慶長13年1月京(その7)
正月の祝いが過ぎたころ、
「今夜は柳町へ繰り出してひと騒ぎしませんか。母者が、あなたさまを廓へお連れしろとうるさいのです」
光悦が郭遊びに誘った。
「母御が?」
「はい。よく遊びよく学べ、と母は常々申しております。それに、家康公より過分な引っ越し費用を頂戴しております」
稼いだせっかくのお金を郭遊びなどで無為に使っていいものか、無三四には解せない。
・・・木綿ながらこざっぱりとした光悦の袷と羽織に着替えた無三四は、新しい草履を履いて、茶の宗匠が着るような筒袖の羽織と袴の光悦とうち揃って、日暮れの冬の道を六条柳町へ向かった。
光悦の馴染みの扇屋の離れ座敷には、すでに床の間を背にして、灰屋紹由が太夫を侍らせて盃を重ねていた。
紹由は染に使う灰を商って財をなしたと光悦がひそかに教えてくれたが、灰で金儲けができるなど、無三四には商売のからくりなどまるで分からなかった。
やがて、派手な男装をした遊女ともうひとりの遊女が現れ、能楽に合わせて倒錯的な踊りを舞いはじめた。
関ヶ原合戦の後に、きらびやかな女の着物やマントなどの度肝を抜く異装でもって遊郭などに繰り出すかぶき者があちこちに出現した。
元々はひとの世の無常を哀しむ念仏おどりだったのを、男装した阿国がかぶき者に扮して、遊女と戯れる色っぽいかぶき踊りに変貌させ、京大坂の神社の境内や河原で演じてたいへんな評判になった。
遊女が扮する男伊達がひょうきんに舞いもうひとりの艶やかな遊女が裾を乱して踊りながら男伊達を誘うとみせて、なかなかからだをゆるさない。
紹由と光悦はげらげら笑い出した。
阿国一座の踊りを見る者すべてがその芸に酔い痴れ、公家も大名も競ってじぶんの屋敷へ招いて演じさせたというのもむべなるかな。
遊郭でも遊女たちにこのかぶき踊りを客の前で踊らせて大いに受けた。
座敷でかぶき踊りが終わりかけたころ、かなり酔って足元のおぼつかない公家の烏丸光広卿が現れた。
遊女たちさんざん踊ってから、床柱の前の席を譲った紹由と並んで座った烏丸卿に光悦が無三四を紹介した。
「おお、かの将軍家兵法指南役の小野次郎左衛門忠明を敗った宮本無三四どのか」
烏丸卿は大げさに驚いてみせた。
「ついこの間は加茂大橋のたもとで、柳生新陰流四天王のひとり木村重郎を見事討ち果たしました」
止める間もなく、酔った光悦が余計なことを口にしたので、無三四は大いにあわてた。
「柳生但馬守宗矩といえば、こちらも将軍家兵法指南役ではないかの。ということは、伊藤一刀流と柳生新陰流のふたつを負かした宮本どのは日の本一の兵法者ということになる。何故、徳川は宮本どのを兵法指南役に迎えんのじゃ。解せんのう」
烏丸卿はいささかお道化て首を大きくひねった。
「ああ、いや、いずれも際どい戦いでした。それに、拙者はいずれにも仕官する気などござらん」
無三四は生真面目に答えた。
「もったいないのう。紹由どの」
烏丸卿に話を振られた紹由は、
「ほんに、ほんに」
と何度も相槌を打った。
宴も果て、紹由がしきりに今夜は泊まって朝帰ればよいと誘ったが、無三四は野暮を承知で、ひとり駕籠に揺られて下京の工房へもどった。
烏丸卿は、灰屋紹由の連歌・茶道・書道・蹴鞠などの師匠にして六条の遊郭での遊び仲間だが、
「ああ見えて、お上にたいへんな影響力のある有力な公卿だ」
と光悦があとで教えてくれた。
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