5.凍てついた手

 男は自らをユキノジョウと名乗った。村に住まう六人の寒窺サムライの一人で、日中は雪かきに忙しく、家のことはトウキチに任せきりだと語った。

 時折、その目を過ぎる影に、カキノスケは気付いていた。訳は聞かずとも察しがつく。家中の空白が、それを物語っている。ユキノジョウとトウキチの他に、何者かが暮らしている気配は感じられない。


 雪絶えぬ世は過酷だ。片親の家など、そう珍しいものではないだろう。むしろ親がいるだけトウキチは幸せかもしれない。カキノスケの両親は、すでにこの世にはいない。


「……」


 いつの間にか会話は途切れている。トウキチが起きていれば沈黙の余地はなかっただろう。が、あいにく無邪気な子どもほど夢の誘惑が訪れるのは早いものだ。囲炉裏の側で横になった小さな影からは穏やかな寝息が聞こえていた。


 俺もここらで眠らせてもらおうか。


 腹が満ちれば眠くなるのは人の常だ。旅の疲れもすっかり癒えたとは言えない。純朴な乙女にも似た微睡みは、ぴったりと寄り添ったまま離れてゆく気配がない。

 雪かきで疲弊したユキノジョウも、どうやらそれは同じらしい。薄く開かれた目許には、眠りに落ちるまでの静謐な時が流れていた。


「……カキノスケ殿は、如何なる用でこの村に参ったのだ?」


 だからこそ、不意の問いかけにカキノスケの眠気は吹っ飛んだ。平手打ちを食らわされた気分だった。とっさに相手の横顔から目を背けていた。

〈雪除けの鬼〉を捜しているなどとは、とても言えない。鬼と呼ばれてはいるが、それは一人の寒窺なのだ。特異な雪かき力への畏れから大仰な名が与えられたに過ぎない。畢竟、カキノスケたちの目的は人攫い以外の何物でもない。


「遺物を求めて旅をしているのです」


 嘘だ。気付かれる心配はないはずだ。なのに鼓動が速まる。

 見るな。足許を見下ろしながら、カキノスケは己に言い聞かせる。しかし意思に反して、顎が持ち上がってゆく。ユキノジョウの横顔を盗み見る。すると。


「ほう」


 ユキノジョウが目を細めたのが分かった。囲炉裏の火が爆ぜて、その眼光を赤く照らした。なぜだか心を見透かされたような気がした。カキノスケは急かされたように二の句を継いだ。


「俺の故郷は今にも亡びようとしているのです。寒窺は老いて後継ぎにも恵まれず。雪かきは追い付かなくなってゆくばかり。潰れる家は後を絶たず……」

「それで遺物か。若いのに苦労をするな」

「若いからこそとも言えます。旅に耐えられる者はそう多くはありませんから」


 真実を織り交ぜて、カキノスケは語った。

 エチゼン国は実際に困窮している。行ってくれるか、そう直々に問うた主の声には、若き寒窺を死地に赴かせることへの確かな逡巡が感じられたのを覚えている。


「故郷を離れて、このような所にまで、悔いはないのか?」

「していないと言えば嘘になりましょう。が、所詮、俺は一介の寒窺に過ぎません。主の命を退けることなど到底できぬ身」

「……」

「それに俺自身、国の廃れゆく様を見ながら、こみ上げるものがなかったわけではありません」

 

 雪かきは年々過酷になってゆく。過労で倒れるものや見捨てられる家は後を絶たない。カキノスケの両親も雪かき中の事故で死んだ。崩れた雪山から腕だけを突きだした――それが両親の成れの果てであった。恐るおそる握った、凍てついたあの掌の感触。二年の歳月を経た今でも、この手に沁みついて離れることはない。


「救わなければならないのです……」


 無論、毎夜毎夜この胸にしがみついてきたリッカの温もりも忘れることはない。もはやカキノスケの許には彼女しか残されていない。あの子の血潮まで冷たく孤独な雪の中に埋もれさせるわけには……。


「後悔などしていられんのだな」


 ユキノジョウが言った。肩に温もりを感じた。見れば、そこにユキノジョウの手が置かれていた。カキノスケはゆっくりと面をあげて、相手の目を覗きこんだ。視線が交わった。ユキノジョウが微笑んだ。トウキチに向けられたのに似た眼差しが、そこにあった。


 莫迦な男だ……。俺のことなど何も知らぬくせに。


 胸の奥が炙られたように痛みだした。カキノスケは顔をしかめずにはいられなかった。それをユキノジョウは傷の痛みと判じたようだった。


「すまぬ、無理をさせたな。まずはゆっくり休み傷を治すのがよかろう」


 ユキノジョウは火鉢に炭を移すと、その近くに筵を敷いてくれた。寝床に横になる時、カキノスケは火鉢の中で明滅する熾火に目をやった。

 俺たちが動き出すのは今ではない。だが、この焔ある限り、いつか動き出すときが来る。この村に〈雪除けの鬼〉がいるのなら、いずれこの男を傷つけることもあるだろう。そうしてカキノスケは呟くのだった。雪が地を叩くような微かな声で。


「……御免」

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