慶長11年3月柳生谷

無三四は、大和国の柳生谷に柳生新陰流の祖、宗厳石舟斎を訪ねたが、会えるはずもなかった。

冨田流の戸田一刀斎、新当流の神取新十郎、新陰流の上泉信綱の三大の剣豪から剣技の真髄を学んだ石舟斎こそ、本邦の剣術の本流であり、子の厳勝と宗矩に柳生新陰流を嫡流として伝えていた。

門前の武者修行者の宿に泊まり、翌日も翌々日も門を叩いたが、柳生は他流と試合はしないといつも答えは同じだった。

それで四日目には木村重郎どのとお会いしたいと通じると、無三四はようやく招き入れられた。

・・・柳生谷は春の光を浴びた小さい城塞のようだった。

曲がりくねった坂道の尽きたところに物見櫓があり、その裏に武者屋敷があった。

その屋敷の奥座敷で、いかつい顔をした小柄な中年の男が頭を下げた。

「木村伊助と申す。重郎はわが嫡男にござる」

いかにも歴戦の強者といった威圧感があるが、どこかおどおどとして落ち着きがなかった。

「重郎をたずねて来られたようだが、息子はここにはおらん」

「いずこへ?」

「それがとんと分からんので困っておる」

重郎の父親は、げじげじ眉を寄せ、

「何でも江戸の女郎に入れ揚げて公金を使い込んだ挙句逃げたとの噂を聞いておる。それがほんとうなら、拙者は、腹を切らねばならん。江戸から重郎に会いに来られた宮本どのなら何かご存知であろう」

必死の思いでたずねた。

・・・しかし、父親が息子の不始末の顛末を知ったところで何になろう。

「拙者は、ご当主の但馬守さまより上意討ちのお許しをいただいております」

と言うと、父親は声にならない声をあげた。

・・・半刻ほど待たされた無三四は、武家屋敷の奥の崖下の茶室に通された。

囲炉裏の向こうに端座した石舟斎は、枯れる前に燦然と光を放つ巨木のようだった。

ただし、眼光の鋭さは尋常ではない。

石舟斎は何も言わずに、ゆったりと茶をすすっていたが、

「重郎を斬るそうじゃな」

と不意にたずねた。

「はっ」

無三四が平伏すると、

「重郎を新陰流の後継者にと考えたこともあった。・・・だが、存分に戦うがよい」

石舟斎はそう言うと、静かに目を閉じた。

・・・翌月、石舟斎は七十八年の生涯を閉じた。

重郎の父の木村伊助が直ちに追い腹を切った。

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