を弄る。


「……はい、どうぞ」


声と共に窓ガラスが黒く染まる。

光を外に漏らさない為の処置。

謎の技術に五十市は脱帽した。


「うお、すげぇ」

「車の窓、黒くなったぞ」

「どうなってんだこの技術……」


「どうでもいいじゃないですかそんな事」

「それよりも私も資料を確認するので」

「あまり大きな声は出さないでください」

「集中力が切れてしまいますので」


嗜める声。

五十市は資料に目を向けた。


「あ、はいはい………」

「ん?『切り裂き魔』?」

「ちょいちょい稲築さんや」


隣に座る淑女。

人差し指で二の腕をつつく。

眉を吊り上げて嫌悪感を表現する。


「なんですか鬱陶しい……」


「鬱陶しいとか言っちゃったよ同級生なのに」

「いや、いいや、あのさ」

「普通厭穢って、あれだよな」

「自然とか生命が世界に訴える事で」

「その憎悪や憤慨による負の感情を代価に」

「人類に対する天敵となる厭穢を生み出す」


厭穢の根本や起源。

それは、祓ヰ師なら誰もが知っている事。


「はい、祓ヰ師となれば」

「基本中の基本ですね、その話は」


続けて五十市は言った。


「んで」

「例えばさ」

「廃棄物を捨てられた海が人類に対する怒りを」

「世界に訴える事で、海に関する厭穢が誕生する」

「森が伐採されれば森の厭穢」

「排気ガスで汚染されたら空の厭穢って言う風に」


人類以外の生命は、人類を憎んでいる。

世界と言う共有資産。

人類が我が物顔で独占している。

己の所有物故に何をしてもいいと勘違いしている。

世界の全ては。

そんな人類の傲慢さに憤りを覚えていた。



「ならさ、この『切り裂き魔』って」

「なんで○○の厭穢、みたいな表記じゃないんだ?」


「………そうですね、普通は、授業を聞いていれば分かると思いますが」

「貴方は寝ているか話を聞いてないかで、理解出来てないのでしょう」


「なんでそう棘のある言い方しか出来ないんすか稲築さん?」


五十市依光は嘆く。

辛辣な言葉はあまり慣れていないからだ。

続けて、稲築津貴子は口を開く。


「基本的に世界は人間の敵です」

「世界は人類を排除すべきだと思いました」

「人類が世界を崩壊させる要因だと認識したのでしょう」

「だから世界は人類を滅ぼす為の尖兵を作ったのです」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「センペイって?」


五十市依光はそう聞いた。

単純に言葉の意味が分からなかったらしい。


「………それが厭穢と言うシステムが誕生しました」


「え?無視?」


当然ながら、無視だ。

バカと喋る事すら煩わしい。

稲築津貴子はこうして説明している事すら。

面倒だと、そう思っていた。


「人が生み出す負の感情」

「それは一つに纏まり世界の膿となりました」

「そして、世界はその膿に生命を与えたのです」

「其処から生み出された疑似生命体は」

「人類を憎悪し、悔恨を抱く魔物へと成り果てた」

「人が人を恨み、呪い、妬み、怒り、蔑み、殺意を抱く」

「負の感情で生まれた生物」

「それが厭穢です」


厭穢は、人間の感情によって産まれる。

負の感情が人間から発生すると。

そのエネルギーは、世界に蓄積される。

世界は、その蓄積したエネルギーを発散する為に。

厭穢を産み出すのだ。


「………え?世界の訴えで厭穢が生まれるんじゃないの?」


五十市依光はそう聞いた。

彼が想像している厭穢とは。

世界の訴えによって誕生する。

生物や自然の意志を代弁した厭穢を指している。


「それは後期です」

「厭穢の起源こそ人の呪いによって生まれるのが始まり」

「先ほども言ったでしょう、人から生み出される厭穢は尖兵だと」

「どれ程の恨みを積み重ねても、人の厭穢は特別じゃない限り姿は同じ」

「だから人の厭穢と分類しても見た目は変わらない為」

「呼び方で区別をしているのです」

「なので、今回の任務は私たちにとっては『楽勝』すべき存在です」

「これが世界の訴えより生み出された厭穢は………」

「正直、私も本気を出さなければならない程の強さでしょう」


稲築津貴子は眼鏡を細い中指で上げた。


「…………そう、か」


そして五十市依光な何となく理解した様子で頷く。


「……はぁ」

「これ、授業で習う事なんですが……」

「まあ、いいです」

「一応は理解出来ましたか?」


五十市依光の無学に呆れながらも。

稲築津貴子は彼に同意を求める。

正確で、分り易く、意味が理解出来る。

そんな自分の説明に、同意を。


「あ、あぁ……いや、待ってくれ」

「一つ、気になってる事があるんだ……」


しかし。

五十市依光は首を傾げた。

ある一部分に、疑問を抱いている。


「なんですか?」


それがなんであるか。

稲築津貴子は質問する。

神妙な顔つきで、五十市依光はこう答えた。


「……尖兵ってなんだ?」


「中学の授業からやり直しますか?」


鋭い突っ込みであった。


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