【禍憑姫/零】2004年12月15日2時12分



扉が閉まる。

車が揺れる。

車内に冷気が流れ出す。

後部座席に座る、雌雄が一対。

赤色に近しい茶の髪。

弛んだ瞼にだらしない顔。

その手には丼程のカップラーメンが一つ。

容器から滲み出る温もりを両手で味わう。

一方、片割れは不機嫌だった。

豚の死骸を煮込んだ悪臭。

密室となった車内にて湯気が眼鏡を曇らせた。

稲穂の様な茶の髪を揺らす。

鋭い眼光と共に怪訝な声が漏れた。


「すいません、五十市くん」

「車の中で食事……」

「というか私の隣でカップ麺を啜らないで下さい」


蓋を剥がす。

白濁とした汁に浸かる麺を割り箸で摘まむ。

二度、三度、汁気を落として一口麺を啜った。


「ずずず……は、ふッんぐ」

「え?あ、はは、悪い悪い」


機嫌を損ねたと思ったのだろう。

片手で容器を掴み、親指で割り箸を抑える。

不機嫌な彼女の傍から逃れる事にした。

後部座席から助手席へと車内移動する。


「じゃあちょっと前に行くわ」


助手席へ足を踏み入れる。

膝まで助手席に入った。

その上半身は入る前に手で塞がれた。

手は、運転席に座る白スーツの男の手だ。


「前に来るのは遠慮して下さい」


そう告げた。

白スーツも彼女と同様。

臭いが気に食わないらしい。


「え?じゃあ、これどうするんだよ」

「ラーメン、食べる場所ねぇじゃん」

「まだ残ってるんだけど」


容器の中に浸かる麺が揺れた。

彼女は酸を吐き捨てる様に言う。


「飲んで下さい」


熱々の汁に浸かる熱き麺は今も尚湯気が立ち込める。


「え?麺を、汁を?」


「贄波先生みたいに一気に」


この車内には居ない教師の名を口にした。

その男は箸を使わずに拉麺を酒を煽る様に飲み干す。

常人には出来ぬ芸当。


「いやいやいや!」

「それ無理だって」

「お湯入れてまだ三分経ったばかりのアチアチラーメンなんだけどッ!」


飲む様に食らえば。

口の中を火傷させる。

馬鹿にでも分かる事だ。


「そもそも」

「仕事の時間にカップ麺は如何なものでしょうか?」


仕事。

命を賭した仕事。

草木も人も寝静まる真夜中。

人類の存続を掛けた諍いである。

それくらい理解している。

だからこそ、と男は主張する。


「えぇ……仕事でも休憩だろ?」

「腹拵え時間じゃん、今、ここさ」


食事も急速の内。

そう告げるがしかし。


「だからと言って、カップ麺を買いますか?」

「普通、こういった気軽に食べられるおにぎりとか」

「サンドイッチでしょう、待機している時なら」


ポリ袋から取り出す。

タマゴサラダのサンドイッチ。

それと見比べる様に言う。


「それも、何ですかそれ、『特盛五倍豚骨拉麺』なんて」

「急に厭穢が現れたらどうするつもりだったんですか、それ」


厭穢。

その討伐が彼女達の仕事。

厭穢とは人類の負より生まれた膿。

世界に蓄積された膿は生命を宿し。

疑似的な生物として誕生する。

それが厭穢。

負の集合体。

人類を滅ぼす為に生まれた生物。


「………そう、だな」

「気が回らなかったわ……これ、どうすっかな……」

「………あ、食べます?」


カップラーメンを運転手に見せる。

首を左右に振って、涼やかに否定する。


「要りません」


「あっ……そうすか」


両手で掴むカップ麺。

どうするべきか途方に暮れる。

はぁ、と溜息を吐いた彼女。


「取り合えず」

「なるべく急いで食べて下さいね」


その言葉に、男は妥協してくれたと思った。

感謝する様に頭を下げて、申し訳無さそうに言う。


「本ッ当悪い」

「これからは善処するからさ」

「急いで食べるから」

「ちぃっと待ってくれよ」

「ズズズッ」


再び食事を始める。

何か勘違いしているのか。

彼女はそう思い、声に出す。


「……だからここで食べないでください」

「匂いが不快です」


彼女が不機嫌となっている理由の七割が臭いだ。

残る三割は男の存在が占めている。


「えぇ……じゃあ何処で食えってんだよ」


残された食事。

それを何処で処理をすれば良いのか。

間を開ける事無く、彼女は窓を指さした。


「外でお願いします」


「外で!?」

「寒いんだけど、何度だと思ってんだよ!」


冬の季節。

雲が厚い夜には月の光すら浮かばない。


「10度ですね」


運転席に座る男は博識だった。


「10度だってよ!!」

「冷蔵庫と同じじゃねぇか!!」


「冷蔵庫は基本的に5度です」


やはり、博識だった。

逆に、男の無知が証明される。


「マジすかッ?!」

「へぇ~、知らなかったぁ………」


無知を利用し、場を濁そうとする。

そして麺を啜ろうとして。

彼に向けて、言葉の圧が放たれた。


「……良いから」

「外で食べなさい」

「二度言わせたいんですか?」


「あ、はい」


彼女の言葉の前に子供の様な駄々は無益。

渋々と車の扉を開いて外へと出ていく。


「……うぅ、寒ッ」

「あ、でも寒い日にラーメンって良いな」

「へへ、なんか見張りをする刑事みたいだ」

「あれはアンパンと牛乳だけどな」

「ズズッぎゃッ熱っ!!」


急ぐ、麺を啜る。

汁が跳ねた。

熱の飛沫が目を刺した。


「……何処からどう見ても」

「一般人、ですね」


傍目。

その馬鹿騒ぎを眺める二人。

白スーツが現状の彼をそう評価した。

呟きを拾う、軽い憔悴が見られる少女。


「?……あぁ、五十市くんの事ですか」

「貴方は、彼と一緒に仕事をするのは初めてですか?」


「はい」

「あれが神童と呼ばれているのですか」


嘘とは言わない。

あり得ないとは思っている。


「はい、誠に不本意ですが」

「ちなみに彼、祓ヰ師として活動してまだ一年らしいですよ」


その情報は白スーツの中には無かったらしい。

目を開き、驚きの表情を作る。


「っ!?」

「その経歴で、学内最強の実力を?」


学内。

祓ヰ師を育成する学園。

入学して卒業しても。

一流に到達する生徒は極て僅か。

それを、半年。

一流に匹敵する実力を手にしている。


「だから、神童などの異名を持ってるんです」

「ある種の祓ヰ師は彼を羨ましい目で見ますが」

「ある種の祓ヰ師は彼を妬ましい目で見てしまう」

「彼の存在は賛否両論なんですよ」


彼。

希代の天才。

五十市依光を。

彼女。

稲築津貴子が憎たらしく思う程に。


「大丈夫なのですか?」


白スーツの不安。

経験が浅いのでは。

と、月並みの心配ではない。

結界師として活動する者ならば。

五十市依光と言う男の噂は耳に入る。

『その存在、災いあり』

『封滅なるか、抹消するか』

男の存在を危惧する声は多い。


「もちろん、大丈夫とは言い難いですね」

「この業界は上は腐ってます」

「彼の命を狙う者も居るでしょう」

「しかし、彼は腐っても祓ヰ師ですから」

「きちんと対処できますよ」

「ですので」

「貴方も彼を殺す話が来たのなら気を付けた方が良いですよ」

「彼、強いですから」


不本意だ。

彼女の表情がそう物語る。


「ゴクッ………」


結界師は喉を鳴らす。

今はまだ、上からの指令は送られてこない。

しかし、命令が飛べば。

そう考えて、恐怖して。

安心させるように、彼女が言う。


「まぁ……殺すまではしないでしょうが」

「彼は、憎たらしい程に優し過ぎるので」



【次回】

https://kakuyomu.jp/works/1177354055478314367/episodes/1177354055478356713



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