第8話 手がかり
二つ返事で引き受けることはできなかった。
明かりが消えていくにつれて、レフの姿も見えなくなる。考える時間をくれるつもりなのか、なにも言わずに闇に溶ける。
姿も声もなくなって、まるで最初からいなかったかのように思えてきた。アンバインが見せた夢か幻、あるいは幽霊のように。
すこし焦って、声をかけた。
「あのさ」
「なにー?」
「つまりレフは、世が世なら王子様なんだな」
ぷはっ、と吹き出して笑われた。
「いや、それはちょっとちがう……まあ、王家の血筋だってことを言いたいならそうだけど」
表情もしぐさもよく見えない。声だけが灯火のように届いてくる。
「んーだけどねえ、伝て人にとっては、ゴゾイアの王家も平民も等しくゴゾイアの民なんだよ。だから僕は伝て人です。ゴゾイアのなかのゴゾイア、最も濃く深くゴゾイアの意志を継ぐ純粋のゴゾイア」
「なんだそれ。仰々しいな」
「おおげさじゃないんだよ。伝て人の始まりは、神様から受けた啓示。民を守り支える至純至誠のゴゾイアたれっていう。まあ僕には神様の声なんて聞こえないけど、裏で暗躍するのってかっこいいし強い感じがするから、王子様より伝て人がいいなあ」
「伝て人っていつからいるんだ」
「かなり昔。だいぶ昔。伝て人が滅びないかぎりゴゾイアの民も不滅だ、っていうのが伝て人の信条だね」
「ひいおじいちゃんから出口の詳細は聞いてないのか」
「隠し扉をお母さんが開けてくれた、としか聞いてないんだよねえ、残念ながら」
急に話を戻してもレフは即答してくれた。
王子だの伝て人だのと話題を振りながら、考えていたのは出口のことだ。
伝て人でも見つけられないのに、自分が協力したくらいで発見できるとは思えない。レフを説得して看守室に戻ることが最善なんじゃないだろうか。
だけどその先にニカはいない。ニカがレフにつないだ未来は、そっちじゃない。
「設計図では、この通路の扉は八階と三階のふたつ」
決心はつかない。だけどとりあえず、わかっていることを整理しようと声に出した。
「通路そのものは二階まであるけど行き止まり。外へは通じてない。でも窓が描かれてなかった。なのに実際はある。同じように出口が隠されてるなら、なにか手がかりが――」
「え? ちがうよ。二階はないよ」
レフの言葉が思考を断ち切った。
「だからほら、えっとー、この下に扉があるって言ったよね。そこが三階なら、三階で終わりだよ。壁に突き当たってるんだ。階段もそこで終わってたよ」
ないはずのものがあって、あるはずのものがない。
記憶が脈を打つ。よみがえったのは父の声だった。
『ないはずのものがあって、あるはずのものがない。昔の大工が家主に提示する糸口だ。家主は渡された設計図と睨めっこして、隠し扉を探したんだよ』
急激に血が巡りはじめた。
忘れていたわけじゃない。だけど結びつかなかった。アンバインを持ち帰った父が語ってくれた、王国時代の風習について。
「エルタン?」
レフが呼んでいる。「どうかした?」と訝る声。返事をしなきゃと思うけど、頭の中が氾濫しそうでそれどころじゃない。
居間の電灯にアンバインをかざしながら、父はこう切り出した。
秘密基地を作りたかった、と。
出入り口を隠して、二重にして、合言葉を決めて、仲間だけで集まる。そういう秘密基地を作るのが子供のころの夢だったんだ、と。
仕掛けは多いほうが楽しいし、神様も喜ぶ。
だから外側の扉は見えなくして、場所を知ってても仕掛けを解かないと開けられないようにする。
内側の扉は、部屋に入ったら鍵をかけてしまう。あとから来た人は合言葉を知っていないと中に入れない。
持ち寄るのはランプ。扉を開けたときに入る外の光とランプの光で、基地の中にあるアンバインが目を覚ます。その瞬間、別世界につながる。
そういう秘密基地を作りたいと思ってたんだ、と父は語った。
『今の俺がこしらえたって、子供騙しにもならねえな』
技を受け継ぐ機会がなくなってしまったから、複雑な仕掛けを施した隠し扉なんてどうやって作るのかわからない。二十歳を迎える前に祖国を失った父は、残念そうに笑った。
ゴゾイアの王国があったころ、人が住む家や大きな建物には、隠し扉を設ける風習があったという。特に王国が最も栄えていた時代の都市部では、さまざまな工夫が生まれた。
『平民の家でも貴族の家でも隠し扉を仕込むんだ。仕掛けの規模や複雑さは、金額で差がつく』
新しい家ができあがると、家主は大工から手がかりをもらって隠し扉を探す。見つけたら仕掛けを解いて開ける。ここまでがひとつの儀式だった。
こうやって人が知恵を絞り謎を解き明かしていく姿を、神様が見に来るのだという。
ゴゾイアの神は、人の知恵と好奇心を好むから。
『自力で開けるのを
仕掛けを自力で解くのに数年かかったという話もあるそうだ。それでも儀式は成立する。そのあいだ、神様は見に来ている。
隠し扉のほとんどは金庫の扉として使われていたらしい。もちろん隠し部屋につながっていることもあったし、なにも収納できないただの壁に、隠し扉だけを取り付けた例もあるという。
仕掛けを施すゴゾイアの大工は、神を喜ばせる職業だ。貴族ではないけれど、一般の平民より地位が高かった。帝国で生きる現在とはまったく異なる境遇だったんだと語る父は、誇らしげだった。
『ないはずのものがあって、あるはずのものがない。それが糸口だと決まってるんだ。糸はすべてつながっている。糸は糸を補強する。切れているように見えるものも、しっかり結んで一本にできる。正しくない設計図が正しく見えたときこそ、神様が手を叩いて喜ぶ瞬間なのさ』
ねえ、とレフに肩を揺すられた。
「なにか……いやなことでも思い出した? それとも具合が悪い?」
いつの間にか月明かりが復活している。だけどさっきよりもずっと暗い、かすかな明かりだ。かろうじて見えたレフの顔は、困ったような表情だった。
レフの腕をつかんだ。ほっとした色を浮かべる顔を見つめ返し、肩に置かれた手をゆっくり引き離す。口を開いたとき、唇の皮がめくれるように離れた。
「――この塔を建てた人たちは、ゴゾイアの大工だと思う」
「え? うん……ゴゾイアの姫のために呼び寄せたってこと?」
「たぶん。全員かはわからないけど」
壁に刻まれた六文字は、仕掛けに気づいたゴゾイア人が後から付け足したものだと思ってた。
囚われたゴゾイアの民、たぶんもう死んでいるその人が、正しい順番を解答した跡なんだろうと。ゴゾイアの民にしか読めないように、わかる人にしかわからないように残した道案内。そう思ってた。
でも、そうじゃない。
「少なくとも、設計したのはゴゾイアの大工だ」
「うん」
話の先を促すように、レフがまじめな顔つきになる。
「八階の仕掛けは、最初の六文字。通路は八階と三階までの、六階分」
「六? 八ひく三は五で五階分じゃ……?」
「六だ。六で一致する」
隠し扉。二重の仕掛け。合言葉。
ニカの面影が目に浮かぶ。白い月光を浴びてここを通り過ぎていった姿を想像する。
いや、窓は閉めたのか。
そうか――窓は閉まってないといけないんだな。
心拍数が上がった。
こんなところで座りこんでる場合じゃないと急かしてくる。それなのに体はあまり元気じゃなくて、立ち上がったら目眩がした。
壁に手をついて支える。驚いて目を見開くレフを見下ろす体勢になった。
「だいじょうぶ?」
「――ニカは」
体の、胸の、自分自身の内側から、こじ開けるように思いがせり上がってくる。
「たぶんニカは、三階の仕掛けを見たかったんだと思う……」
きっと知ってたんだ。ニカも、王国時代の風習を。
外に通じる出口はないと、あのとき設計図を見ながらニカとオレクに説明した。扉は八階と三階にしかないんだと伝えた。
実際にそれを確かめたニカが通路を出るなら、八階でいいはずだ。
わざわざ危険を冒して三階に姿を現した理由なんて、ほかの伝て人に気づかせるためなんていう、そんな自殺行為じゃなくて、そうじゃなくて、気づいたからじゃないのか。
「八階とはちがう仕掛けになってるはずだ。それがわからないと外への出口も見つからない」
壁から手を離し、窓明かりで時計を確認した。日付が変わるまで、あと四十分。
「三階に行く。三階の仕掛けを見てくるよ」
「わかった。さっぱりわかってないけど、わかった」
うろたえ気味に答えたレフが、後ろからついてきた。
駆け降りたいけど、足元が見えない。壁に手を添えながら、気持ちだけは早足で進んだ。
どうにか踏み外さずに床へ降り立つと、いっそう濃い闇があった。
まだ起きているアンバインが床と壁でまばらに光っている。そんな淡い光じゃ到底ぬぐいきれない闇が、階段の真正面にあった。
まるであの世の入り口。アンバインの光は、あの世の手前でさまよう人魂。
ぞくっとして足が止まりかけたところを、レフに追い抜かれた。
「ほら、これ、行き止まりの壁」
レフがあの世の入り口に手を伸ばした。
真似して触れてみたら、確かに壁だった。アンバインのない真っ黒な壁だ。接ぎ目のないなめらかな感触で、ひんやりしている。
「で、あれが三階の扉」
言われるまでもなく気づいていた。横を向くとわずかに引っ込んだ空間があり、奥に扉が見える。
レフが先に近づいて、扉に耳をぴったりと寄せた。外に人がいないか気にしてるんだろう。
その様子を眺めながら、胸に手を当てた。鼓動が速い。つかむように指を立てて息を整える。
扉の厚みはどれくらいだろうか。念のため、声は小さくしたほうがいいな。
取っ手がついているところ以外は、大きさも色も八階の扉と似ていた。
レフの邪魔をしないようにしつつ、消えかけの明かりを頼りに周囲を探る。不気味な顔の錠前も、腰掛けにできそうな石の箱もあった。
「箱の蓋が開いてる」
「僕が開けた」
「なんで閉めないんだよ……中身は?」
「からっぽだったよ」
「そっか、もしかして上にあった設計図の何枚かは、もともとこっちに入ってたのかもな」
「そうかもしれないね。ところで、大丈夫?」
「あー、ふらついてるのは腹が減ってるだけだから。平気だよ。いつもなら寝てる時間だし」
心配そうな視線を手で制した。
強がっているわけじゃない。立ちくらみ程度の体調不良はほとんど毎日だ。気にしてもしかたない。
「それもだけど、この扉から出るんだよね? いちおう人の気配はないみたいだけど」
「ああ……」
黒い扉に向き直る。
いちど目を閉じてから、しっかりと見据えた。顔の左側が突っ張る。動かない瞼の内側で、左目は今もあの日を見ている。
一年前、ニカもここに来た。この場所に立って、きっと同じように扉を眺めた。
その後の出来事が、自分に返ってくるかもしれない。看守に見つかって、歩かされて、部屋長やオレクに蹴られる。
オレク。
あいつもニカを蹴っていた。どこも見てないような目で、なにも感じてないような顔で。
でも、きっと逆だ。なにも感じてないわけがない。だから表情をなくし、言葉もなくしたんだろう。
オレクの目が虚ろになっていったのは、ひとりだけ難を逃れたことを重荷に感じているからだって思う。
だからこそ、かける言葉は見つからなかった。自分もオレクを避けた。慰めも励ましもどの口で言うつもりだって、胸が苦しくなったから。
自分が今ここを出て、オレクに蹴られなきゃいけない状況になったら――
口が渇いてしゃべりにくい。不安が声に乗らないように気をつけた。
「大丈夫だと思う」
「どうして?」
「これがあるから」
首輪をつまんで持ち上げた。看守長の言葉と、見回りの看守の対応を思い返す。
「それがあると平気? 僕がいても?」
「レフは残ってて。俺が仕掛けを解いて戻るから、絶対に出てこないで」
「いつ戻る計算?」
「日付が変わるまでには。だから、三十分以内が目標」
「わかった。ここで待ってる」
レフが背後にまわった。
神獣、あるいは怪物の口に手を突っ込む。これはひょっとして舌を意味してるのかな、と思いつつ、取っ手をひねった。
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