第6話 手紙
「なんで……ニカの知り合い?」
おそるおそる問うと、レフは「ううん」と否定した。
「名前しか知らない」
「じゃあどうして……あ、いや、俺の知ってるニカと同じ人かどうかは……」
「そうだねえ。僕が捜してるニカは、この隠し通路に入った人だよ。そしてたぶん、この窓から僕らに連絡を寄越した」
レフはそう言って窓を眺めた。
意味がわからない。連絡? ここからニカが?
「俺の知ってるニカは、確かにこの通路に入った。俺も……一緒に、途中まで」
「やっぱりそうなんだ。そんな気がしたんだよねえ。一年前でしょ?」
頷きを返してレフを見つめる。相変わらず人懐っこい目。こいつはなんだ、誰なんだ?
「連絡ってどういうこと? ニカは、レフは、どういう関係……?」
「
わかるかな、とレフは窺う顔をした。
伝て人。ひさしぶりに聞く。
「わかる……けど」
父が連れ去られたあと、母が頼ったのが「伝て人」と呼ばれる人たちだった。安全な道を教えてくれて、隠れ住む場所を手配してくれた。
国を失ったゴゾイアの民を独自の情報力で支えてきた人たちだ。帝国が恐れている情報網とは彼らのことだと、オレクの話を聞いたときに思った。
自分もオレクもその名前を口に出すことはなかった。伝て人に関する話題は気軽にしていいものではない。
彼らはゴゾイアの民を生かす血液だから。血液は皮膚の内側に隠れていなきゃいけない。子供のときからそう言い含められてきた。
王国が栄える前から存在しているらしいけど、同じゴゾイアの民でさえ「伝て人」の実態は知らない。
どこそこの誰が「伝て人」だということしか知らされない。その情報ですら不用意に口にしてはならない決まりだった。
まさかニカが。そんなこと、思いもしなかった。
「俺が知ってる伝て人は、大人ばっかりだったのに」
ニカが伝て人だったのなら、いったいどんな気持ちでオレクの話を聞いていたんだろう。ゴゾイアの情報網を誇りつつ恨むような、そんな顔をしたオレクをどう思ったんだろう。
「親が伝て人なら子も伝て人になることが多い。覚えなきゃいけないことが山ほどあるから、僕もまだまだ半人前だよ。たぶん、ニカって人もそうだったはず」
「ニカのお母さんは占い師だって言ってたけど」
「あー、ありそう。占い師が使う文字はゴゾイアの古い文字だよね。それはねえ、伝て人が連絡を取り合うときに使う文字でもあるんだよ。きっとお母さんも伝て人だったんじゃないかな」
へえ……と相槌を打つ。ニカがあの文字を読めたのは、たまたま知っていたから、というわけじゃなかったのか。
「でも、連絡って、どうやって? ニカはなにも持ってなかったよ。手紙なんて書けないし、もし書けたしても、風に飛ばされて終わるだけだろ」
「手紙は鳥が運ぶ」
月光にさらされた床が緑色に輝きはじめた。ひとつ、ふたつと光が増えていく。レフも気づいて「起きたねえ」と笑った。
「起きたり寝たり、光ったり光らなくなったり、窓を開けてからずっとこうなんだ。アンバインって面白いね」
「鳥を呼ぶの?」
「口笛で飛んでくるよ。伝て人が欲しいのは情報なんだ。収容所の中がどうなってるのか、外にいる伝て人は知りたがってる。それを渡せる伝て人は、どこにいる?」
「中にいる……捕まってる伝て人ってこと?」
「そう。伝て人なら捕まってても情報を集めようとする。誰かに伝える機会を探す。外の伝て人はそれを予想して、収容所の周辺に連絡用の鳥をずっと飛ばしてるんだ。だからニカもここで口笛を吹いたと思う」
「でも、手紙は? どうやって用意したんだ」
「それは伝て人だけが知る秘密」
レフの目がかすかに色を変えた。人懐っこさの奥に鋭い光を宿している。
「特別な手段を使ったんだよ」
「えっと……あ、そうか、あの獣皮紙を使ったとか?」
「ちがうよー。もっと特別な方法」
「そんなに重要な秘密?」
「秘密なんだよ。でも教えてもいいよ。ニカがここでなにをやったのか。なにを僕らに伝えたのか。エルタンがニカのことを教えてくれるならね」
「ニカのこと、って」
「言いたくなさそうにしてるから。それを教えてよ」
レフから目をそらした。緑色の輝きが足を染めている。光を浴びたって、汚いものは汚いままだ。
あの日も、この輝きに囲まれて階段をおりた。「やっぱり俺も戻るよ」と切り出したとき、ニカは引き留めなかった。「気をつけてね、エルタン」と笑って、ひとりで階段をおりていった。
ニカがここで、ひとりでやったこと。一緒にいれば知ることができたかもしれない、ニカのこと。
胸の痛みが警告する。聞けば、話さなきゃいけなくなる。
それでも聞くべきだと、左目の傷が訴える。
乾いた唇を舐めて、顔を上げた。
「わかった」
「うん」
レフはさっぱりとした様子で笑った。
「手紙はね、ここなら問題ない。ここには書くものがちゃんと用意されてる」
「……どこに?」
「僕らのまわりにある。エルタンのお尻の下にも僕のお尻の下にもある」
「はい?」
尻を浮かせて覗きこんだ。
月光を遮っていたせいか、尻の下のアンバインは眠ったままだ。床に埋めこまれて、隙間を置いて並んでいるだけ。
「なにもないけど」
「だから、それ。アンバインを使うんだよ」
「はい?」
「見せたほうが早いな。やってみるね」
レフは月光を背負って壁にすり寄った。起きているアンバインをひとつ選ぶと、折り曲げた指でコツコツと叩きはじめる。
息を大きく吸ったレフが、ふしぎな声を出した。口はほとんど開けないまま、高低差のある声をふたつ、同時に発している。
声というより楽器の音みたいだ。弦楽器のような低音と、笛のような高音。旋律はなく、息継ぎも短めにレフは音を鳴らし続けた。
ふいに光が揺らいだ。
レフが叩いているアンバインも、そうでないアンバインも、身震いするように明滅を始めた。
なんだこれ、どうなってるんだ。
月光の届かない闇を見はるかせば、濃淡のある緑色の光が消えたり明るくなったりしている。
遠ざかっているかと思えば近寄られているような、奇妙な瞬き。レフのふしぎな声色のせいもあって、さっきまでとはまったく別の場所にいる気分だ。きれいだけど、怖い。
レフがちらっと振り向いて手招きをした。アンバインを叩き続けながら、あいているほうの手で「見ろ」と指し示してくる。
透明な宝石はシルアリンよりも小さく、中にいる虫はさらに小さい。
体が丸っこくて指先ほどしかないから、全身が光っているように見える。だけど実際に光っているのは翅だけだ。硬い
レフが叩いている石の中で、虫が身じろぎをした。そんなはずは、と思う目の前で、またわずかに動く。
アンバインが動くなんて聞いたことがない。光が瞬く話も知らない。どうなってるんだ――いや、そうか、もしかして、そういうことか。
宝石の色が濁りはじめた。レフが叩いているものにだけ変化が起きている。内側からみるみる色を変えていき、虫の姿を完全に隠した。もう光も見えない。黄色い塊だ。
レフが叩くのをやめた。声色は継続しながら、濁ってしまった宝石の輪郭を指先で探る。
横で見ていていても石がやわらかくなっているのがわかった。壁に隙間ができて、レフは難なくアンバインを取り外した。
発声をやめたレフの口から息が漏れる。疲れたのか、あるいはうまくいって安堵したのか、どちらともとれる吐息だった。
いまだに明滅を繰り返す床に置かれた宝石は、もう石とすら呼べない。粘土のようにも見えるし、中心部分はとろみのある液体にも近い。
黄金色の液の中から
「これだよ。これを使うんだ」
宝石の名残をレフが両手で押さえる。
「さわってみる?」
誘われるままに指でつつくと、ぶよぶよしていて温かい。「変な感じ」と素直な感想を伝えた。
「溶けた直後はね、こうやって引き伸ばしてやれば、紙の代わりになるんだ」
それこそ粘土をこねるように、平べったい板の形にレフは整えた。もとは手のひらより小さい石だったのに、今は両手ほどの大きさになっている。
黄金色の板にレフが爪を立てた。なにやら奇妙な図形を書き綴っていく。もう、わかる。ゴゾイアの古い文字だ。
「なんて書いてるんだ?」
「塔の隠し通路を確認。外への出口は捜索中で、あとは……うーん……」
難しそうな顔をして口ごもる。それでも文字を綴る手は止まる気配がなかった。
いつの間にか周囲のアンバインが元に戻っている。さっきはあんなに騒いでたのに。緑色の光をしおらしく纏っているさまは、まるで聞き耳を立てているかのようだ。
「さっきの声、すごかった」
「アンバインのオスがああやって鳴くらしいよ。本物は聞いたことないけど」
「虫の習性を利用したんだな。それを覚えるってことは、伝て人は連絡用にアンバインを持ち歩くってこと?」
「そういうこともある。秘密の入手経路があってね。宝石だから売れば資金になるし、こうやって紙にもなる」
「え、じゃあ、伝て人ってお金持ち」
「資金だよ、資金。個人的な財産じゃない」
レフは目を上げて楽しげに笑った。
「まあ紙として使うのはおまけみたいなもんで、やり方だけは覚えるけど実際に使うなんて基本はないよ」
再び目を落とし、手を動かす。「だから」と話を続けるレフの声は、さっきよりも低い。
「だからニカの手紙を見たときはびっくりしたんだ。あれを読んで、僕は絶対にここに潜入するってみんなを説得してきたんだよ」
「宝石だらけの隠し通路に興味があったってこと?」
「というより、この通路の存在を僕はもとから知ってたんだ」
「え?」
「書けた。で、書き終わったらまるめる」
「……文字が潰れたりしないのか」
「しないよー。ゆーっくり固まっていくから届くのが遅れると開封しづらくなるんだけどね」
黄金色の板を端からくるくるとまるめたレフは、窓から身を乗り出して口笛を吹いた。高く澄んだ音色に抑揚をつけている。
やがて小さな鳥が飛んできて、窓枠にとまった。灰色の鳥だ。見たことがあるような、ないような、よく知らない鳥だった。
「夜行性?」
「この鳥はね。昼間は昼間で別の鳥を使うよー」
「なんか、いろいろあるんだな」
「鳥や虫や獣や、人じゃないものとも仲良くする術を身につけないと、伝て人にはなれないんだよ」
鳥の脚には紐が結ばれていたけど、レフはそれをほどかなかった。「アンバインなら紐で結ぶよりこのまま運んでもらうほうがいい」と、まるめた板を鳥のそばに置く。
鳥はアンバインの上に乗った。両脚でしっかりつかんで羽ばたきをする。月明かりをすり抜けるかのように、夜の風に紛れてしまった。
「ニカ・トーリシュの手紙も、こうやって届けられたんだ」
「……なにが書いてあった?」
「いろいろだね。隠し通路についてはもちろん、部屋長の特権とかも」
「特権? 特権なんてべつに……」
「ああ、内緒の特権だって。脱走や暴動が起きないようにみんなをしっかりまとめることと引き換えに、部屋長は自分の家族と手紙のやりとりをさせてもらってるらしい」
「知らなかった」
うまみなんてない外れくじだと思ってたのに。
そういう特権なら欲しい。たぶんみんな欲しがる。だから隠してるのか。
「あとは、労働よりも虐待や虐殺が目的と思われる塔での暮らしぶりについて、かな」
レフがひとつ息を吐いた。浮かべていた笑みを消して、真顔を振り向けてくる。
潰れた左目を見ているのがわかった。
「片面じゃ足りなくて、表と裏にびっしりと書いてあったよ」
左目がズキズキと熱を持ったように痺れた。そんな気がするってだけで、左目はただ死んでいるだけなんだろうけど。
それでも視界が狭まっていく気持ち悪さは本当だった。右目をぎゅっと閉じて、まばたきを繰り返す。
虐殺、か。
そういうことを書いたあとに、ニカは出てきたのか。どんな気持ちで、なにを思って。
「ニカは三階から出てきたんだ」
レフの視線を感じる。目を合わせたくなかった。だから窓の外を見た。アンバインが飛び去って、鳥が消えた夜空。幻のような星のきらめき。曇りなき満月。
「三階から出てきて、八階で死んだんだ」
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