慶長15年5月舟島(その2)
舟島は赤間ケ関から四里だが、強い引き潮に逆らうので、若い権蔵の力をもってしても舟はなかなか先へ進まない。
潮は渦を巻いてうねっていたが、波は高くはなく、雲ひとつない五月の空はおおらかに晴れ渡っていた。
初夏のまばゆい朝の光が、たゆたう海面を照らし、小さな波が陽光にきらめいていた。
沖合では海の底の藻がくっきりと見えるほど、水はどこまでも透き通っていた。
白い砂浜に縁どられた小さな島々の、風に吹かれて低く曲がったなりの緑の松の樹々が、絵のように美しい。
やがて行く手にお椀を伏せたような舟島が見えてきた。
長府藩の幔幕を張った前に検使が三人ほど床几に座っていた。
おそらく幔幕の裏には長府藩の侍たちの一隊が控えているにちがいない。
検使から少し離れた床几に、華やかな白絹の小袖に白い裁付け袴、白鉢巻き姿の佐々木小次郎が座っていた。
遠目には白粉をはたいて唇に紅をさしたかぶき者に見えた。
歳のころは二十五、六。
無三四はおもむろに襷を掛け、手拭いの鉢巻きを締めた。
舟が島の岸辺に近づくと、小次郎は床几を蹴倒して立ち上がり、目のさめるような猩々緋の袖なし羽織をひるがえして駆けてきた。
背は高く細面で目は夜叉のように吊り上がっている。
「無三四、遅れたな!」
砂浜に降り立って無三四を迎えた小次郎が叫んだ。
舳先を小次郎にぶっつけるよう権蔵に命じた無三四は、舟底が砂地を噛むと、木剣を肩にして天高く舞い上がった。
「宮本無三四見参!」
と叫んだ無三四は、小次郎に向かって突進した。
あわてた小次郎が、長刀を抜き放ち、鞘を投げ捨てた。
小次郎が構える長刀の切っ先の半間前で止まった無三四は、小次郎の長刀は三尺をやや超える長さと見た。
次に右足を引いて半身となった無三四は、腰を落として長さ五尺の木剣の尖端が砂地に着くかのように低く構えた。
・・・小次郎には木剣の長さは見えないはずだ。
その低い構えから、無三四は右へ回った。
がら空きの頭を攻めたかったのだろうが、無三四の木剣の長さが読めない小次郎は、攻めるのをためらって左へ回った。
それを数度繰り返しているうちに、半回転した小次郎はいつしか海を背にして立ち、日の光をまともに浴びることになった。
はめられたことを知った小次郎がさらに左へ回ろうとすると、今度は無三四がそうはさせじと左に動き、有利となった位置取りを手放そうとはしない。
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