慶長15年5月秋月(その1)
青葉が繁る秋月城の大門前の錬成場を覗くと、父の無二斎が板間でひとり木刀を振っていた。
玄関に顔を出した無三四を認めると、
「おお」
と顔をほころばせたが、すぐに元の渋面にもどした。
関ヶ原の合戦のあと、諸国廻行の武者修行に出る前の半年ほどを秋月で過ごしたので、十年ぶりの再会だが、ふたりの間で世間話などはない。
「いよいよじゃな」
無二斎は照れたように言った。
「燕返しを見ましたか?」
無三四もぶっきらぼうにたずねると、
「細川の家中の者で小次郎の門下生をここへ呼んで実技を演じてもらったが。もっとも、小次郎がその技を教えたわけではない。秘伝中の秘伝だからな」
無二斎は口を尖らせ怒ったような口調で言った。
「ではどうして?」
「小次郎に酒を飲ませて聞き出したらしいのう」
無二斎は奥の小部屋から五尺ほどの樫の六角棒を持ち出して、無三四に投げた。
・・・手にずしりと重い。
小次郎との果し合いが決まると、無三四は無二斎に書状を送り、樫を削ってこの六角棒を作るよう頼んだ。
じぶんで作ってもいいが、来る途中に小次郎ゆかりの者に見られるとまずいと思ったのだ。
今度の小次郎との果し合いでは、剣の技量は同じと考えると、手にする武器次第で優位に立てると無三四は踏んだ。
一刀流で長刀を使う小野忠明との試合がそうだった。
柳生新陰流の木村重郎のときは、武器を用意する暇がなかったので、苦しい戦いになった。
小次郎は、物干し竿と称される三尺をゆうに超える長刀を振り回して燕返しの技を繰り出すらしい。
・・・もっともそれを見た者はいない。
その技を繰り出す前に、その長刀で屠られてしまうからだ。
無二斎は小次郎が持つであろう長い木刀を手にして無三四に相対した。
「先に刀を振り下ろして踏み込んできた敵を、刀を返して瞬速で斬り上げる・・・」
と言いながら、無二斎は板間をわざと音高く踏み込み、無三四の脳天に物干し竿を打ち込んだ。
すでに五十は越えたろうが無二斎のからだには力が漲っていた。
蓬髪の上で寸止めした木刀をそのままにしてもらい、小次郎の燕返しを真似て無三四は下から棒を振り上げた。
「上から振り下ろすときは刀の自重もあって素早く打ち込めるが、下から重い刀を瞬速で振り上げるのは並みの腕力では無理です」
無三四は音を上げた。
次に、無三四が長い木刀で、無二斎が六角棒を持って同じ演技をした。
「これだと打撃力は勝るが、重すぎて振りはじめるのに時間がかかるな」
白髪を振り乱した無二斎が肩で息をした。
道場の真ん中に座った無三四は、硬い樫の六角棒を鉈と短刀でどんどんそぎ落としていった。
・・・無三四は一心不乱に削った。
明日の夜までにはどうしても下関に入らなければならなかった。
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