慶長11年2月江戸(その16)
仮宅営業の手配が済むと、無三四と甚右衛門は駕籠を連ねて品川の目黒川沿いの柳生屋敷に木村重郎を訪ねた。
「木村は大和の国の柳生本家へ戻ることになり、今朝旅立った」
納戸頭がそう答えても、無三四は動じることがない。
「それでは、ご当主の柳生但馬守宗矩さまにお目通り願いたい」
と、大胆なことを口にした。
大殿は登城中なので、お引き取りを、といわれると、
「戻るまで、お庭でも玄関先でお待たせいただく」
と、無三四は梃でも動かない。
重ねて、退去するようにいわれると、
「ご当家の木村重郎どのの不行跡につき、大殿と談判したい」
と、無三四が大音声でいうので、納戸頭は明らかに動揺した。
それから二刻ほど、甚右衛門と無三四は座敷で待つことになった。
暗くなった座敷に灯りがともされると、やがて正面の襖がするすると開き、小姓を従えた、壮年の脂ぎった顔をテカらせた但馬守が現れた。
徳川を支える重臣の威厳に満ちた振る舞いに、無三四は目が眩むほど圧倒された。
「宮本無三四か」
但馬守がたずねた。
「はっ、作州牢人宮本無三四にございます」
但馬守の威圧に負けないように、背筋を伸ばして大きな声で返事をした。
「徳川家剣術指南役の小野次郎左衛門忠明に勝ったのはその方か」
「あくまでも私的な果し合いでした。それに勝負は引き分けでございます」
「細川家家老の松井康之どのが、しきりに貴殿の器量を誉め、小野忠明に代えて剣術指南役にと細川忠興どのを動かそうとしている」
「申し上げます。拙者、松井さまと面識は得ましたが、指南役のことはあずかり知らぬことでございます。万々が一、推されようとも、ご辞退申し上げます」
「ほほう、今どきの若者にしては欲がないのう」
但馬守は苦く笑った。
「関ケ原では黒田さまに陣借りして兵卒として働きましたが、その後十年は武者修行者として諸国を経めぐり、天下の剣術の使い手と戦ってまいりました。これからもいずこに仕官することもなく、ただ剣技を磨くだけのことです」
但馬守は眉一つ動かさず黙って聞いていた。
「柳生新陰流創始者の但馬守さまにぜひとも一手指南を賜わりたい」
そう言って頭を下げた無三四の不敵な物言いに、但馬守は何も答えない。
「木村重郎の不行跡を申し立てにやってきたそうだが、申してみよ」
「これは異なことを申されます。殿はすでに木村重郎の不行跡をご存知のはず。それで急遽今朝になって、落ちのびさせてやった。ちがいますか」
無三四はここを先途と責め立てた。
「それでどうしろと」
「家来の不始末は当主の不始末。木村どのは柳生四天王と称される剣の使い手。大殿がご相手いただけなければ、木村どのと果し合います。どこへ逃げたのか、草の根を分けても必ず見つけ出し、討ち取ります。いわば上意討ちとして木村どのとの果し合いをお許しいただきたい」
と、仰ぎ見ながらいうと、但馬守は凄まじい形相で武蔵を睨みつけた。
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