8.祝宴にて
村の最奥に位置する巨大な箱型建造物――〈オオゲツヒメ〉。その内部には、ゆうに百人以上を収容できる広大な空間が設けられており、外界の雪とは対照的な鋼の色が闇と融け合っていた。
今そこに、独りでに開閉する透明な扉をくぐって、村人たちが姿を現す。粉雪とともに風の音が舞い込むと、〈オオゲツヒメ〉は、それで目を覚ましたかのように黄色みがかった明かりを灯した。村人たちは温かな光に迎えられて微笑をこぼした。頭巾をはね上げ、雪の塊を外に落とすと、奥の壁に向かって歩みを進めてゆく。
「家の壁が抜けたときは死んだかと思ったなぁ」
「ちょっと頬つねってくれ。おれ、今もちゃんと生きてるよな?」
「宴なんていつぶりかねぇ」
壁には無数の四角い穴がずらりと並んでいる。その上には、それぞれ古代文字の刻まれた突起がある。村人が突起を押すと、たちまち穴から食材が吐き出された。穴によって出てくる食材は異なっていて、肉や魚を吐きだす穴の前には、当然ながら長い行列ができていった。
「よっこらせっとぉ」
一方、そちらへは向かわず広間の中央に腰を下ろす者たちもいる。彼らは、床に記された二重丸の印の上に、各々が持ち寄った鍋や土瓶を置く。すると、床のその部分だけがせり上がり、赤く色づき始めた。あらかじめ中に詰められていた雪が見る間に融けてゆく。
広間の人数が三十を超えたあたりで、入り口がまた独りでに動き出し、寒風を締めだした。ところが、すぐにまた開いた。摩訶不思議な扉をまじまじと見つめながらやって来たのは二人の男だった。彼らは夕餉の支度に勤しむ村人たちへ目を転じると、うっすら雪の積もった茣蓙帽子の頭巾を後ろにはね上げた。
近場にいた村人が、ふたりに気付いてアッと声を上げた。一瞬、水を打ったような静けさが生まれた。鍋の中、気泡の弾ける音がいやに大きく鳴り響いた。直後、歓声が沸き上がった。
「キャー! 英雄様の凱旋よお!」
「さっきは一緒に戦ってくれてありがとな!」
「ありがとおおお!」
高いたかい天井にまで、村人たちの大音声が充ち満ちる。ふたりは、じんじんと痺れる肌をさすりながら、互いに顔を見合わせた。このように快く歓迎されるのはいつぶりだろう。エチゼン国では感謝されるよりも罵られることの方が多かった。国のため、民のためと雪かきに精を出しても、唾を吐きかけられるのが常だったのだ。
『どうして俺の家が潰れちまう前に雪を除けてくれなかったんだ』
『雪国人の血を引いてない私たちなんて、あんたら寒窺にとっちゃ関心のない相手なんだろうね』
『いまさら遅いよ。もっと早く来てくれりゃあ、うちの倅が生き埋めになることだってなかったのによ……』
カキノスケは、怨嗟の声を、いくらでも思い出すことができた。エチゼンの民に、他の恨むべき相手がいなかったことは理解している。それでも己の仕事を疑った夜が幾度もあった。
だが今は、救われたような心地がする。他者のために力を尽くすことは、決して間違ってはいないのだと村人たちの態度が教えてくれている。
カキノスケははにかんでぺこりと頭を下げた。ヒエモンは仏頂面のままだったが、村人たちを眺め渡すと、わずかに顎を引いてみせた。
「こっちこっちぃー!」
広間の奥のほうで、トウキチが立ち上がり手を振っていた。カキノスケはそちらに手を挙げて、ぎこちない笑みを返した。別の一団から、ヒエモンにも声がかかった。ふたりの寒窺は短く視線を交わすと、それぞれ呼ばれたほうへと歩きだした。
「怪我はないか?」
カキノスケは土鍋を挟んでトウキチの前に腰を下ろした。
すると、トウキチは両腕を真上に突き上げたり、頬をパンパンと叩いてみせたりした。
「兄ちゃんのおかげでこの通りさ。ホントありがとな」
「礼には及ばんさ。そもそも獣を仕留めたのは俺ではないしな」
村に侵入した
無論、そこにはカキノスケたちを歓迎する意図も含まれている。辺りを見渡すまでもなく、今もまだ熱い眼差しを注がれているのがわかる。カキノスケはトウキチのすぐ隣の不自然な空白を一瞥した。
「ユキノジョウ殿は?」
「まだ来てないよ。大方、昼間の巨熊を捌いてんだろうさ。熊の肉ってさ、〈オオゲツヒメ〉からも手に入れられねぇ代物なんだ。兄ちゃん、運が良いぜ」
トウキチは興奮して鼻の穴をうんと大きく膨らませた。
カキノスケは腕を組んでうつむき、トウキチの熱のこもった眼差しを避けた。彼は知っていた。此度の宴に熊肉が供されることはないと。雪解け水の張った鍋の底、プルプルと揺れていた気泡がひとつ、左右に揺れながら浮上し、水面で弾けて消えた。
「……熊鍋。俺の国では食べたことがないな」
「兄ちゃんの国に熊は出ないのかい?」
「出ることは出る。しかし、こちらから狩りに赴くことはないし、斬るとしても獣が領内に侵入して来た時だけだ。それも寒窺の口には入らん。稀少な食材は親方様がお召しになるからな」
「ふうん」
意外にも、つまらなさそうな相槌が返ってきて、カキノスケは思わず顔を上げた。トウキチは好奇心旺盛な子だから、てっきり質問攻めにされると思っていたのだ。
今度はトウキチの方が目を背けた。不躾な態度を自覚したのだろうか、顔をしかめた。
カキノスケは訝しんだ。どうも様子がおかしい。声をかけるべきか否か、迷っていると突然、トウキチが立ち上がった。
「あー、危ないところだった。今のうちにダシをとっとかねぇと。悪いけど兄ちゃん、ちょっと鍋の様子を見ててくれよ」
早口にそう言うと、トウキチはこちらの返事も待たず、壁の前の行列へといってしまった。ひとり残されたカキノスケは、呆然と遠ざかってゆく背中を見つめた。そこに子どもの機微を見出そうとした。だが、すぐに考えを絶った。カキノスケは自分自身に言い聞かせた。
わかろうとするべきではない。あの子のことも、村の人々のことも。
ぎゅっと拳を握り、鍋の底に目を落とした。先ほど見たときよりも泡の数が増えている。無数の泡がぷるぷる震えながら、次々と浮きあがってくる。迷うように、恐れるように。しかし、それも一たび水面に達すれば、たちまち消えてなくなる。
泡沫のようになりたい。カキノスケは願う。〈オオゲツヒメ〉の扉をくぐるまでの間に、ヒエモンと交わしたやり取りを思い返しながら。
『巨熊を屠った男……あれが〈雪除けの鬼〉だ』
ヒエモンはそう言った。
さしたる驚きはなかった。巨熊を討ちとったあの業前。明らかに凡庸な寒窺のそれではなかった。あれを超えるものがいると言うのなら、それこそ伝説、幻想の類しかあり得ない。
そのような確信があるからこそ、カキノスケは迷った。トウキチを見つめる父の眼差しが、記憶にこびりついていた。
これでいいのか。己の行いは正しいのか。
長い沈黙があった。風が吹いていた。心の芯まで凍えるような冷たい風だった。やがてカキノスケは欲した。この胸を癒す、たったひとりの温もりを。そして告げた。あの男には弱点があります、と――。
その時、透明な扉が開き、カキノスケを我に返らせた。姿を現したのは、彼がいま最も目にしたくない相手、ユキノジョウだった。
ユキノジョウの表情は険しかった。とてもこれから祝宴を楽しもうという様子ではなかった。さりげない所作で村の寒窺たちが集められた。そして何事かを囁き始めた。
カキノスケは己を殺し、冷徹な寒窺となった。あえて鍋に注意を向けるフリをしながら、寒窺の鋭敏な感覚を研ぎ澄ました。そうして喧騒の中から、ユキノジョウたちの会話だけを拾い上げた。彼らは〈スノーダンプ〉の所在について話し合っていた。
〈スノーダンプ〉――その如何にも恐ろしげな名は、擬神座に引導を渡したユキノジョウの得物であった。
そして今やカキノスケは、それ以上の真実を知っていた。
かつてエチゼン国から盗み出された国宝遺物。その名もまた〈スノーダンプ〉といった。
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