慶長19年9月堺(その1)
門司ヶ関から乗った便船は鏡面のような内海を滑るように走った。
岡山沖で帆を休めた便船に、艀が八人ほどの乗客を運んできた。
そのうちの五人は山賊のようななりをした牢人者で、いずれも葛籠を背負い胴丸をつけ短い槍を手にしていた。
故関白秀吉の供養のために再建した方広寺の梵鐘の国家安康の銘が徳川家康の首を刎ねていると徳川方が執拗にいいがかりをつけるのに、堪忍袋の緒が切れた豊臣方は一戦交えようと公然と牢人たちを大坂城に集めていた。
髪も髭も伸び放題の薄汚い牢人者たちは、ひと旗あげようと大坂へおもむこうとしているのは明らかだ。
しかつめらしい顔の中年男が、顔も手足も煤だらけの男衆のようないでたちの少女を従えて乗船した。
ふたりは、武蔵がもたれる帆柱の陰に隠れるように座った。
あとのふたりは、絹の袋に収めた大小を腰に差した旅姿の高位の侍とその従者のようだ。
深編笠の中から鋭い眼光を放つ侍と従者はすぐに船倉へ消えた。
便船が岡山を出ると、船首に陣取った牢人どもは車座になって酒盛りをはじめた。
やがて、大男の牢人者がふらふらと帆柱の陰へやってきて少女に飛びかかった。
「きゃあっ」
少女が悲鳴をあげるのもかまわず抱き寄せ、髭面で頬ずりした。
「なにをする!」
中年男が鬼の形相で牢人者につかみかかったが、足蹴にされて甲板に転がった。
「お前はひと買いの権太じゃろ。女を安く買いたたいて京大坂の女郎屋に高く売り飛ばす悪党じゃき、娘っ子に酌ぐらいさせても罰は当たるめえ」
・・・いやがる少女を引きずる牢人者が、こんどは甲板に転がる番だった。
「何をする!」
はいつくばった髭面の牢人者が、無三四に向かって吠えた。
「拙者の刀に勝手につまずいて転ぶとは。・・・刀は侍の魂。刀に謝ってもらおうか」
無三四が鞘におさまった長刀を横に構えて突き出すと、
「なんだとお!」
激高した牢人者は、腰の刀を抜こうとする。
だが、柄を握った手の甲を無三四が扇子で押さえると、牢人者は刀を抜くどころではなく身動きすらできない。
ぶるぶると震える牢人者の額から、滝のような汗のしずくが髭を伝って滴り落ちた。
扇子で軽く胸を突くと牢人者は仰向けに倒れた。
槍を抱えた仲間の牢人者が押っ取り刀で駆けつけた。
槍を構える牢人者の懐に跳び込み、首根を扇子で叩くとこの牢人者はへなへなと崩れ落ちた。
尻尾を巻いて船首へ逃げ帰る牢人者を横目に見た権太が、
「ありがとうございます。お見事な腕前で・・・」
と頭を下げた。
「お主、ほんとうにひと買いなのか?」
無三四がたずねると、
「お侍さま、そんなひと聞きの悪いことを・・・ただの口入れ屋でございます」
権太はしどろもどろになった。
・・・それはどうでもよいことだった。
むしろ気になったのは、船倉の階段から首だけ出して、こちらをうかがう侍の鋭い目だった。
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