第3話 眠る虫

 回転式とはいっても一回転するほどの広さはない。


 半分も押し切らないうちに闇側の障害物にぶつかるのだ。看守長みたいに太っている人ならつっかえてしまうだろう。


 高さもないから、長身のユーアノス人は腰を屈めないといけない。ここを難なく通れるのは子供ぐらいのものだ。もしくはゴゾイア人。それなら大人でも問題ない。


 身をすべりこませて扉を閉める。


 カチャ、と小さい音が聞こえた。施錠の音だ。これを再び開けるにはどうしたらいいんだと焦ったのは、一年前の話。


 解明済みだ。


 廊下側から隠されているこの扉は、こっち側から見るとなにも隠されていない。黒塗りの扉の横に錠前があるのもすぐ見つけられる。


 神話かなにかの怪物みたいな、変な動物の顔が取り付けられていて、大きく開けた口の中に取っ手がある。それをまわすとカチリと音がした。扉の片端を押すと、動く。


 うん、出られる。大丈夫。


 逆側を押して扉を閉めた。仕掛けが噛み合う音を聞いてから、ようやく扉を背にする。


 一年ぶりの景色を眺めた。


 天井は真っ暗だけど、壁にも床にも小さな光が群れている。闇の底に誘うようにおりていく階段も目の前で緑色に光っている。


 これ全部、宝石だ。


 アンバインという生きた宝石。鉱物ではなく有機物。光を発しているのは東方に生息する「眠る虫アンバイン」で、産卵を終えたメスだ。


 この虫のメスは奇妙な習性をいくつか持っている。そのひとつが産卵後の眠り。


 産卵を終えると地中に潜り、自分の体から出る液で身を包む。この液はやがて固まり、透明な石になる。石の中で眠りに落ちたメスの寿命は長く、千年だともいう。


 地中で眠る母は光を当てると目を覚ます。ほんのわずかな光でも反応する。


 その際に体が緑色に発光するわけだけど、アンバインが隣り合っていればつぎつぎと反応して光るという現象が起きる。この隠し通路に仕掛けられているのがまさにそれだ。


 アンバインについて教えてくれたのは父だった。


 まだ自分が八つか九つくらいのとき、大工仕事を終えた父がアンバインの原石をひとつ持ち帰ってきた。


「価値のあるものだから、おもちゃにしないように」と念を押してから、さわらせてくれた。原石でもきれいに透きとおっていたのをおぼえている。


 アンバインのふしぎな習性はほかにもある。


 地中で眠るメスの居場所を探り当てたオスは、鳴き声をあげながら潜っていく。呼びかけに応えたメスは石を溶かし、外に出てくるらしい。


 だからアンバインには「愛」とか「夫婦の絆」とか「永遠」とかいう意味づけがされていて、そういう相手に贈るためにも将来は金を稼ぐんだぞ、みたいな話をされた気がする。


 そんな未来は潰えたけど、つまり頑張ってお金を貯めれば買える宝石だったということだろう。


 だけどさすがに百個も千個も買うのは不可能だ。


 いったいどれだけの大金を費やしてこれだけのアンバインを埋めこんだんだろうか。感動するし感心するし、あきれる。


 扉の前には石の箱が置かれていた。


 さっき扉を開けようとしてぶつかったのはこいつだ。肩幅ぐらいの大きさで、高さは脛の半ばまで。装飾は一切なく、腰掛けにもなるだろう。


 蓋がずれていた。中を覗くと、一年前と同じように獣皮紙が何枚も入っている。


 手に取ってはみたけど、すぐに戻した。なにが描かれているかはとっくに知っている。これは設計図なんだ。この塔の断面詳細図、そして階ごとの間取り図だ。


 どうしてこんなものがここに残されているのかは知らない。だけど、この設計図は百年前に描かれた本物だろうと思う。使われているのが獣皮紙だから。


 獣皮紙は高価だ。


 昔はそれしかないから、設計図も獣皮紙に描いたんじゃないかと思う。今はちがう。獣皮紙を使うとすれば、たとえば結婚式とか、命にかえても約束を破らないことを誓うときとか、そういう神聖かつ特別な誓約書を作るときだけだろう。


 この隠し通路がなんのためにあるのか、この設計図がどうして残されているのか、答えを知りたいとは思う。だけどたぶん無理だし、今はそれどころじゃない。


 レフはここにいる。


 この箱の蓋は一年前に開けて、ちゃんと戻した。扉がぶつかったくらいで動くような軽い蓋でもない。


 誰かが開けたんだ。ほかの誰かかもしれないけど、ここを見つけた人がいるという噂はこれまで耳にしなかったし、やっぱりレフだと思う。


 階段に踏みこんだ。


 高価なアンバインを裸足で踏みつけながら一段ずつおりていく。最初は慎重に、だんだん足早に。


 使う人がいないこの通路の空気は独特だ。涼しくて、重くて、枯れ草のようなにおいがかすかに漂っている。


 長寿の虫が放つ体臭かもしれない。アンバインに香りはないはずだけど、これだけ多く集まればそういうこともあるんじゃないかと思ってしまう。


 このにおいは嫌いじゃなかった。トイレや廊下や部屋の悪臭に慣れた鼻が、正常さを取り戻していく気がする。


 だけど暗闇は好きじゃない。長居したくない。


 どれくらい先までおりているんだろうか。アンバインはそのうち眠ってしまうし、早くレフを見つけて戻らないと自分が永眠する。


「レフ!」


 思い切って名前を呼んだ。声は反響しない。聞こえているだろうか。


「いるんだろ? レフ!」


 通路は狭いから、左右の壁を支えにしながら進んだ。手に触れるアンバインの、つるつるした感触。闇に底に導く緑の道。吸いこまれて落ちそうで、目がくらむ。


「レフ! 返事をしろ!」


 はぁあい、と声が返った。姿は見えない。


「上がってこい!」


 はぁあい、とまた声が返る。


 駆け足でおりていくと、見覚えのある巻き毛が現れた。こっちを見上げて人懐っこく笑う。


「びっくりだなあ、君もこの場所を知ってたんだ? ええっと、エルタン?」

「あのさあ、おまえが行方不明だから俺まで巻きこまれて死ぬかもしんないんだけど。なにしてくれてんの? ほんっと腹立つ」

「え、なに? 死ぬって? なんで?」


 のんきに驚いた顔をして階段をのぼってくる。


 これでもかというぐらい怒りをこめて睨みつけながら目の前に立った。二段も下にいるレフと目線が同じなのがよけいに腹立たしい。


「日付が変わる前におまえを連れ戻さないと、この首輪に強力な電気が流れて死ぬんだよ」

「えーなにそれ。ちょっと見せて」


 レフが一段のぼって手を伸ばす。首輪を持ち上げて、ぐるっとまわしたり、下から覗きこんだりしはじめた。


「鍵がないから外せないねえ。あー、下に電極が並んでる。ここで放電して火花が出る感じかなー? こんなのあるんだ。すごいね」

「なに感心してんだよ」

「でもこれさ、そんな心配しなくても平気じゃない?」


 緊張感のない目が間近で見つめてくる。


「だってこれ小さいし。感電したって死なないよ。せいぜい動けなくなる程度? まあ、首だと強烈になりそうだけど……拷問用でしょ? だったら殺すほどの電圧は出ないよー」

「一回やられてるんだよ。一瞬だったのに、ものすごく痛くて倒れたんだからな。今もまだ痺れてて変な感じなんだ。あんなの一分も続いたら絶対に死ぬ」

「んー、あー、それじゃあ使えなくすればいいよ」

「どうやって? 叩き壊すつもり? 俺の首まで壊れるんじゃないの?」

「や、もっと簡単に。単純に」


 首輪の裏側を下から覗きこんだまま、レフが笑みを浮かべる。


「電池を抜こう」

「え」

「ここに」


 時計の裏蓋をレフの指が叩く。


「電池が入ってるはず。それを抜いちゃえば電流が発生することはない。でしょ?」

「そ……っか」


 思いつきもしなかった。


 言われてみればそのとおりで、いかに自分の視野がとざされていたかを思い知る。


 これは、二年も檻にいる自分と、来たばかりのやつとの当然の差異なのか。単に人としての優劣なのか。わからないけど負けた気がした。


「――なんだけど、ネジで留められてるなあ」


 時計を持ち上げて裏蓋を観察しながらレフが困った顔をする。


 死刑宣告に抜け道があるとわかって、肩から力が抜けた。だけど問題はそこじゃない。


 レフの手首をつかんだ。


「おまえを連れて戻らないとだめなんだよ。おまえは……言い訳どうしよう」

「言い訳?」

「こんな隠し通路があるって看守たちは知らないんだ。バレたらひどい目に遭わされるかもしれない」

「どうして?」

「だって、あの文字。あれはゴゾイアの文字だろ。古い文字だけど、読めるやつは読めるし。知ってて隠してたってなれば脱走を企ててたんだろってなる」

「実際そうなんじゃないの?」

「ちがう」


 ふーん、とレフは疑わしそうに首をかしげた。


 これ以上の詮索をされないように視線をそらす。壁のアンバインを眺めながらブツブツと呟いた。


「言い訳……どうすっかな。病室にいたってことにするか……」

「ねえ、気になってることがあるんだけど」


 レフが目を合わせてじっと覗きこんできた。なに、と首をかしげて先を促す。


「触れてほしくないことかもと思って、きけなかったんだよね。いやな質問だったらごめん。その左目どうしたの? いつ、なにがあって、そんなふうになったの?」


 まっすぐな視線を遮りたくて、自分の左目に触れた。


 でこぼことした傷痕の感触。眼球はある。でも瞼が開かない。開いたとしても、なにも見えないだろう。


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