慶長15年5月秋月(その2)
夜も白むころ、無三四は、ようやく棒のように太くて長い樫の木刀を作り上げた。
六角棒の長さの五尺はそのままに、握る部分を刀の柄のような形にし、頭に向かって刀剣の刃のように薄くして、握りやすく振りやすく、それでいて打撃力のある武器ができ上がった。
・・・遠目に見ると、舟を漕ぐ櫂に似てなくもなかった。
いつしか寝てしまったのか、傍らに立った父無二斎が、
「できたようじゃな」
と呼びかける声で目が覚めた。
無二斎は長さ五尺の櫂のような棒を振って、
「ようでけた。だが弁之助しか振り回せんがな」
と無三四の幼名を口にした。
城内の下級武士が住む長屋に無二斎の部屋があった。
そこにお膳がしつらえてあり、山菜を添えたどんぶりに芋粥が盛ってあった。
台所のとば口に若い田舎娘がかしずいていた。
顔を赤らめた無二斎と娘を見比べて、すぐに事情は飲み込めた。
朝餉を食べ終えると、
「殿にごあいさつに行くか?」
と無二斎がたずねた。
殿とはまさか黒田長政かと思ったが、無二斎がいうのは、かっての作州竹山城城主の新免伊賀守のことだった。
伊賀守の妾腹の子の捨丸のことで一家は離散し、無二斎はすぐに黒田藩の剣術指南役に迎えらえていた。
切腹まで命じた無二斎の口利きで、関ケ原の敗将の伊賀守が黒田藩に二千石で禄をはむことになったのは運命の皮肉としか言いようがなかった。
三百石扶持の嫡男の長春もこの先の屋敷でいっしょに暮らしているという。
もっとも、長政は関ヶ原の勲功によって、豊前中津から筑前福岡の転封されて五十二万三千石の大大名になったので、大領を管轄する有能な家臣団の増強が必要だったともいえる。
その最大のものが、西軍大将の宇喜多秀家の家老で関ケ原合戦の侍大将だった明石掃部で、キリシタン信仰の縁もあって掃部を秋月に招いたのはひとつの事件でもあった。
・・・時に置き去りにされた落人のような世渡りだけがうまいふたりに、今さら会いたくもなかった。
道場にもどり、父無二斎とふたりで、きのうやり残した小次郎の燕返しの技への対応をあれこれ試した。
・・・だが、必勝の技は思いつかなかった。
当初の話では松井興長の居城のある豊後の杵築へふたりで向かうことになっていたが、杵築へは無二斎に行ってもらい、無三四はひとりで下関へ向かうことにした。
「細川家兵法指南役格の佐々木小次郎に、万万が一にも、家老の松井興長さまが推す一介の牢人者が勝ったなら、細川の大殿の面子を松井さまがつぶしたことになります。まして松井さまが仕立てた舟で舟島へ渡ることはできません。ここは、たといかたちだけでも、兵法者宮本無三四がひとりで小次郎に挑んだことにしたい」
無三四が杵築へ行かない訳を話すと、無二斎はうなずいた。
興長あての詫び状認めて無二斎に託した後に、
「此度の小次郎との試合は興長さまにご手配をいただきましたが、今となっては、細川家とか黒田家との意地の張り合いなど無益なことです。武芸者同志が剣技の頂点を極めるために、ただ真っすぐに小次郎と戦って雌雄を決したい。その思いしかありません。おそらく小次郎も同じ気持ちだと思います」
無三四は決然と言い放った。
・・・興長が言うように、小次郎がほんとうに細川藩に害を及ぼす兵法家なのかなどどうでもよかった。
「幸運にも勝ちを拾うことができたなら、ここへはもどらず、いずこへか消え去ります。負けたなら、父上に骨を拾っていただきたい」
無三四が頼むと、
「承知」
無二斎はひと言だけ答え、無三四をしげしげと眺めやった。
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