慶長19年9月堺(その5)

翌朝牢から引き出された無三四は、奉行所の奥座敷で堺奉行の長谷川藤広と対面した。

「宮本無三四どのか?」

うなずく無三四に、

「足利将軍兵法指南役の吉岡憲法親子を皮切りに、将軍家兵法指南役の小野忠明、細川家兵法指南役の佐々木小次郎まで、六十度に及ぶ果し合いすべてに勝った天下無双の剣術使いと聞いておる」

奉行はいきなりたずねた。

「天祐により勝ちを拾っただけです」

無三四は頭を下げた。

「大野治長の家来の妹尾順三郎とはこの堺ではじめて会ったというのはまことか」

「門司ヶ関からの便船で見知り、下船したところで旅籠にさそわれました」

「お手前が殺したのではないのか?」

「いえ。座敷に入ってはじめてご遺体を見つけました」

奉行は無三四を見つめた。

「妹尾順三郎の動きはわれわれも把握していた。堺で下船してそのまま九度山に向かうはずだった。なまじお手前と出会ったばかりに、天下無双の武芸者を大坂方へつけようと算段をしたのが命取りとなった。妹尾どのは西国の豊臣恩顧の大名をおとずれ、徳川との戦いに味方するように説いて回ったようだが、これはまったくの無駄足だった。・・・おそらく、従者が主の妹尾どのを殺して、大名に渡すつもりだった軍資金を奪って逃げたのだ」

奉行は赤い舌をぺろりと出した。

「宮本どのは、大坂城の後藤又兵衛に会いに行かれるかな」

「・・・・・」

「これは、妹尾どのが殺される直前に書いたと思われる」

と、奉行は一通の血染めの書状を無三四の膝頭へ押しやった。

「お手前を後藤又兵衛の配下にと推挙する書状だ。どうしても大坂へ赴かれるなら・・・」

と言いかけた奉行が手を叩くと、

「お呼びで」

なで肩の若い侍が音もたてずに廊下に現れ、頭を下げた。

上げた顔を見ると、白粉をはいたように白い細面に、切れ長の目の美男の若者だった。

「宮本どの、これなるは、服部左門之助という伊賀者。以後お見知りおきを」

怪訝な顔を向ける無三四を尻目に、

「今日よりこの者を弟子にとっていただき、従者としてどのようにもお使いくだされ。お得意の二刀流など仕込んでもらえればさらに幸甚。あ、いや、遠慮めさるな。宮本どのの行くところ、この者はどこへでもついてまいる」

と、奉行は腹をゆすって笑ったが、その口の端に浮かべた皮肉の陰りを無三四は見逃さなかった。

『どこへ行こうとかまわないが、つねに徳川の監視がつく、それを承知で行動せよ』

堺奉行はそう言いたいのだろう。

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