第4話 街の灯

 ゴゾイア遺民収容所。


 そう呼ばれる場所が帝国には複数ある。そのひとつであるこの塔は、およそ百年前に帝国の貴族が建てたものだ。そのときからすでにこの塔は牢獄だった。


 のちに国のものとなり、勅命によって貴族や有力者の罪人が閉じこめられてきた。そして今はゴゾイアの男たちを隔離している。


 この檻の中でいろんなものを失った。


 たとえば自由。


 たとえば意欲。


 あるいは安らぎとか思いやり。


 食事を楽しむこと、靴を履くこと、外の空気を吸うこと。


 友達の命。


 自分の左目。


 ニカが発見した隠し通路には三人で入った。ニカとオレクと自分の三人。


 看守や部屋長に不在がばれることを恐れたオレクは、階段をおりずに引き返した。


 俺も戻ると声をあげたかった。懲罰が怖かったし、緑色に光る暗闇も怖かった。そう思う一方で、もっと下まで行くというニカについていきたい気持ちも強かった。


 戻る、そのひとことがなかなか吐き出せずに、ニカと一緒に階段をおりた。だけど時間がたつにつれて不安が増していき、結局はニカを置いて広場に戻った。


「この傷は、消灯時間のあとにトイレに行ったのが看守に見つかって、罰を受けた結果だよ」


 探るようにレフが目を細める。


「いつ?」

「一年前」

「切られたの?」

「看守が持ってる棒だよ。トゲトゲがついてるやつ。それで叩かれた」

「抵抗しなかったの?」

「部屋長に押さえこまれてたからな。もういいだろ、こんな話」


 ニカを置いて広場に戻ったときには、消灯時間がとっくに過ぎていた。こっそり部屋に戻ろうとしたところを看守に見つかって、トイレに行っていたと嘘をついた。


 看守に呼び出された部屋長は、指示に逆らうことなく、羽交い締めにしてきた。


 右目と左目、どっちがいいかと看守に問われ、左と答えた。


「たかがトイレで……」


 不服そうにレフが声を低める。その怒り、同情心、すべてがここでは虚しい。


「消灯したら誰も部屋から出ちゃいけないんだよ。鍵はかかってないから出られるんだけどね。もっとくだらない理由で罰を受けることもある。病室に行けば両目がないやつだっているよ」


 こんなのたいしたことじゃないと言いたくて、笑いながら肩をすくめた。でもうまく笑えなくて、頬が引きつる。


「部屋長だって俺を押さえこんだあとは同じ棒で腕を叩かれてた。連帯責任だからさ。部屋長は俺の食事を三日間とりあげたけど、べつに恨んでないよ」


 部屋長はニカの不在に気づいていた。でも看守に報告していなかったし、行方はきかれたけど「知らない」と答えたらそれ以上の追及はしてこなかった。


 オレクが無口になったのはこのときからだ。なにを思っていたのか、いまだに聞いたことがない。


 ニカの不在が看守に知れたのは翌日、作業室での点呼のとき。だけど捜索はされなかった。必要なかった。


「だからおまえも、ここから戻ったら罰を受けるよ。おまえを連れて戻らないと俺も罰を受ける。おまえんところの部屋長も俺の部屋長も、なにかしら罰を受ける。電池なんて抜けないし、勝手に抜いたらそれだって……」

「これはどうにかできる」


 レフは時計を持ち上げて首輪を肌から浮かせた。


「気になるならこうやって支えてるといいよ。時計のところに電流は来ない。たとえどんなに強力でも、電極が体に触れてなければ感電しない」

「ああ……なるほど」


 どうしてこいつはこんなに冷静なんだろう。


 感心しながら言われたとおりに時計を持つ。レフの手が離れた。ついでに時間を確認すると、まだ二時間以上の余裕がある。


 もう一方のレフの手首は握ったままだ。離すつもりはなかった。


 レフの落ち着きは、あくまで逃げることを考えているからかもしれない。戻れば罰を受けると聞いたんだから、なおさら逃げたくなっててもおかしくない。きっと隙を窺っている。


 レフの視線がそれた。つかんでいた手首がグイッと引かれる。


「明るいところに行こう」

「え? おい、ちょっと」

「アンバインが眠りはじめたんだよー」


 引きずられながら振り返ってみると、上のほうは闇で塞がれていた。無数にきらめいていた緑の光が減っている。


「待てって! なんで下に行くんだよ。戻らなきゃいけないのに」

「だって罰を受けるんでしょー? だったら戻りたくないよー」


 足を踏ん張ってレフの腕を引っ張り返す。だけど下に引っ張る力のほうが強くて抗いきれない。


 レフは前のめりに体重をかけながらおりているようだ。へたすると階段を踏み外しそうで、自分もおりるしかなかった。


 ニカを追ったときは、どのくらい下まで行ったんだっけ。こんなに深いところまで来てないような気がする。


「なあレフ! ここに閉じこもってたってどうしようもないだろ! 逃げられるわけでもないんだし!」

「なんで逃げられないって思うの?」

「この通路に出口なんてない!」

「えーどうして?」

「設計図に描いてあっただろ。ここは行き止まりだ」

「あれ見たけどよくわかんなかったよ。エルタンは理解できたんだ?」

「親父が大工だったから。ああいう図面も遊び半分で教わったりしたから、すこしはわかるんだよ。いいから諦めて戻ろう。真っ暗になる前に!」

「もうすぐ明るいところに出るよー」


 明るいところなんてあるわけがない。アンバインがすべて眠ったら、完全な闇だ。


 連れ戻されたくないから時間を稼ぐつもりなんだろうか。だけどそれにしては、手を振りほどこうとしてこない。


 いっそ追い抜いて立ちはだかってみようかと考えたとき、行く手に白い光が見えた。


 階段が途切れて四角い床が現れる。そこに光がさしこんでいた。あるわけないと思いこんでいたものが、あった。


「……窓?」

「これ開けたの、僕だよ」


 レフの足が青白い光を遮る。得意げに笑う顔からは罰に怯えている気配なんて微塵も感じられない。


 設計図には描かれていなかったはずだ。


 肩幅より狭く、床から膝まで届く縦長の窓。右側の壁にひとつだけ、足元に設置されていた。


「こうやって開け閉めする」


 レフが両手を使おうとするから、思わず手を離した。


 窓の左側に突き出しているものがある。しゃがみこんだレフは両手でそれをつかみ、体重をかけて横に引っ張った。


 ゴロゴロと音をたてて、石の扉が壁の中から現れた。白い光が狭まっていく。石がなにかに嵌まるような音がしたのと同時に、清らかな光は完全に消えた。


「ここだけアンバインがなかったから気づいたんだ」


 レフの言うとおり、石の扉にはアンバインがない。まわりの壁は緑色に光っているから、黒く沈んでいる四角い形は目にとまる。


 レフはもういちど扉を開けた。今度は引っ張るんじゃなくて押していく。閉めたときよりも重いのか、「よっ」と掛け声を出していた。


 たちまち光が切りこんできた。癖の強い巻き毛も、えらの張った横顔も、健康そうな体も、洪水のような明かりにさらされる。


 風が足先を舐めた。枯れ草のようなにおいが蹴散らされていく。虫の声が聞こえた。春の終わりから夏にかけてよく聞いた、甲高い鳴き声。


 レフを押しのけて窓の前を陣取り、四つん這いになった。


 窓枠の下側は床より低くなっているから、床の端をつかむように両手をつく。限界まで身を乗り出した。奥行きの広い窓枠の中に顔がすっぽり収まる。肩は引っ掛かってこすれた。


 澄んだ風が顔をなでる。草のにおいがした。枯れ草じゃない、みずみずしい香り。


 首をもたげたら、ひとつきりの瞳を光が刺してきた。深い青紫色の夜空にくっきりと浮かぶ、黄金色の月だ。


「月が大きい」

「満月だしねえ」


 下を覗くと、草でおおわれた地面が見えた。


 高い。ここは何階にあたるんだろう。引きずりこまれるような感じがしたから、いったん体を起こす。


「落ちないでね」


 横で笑うレフを無言で見つめた。言葉がうまく出てこなかった。


 また窓の下を覗く。今度は肩が触れる程度にとどめながら、首だけを伸ばした。


 眼下にひろがる草地は、塔から離れたところで断ち切られるように境界線をつくっている。崖だ。その先に川がある。大きな川。対岸に見える光は街の明かり。


 二年前、あの街を通った。


 母と引き離されて連れて行かれた街だ。「あれが今から行く収容所だ」と聞かされて、対岸にあるこの塔を暗い気持ちで眺めた。


 反対側から見る日が来るなんて。


 べつに見たかったわけじゃないけど、いざ目にすると胸に迫るものがある。


 窓の横には月影にたたずむ樹木があった。葉っぱがすこし揺れていて、梢は外壁に触れている。


 春と秋の二回も花を咲かせるシルアリンの木だった。とっくに花は散ったらしく、枝葉の陰に実がついているのが見える。


 甘酸っぱい香りが漂ってきた。香りを運ぶのは風、ひんやりと湿った、かすかな風。


 息を吸った。


 吸って、吐く。


 呼吸するのが心地いい。そう思ったとたん、喉が締めつけられるような気分になった。


 この明かりは、とっくに奪われたものだ。


 夜空を埋め尽くす星と、圧倒的な光で世界を照らしている月、ひとかたまりの街の灯。


 どの光も自分のものじゃない。よそよそしい。明かりの下に立つことはできない。


 檻だ。ここは、本当に。未来のない牢獄。


 囚われない世界はあの川のむこうにある。あそこだって安全じゃないけど、少なくとも逃げる自由はある。隠れることもできる。


 この檻の中には存在しない未来があるんだ。あんなに鮮やかに、確かに、遠く。


 ニカもこの景色を見たんだろうか。


 心臓がまた痛んだ。


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