慶長12年5月奈良

どこまでも蒼天が高い宵、興福寺の境内の能舞台の篝火が今を盛りと燃え上がっていた。

厳かな空間を鋭く切り裂くような能の舞を、無三四は目を凝らして見ていた。

昨年亡くなった石舟斎の弟子にして能楽師の金春七郎氏勝の能舞いの足運びを学び、我が剣術に取り入れようと、無三四は、毎年五月のこの二日だけの薪御能を見るべくこの一年を西国で待った。

柳生の谷を辞去した後、柳生新陰流四天王の木村重郎の姿を追い求めつつ、堺から舟で瀬戸の海を下り、博多を皮切りに肥後、薩摩の九州の諸藩を巡り、陸路を長州へ戻り、播磨、作州などに点在する剣の達人と立ち会って一度も負けを取ることはなかった。

『能も剣も、その求めるところは同じではないか』

薪御能が果て、見物人が散り始めた境内を腕組みしながら歩く無三四の袖を引く者があった。

「吉岡先生がお目にかかりたい、と申しております」

と慇懃に若い侍が頭を下げた。

関ヶ原合戦の直前に、𠮷岡直綱と京の萬里小路で果たし合ったときに立会人をした吉岡道場の矢頭蒼次郎だった。

案内された茶屋の一室に通されると、床の間を背に吉岡直綱が座っていた。

直綱の左の袖はだらりと垂れていた。

互いに型通りのあいさつをしたが、七年前の吉岡一門との果し合いの話は出なかった。

・・・互いにその話題は避けたともいえる。

「柳生石舟斎に新陰流の教えを直に受けた金春七郎どのの能舞から学ぶものはありましたかな?」

直綱は、能などの諸芸を取り入れた新しい武術のかたちを考えていると言った。

金春流の能から何かはらわたに響く激烈な力というものを感じたのはまちがいないが、それが何であったかを無三四はうまく語ることはできなかった。

武芸というものを知力でもって体系づけようとする直綱がうらやましかった。

「柳生但馬どのは剣の奥義でひとを生かすということを考えておられるようだ。拙者は、単に戦うだけの剣ではなく、剣を乗り越えてひとに作用する何か兵法のようなものを考えようとしている」

と、とつとつと語る直綱は、本年末に吉岡道場の納会で何かまとまった考えを発表するので、無三四にも来てほしいと十二月の日時を口にした。

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