第7話 罪過

 ニカとオレクと自分は同じ日に檻に入れられ、同室となった。


 年齢が近いこともあってすぐに打ち解け、よく話し、助けあう仲になった。隠し通路に入るまでの一年間は、二人がいたから気力を失わずにいられた。


 この通路でオレクと別れ、ニカと別れた。


 ニカの不在が八階の看守にばれたとき、ニカはすでに発見されていたんだと思う。場所は三階。そのしらせは八階の看守にも届き、同室の自分たちが知ったのは昼食をとろうとしたときだった。


 ニカは階をのぼらされた。


 本来の居住階である八階まで歩かされた。


「三階から八階まで、階ごとに処罰を受けながら、ニカは戻ってきた」


 看守長は階ごとにいる。それぞれの階の看守長が、「居てはならない場所に居るゴゾイア人」を、それぞれの権限で罰したのだ。


 八階に戻ってきたニカは、すでにまともに歩ける状態ではなく、ほとんど看守に引きずられていた。


「看守長は俺たちに命令した。ニカと同室の俺たちに、規律を破った仲間を打ち据えろって。殴ったり蹴ったりしろって。それを拒むやつは、ニカが八階から脱走するのを手伝ったやつだとみなすって」


 同罪となれば、もちろん一緒に罰を受けることになる。処罰の実例を目の前にして、看守長の命令を拒む者はいなかった。


「俺も、蹴ったんだ。蹴って、踏みつけた」


 疑われていた。夜に部屋を抜け出していたから、ニカに協力したんじゃないかと。いちばん疑われていたから、いちばん多く、長く、蹴った。


 ニカは抵抗しなかった。できなかったのか、あえてしなかったのか。痛みを訴えることも、怒りを表すこともなく、やめてと懇願することもなかった。


 どうやって誰にも見つからず三階に行ったのかと、看守長はニカに訊ねた。「言わないと死ぬまで殴るぞ」と脅していたし、「協力者の名前を言えば許してやる」と囁いたりもしていた。


 ニカは首を横に振るだけでなにも答えなかった。最後まで、誰の名前も口にしなかったし、誰の顔も見ようとしなかった。


 潰されたばかりの左目が燃えるように痛かった。それと同じくらい、ニカの背中を踏みつけた足裏が火傷したように熱かった。その熱さは、しばらく消えなかった。


「ニカが息をしてないのを看守が確認したんだ。ニカは袋に押しこまれて、運ばれた。階段までは部屋長と、あと何人かが運んだんだけど、その、それをさ……」


 言葉にするのが怖かった。口が渇いて、唾と一緒に空気を飲みこむ。両手をぎゅっと握りしめた。


「階段から落っことすんだよ。そのあとは下の階のやつらが引き継ぐ。誰かが死ぬと、いつもそうやって運ぶんだ」


 ここで死んだゴゾイア人はゴミと一緒に業者が引き取っているという噂がある。本当かどうかは知らないけど、だけどきっと、ニカがまともに葬られることはなかったと思う。


 謝罪はできない。


 謝る言葉を持っていない。あのときニカの味方をするよりも、自分がこれ以上痛めつけられることがいやだった。紛れもなく、まちがいなく、ニカよりも自分の安全を選んだ。


 左目を失ったことはニカのせいじゃない。オレクも悪くない。自分が鈍臭かっただけだ。恨む相手は看守たちであって、帝国民だ。


 それなのにニカを蹴った。友達を裏切った。助けようとしなかったこと、ニカの死に加担したことは、言い訳のしようもない事実だ。


 ごめんで済む話じゃないから謝れない。謝ったところでニカはいないし、ニカにとっては謝罪なんてむしろ不快かもしれない。


 できることは、忘れないということだけ。ニカのことを。ニカと過ごしたことを。色白で、ひ弱そうで、だけど中身は豪胆で、「脱出するなら一緒に」と、隠し通路に誘ってくれたやつのことを。


 自分が死ぬ日まで。


 人としての、最小のひとかけらみたいなものだ。卑怯で最低なことをしたくせに忘れるなら、終わりだって思う。


「俺は、もうああいうのがいやだから、これからは誰とも仲良くしないって決めたんだ」


 両手を握りしめたまま、ひりつく喉から声を押し出した。


 思い煩う相手はニカだけで充分。親しくないやつなら半殺しにされてても素通りできる。


 自分は強いやつじゃないから。いちいち心を動かしていたら、たぶん壊れるから。そうしたらニカと向き合うこともできなくなる。


「レフに声をかけられたとき、ニカに似てると思ったんだよ。顔とか性格とかじゃなくて、雰囲気が。だからいやな予感がしたんだ。なんか……やらかしそうっていうか……」


 笑おうとして、頬が引きつった。ぜんぜん笑える話じゃなかった。


 時計を見る。もう、あと、一時間になってしまった。


 黙って聞いていたレフが、無言のまま背を向けた。


 なにも言う気が起きないほど軽蔑されたのかもしれない。それはべつに、しかたない。


 だけど姿を見失うのは困る。連れて戻らないと首輪に電気を流されてしまうし、たぶんそれ以上の罰も受ける。


 罰を。


 レフも、レフだって、戻ったら確実に罰を受けるんだ。


 その先を考えないようにしていたのに、いやな気持ちが大きくなった。こうなる気がしたから、かかわりたくなかったんだ。


 レフは立ち去ろうとしたわけじゃなかった。


 アンバインを取り除いたあたりを入念に調べている。声をかけづらくて眺めていたら、「ここか!」と弾んだ声がした。


「見てよエルタン、ここ」


 笑顔で振り向いたレフが、壁の一点を示す。


 近寄るのを躊躇した。どういうつもりだろう。どう、思ってるんだろう。


「ここ、へこんでるよね。ちょうどアンバイン一個分」


 見てよ、という催促に抗えず、距離を詰めた。


「ニカ・トーリシュが使ったアンバインは、たぶんここにあったやつだよ」


 緑色の光を放つ宝石に囲まれて、ぽっかりとあいた、手のひらほどの虚無。アンバインの輪郭を探るニカの手が見えた気がした。


「僕はニカじゃないからニカの気持ちはわからないけど、伝て人としてってことなら、想像できることがある」


 怯むことを知らないような剛毅な光を瞳にたたえて、レフがまっすぐ見据えてきた。


「僕の失敗が君の役に立てばいい。伝て人っていうのは、失敗も成功も、すべての情報に価値を見出す。無駄なことなんてひとつもないんだ。ひとつも無駄にしないんだ。すべてを伝えて、共有して、次へとつなぐことを誇りに思ってる。生き方も、死に様も、すべて価値のあるものとしてつなげていくんだよ」


 だから、と続けるレフは冗談っぽく笑った。


「もしも僕がエルタンに蹴られて死んだら、僕がやろうとしていたことを引き継いでね、って思う。引き継いで成功させてほしい。それだけで充分かなあ」


 それだけで。


 じゅうぶん、だって?


「そんなの、ばかだろ」

「どうして?」

「死んだら終わりだろ」

「終わらないよ。終わらせないのが伝て人だ」


 軽い口調なのに響きは重かった。「たぶんねえ」とレフは考える顔つきになる。


「この塔にはニカのほかにも伝て人がいると思う。確証はなくても想定はしたはず。僕だったら、そうだなあ、出口がないと判断しても、八階から三階まで抜け道があることだけでもどうにか伝えたいって思うかな」

「だから三階から出てきたって言うのか」

「知らない。僕はニカじゃないから」


 それに、とレフの瞳がきらめいた。


「この隠し通路には外に通じる出口があるって僕は知ってるからね。出口を探すことを諦めないよ」

「なに言ってんだよ……ないよ、出口なんて」

「ある」

「根拠は」

「僕のひいおじいちゃんがこの通路を使って外に脱出した人だから」

「は……脱出? ここの囚人だったってこと?」


 収容所として利用される以前は、貴族の罪人が過ごす牢獄だった。時には貴族ではなく、平民だけど強い影響力を持つ罪人も囚われることがあったらしい。レフの曾祖父はそういう類の囚人だったのだろうか。


 だけどここは帝国だ。囚人も帝国の民だったはずだ。


 ゴゾイアの国土が奇病に冒され崩壊し、民が帝国内で暮らすようになったのは二十年前。それ以前にしろ、それ以後にしろ、まだ収容所ではなかったこの塔にゴゾイアの民が囚われていたはずはない。


 いや、ひとりだけいた。


 最初のひとり。


「この塔が建てられた経緯は知ってる?」


 レフの声がアンバインの光に吸い取られたように思えた。響かずにスッと消えて、はるかな過去へといざなうような。


「帝国の大貴族が建てたんだろ」


 母から聞いた話だ。物知りな母は、童話を語るのと同じように歴史も語り聞かせてくれた。


「百年前、皇族殺しの罪で捕まったゴゾイア出身の姫が、その貴族の妻だったから。貴族は皇帝に嘆願して妻のためにこの塔を建てた」


 極刑を阻止し、監獄から出すために。


 監視役の人間以外には誰にも会わず、この塔から一歩たりとも出ずに生涯を終えること。そういう条件と引き換えに、ゴゾイアの姫は監獄からこの塔に移り住んだ。


「うん。この塔に十年とすこし閉じこめられて亡くなったゴゾイアのお姫様。もともとゴゾイアの王家に生まれた人だ。政略結婚で嫁いできたけど、その貴族には恋人がいた。皇帝の従妹だ。その人を殺してしまった」


 嫉妬したからだという。一方で、冤罪だったという説もある。


 王国は姫の処遇に抗議し、帝国は王国を非難し、両国の関係は悪化した。


「じつは、この塔に幽閉されたのはお姫様だけじゃないんだ。彼女には子供がいた。その子供が、大貴族の死をきっかけにこの塔から脱出した僕のひいおじいちゃん」


 堂々と言い切るレフに、返す言葉がなかった。


 こんな突拍子もない話、どんな態度で聞けばいいのかわからない。冗談を言っているようには見えないけど、かといって、頭から信じるには妄想じみている。


「子供がいたことは公にされていない」


 レフは淀みなく話を続けた。


「きっと皇帝も知らなかった。そのあたりの詳しい事情はわからないけど、私は秘密の存在だったって、ひいおじいちゃんは言ってた」


 塔を建てた貴族は、やがて命を落とす。跡を継いだのは弟で、彼はゴゾイアを毛嫌いしていた。


 義弟が当主になったことを監視役から聞いた母親は、息子にこう言った。「おまえはいずれ殺される。だから今すぐ逃げなさい」


「ひいおじいちゃんが言うには、この隠し通路は夫から妻への贈り物だったんだって。お姫様はとっても賢くて博識で、好奇心が強い人だったから、退屈な塔での幽閉暮らしをすこしでも楽しんでもらいたいっていう、愛の贈り物だったんだって」


 贈り物には出口が用意されていた。


 知恵を絞り、仕掛けを解いて、怯えずに緑色の闇へと踏みこみ、さらなる謎を解いたあかつきに、自由が待っていた。


「出口は見つけたけど、お姫様は外に出なかったんだ」

「なんで?」

「足を悪くしていたらしいよ。まあ、外見の問題とか、理由はいくつもあったんじゃないかなあ」

「それで、お姫様の息子だけが外に出たって?」

「うん」

「それがレフのひいおじいちゃんだって?」

「っていう話を聞いたんだ。ひいおじいちゃんは僕が子供のころに死んでるんだけど、死ぬ前に僕だけに話してくれた。伝て人を目指す僕への贈り物として、一生の秘密を特別に教えてあげようって」


 だけどねえ、とがっかりしたように溜息を落とす。


「ここが収容所になったとき、ほかの伝て人にこの話をしたんだよ。けど信用してくれなかったんだ。子供のころの記憶だし、ほかに一致する証言もないしって。伝て人は誤情報にはものすごく警戒するから。――でも」


 声に熱がこもる。不敵な笑みを唇に刻んでレフは言った。


「ニカが、隠し通路はあるって証明してくれた。だから来たんだ。ここから外へ出られるって僕が証明する。この情報を持ち帰ることが僕の役割なんだよ」

「……そのあとは?」

「仲間と相談して準備をしたいね。この塔をひっくり返すんだ。囚われの同胞を解放する」


 月明かりが消えた。


 雲が隠したのか、窓から光が入らない角度に月が移動したのか。


 永い暗闇を生きるアンバインがともに話を聞き終え、頷くように目を閉じる。ひとつ、ふたつと光点が閉じていき、闇がのしかかってくる。


 百年の闇だ。


 ユーアノス帝国とゴゾイア王国の闇だ。


 ニカが切り開いた闇だ。


「だからどうしても出口を見つけたいんだ。ねえエルタン、手伝ってくれないかなあ」


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