慶長12年12月京(その5)
無三四は赤子を抱えて、上京の実相院址にある本阿弥光悦の工房をたずねた。
あと十日で正月というのに、工房では引っ越しの準備をしていた。
蓮台野からさして遠くない有栖川と上小川のきれいな流れにはさまれた湿地帯に、光悦の工房だけではなく、法華宗仲間でもある本阿弥一族、町衆、職人が陶芸、漆芸、書画、刀剣などの工房を構えていた。
光悦は、正月の祝いもそこそこに、いわばその芸術村をまるごと、徳川家康から拝領した鷹峯の地に移そうとしていた、
「本阿弥一族は京の王朝文化を長く担ってきましたが、家康公はわれらを朝廷から遠ざけようとしています。京の芸術家を丸抱えにし、文武ともに徳川将軍家が天下の支配者だと誇示したいのでしょう」
光悦は、家康公に鷹峯の土地を拝領したのを、光悦はさほど喜んでもいなかった。
「あなたは、いつもそのように突如現れる。しかも、此度は赤子連れときた」
何事にも動じない光悦だが、これにはさすがに度肝を抜かれたようだ。
無三四は、柳生宗矩の家臣で新陰流四天王のひとりの木村重郎と果たし合って誅殺したが、江戸の遊郭吉田屋から拉致した朝霞大夫も自死したいきさつを話した。
「なるほど、赤子はそのふたりの間の子ですか」
光悦はすぐに得心したが、
「まさか、赤子を背負って廻国武者修行の旅を続けるおつもりではないでしょうな」
半ばからかうような口調でたずねた。
・・・無三四は答えに窮した。
木村重郎と朝霞大夫の遺体を高野川べりに仮埋葬し、大和の柳生本家と江戸の庄司甚右衛門にその旨を書状に認めて送ったが、赤子をどうするかなど考えもしなかった。
ちょうどそのとき、赤子が泣き出した。
その泣き声を聞きつけたのか、光悦の母御が部屋に駆け入ってきた。
光悦から事情を聞くと、あいさつもそこそこに、母御はすぐ下女を農家に送ってヤギの乳をもらい受け、赤子に乳をのませた。
「煙のように消えて二年も連絡が途絶え、現れたかと思えば赤子連れとはの」
母御には何の皮肉も嫌味もなく、ただ無三四との再会を喜んだ。
「それにしても、きれいな赤子じゃの。無三四どの」
母御に言われて赤ん坊をよく見ると、たしかに鼻筋の通った品のいい男の子だ。
・・・美形だった木村重郎に似てなくもなかった。
不意に、父無二斎が、白拍子の袖に包まれた赤子を宮本の構えに連れ帰った日のことを思い出した。
・・・たしか、お吟姉が農家からヤギの乳をもらい受けて捨丸を育てたはずだ。
明石掃部守とともに西軍の落人となった捨丸とは岡山の天神山城で別れたが、
あれから九年の月日が流れていた。
捨丸はどこでどうしているのだろうか?
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