慶長11年1月江戸(その4)

翌日も無三四は西田屋に招かれた。

あらかじめ奥座敷に茶の道具が揃えてあった。

朝霞太夫が現れ、作法にのっとり、茶釜からお湯を汲み、抹茶をたてた。

「野人ゆえ、作法など知りませんので」

無三四は、膝の前に置かれた、伊万里の茶碗を引き寄せ、がぶりと呑んだ。

「作法などいりません。楽しむこころがあれば、それでよいのです」

太夫はにこりと笑った。

茶が終わると、今度は絵の道具を並べはじめた。

しかし、いざ色紙を前に筆をとった無三四だが、何を描いたものか、何も思い浮かばない。

太夫はと見ると、すまし顔でさらさらと細い筆を動かしている。

「何を・・・」

とたずねる無三四に、

「秘密」

と太夫はいったが、すぐに描きかけの踊る女人の立ち姿を見せてくれた。

「出雲の阿国ですか?」

武蔵の問いに、

「いえ、母者です」

と答えた太夫は遠くを見るような目をした。

「太夫は、国はどこで?」

「丹波の山奥です」

「京の出とばかり思っていたが・・・」

「京の柳町では、公家の家に生まれたのが、仔細あって・・・、というのが売り文句でしたが、江戸ではそんな作り話はいらないでしょう」

太夫はさらりと受け流した。

「さあ、何を描いたらよいのか、皆目見当がつきませんな」

「目を閉じて、何かを思い出してみてください」

しばらく目を閉じていた武蔵は、やがて色紙にさらさらと山水を描き始めた。

山があり、谷から清水が流れ、水車が回り、田園が広がる山水画だ。

のぞきこんだ太夫が、

「きれい」

と嘆声をあげた。

「母が住む山里です。母は、乱暴者の父に嫌気がさして実家へもどり、再婚しました。幼いころ母恋しさに、よく峠を越えて会いにいったものです。すぐ連れもどしにきた父に、ひどく折檻されましたが・・・」

無三四が故郷の山水を続いて描くと、それにつれて思い出もよみがえってきた。

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