慶長12年12月京(その2)
宿に戻り、寒い部屋で横になったが、しきりに胸騒ぎがしてならない。
障子に傾いてきた日差しが映るのを見て起き出した無三四は、
「京の町を散策してくるが、辻斬りにでもあって帰れなくなるとまずいので・・・」
と過分な宿代を先払いして宿を出た。
砕けた夕日が、賀茂川の中ほどをゆったりと流れ、はるか鞍馬山に残照がかかっていた。
寒風吹きすさぶ河原に降りて賀茂大橋を望んだが、半時ほど経ってもだれも渡らないのに気がついた。
薄暗くなりはじめた賀茂川の土手を、背に荷を担いだ旅の商人がひとりやってきた。
橋を渡ったところで、手拭いをかぶった若い女が現れ、しきりに男の袖を引く。
背を丸め、音を立てぬようにして秘かに河原を駈けて橋に寄ったが、女の話す声は聞こえない。
女は男の手を引くようにして右手の賀茂川分流の高野川の土手を歩きはじめた。
つかず離れずに後をつけると、やがて女に手を引かれた旅人は、土手を降りて細道を辿り、森の中のあばら家へと吸いこまれていった。
しかし、入っていった旅人はすぐに飛び出してきた。
髭面の牢人が長刀を下げて追いすがると、背から一刀のもとに袈裟懸けにしたので、たまらず旅人はもんどりうって倒れた。
旅商人の懐を探る髭面の牢人の背後に迫った無三四が、
「柳生新陰流の達人も、追剥に成り下がったか!」
と、声をかけると、木村重郎は驚いて振り向いた。
あばら家の中で赤子が火のついたように泣き出した。
木村は、悪さを見咎められた子供のように、あらぬ方を見やってから不敵に笑った。
「欲しいものはすべて手に入れる。それが儂の生きざまじゃ。邪魔立てはせぬことだ」
「邪魔立てはせぬ。しかし、おのれの我儘のせいで、ひとが死んだ。騙されて迷惑した者がいた。柳生の大殿は泣いておった。・・・落とし前はつけねばなるまいて」
泣き止まぬ赤子を抱いた朝霞太夫が、あばら家からその白い顔を覗かせた。
「今から、ここでやるか」
蛇のような目を無三四に止めたまま、家の中へ太夫を追い払おうと木村は手を振った。
木漏れ日が、あばら家の前の草地を能舞台のように明るく照らし出した。
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